第五章

第一話 熱情

ミゲルは自室の寝台に寝転がり、何度目か分からない寝返りを打っていた。


首筋に寄せられた唇の熱さ。真っ直ぐに見つめる瞳の燃えるような赤色。重ねられた手の大きさ。


眠ろうと目を閉じるとそれらを鮮明に思い出してしまい、顔が熱くなる。


『――僕は生半可な気持ちであなたを愛していません。』


突如告げられたソヨルの想い。


その告白には当然驚いたが、少し納得する気持ちもあった。


今まで自分のことを守ろうと手を尽くしてくれたのは、そういった感情があったからなのだと納得すると同時に戸惑いも隠せなかった。


『私は…。』


『急にそんなことを言われても困りますよね…。すみません。でも、どうか僕の想いを忘れないでほしいんです。あなたはひとりではありませんから。』


ソヨルの言葉はいつもミゲルの胸を温かく満たしてくれる。だが、そんな言葉をかけてくれるのは自分が愛を返してくれるのを期待してのことではないのか。彼のことを疑いたくもないのにそんなことばかり考えてしまう。


(ソヨルは…私と恋人になりたいのかな。)


ぐるぐるとした思いが頭の中を駆け巡り落ち着かない。


このままでは良くないと無理やり眠ろうとしたとき、ソニアの泣き声が響いた。


「ああ…今夜は眠れそうにないな…。」


ミゲルは重い身体を起こし、ソニアを抱き上げた。


(私と恋人になるってことは、自動的にソニアの父親になるってことよね…。いやいや!そんな重荷ソヨルには背負わせられない…。)


ソヨルの告白にこんなにも心を乱されるとは思いもよらなかった。


ミゲルは悶々としながら夜が明けるのを待った。




「団長…酷い顔だな。どうした。」


「人の顔を見るなり失礼だな。酷いのは自覚しているが。」


寝不足の酷い顔をカイに指摘されるが、ミゲルの心はそれどころではなかった。


(クリフはまだ来ていないのか…。)


軍の拠点を見渡すが、時間が早いこともありクリフの姿は見えなかった。


監視されていることが分かっている以上、いつどこで弱みを握られるか分からない。


昨日の出来事は脅しには絶好の餌だろう。


そのことが知られればミゲルはもちろんソヨルだってこの軍にいることが難しくなるのである。


ミゲルはソヨルのことも守らなくてはいけないと考えていた。


「おはようございます。団長。」


「…!」


声を掛けられたのはミゲルが背後から妙な気配を感じ取ったのとほぼ同時だった。


「クリフか…おはよう。ちょうど良かった少し二人で話をしても良いか。」


「良いですよ。」


クリフは相変わらずにこやかに話している。


しかし、その笑顔が一番信用ならないのだということはミゲルは良く知っていた。




ミゲルとクリフ、軍の倉庫で二人きりで見つめ合う。


そんな二人の視線にはお互い一切の隙を見せまいという思いが滲み出ている。


「取引の話なんだが…。」


「ああ、心が変わりましたか?やっぱり秘密を知られるのが怖くなったのでしょう。」


「違う。オレは秘密をバラされることにも部屋でソヨルと抱き合っていたことを言いふらされることにも同意した。だから、軍にもソヨルにも危害を加えるようなことをしないでくれと言いたいんだ。」


「そうですねえ。そうなると、あなたが不利になるように多少事実を捻じ曲げなくてはいけないのですが…。」


「構わない。ソヨルが今まで積み上げてきたものをこんな形で奪わせない。」


「そうですか…。可哀想に。」


「は?」


「一方的に想われているだけの相手のことをそこまで考えなければならないなんて、気の毒です。」


「そんな風にしか考えることができないお前の方が可哀想だ。」


ミゲルはクリフの発言を鼻で笑うと倉庫をあとにした。




夕刻―


ミゲルは拠点に一人居残って軍の仕事を片付けていた。


ソヨルも当然のように居残ると言ってくれたが、昨日のことが気まずいと伝えると渋りながらも一人にしてくれた。


(ソヨルには悪いけど今は到底二人きりにはなれない…。)


一人でいるのを良いことに、昨日の出来事を反芻する。


(ソヨルの唇溶けてしまいそうなほど熱かった…。)


思い出すたびに身体が熱くなってしきりに疼いてしまう。


素直過ぎる反応にやはり自分は女なのだということをまざまざと思い知らされる。


持て余した熱を逃がそうと外套を脱ぐと、昨日ソヨルの唇が触れた首筋を夕方の涼しい風が撫でる。


思わず首筋を鏡で見るが、そこはただ白いだけで痕一つなかった。


(って、何期待しているんだか。)


ミゲルは邪な思いを吹き飛ばそうと目の前の書類に目を落とす。


再び頭が変な考えに侵食されないようにひたすらペンを走らせる。


しかし、手を滑らせペンを床に落としてしまった。床にインクのシミが広がっていく。


硬質なペンが転がっていく音にはっとする。


(パパとママ、それからグレン…。私を愛してくれた人は皆私の前から消えていく…。)


床と同じように胸にも黒いシミが広がっていく。


いつも胸の中にあるソヨルの笑顔までが黒く塗りつぶされてしまったようで、呼吸が浅くなる。


ソヨルもいつか失ってしまうのだろうか――


「そんなわけない…。」


思わず出た声は驚くほど弱々しく頼りないものだった。


(お願い…どうかあなただけは私の前からいなくならないで…。)


それは我儘で子供じみた願い。


それでも、そう思わずにはいられなかった。



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