ルシフェル・ヴァンパイア ~囚われの吸血鬼は伯爵家長男に執着される~

黒河あこ@少年と竜神1~3巻発売中

第一章 少年は運命に出会った

第1話 ラキア王国首都テリタスにて

――第一章 ・ラキア王国首都テリタスにて


 窓一つない閉ざされた長方形の部屋の中、吸血鬼ヴァンパイアの青年ステリアは、ベッドへ横たわったまま、次第に高まってくる外からの喧騒で目を覚ました。

 唯一の扉がある壁側は格子で塞がれ、ステリアが格子の内側から手を伸ばしても、壁の扉に触れることはかなわない。

 各地を移動するサーカスで、猛獣を移送するために作られた車両型の檻、それを改装した監禁部屋だった。

 監禁されてはいるものの、室内の装飾は清潔で真新しく、高級ホテルのように整っていた。

 わずかに身じろぎすると、金属の擦れる不快な音が鳴る。

 首に嵌められた銀の首輪。そこから繋がる細い鎖は格子に固定されていた。


 やがて扉がノックもなく無遠慮に開くと、黒い衣装を着た中年の大男がズカズカと立ち入り、ステリアを一瞥した。

 監禁され、鎖に繋がれたまま、ベッドの上へしどけなく横たわる青年、ステリアは、容赦なく人々を魅了する、怪しいまでの美貌の持ち主だ。

 染み一つない真っ白な肌、ゆるくウェーブした、新雪に黄金の雫を溶かしたような淡い金の長髪で、瞳は晴天の日の高い空と同じ蒼。

 ぱっと見では十八、九才ほどに見えるが、実際の年齢はそこから大きくかけ離れていることを、世話係の大男、ミゲルは良く知っていた。


 ステリアは貴族のような白いブラウスと黒のスラックスを身につけていた。

 力なく横たわる姿は、陶器人形のように完璧なまでに整っていて、そこに生きて存在しているという現実味が薄い。


「おい出番だぞ」


 ミゲルが格子とステリアの首輪とをつなぐ鎖を軽く引っ張るが、ステリアは反応しなかった。

 舌打ちをしてから今度は容赦なく鎖を引いた。

 ステリアはベッドから引きずり降ろされ、そのまま男の元へと手繰り寄せられる。


「まったく、たまには自分で歩いてこいよ」


 ぶつぶつ文句を言いながら、ミゲルは新たに短めの鎖を取り出すと、ステリアの首輪に繋ぎ直し、格子に繋がっている方の長い鎖を外す。

 準備が整うと扉を開き、ぐったりと動かない身体を抱き上げる。

 細くなめらかな白い首筋へ視線をやって、ミゲルは唾液を飲み込んだ。

 下腹部にぞくぞくと震えが走り、血液が集まる熱を感じて慌てて首を振った。


「おまえは存在しているだけで男を誘惑する。吸血鬼じゃなくて夢魔サキュバスかなんかじゃないのか?」


 サーカス団【満月一座】は、昼と夜とで大きく公演の趣向が変わる。

 昼は老若男女が楽しめる動物の曲芸や、定番の空中ブランコ、道化芝居などを安価で見せ、一座がテントを張ると連日チケットは売り切れる。

 だが、夜の公演は通常のチケット代だけでも昼間の公演の十倍以上の値段に跳ね上がり、見せるものも昼とは大分趣向が違っていた。

 満月一座、夜の公演は、猛獣たちの曲芸も炎を使うなど、昼に比べより危険なものに代わり、全身を体毛で覆われた男性の怪力披露や、身長三メートルもある巨人の曲芸、足が三本ある女性が歌う姿など、様々に通常とは異なる容姿をした人間を見世物にする、悪趣味なオカルト小屋へと変貌する。

 そして土曜の夜の公演には、通常の演目の後、さらに高額の追加料金を支払った人間だけ目にすることのできる、特別公演があった。


「満月一座の創始者は、吸血鬼の真祖と呼ばれる美しき不老不死の悪魔を捕らえた勇者であります。さあ、観客の皆様! 今宵はともに悪魔へ罰を与え、神へご奉仕いたしましょう。ですが、決して目にしたものを口外してはなりません。我々だけの秘密の夜、誓いを守ればおのずと天国への扉は開かれるのです!」


 口上と共に舞台へ引き出されて来る、月の化身のような青年を目にした観客たちは、みな一様に息を呑む。

 このように美しい生き物を、こんなにも高貴な見た目をした青年を、見たことがなかったからだ。

 夜は長く、その公演の内容は美しくもおぞましい。

 目にしてしまった人々は秘密を共有する仲間となって、決して内容を他人に明かすことはなかった。



 十三才のアシュレイ・カストールは、漆のような漆黒の髪に金の瞳を持つ、ラキア王国カストール伯爵家長男だ。

 鋭利な金眼に、恵まれた体格と冷静な性格のおかげか、年齢よりもずいぶん大人びて見えた。

 両親は父母ともにのんびりとした気質で、父の唯一貴族らしい趣味は鷹狩りぐらいしかない。

 それだって周囲に合わせて付き合いで始めたようなものだが、雛から育て、自分で訓練し、狩りをする、という地道な工程が性に合ったのか、暇を見つけては友人を誘って相棒の大鷹ファルケと狩りにでかけている。

 長男のアシュレイも、十二才になった誕生日に父ハーミットから「大事にしなさい」と雛を貰った。

 アシュレイが労を惜しまず愛情深く育てた鷹狩り用の大鷹は、ルマと名付けて自分で訓練し、相棒として大切にしている。

 アシュレイの家は伯爵という大層な爵位を持ってはいたが、王家の家督争いには関与せず、一歩引いた立場で、助言を求められた場合のみ慎重に意見を述べる、宰相のような役割を続けている。

 アシュレイ自身も家業だからとさまざま勉強しているけれど、好んで爵位を継ぎたいわけでもない。


 サーカスがこの街、ラキアの首都テリタスに来ると聞いた時、アシュレイはさして心を動かされなかった。

 それよりも学校で努力している馬術部の活動や、外国語の勉強、あるいはルマの訓練に時間を使いたい。

 けれど好奇心旺盛な幼い弟妹たちは、サーカスがやってくるというチラシを見てから、サーカスを見に行きたいと毎日両親にねだっていた。

 そんな折、サーカス団長と懇意だという市長が、一家に全員分のチケットを贈ってくれた。

 けれど市長のフリッツのことがあまり好きではないアシュレイの父は、年少の子どもたちに知らせる前にアシュレイを書斎へ呼び出してチケットを差し出した。


「正直あまり気が進まないのだがな、どう思うアシュレイ」


 アシュレイの父ハーミットは、こういうさして重大ではない問題に向き合う時、長男のアシュレイに答えを求める。

本気で悩んで相談しているわけでも、正しい回答を十三才の息子に求めているわけでもなく、後継者であるアシュレイに、問題を解決する考え方を学ばせるためだ。


「市長に借りを作りたくないとお考えですか?」


 父に相談されて、アシュレイはしばし考えた。

父は市長に、自分の紹介で伯爵一家がサーカスへ行ったと吹聴されるのがいやなのだ。

周囲に、伯爵と市長の仲が深まったと思われたくないし、借りを作りたくないのだろう。

「……サーカスのチケット程度、恩に感じずとも大丈夫でしょう。フリッツ殿は二年後の選挙に備え、少しでも父上の覚えを良くしておきたいのでしょうが、どうせ父上はもう次の市長候補者の中から推薦したい方を決めておいででしょうし、それがなくともフリッツ殿は次の選挙戦に勝てないでしょうから」

 来期の市長候補を何名か頭に思い浮かべながらアシュレイは慎重に答えた。

 ラキア王国の城下で首都に当たるテリタスは、ここ数年治安も景気もいまひとつで、市長はあれこれと威勢のよい政策を打ち出したものの、改善することが出来なかった。

 おそらく次の選挙で負けるだろう。


「それに、ロルフもティアも、サーカスを楽しみにしているようですから。チケットがあるのに行けないと知ったら恨まれますよ」


 十歳の弟ロルフと、七歳の妹ティアは、どちらもヤンチャ盛りで、何かというと兄にくっついて離れない。


「……そうだな、チケットの礼は市長にではなく、サーカスを訪れた際、団長に直接すればいいかな?」


「それでじゅうぶんかと」


 このような経緯で、カストール伯爵家の一同は、この日の数日後、揃って馬車に乗り込み、サーカスまで観劇へ向かったのだった。

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