4.残花①
あれから、再び駅に戻って電車を乗り換え、祖母の家の最寄り駅から出ているバスを乗り継いで……気づけば二十一時前。
田んぼと畑と電柱と、少しだけ明かりの着いた家があるような田舎だ。小さな星も大きな月も普段より一段と存在感があった。私はこじんまりとした日本家屋の家の石畳を鳴らし、玄関の引き戸をガラガラと開ける。
「おばあちゃ~ん、遅くなってごめん」
私の声に気が付いて、中から出てきたのは母であった。
「もう、遅かったじゃない!」
「いや~、混んでてさ。はい、これバームクーヘン」
紙袋を手渡して、皆の集まっている大部屋の和室に入る。テレビを見ている祖母と、少し離れたところで酒盛りをしている父と叔父がいた。隣の和室では叔母さんが子どもを寝かしつけているらしい。
「おばあちゃん、遅くなってごめんね」
「よく来たね。夕飯、用意するからちょっと待っててね」
「えっ、やるから大丈夫!!」
祖母は、絵に描いたような優しいおばあちゃんで、おばあちゃんあるあるの「やたらに尽くそうとする」を網羅している。冷蔵庫を開くと一人前ではない量のおかずが冷やされていた。食べられる分だけよそって、祖母の隣に腰かける。
「いただきます」
かぼちゃの煮つけの味が、家のものより出汁の風味がする。もう一つの家の味。無心で食べていると、テレビで音楽特集をやっているのに気が付いた。
「ロックバンド……」
「おや、千花はこういうのも聞くのかい?」
「えっ、えっと……」
先生のあの剣幕と楽しそうな歌声が交互に浮かぶ。掴まれた手首と背中の痛みが、再び鮮明に熱を帯びた。
「あんまり聞かないんだけど、今日、駅で路上ライブやってて、すごかったんだ」
四人組のロックバンドのパフォーマンスに、どうしても先生の姿が重なる。
(――先生は、本当はこうなりたかったのかな)
私の好きな明良先生は、フィクションだった。本当の先生は、私の恋した人とは似ても似つかない。失恋というよりも、最初から無益な恋だった。始まってすらいなかった。
それも悲しいけれど、でもそれよりも思ってしまうのは――、本当の自分を隠している先生自身の今の意味。先生は、何を思って学校にいるんだろう。何を思って、〝明良先生〟を演やっているんだろう。
段々と食欲がなくなって、箸が止まりはじめたとき、叔父が話しかけてきた。
「おお、千花ちゃん来てたの! おっちゃん酔っぱらってて気づかなかったや」
「あ、こんばんは」
さっきまで酒盛りをしていたところを見ると、一緒に酒を呑んでいた父は畳に伸びていた。どうやら負けたらしい。
「お? バンドかあ、いいねえ、俺もやってたのよバンド」
「え、叔父さんも?」
叔父は己の胸をドンッと叩いて「おうよ!」と言った。酒が入って気が大きくなっているのもあるだろうが、叔父は彼と違って夢を追っていたことが誇らしい様子だ。
「……もう一回、バンドしたいとか思わないの?」
「思わねえな~。あれはあれで青春っつーか、俺は思い出にしときたいね~。一生懸命にやるって大変だからよ」
「そうなんだ」
「千花ちゃんもバンドしたいの? いいねえ、ガールズバンドも熱いね~」
「違うよー」
叔父は酒が足りなくなったようで、千鳥足で酒を取りに台所へ向かっていった。テレビの音と祖母がせんべいを齧る音だけが響く。静かではない、静かな空間。
司会を務めるアナウンサーがバンドのボーカルに尋ねる。
『音楽活動をやめたくなったことや、挫折したことはありましたか?』
『ありました。でも、やっぱり曲を作ってそれを聞いてもらう時が一番楽しくて、諦めるなんてできなかったです。もう二十代後半だったんで、後にひけなかったっていうのも、あるんですけど――』
彼は今、夢を諦めたルートにいる。本当に先生になりたかったわけじゃなくて、生きていくために必要だから、人生はそれでも続いていくから。二番目以降の選択をした結果を今、歩んでいる。
それは酷く、怖いことだと思った。無理やり路線を変更されたブレーキのないトロッコに乗って、明るくても暗くても、辛くても悲しくても進まされる。それは、恐怖だ。
私には、まだ夢がない。けれど、夢がもし出来て叶わなかったとき、私はそれを受け入れて再び足を進められるだろうか。常に脳裏に流れ続ける「本当はこうなりたかったわけじゃない」。その呪いに、その渇望に、負けじともう一つの道を歩むことが、私に――。
「………………夢って諦めたら、戻れないのかな」
私の独り言は、風が吹いたら確実に消えそうなほど弱くすぐに虚空に溶けた。そこそこ年の祖母の耳には届かなかったかもしれない。そう思って祖母の顔を見ると、テレビ画面のロックバンドを真剣な眼で見つめていた。
「やみくもに、追いかけ続けた人ばかりが偉いわけじゃあない。長い人生、生きてきたけど、行ったり来たりしてばっかりよ。いいかい? やめたことに、真面目になっちゃあいかん。したいことは、いつでも向き合えるさ」
そうか。彼は諦めた自分に真っ直ぐなのだ。一度諦めた自分と諦めずに追い続けた人たちと、それをまだ知らない私たちと、一線を引いている。
考えてみれば、わざわざ先生を演じている時点で彼は過去の自分と決別しているのだ。しかも、ただ素を隠すわけでなく、理想的な誰もに好かれる優しい先生にまでなって。それはなんて――律儀で真面目なことだろう。
「ありがとう、おばあちゃん。私、頑張る!」
私は祖母の作ってくれた残りのおかずを口に放り込み、力強く噛みながら決意した。
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