第十八話 さらば――
ペダルを限界まで踏み、ストーンは漆黒の機体へ向かって突進する。
「うぉぉぉっ!」
ストーンも操縦桿のミサイル発射ボタンに指を掛けた。
――ミサイルロック、完了。
だが――。
――なにっ……!?
発射ボタンを押したにも関わらず、ミサイルは沈黙したまま。チャフの残量警告が再び点滅し、次の瞬間にはシステムエラーの文字がちらつく。
不発。敵機は軽やかに機首を振り、フレアで回避。
「クソが……!」
ましく過信だった。
かつてシェリルに言った言葉が、今になってストーン自身に突き刺さってくる。
息も切れ、燃料もなし、視界がぼやける。
コックピットに、燃料ゼロの赤いマークが点灯する。機体はゆっくりと失速し、滑るように高度を落としていく。
背後から撃たれるのはわかっていた。実戦とは、そういうものだ。誰もが望む最後など来ない。だが、それでも――。
ストーンは黙って、その瞬間を待った。だが――。
……来ない。
誰も打ってこないのだ。かすむ瞳でレーダーに視線を落とすと。
レーダーに映る敵影が、一つ、また一つと消えていく。
「……嘘だろ」
あれだけの殺意を持って襲いかかってきた漆黒の機体が――ストーンの眼前で一度、高度を同じまで落とす。パイロットの素顔は見えなかったが、五秒ほど見ただけで雲の向こうへと消えていった。
敵は――撤退していったのだ。
「……なんだよ、それ」
顔をゆがませていたのも束の間、戦闘機は落下している。
椅子上部に取り付けてある、黄色い紐を引っ張る。
爆風。キャノピーが吹き飛ばされ、座席ごと空へ放り出される。パラシュートが開き、彼の体はゆっくりと、ただゆっくりと空に浮かぶ。
下を見る。
彼が乗っていたファルシオンが、機体から煙を上げながら、海面に向かって落ちていくのが見える。水平線近くで、大きな水柱が上がった。
ファルシオンが落ちたところから少し離れたところでストーンは海へ着水した。
ストーンが落ちたのは、無数の危険な海洋生物が生息することで知られる、テリア海だった。
パラシュートにぶら下がる形で着水してから、すでにどれほどの時間が経っただろう。海面に浮かびながら、彼は朦朧とした意識の中で、自分が餌になる未来をぼんやりと思い描いていた。
生き延びたところで、結末は海の藻屑――。
潮の流れは緩やかだが、体は確実に冷えていく。海水は想像以上に冷たく、先ほどまで戦っていた熱も、怒りも、悔しささえも洗い流していくようだった。
このまま、死んでいくのか。
そう思った、そのときだった。
「……こちらアイアンヴァルキリー救援部隊、アルファ1。目標救助者発見。繰り返す、目標救助者発見!」
頭上で、大型ヘリのローター音が轟いた。灰色の空を裂くように、救援機がストーンの真上でホバリングする。
強風で波が砕け、水しぶきが円を描いて舞い上がる。ストーンの周囲が白く霞むほどだった。
ヘリからワイヤーを伝って、一人の救助隊員が慎重に降下してくる。
やがてその手が、彼の目の前に差し出された。
「ご無事ですか!ストーンウォール少尉!」
気圧の変化に対応しきれず、こもった声で聞こえた。
感謝の言葉をだそうと思ったが、声を出せない。
言葉を忘れたわけではない。ただ、誰かが自分を助けに来たという事実が、信じられなかったのだ。
救助隊員の手に引かれ、ロープに吊られてヘリの機内へと引き上げられる。轟音とともに扉が閉まり、風が遮断されると、ようやく現実感が戻ってきた。無言で差し出した毛布を、ストーンは受け取った。冷え切った体を包み込みながら、彼は濡れた髪をかき上げ、震える手に息を吹きかける。
機内の隅に腰を下ろす。隊員達は沈黙し、ストーンに声を掛けることはしない。アイゼンベルグに止められているのだろうか。
思考するが今はそのようなことを考えられる余裕を持ち合わせていなかった。
窓の外、空母アイアンヴァルキリーが遠くに見えてくる。
その間――。
ストーンは、傍らの窓越しに、先ほど着水した海域を眺めていた。
役目を終えたファルシオンが、海中にゆっくりと沈んでいく。
青く濁った海に、機体の輪郭が溶けていった。
――ありがとうな、相棒。
声には出さず、心の中で一言だけ呟いた。
空は相変わらず、曇りのままだった。
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