第57話 小松・浜北の戦い

 義経達にやってもらった補給路の遮断作戦が上手くいき、恐らく本多正信が関東諸侯の疑心暗鬼を募り、見事に内部分裂を開始した頃、武田が今川領内に侵攻を開始したと連絡があり、俺は北条に領国に帰して欲しいことを願い出た。


 北条側としては今、今川に領国に帰られるような事があれば同盟関係に亀裂が入りますぞと忠告してくる。


 北条側から見ると、今川の謀略に関する事はあまり見えておらず、民が北条の言葉を聞いて立ちがあった風に見えているため、義経達補給路の遮断をしている部隊を軽んじていた。


 本多正信の手柄も上杉と関東諸侯が勝手に内部分裂していると思ったのだろう。


 俺は氏真様に今川領内が危機に陥っているため、軍勢を連れ帰るが良いかと確認すると


「私達はあくまで援軍だし、北条とは対等な関係であると思っている。ただここ最近の北条は援軍を頼むが、こちらに援軍を送ってくれていないよね。元康の事を信用していない事が露呈している。武田が動いた以上、北条領土に留まる必要は無いよ。私と早川の事は気にせずに帰国しよう」


「それを聞けて安心しました」


 結局今川軍は大急ぎで今川領に帰国することになり、上野で荒らしていた義経、木葉、時行の3人と各々の別働隊も撤退する。


 補給を荒らしていた存在が居なくなると、領民の一揆も後ろ盾が無くなり、徐々に沈静化していき、上杉軍は約3ヶ月武蔵国で足止めされたものの、南下を再開して小田原城を包囲することになるのだった。








 武田軍に攻められていた地域は遠江で、今回は二俣城を囲む兵と更に南下する兵に別れ、浜松城近くまで武田軍が迫っていたが、その武田軍が目にしたのは全周20キロの途切れなく続く城壁と点在する櫓、そして水堀が各所に掘られている総構えの巨城であった。


 武田軍的には領民を攫って人身売買をし、金を稼ぐ算段であったが、周囲の村々の人々は浜松城に逃げ込み、攫う人が居なかったのである。


 仕方なしに、村々を略奪して兵糧を集めるが、じゃがいもの食べ方を知らない兵士達が、芽が出たじゃがいもを食して食中毒になる兵が相次ぎ、原因が分からず、井戸に毒が入れられているだとか、食べ物に毒が混じっていると噂が広がり、略奪した食料を安易に食べられない状況に陥ってしまった。


 武田がもたもたしていると、北条領から戻ってきた今川本軍が到着し、小松・浜北の地で激突した。


 小松、浜北の場所は馬込川やその支流が流れる地域で、田園が広がっている。


 大軍を展開することはできるが、時期的に水田になっていて高速での移動は不可能。


 見晴らしもよく、伏兵や奇襲の類も難しい地形をしていた。


 武田軍は総勢1万2000名、対する今川軍は1万5000名である。


 合戦は正午から始まり、互いの部隊が接敵をするため前進し、距離300メートルになったところで今川の鉄砲隊が射撃を開始する。


 これに対して武田軍は竹束で応戦するが、足がぬかるんでいることと絶え間なく射撃される今川軍からの銃撃で、竹束で守っていてもじわじわと損害が出てきてしまう。


 そこに酒井忠次と石川数正率いる三河衆が鉄砲で武田軍を足止めしている間に左右から挟み込む様に軍を展開。


 ゆさぶりをかけるが、歴戦の武田軍はこれでは崩れない。


 しかしここで浜松城兵と緊急徴兵した農兵約5000が浜松城に取り付いていた武田軍を蹴散らして、武田軍の背後に周る動きを見せる。


 武田軍は徐々に後退する動きを見せた為押し込んでいくと、武田軍は馬込川を渡河しなければ逃げられない状態に陥る。


 馬込川周囲は土手になっていて洪水対策で地面が固められており、軍馬を高速で移動することができる地形となっていた。


 そのため、時行率いる今川旗本親衛隊の騎馬部隊約3000が武田軍に向かって突撃を開始し、土手の起伏ある地形故に一部の兵が堀の中にいる状況の様になり、武田軍の中腹を騎馬が突っ込み、食い破った。


 武田軍は精鋭であるが故に騎馬突撃をもろに受けてしまい損害が拡大。


 そこに今川本隊も武田軍を土手下に押し込み、高所から打ち下ろす感じで射撃を再開した。


 土手に押し込まれた時点で武田軍敗北は決定的となり、土手下から逃げようとする者を優先的に射殺し、上流と下流は今川軍が囲い込み、更に対岸は浜松城から出てきた城兵達が押さえた事で、武田軍への包囲が完成。


 押し合いで川で溺死する者、射撃により殺される者、抵抗して今川軍に斬り殺される者……色々いたが、土手を突破して撤退できた兵は数百を数える程度であり、その中に武田信玄や武田四天王といった重臣達の名前は無かった。


 今川軍はそのまま二俣城に張り付いていた武田軍を強襲して撃退すると、追撃戦を開始。


 まず武田軍に落とされていた犬居城を奪還し、天竜川を登っていき、吉岡城、松尾城、大島城を立て続けに落としていく。


 鞍馬に兵5000を与え、三河との国境沿いにある岩村城を落とさせに向かい、俺達は春日城、福島城、高遠城の信濃国中部までを攻め落とした。


 ここまでほぼ抵抗は無く、城兵も多くて500程度だったのと、防備もそこまで強くなかった為、電撃的な占領が可能であった。


 周囲の村々に食料を分け与え、領民を引き込む工作を行なったり、占領した城の防備を固めたりしながら、俺は信長様に武田軍が壊滅したので、武田が占領していた飛騨国は援軍が無い状態であると報告し、織田軍が飛騨国を占領。


 そうなると武田から鞍替えを狙う国人も現れ、侵攻せずとも信濃の殆どの国人から手紙が届き、内応、服従……色々な物が見て取れた。


 とりあえず服従を選択する者は人質を差し出して浜松に住まわせる事で所領安堵、内応で武田を攻めることで地位を安泰にしたい欲深い者はそのうち今川も裏切ると思うので一部は黙殺して攻め滅ぼし、使えそうなのだけ取り込むことにした。


 あっという間に武田は信濃と飛騨を失い、甲斐1国となってしまう。


 武田は急遽武田信繁(武田信玄の弟)を当主代行として体制を整えると共に、幕府を動かしての休戦を模索していき、今川としても所領が一気に拡大したので所領整理の時間を欲したのと、甲斐を攻め取っても農業が殆ど出来ない場所(正確にはできるが、田んぼには日本住血吸虫症という風土病が蔓延していて危険)なのと、重臣や精鋭の兵を殆ど失った武田はもう出涸らしみたいな状況なので、経済植民地にしてから徐々に乗っ取るか、幕府が混乱した時にプチッと潰すことにするのだった。


 武田との交渉は数ヶ月にも及び、結局幕府主導で武田の甲斐国安堵、信濃所領の放棄、今川を裏切った国人の奥山氏の当主切腹を条件に和議が成立。


 今川が信濃の大半を手に入れた事でさらなる北上を恐れた上杉軍が冬前に小田原の包囲を解いて撤退。


 北条は今川の活躍によって助かった為、当主の北条氏康から感状を頂いたが、北条は上杉が居なくなり、結束がガタガタになった関東諸侯に対して反撃を開始。


 冬の間に相模を奪還し、年明け少し後には武蔵も奪還。


 そのまま宿敵扱いかつ弱体化していた武田の甲斐に侵攻し、武田の決死の抵抗で撃退には成功したものの、武田は僅かに残っていた国力と兵を使い尽くしてしまい、仇であるはずの今川に食料供給を頼むみすぼらしい国へと変貌してしまうのであった。

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