第20話 他人
「ハァッ、ハァッ、オェ...」
息が上がる。緊張か、狂乱か、精神が乱れる感覚を覚える。
全力で戦ったのに何を得られなかった絶望に、精神を乱される。
「...気持ち悪い」
彼女の口から零れたその言葉は、誰に向けられたものだったのだろう。
自分にか、それとも、この理不尽な現実にか――もしくは、人を殺した不快感か。
それは彼女にも分からない。
俺がマハトを約束も契約も守らず殺したんだ。
現実を理解しろ。喚き散らしても何の解決にもならねぇ。
数分もしたら平静を取り戻す。案外冷静になるのは早く、現状を理解して動きだす。
瞳孔が開いたマハトの目を手の平で上瞼を下に降ろし、一部融解した金貨、|魔剣の鍔、魔導書を袋に入れて、震えている体に鞭を打ち、二本の足で山を降りた。
悪いマハト、異世界式の弔い方知らないんだ。
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焼け焦げた空気が、今もなおこの地に染み付いていた。
地面は黒くひび割れ、瓦礫は無造作に積み重なっている。かつてそこに建物があったことすら曖昧で、輪郭はもう霧のように薄れていた。
近づけば、灰が静かに舞い上がる。足元には、クラウン法で作られていたと思しき、溶けたガラスの塊が転がっていた。
「……まあ、こんなもんか」
領主邸に向かう前に、崩れた家から服を一式拝借した。
中でも、かろうじて原型を保っていたのは、フード付きのマントと、少年用と思われる男物の服。どちらも特殊な加工が施されていたのか、焦げ一つなく、ほぼ無傷で残っていた。
一応、礼儀として金貨を十枚、テーブルの上に置いてきたが――苦肉の策とはいえ、やっていることはどう見ても火事場泥棒だ。
「クズだな、俺……」
だが、あんな意味深な言葉を投げかけられたのなら、確認しない訳にはいかない。
着替えを済ませた俺は、そのまま領主邸へと足を向けた。
見たところ、他の建物よりも原型をしっかりと留めており、内部の調査もそれなりにできそうだった。
数十分ほどが経った頃、瓦礫の中に埋もれていたネームプレートの残骸を見つけた。
表面には、人間の言語ではない、見慣れぬ文字が刻まれている。
アクロ語。
かつて“イスの大いなる種族”や“ゾス人”が使用していた、異文明の言語だ。
当然、人間には解読できない……はずなのだが。
「い……あ……? “私は空腹である”……とか、そんな感じか?」
記憶喪失で失われるのは、“エピソード記憶”が多いと言われている。
過去の“思い出”こそ失われても、言葉の意味や使い方――そういった知識は、案外残るものらしい。
実際、かつて勉学に励んでいた記憶は前世と比べ劣化しているが、今もなお彼女の中に息づいていた。
その言葉に反応するように、瓦礫が音もなく動き、地下へ続く扉が現れる。
感覚で読んだにすぎないが、ニュアンスがわかる程度でも問題ないらしい。
扉を開け、無機質な階段を降りていく。
外の家屋は中世の街並みだった。だが、この場所だけは異質。まるで別の世界に切り替わったかのように、そこには近未来的な景色が広がっていたのである。
銅で彫刻が施された三十センチほどの謎めいた装置。
赤く光る宝石のような物体。
それらは、明らかにインテリアとしては場違いで、何らかの目的を持ってそこに置かれているようだった。
俺の目的は一つだけ
机の上に置かれたレポート用紙を拾い上げる...内容は...
異世界の四大元素、我らの四大元素、魂の関連性について
学部・学科:7次元研究学科
氏名:田鍋 楓
個体番号:807-135-020
1 異世界の"
火 水 風 土、これが異世界の四大属性である。我らの魔術には基本的に"属性"と呼ばれるものは無い。ただ魔力を消費し、儀式を行い、魔術を扱うだけである。
しかし、異世界の魔法は違う。精霊の愛、魔力、詠唱、信仰により魔法を発動させる。
サラマンダー:火を司る精霊。
ウンディーネ:水を司る精霊。
シルフ:風を司る精霊。
ノーム:土を司る精霊。
上記の精霊から愛される事で、異世界人は魔法を扱う。魔法の適正とは、"愛されるかどうか"らしい。我らの世界の魔術に愛はいらない。
2魂
魂とは、万物の生物に存在する最大のエネルギーである。王都から盗んだ資料からはそう書かれていた。
では、魂とはどんな力があるのだろうか。
真実と断言出来るものをここに記す。
魂とは、儀式に使える最上級の供物。
エジソンが豆電球作成に必要だった最後のピースが八幡竹だったように、彼らの魔王に対する結界に必要だった最後のピースは、魂。
上記に関しては第四回転生者召喚儀式へ潜入した為、確信を持って断言できる。
これより先のページは破られていた。
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...レポートぽかったの最初だけじゃねぇか。それに魂とこの世界の魔法システムは頭に入れたが...これだけじゃ俺が王都に行く理由はねぇぞ?
立ち去ろうとする。が、ひらりと落ちた紙に視線が動いた。
それは、血で書かれた文字。
「は?」
一年後"祭壇"にて侵食神格顕現儀式を行う。協力者は嫉妬 憤怒 怠惰 色欲。
今回に限り臨時で我らの全指揮権を憤怒に譲渡。
招来神格名 ニャルラトホテプ
備考:神格の名を不用意に声に出さない事
ニャルラトホテプ...その名を見た瞬間、心が震えた。
何故だか分からないが、ニャルラトホテプの召喚を阻止しなくてはと...直感が告げている。何故?前に星の智慧派で話を聞いた時には、このような状態にはならなかった。
だが今は、召喚さえされれば世界が終わると
…終わっても良いんじゃないか?
俺達を殺し合わせるような世界なんて、滅んだ方が良い。
思考を続けながらも、資料を回収して廃墟を出る。
『〜〜〜』
外で全身火傷、腕が変な方向に曲がっている老人が小声で何か呟きながら倒れていた。
「あ...」
魔力は無い。恐らくあの爆発での生き残りなら応急手当ても焼け石に水。つまり俺にこの爺さんを助ける方法はねぇ。
『...マハト..様?良かっ...た』
彼女に向けて、老人が呼び止める。しかし、当然彼らに面識は無い。
そうか。マハトの知り合いだったのか...俺にマハトを重ねて幻覚を見てるのか?と言っても...俺には関係ないな。無視だ無視。
『宜しい...のです...老い先短い身..貴方様..が生きとる...なら...後悔は...ない。早く...衛兵に...保護して...貰え』
「....はい。今までありがとうございました」
足早に去っていく、ありもしない保護を求めて。彼女なりの善意で。
『妻も...娘も...息子も、孫までも...死んでしまった。きっとみな"運命"....なのじゃ...ろう』
持ち前の敏感な五感が、老人の僅かに漏れた声を捉えた。
『"運命"と思わなければ、人の心は死んでしまう』
そう言い残し、老人は静かに息を引き取った。
その言葉が誰に向けられたものだったのか――今となっては、彼自身にしか分からない。けれど、少なくとも彼女は...
足を止めることなく、背を向けたまま静かに呟く。
靴音だけが、夜の静寂を切り裂くように遠ざかっていく。
「....幻覚すら、見せてもらえなかったんだな」
その声に、哀れみも悲しみもなかった。ただ、どこか虚ろな響きだけが残る。
――彼女なりに、老人の考えを解釈した
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
門をくぐった先、ふと目に入ったのは、石を一つひとつ丁寧に積み上げている人影。
「牙竜!」
『おお、柴田殿!』
──どうして名前を?……いや、マハトがイスの記憶を見たと言っていた。恐らく、それと同じ類だろう。
『その様子を見るに、討伐は成功したのですね。最後までご一緒できず、申し訳であります』
そう言って深々と頭を下げる牙竜は、マハトの不在を察したのだろうか。
「いや、いい。それよりも……何をしてんだ?」
『ええ。ささやかながら、この町の方々への弔いを』
言葉を交わしながらも、彼は手を止めず石を積み続けている。日本の墓石文化に似たようなものだろうか、それとも全く別の信仰なのか。ただ確かなのは、牙竜が心から哀悼の意を捧げているということだ。
「俺も……やるよ」
大切なのは、形じゃなく、心だ。たとえ面識のない人々だとしても、祈りを捧げることが無意味だとは思わない。少なくとも、気持ち悪くは思われないはずだ。
並んで石を積み、静かに死者を悼む。しかし、その最中──ふと、思考がよぎる。
人が、死んだのに。
あれほどの死を目の前にしても、自分の心は驚くほど冷静だった。いや、冷めていると言ってもいいかもしれない。サバトの人々も、マハトも、命を落としたというのに……終わった後の今、自分はもっと取り乱してもいいはずだ。けれど、それができない。
むしろ、感情が深く乱れそうになると、どこかで“それ以上”にならないよう、無意識に自制が働いている感覚がある。狂気に堕ちる前に、精神が自らを分析して押さえ込んでいる。
悲しい。罪悪感もある。けれど、「絶望」が来ない。
それは他人だからか? まだ深く知らない人々だから、心の奥底まで響かないのか?
俺はただ、マハトを殺したからではなく。自分で敵意の無い他人を殺したから震えてるのではないだろうか。イリスを殺した時との違いはこれくらいしか思いつかない。
もしくは、戻れないほどに自分の心は元々壊れてしまっているのだろうか。
もし、俺の大切な誰かが死んでも──
祈りの手を合わせながら、静かに問いかける。
──俺は、ちゃんと絶望できるのだろうか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
王都の裏路地を歩いていると、不意に風に乗って葡萄の香りが混じってくる。香りの先にあったのは、小さな看板が軋む、古びた木造のワイン
石と古木で組まれた重厚な店構えは、暖かな漆喰の壁に蔦が絡まり、路地の風景にしっとりと溶け込んでいる。
扉が開き、迷彩服に眼帯という異様な風貌の男が姿を現した。
「おい、俺様がわざわざ足を運んでやったんだ。さぞ楽しい話があるんだろぉなぁ〜?」
ぶっきらぼうな声が店内に響く。
扉に吊るされた鉄の鈴が柔らかく鳴り、蜂蜜と古い樽の香りがほのかに鼻をくすぐる。店内はろうそくの灯りに照らされ、薄暗くも落ち着いた空気に包まれていた。
男は慣れた様子でワインセラーに入り、並ぶ銘柄から一本を選ぶと、まるで安酒のように片手に持って席に着く。
「随分とやられたようだな。街中で戦えばよかったものを……。お前の異能なら、少なくとも負けることはなかったろ。何故森の中で戦った?」
問いかけに、ネズミがバツの悪そうな表情で顔をそむけた。
『……私の、別の人格が相手と知り合いだったらしくて。つい、熱くなってしまいました。後、計画の第一段階は終わりましたよ』
本人ではあるというのに、えらく他人行儀な言い方だ。
「なるほどな。にしても、お前相手に粘り勝ちとは……そいつ、なかなかやるじゃねぇか。それにブラフまで貼っちまって…」
男はニヤリと意味深に笑う。
「お前、思考誘導がチートつってたが、中々酷い嘘だな。別に何も努力せずに得た力って訳じゃないだろ?」
『...それを貴方が知って何か私に得がありますか?』
「ッチしゃあねぇな。だがやっぱいいなコイツ。いいウォーミングアップになりそうだ」
『好きにしてください』
ネズミが小さく呟く。本当にそれ以上の他意はなさそうだ。
「良いねぇ、好きにさせて貰おうか」
そう言って男が手にしていたワインの瓶を軽く傾ける。中身は、もう空だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「本当に一緒に来ないのか?」
『所用がありまして、申し訳ありませんが共に向かうのは無理であります!』
「そうか...ならこれ以上追求しねぇ。またな」
『ええ、では!この恩は忘れずに、いつか必ず返しマッスル!』
「...元気でな」
別れのポージングをした後地面を蹴って飛ぶ牙竜、そのまま勢いでこの街を後にした。
ん?今無詠唱で
「....頭がクチャグチャになりそうだ」
どうにか気持ちを切り替え、新天地へと歩を進める。
そこにはどんな苦しみと苦痛と出会いが待っているのだろうか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
知人が突然死んだら、人は悲しむ。友が突然死んだら、人は深く悲しむ。
それ以上の関係の者が死んだら、人によっては後を追いたい気持ちに駆られるだろう。
だが、地球の裏側で人が死んでも、表側の人は気づかない。知らない。
相手を知っている方が、失った時辛くなる。凄惨な死は人を追い詰めさせる。
だが時に、人の死が原因で一歩先を歩む者もいる。
知ることは幸福で、知らないことは不幸なのか?
それは"神"のみぞ知る
第零章 知らない人 END
次回、プロフィール+後書きなど
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