第九話 誕生と喪失
「なあ、あんた。ちょっといい。」
とある夏の昼下がり、少年兵のロイドが話しかけてきた。
「いいわよ。どうしたの。」
ロイドは傭兵団の中で唯一、私よりも年下だった。
「グレン兄貴のことどう思ってるんだ。」
「…え?どう思ってる、って?」
私は脈絡のない質問に首を傾げる。
「そのままの意味だけど。」
「そう…。グレンのことは大好きよ。ぶっきらぼうだけど優しくて、私だけじゃなくてお腹の子のことまで大事に思ってくれて、まるでお兄ちゃんができたみたい。」
私ははにかみながら答える。グレンのことを話すとなんだかくすぐったい気持ちになる。
「ふーん。お兄ちゃん、か…。」
「あなただっていつもグレンのこと兄貴って呼んでいるじゃない。それと一緒。」
「そうだけど…。まあ、いいや。」
ロイドはなんとなく釈然としないようだったが、これ以上とやかく言うつもりはないらしく、弾むような足取りで部屋を出て行った。
元気に駆けていく背中を見て今この身に宿っている命の未来に思いを馳せる。
(この子もあんな風に元気に走りまわるのかな…。)
そんな未来を想像するだけで目頭が熱くなっていく。
この傭兵団に来てからというもの、やけに涙もろくなってしまって困る。
でも、今は胸を締め付けるような悲しい涙ではないことが、嬉しかった。
暑さも収まってきた初秋の頃―
グレンがびっしりと文字が書かれた紙を片手に目をきらきらと輝かせていた。
「なあ、ルシア。男の子だったら、ミゲル。女の子だったら、ソニアって名前はどうだ?」
「名前?そういえば、全く考えていなかったわ。」
以前身ごもったときは名前すら付けさせてもらえなかったので、すっかり名前のことを忘れていた。
グレンはときに私以上に腹の子のことを考えてくれている。そんなグレンが頼もしく思うと同時に気を遣わせていることに対する申し訳なさもあった。
「おーい。何ぼーっとしてるんだ。」
「あっ、ごめんなさい。少し前のこと思い出して…。」
「そうか、でも、そんなことより名前!いろいろ考えたんだけどさこの二つが良いかと思うんだよ。」
そう言って渡してきたのは名前の候補がびっしりと書かれた紙。いくつか丸で囲まれているのが、グレンが良いと思った名前らしい。
「そうね…ミゲル、ソニア。どっちも良い名前だわ。」
「なにも俺が言ったからってそれに決める必要はないんだぞ。他にも良い候補はあるし。」
「ううん。私が良いと思ったの。」
私は紙切れにミゲル、ソニアと書いた。文字に起こしてみるとその名前がぴったりに思えてくる。
「ああ、楽しみだな。早く会いたいな。」
思わずそう呟いた私にグレンは破顔する。
この子のことをこんなに愛おしいと思えるようになった自分に驚きながらも、私はすっかり大きくなった腹に話しかけた。
冷え込みが厳しくなった晩秋の朝。私はグレンと共に街へ買い物に出ていた。
「まさか、皆でお祝いしてくれるなんて。」
「産後は宴どころじゃないからな。といっても皆酒飲んではしゃぎたいだけだろうが。」
皆が宴の準備をしている間は退屈だからと心配するグレンに頼み込んで近くの街に連れて行ってもらったのだ。
「ねえ、あれ見て!可愛い色の布!あれでお洋服なんか作ってあげられたらいいわね。」
「買ってやろうか。俺からのお祝いってことで。」
グレンに手を引かれ店に入る。
店に並んでいる布はどれも綺麗でつい目移りしてしまう。
「どれにしようかなあ。ねえ、グレンはどれが良いと思う?」
「え?あ、ああ…どれがいいかな…。」
「グレン?」
「ちょっと悪い。外が騒がしい…ここで待っていてくれ!」
「え?待ってよ!」
店の外へ飛び出したグレンの背中を必死で追う。
グレンが走っていく方向から大勢の人が走ってくる。
「何…これ。」
辿り着いた先には真っ赤な炎、真っ黒な煙。焦げ臭い煙が肺を埋める。
「ルシア!?お前、待っていろって。」
「急に一人で飛び出していくんだもの!私、皆を呼んでくるから今はとにかく避難しなきゃ。」
グレンは首を振る。
「さっきこの首謀者らしき集団が民家の方へ走っていくのが見えた。少しでも足止めしないとまずい。」
「でも、あなた一人じゃ無茶よ…。…!」
「どうした?ルシア…。…!」
腿に生暖かい感触―。破水したのだ。
「よお、兄ちゃんに可愛い姉ちゃん。そこで堂々といちゃついてんじゃねえよ!」
荒々しい声が頭上から降ってきた。
「…まずい!逃げろ!」
グレンは私の背中を強く押す。
「逃がすかよお!」
斧が力強く振り下ろされる。寸でのところでグレンは剣で受け止め、大きな火花が散った。
「早く行け!絶対死ぬんじゃねえぞ!」
背中から聞こえる声に励まされ、重い足を動かす。
(お願い…!どうかグレンを守って…!)
息が切れ、その祈りは声にならなかった。
「た…たいへんなの、グ…レンが…。」
どうやって宿舎まで辿り着いたのかわからない。
とにかく異変を知らせようと息を切らせながら話す。
「グレンが?街の方か!?」
私は力なく頷いた。
「よし。俺たちに任せろ。」
ヴァレンティーノたちは急いで剣を手にし、出動の準備をする。
「ルシア、身体は大丈夫か?」
「え、ええ…。破水…しちゃったみたいだけど…。」
「なにぃ!」
団員は皆目を見開いた。
「もっと早く言え!ロイド、急いで産婆呼んで来い!」
「は、はい!」
ロイドは慌てて宿舎を飛び出す。
「いいか、ルシア。お前は余計なこと考えなくていい。ただ、元気な赤ん坊を産め。団長命令だ。」
「わ、分かったわ。」
力強い背中を見送り、私は残された数人の団員と共に自室へ向かう。
団員は急いで力綱を吊るし、床に布を敷く。
「これで良いんだよな…。」
「ああ、あとは産婆に任せようぜ。」
「あ、ありがとう…。」
皆落ち着かずそわそわしていると、近所に住んでいる産婆がロイドに連れられてやってきた。
「ど、どうしよう…。いよいよなんだ…。」
「ルシアちゃん。今はリラックスよ。」
産婆は優しく背中をさする。すると、腹に鈍い痛みが走った。
「い、痛っ。」
「もうすぐね。さあ掴まって。」
力綱に掴まると本格的に陣痛が始まった。
「う、うう…。痛い…。」
「ゆっくり呼吸して。そうそう、上手よ。」
産婆の言う通りに呼吸をするが、どうしても息が止まりそうになる。
「だ、大丈夫か…。」
ロイドは心配と恐怖が入り混じった目で見つめてくる。
(ああ、やっぱり辛い…。)
目には生理的な涙が溜まってくる。
「兄貴、この子が生まれたら一番に抱っこしたいとか言ってたぞ。ぼーっとしてたらとられちゃうぞ。」
(グレンたら…変な冗談言って。そうよね…グレンは私とこの子を守るために頑張ってる。)
グレンの顔を思い浮かべながら、ひと際強い痛みに耐え最後の力を振り絞る。
すると、力強い産声が部屋を震わせた―
「ルシアちゃん!よくやったわ!可愛い女の子よ。」
産婆の声に力が抜けていく。団員が身体を支えると、腕に小さな命がのせられる。
「ああ…あったかい…。」
「そうよ。生きてるんだもの。」
「やっと会えたね…。ソニア…。」
視界がぼやけていく。団員たちも皆涙ぐんでいる。
寝台に移ろうとしたとき、乱暴に扉が開かれ、ヴァレンティーノが飛び込んできた。
「どうしたの…?」
「ああ、ルシア…。落ち着いて聞いてくれ…。グレンが…俺たちを守って…。」
鼻先を掠める血の匂い。震えるヴァレンティーノの手。
胸が締め付けられ、ソニアを抱く腕が震える。
「ルシア!!!」
産声と絶望の声が交錯し、温かな生命の空気で満たされた部屋に冷たい冬の風が通り抜けた―
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