レイクサイド・フォール ──水馬の誘いと、沈まぬ君。

ユレ魚

第1話 空席と噂と、春のまばたき




進級後、新しいクラスで迎えた新学期。

見慣れた顔触れや、知らない顔が集まる教室は、朝から賑やかだった。


私の席は、出席番号順で廊下側の前から三番目、窓際寄り。わりといい位置を引いたと思う。

新しい席に座り、手持ち無沙汰なまま鞄を開け閉めしながら見渡すと、隣の席には誰も座っていなかった。


出席番号のひとつ違い。名前だけは朝のHRで聞いた。

けれど、その人は今日は欠席。

机の上も椅子も、まっさらのままだった。


まあ、クラス替えのたびに誰かが欠席しているのは、よくあることで、たいてい数日すれば何事もなかったようにその席は埋まる。


けれど、「あ、今日も来てないんだ」と思ったのは、昼休みにその話が出たからだ。



「ねえねえ、未玖みくの隣の席ってさ、深瀬くんでしょ?」



パンの袋を噛みながら、麻衣が目だけこっちに向けてくる。

彼女は中学からのつきあいで、去年も同じクラスだった子。

声がでかくて、噂話が好きで、何かといえば“知ってる?”から会話を始めるタイプ。



「名前しか知らないけど」


そう返すと、待ってましたと言わんばかりに彼女は話し始めた。


「深瀬くん、結構有名だったよ? 静かで、なんかこう、誰にでも優しいっていうか。でも、話すと印象残るっていうか。でも押しつけがましくないっていうか」


「どれ」


「全部。あと、誰かが困ってるときに限って、絶妙なタイミングで現れるの。目撃談あるし。わりと人気あるよ」


私はコーヒー牛乳の紙パックを、少し強めに押してストローから吸う。甘さが舌に広がって、うん、話半分って感じ。



「でもね、“一度ちゃんと関わったら、たぶん逃げられなくなる”って」



(……ん?)


思わず飲むのを止めて麻衣を見る。



「逃げるって、なにから?」



「……“喰われたかどうかはわからないけど”、って言ってた」



その言葉の後、教室が急に広くなった気がした。

隣の席だけ、空白のまま、音が届かない。



「……なにそれ、神話か何か?」


「わかる! 私も最初そう思った! でもそうやって言ってた子がいてさ、もうそれ完全に物語じゃん?」


「どっちかというとホラーでしょ、それ」


「でもさあ、こういうのって信じたくなるじゃん? 静かで優しい人ほど、裏に怪物飼ってる感じ、あるよね~」


私は「はいはい」と軽くあしらって、机の上の時間割表を指でなぞる。

窓の外から、春の光がする。暖かいけど、まだ肌には届かない種類のやつ。



深瀬ふかせ みなと

その名前が、今日だけで二回、頭の中に浮かんだ。


別に気にしてるわけじゃないけど、

ただ──隣の空席がやけにように見えるのは、たぶん気のせい。








**




◤ 登場人物紹介 ◢



●浜崎 未玖(はまさき・みく)

本作の主人公。

観察眼が鋭く、人の表情や空気の揺れをすぐに察知する。

気配り屋で負けず嫌い。素直さと考えすぎが同居する、ちょっと不器用な性格。

「面倒は避けたい」と思っているのに、なぜかいつも事件の中心に巻き込まれてしまうタイプ。




●麻衣(まい)

未玖の親友。

明るく、おしゃべり好きで噂に目がない。

“面白がって信じる”タイプで、クラスの空気を賑やかにするムードメーカー。

未玖のスクールライフを横で支え、茶化しながら見守っている。




●深瀬 湊(ふかせ・みなと)

噂の隣席の男。

本人は「普通」のつもりだが、周囲からは「優しいのにどこか異質」と囁かれる。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る