『鏡の檻で、君を待つ』

鈑金屋

♠︎第一章 閉ざされた少女♠︎

 祝福の鐘が鳴っていた。


 純白のヴェールが揺れていた。


 その中心にいたのは、まだあどけなさを残した少女。

 名をアリス・エレノア・ホワイト。白の国の聖女。


 祝辞、賛美、祈り、微笑み――

 それらは、誰のためのものだったのだろう。


「きみの言葉は、奇跡になる」

「きみの涙は、神の御意志だ」

 

 大人たちは、そう言ってアリスを抱き上げた。

 まるで宝石を掌に載せるように。

 だがその手のひらの裏には、ナイフの冷たさが隠されていた。


 アリスの笑顔は、国の秩序だった。

 アリスの無垢は、民衆の飢えを麻痺させた。


 そして、誰よりもアリスを近くで支えてくれた一人の侍女が、

 ある夜、屋上の風に溶けて消えた。


 その手紙には、たった一行。


「あなたの傍にいると、自分が汚れていく気がして」


 その文字を読んだとき、アリスの胸に穴が開いた。

 誰かの悲しみに寄り添うはずだったこの手が、

 誰かを殺していたのかもしれないと思った。


 その夜、鏡の前でアリスは立ち尽くす。


 映るのは、自分の顔。

 白くて、細くて、穢れひとつない――

 そのくせ、あまりにも“空っぽな”顔。


「……わたしは、誰を救ったの?」


 答えはどこにもない。


 だからアリスは、そっと手を伸ばした。

 鏡の表面に。自分の映り込んだ虚像に。

 その瞬間、指先がふっと吸い込まれた。


「ここが、わたしの居場所なの」


 誰も傷つけない。


 誰にも触れられない。


 誰の声も、届かない。


 それが、心地よかった。


 鏡の中の世界は静かだった。

 音もなく、風もなく、涙さえ凍りつくほどに静かだった。


 アリスは膝を抱えて、微笑んだ。

 それは、ひどく歪んだ、壊れかけた微笑みだった。


 そして、その夜。

 鏡の外に、ひとつの“気配”が現れる。


 それは、深紅のドレスをまとった女。


 紅の瞳が、アリスを見つめていた。


 けれどアリスは、目を閉じた。

 もう誰の視線も、言葉も、欲してはいなかった。


 ……まだそのとき、アリスは知らなかった。

 その紅の瞳が、自分の心の深奥から生まれたものだということを。


 そして、あの女が、

 たったひとつの“愛の形”を抱えて、死ぬ覚悟でここに来たことも。


 ──閉ざされた少女に、紅の指が届くのは、まだ先の話。

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