第30話 牽制


 警察内部の犯罪者発覚に激震が走っていた梅澤うめさわの家。松子はファミレスを出て洞葵ほらあおいを寮まで送迎して駐車場で盃都はいどにこれから帰る旨をスマホのテキストメッセージで報告していた。


 駐車場とはいえ街灯が少ない。星がはっきり見えるほど暗い中で突然助手席の窓ガラスをノックされて松子は驚いた。葵が忘れ物でもして戻ってきたのかと、窓ガラスの向こうに見える人物を目を凝らして見る。だが、そこにいたのは月明かりに照らされ不気味なくらいの笑顔で立っている芒花菜月おばななつきだった。


 突然、ほとんど面識のない人間が登場してどうしたらいいのかわからない松子。窓を開けるべきか、このまま無視して立ち去るべきか。松子からしてみれば菜月は洞牡丹ほらぼたん殺害の一番怪しい容疑者でもある。これは情報が勝手に向こうから転がってきたと思うことにしようと、松子はすぐに助手席の窓ガラスを開けた。


「こんばんは。斎藤美緒さいとうみおさん、今、ちょっといいかしら?」

「……なんですか?」

「ちょっと、あなたに話しておかなければならないことがあって」

「私、あなたとほとんど面識ありませんけど?」

「あら、昨日同じテーブルで話したのをもう忘れたの?」


 昨日といえば同窓会だ。場違いにもあの次世代の街の有力者三人が集まったテーブルに着いた松子を菜月が嗜めた。二人の接点はそれしかない。むしろわざわざお互いに後から話しかけたいと思うような相手ではない。


 松子は事件の捜査のために必要に迫られれば話しかけるだろう。しかし菜月は別である。わざわざ松子に話しかける必要はゼロと言ってもいいはずだ。むしろ初対面であのような口論をした人間に再び話しかけたい人間などいるのだろうか。


「あなたに覚えていていただけたなんて光栄だわ。何の用?」

「二人だけで話したいことがあるの」

「だから何?」

「──車に乗せてくれるとかそういう優しさはあなたに無いの?」

「そんなに時間がかかる内容なの?」


 穏やかに会話しようと心がけていた松子だが、つい攻撃的な口調になってしまう。菜月も同様だ。喧嘩腰にならないようにと努めるも、松子の態度につい言葉が一言二言余計に出てしまう。


 なかなか車のドアを解錠してくれない松子に痺れをきらした菜月は半分ほど開いている助手席のドアから腕を入れて自らロックを解除した。その行動に運転席にいた松子は流石に警戒するも時すでに遅し。菜月は松子の隣に乗り込んだ。もうどうにでもなれ、といつもの松子で挑むことにした。


「なんなの?怖いんだけど。他人の車に勝手に乗り込んででも私に話したいことって何?告白とかなら辞めてよね?私レズじゃないから」


 菜月は松子の言葉を無視してカバンから昔のスナックのママが吸っていそうな細長い紙タバコとライターを取り出して火をつける。

 

「ちょっと、何勝手に他人の車で吸ってんの?」

「あなたも喫煙者なら別にいいじゃない」

「私は吸いません」

「じゃあコレは何?」


 菜月はそう言って運転席と助手席の間にあるシガーケースを拾い上げて蓋を開いた。中には数本、フィルターのギリギリまで吸われたタバコが入っている。


 松子は非喫煙者。電子タバコも吸わない。


 この車はそもそも梅澤のものだ。ということは、梅澤が吸ったものだろう。普段家でも喫煙している姿を見かけず、特に匂いもしなかった。今の車内もそうだ。梅澤は徹底的に匂いに気を遣っているのだろうか。今菜月に指摘されるまで全く気が付かなかった松子は驚いていた。


 先ほどすでに自分がタバコを吸っていないと明言してしまった分、じゃあコレは誰の吸い殻だ?と菜月に問われるだろう。そもそもこの車は誰のだ?──と。この先聞かれるだろうことを推測して一気に面倒臭くなった松子は話を逸らすことにした。


「ていうか、要件はなに?そのタバコ吸い終わるまでに全て話して車から降りて」

「冷たいのね。私はあなたのためにわざわざ忠告しに来たのに」

「……忠告?」


 菜月はゆっくりと肺から煙を吐き出してから言う。


「あなたと佐藤大輝さとうだいき。2年前の事件について嗅ぎ回っているようね」


 なぜバレたのか。どうやって知ったのか。松子の脳内には警笛が鳴る。菜月がどこまで何を把握しているのか分からない分、何をどう返すのが正解なのかわからない。だが無言は肯定しているのと同じだ。今は下手にこちらの情報を与えない方がいいと思った松子が必死に考えて出た一言。


「2年前の事件って?」


 何のことだかわからない、と話題のテーマを確認するのが無難だった。返しに困った時は質問に限る。だが全てを見透かす菜月に、その社交スキルは通用しなかった。


「とぼけないで。どうせこの車も佐藤大輝のでしょ?あなた達二人がこの車に乗り込むのを見てる人がいるんだから。あなた達付き合ってるの?」

「冗談やめてよ」

「じゃあ、二人でこそこそ何やってるのよ?東京に進学してこの田舎がどんなところか忘れたわけ?あなたの彼氏はともかく、あなたは思い知ってるでしょ?この田舎を」


 どういう意味だろうか。斎藤美緒はこの田舎を思い知っている。佐藤大輝は知らない。何を意味しているのだろうか。


 そして二人でこの車に乗り込む姿を目撃されている。この車を使ったのは昨日が初めてだ。成人式に出席するために二人でこの車で移動した。その間乗り降りしたのは会場と梅澤の家のみ。そして今日、洞葵と会うために朝から病院の駐車場で張り込みをしていた。目撃されたとなるとこの3箇所のどれかだろう。もし梅澤の家にいるのがバレたらまずい。梅澤もマークされてしまう。


 松子は自分が今、それなりに窮地に陥っていることを自覚した。


「……私たちがこの車に乗ってるからって何?あなた私のストーカー?それとも佐藤大輝のストーカー?」

「私たちがこの町で起きていることを知らないとでも?」


 松子は“私たち”と言った菜月の言葉に引っかかった。

 

「何それキッショ。町中誰かに監視させてるわけ?」

「この町の人は親切なのよ。不穏分子がいるとすぐに教えてくれるんだから」

「教えてもらった後はどうするの?2年前のように真実を知った者を消すの?」

「あなた何か勘違いしてるようだけど、私はわざわざあなた達に忠告しにきたのよ。消すなら忠告なんてせずとっくにやってるわよ」


 軽く言ってのける菜月。声とは裏腹に目が全く笑っていない。コイツは本当にやるかもしれない──と思った。松子は警戒を切らすことができない。


「あなた達が邪魔者にならないように、わざわざこうして会いに来たの」

「……何様のつもりよ」

「何様でもないわ。この町では余計なことをする人を邪魔者と言うのよ」

「余計なこと?私がいつしたって言うの?」


 松子が手に持っていたスマホが震える。盃都からの着信だった。画面の表示は念のため佐藤に変えておいて正解だ。菜月が横目でしっかり見ている。松子は着信に出るか迷ったが菜月が促す。


「早く出なさいよ。私のことはいいから」


 ゆっくりとタバコを吸い、早く出ろと圧をかけてくる菜月に松子は諦めて応答ボタンを押した。

 

「もしもし、佐藤?」

『──もしもし?斎藤さん、さっき電話してくれてたみたいで。出れなくてごめん。俺もちょっと話したいことがあるんだけど、今いいかな?』


 開口一番、松子が名前を佐藤と呼んだだけで盃都は状況を察したらしい。横から漏れた声を聞かれても差し障りのない様に話す盃都。松子も横で聞いている菜月に悟られないように振る舞う。


「あー、今ちょっと病院の駐車場で人と話してて」

『病院?誰と?』

芒花菜月おばななつき

『え?……知り合いだったっけ?』


 盃都は驚いて妙な間が開いた。気づかれてしまっただろうか──と、松子は横目で菜月を見るが、彼女はぷかぷかと煙を浮かばせている。盃都の動揺を悟られないように松子は平然と話す。

 

「昨日ちょっとね」

『そっか──、じゃあ、また後でかけ直してもいい?』

「うん、こっちもすぐ終わる。こっちからかけ直すから待ってて」


 そう言って電話を切った松子。先ほど“帰る”とテキストメッセージで送信してからなかなか帰って来ない松子を心配しての着信だろう。松子はそれとなく今の状況を伝えた。


 横でタバコを吸っていた菜月は車にあったおそらく梅澤のだろう灰皿にタバコを押し付けながら口を開く


「あなた達が付き合っていないのなら、今の電話を聞く感じ、時間の問題でしょうね」


 スピーカーにしていたわけではないが、この会話を聞き取った菜月。地獄耳かよ──と、松子は心の中で悪態をついた。

 

「まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。探偵ごっこはどっちの趣味?」

「なんのこと?」

「とぼけなくていいから。似たもの同士なのでしょうね、二人揃って2年前の事件を掘り起こしてるのだから」

「……そりゃね、いつまでも埋めとくわけにはいかないでしょ、未解決なら」

「あなたいつからそんな余計なことに首を突っ込む様になったの?唯一の友達を亡くしたのに葬儀にすらいかなかったあなたが、どうして、今になってあの事件を調べてるの?」


 佐藤大輝に扮した盃都が同窓会で聞き回っていたのを噂されて菜月の耳に入ったとしても、松子が調べていることが漏れるルートはただ一人を除いてはほぼあり得ない。


「……清鳳きよたかがあなたに告げ口でもした?」

「清鳳が私に黙ってるとでも思ったの?」


 それはどういう意味だろうか。私たち三人は一蓮托生ですよ、という意味だろうか。それとも、清鳳はお前ではなく自分を選んだ、と言いたいのだろうか。


「仮に私があの事件を調べていたとして、あなたや清鳳に関係あるの?」

「──、私たちの町で勝手なことされると困るのよ」

「この町はあなた達のものなの?」

「そうじゃないけど、私たちを中心にこの町がまとまっていくのはほとんど事実でしょうね。私に楯突いて、この先いいことなんて無いわよ?」

「こわ……」


 ほとんど脅しとも取れる言い分。菜月がこの事件を調べられて困るのは事実のようだ。清鳳もそうなのかは不明だが。


 菜月は車を降りる。ドアを閉める前にかがみ込み、松子を見て言う。


「あの事件を掘り起こすのはやめなさい」


 そう言ってどこかへと姿を消した。駐車場から動く車はない。歩いてここまで来たのだろうか。わざわざそれを言うためだけに後をつけていたというのだろうか。


 もし尾行されていたのであれば、洞葵と会っていたこともバレているだろう。尾行しているか、洞牡丹が殺された事件を調べていると分からなければこの場所に来るはずがない。


 松子は不気味さを感じた。早く二人に会って安心したい。だがまっすぐ梅澤の家に帰るのを躊躇してしまう。もしこのまま菜月や菜月の協力者に後をつけられたら?梅澤や盃都も危険に晒してしまう。そう思った松子はしばらく車を流すことにした。

 

 

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