第2話 契約
秒針が進む音が、やけに大きく響いていた。
私たちはテーブルを挟み、これからのことを話し合うことになった。現状を把握する──いや、現実を受け入れるのは難しい。
ちらりと白夜さんに目をやる。
どれほど見つめても、彼は変わらない球体関節人形で、瞬きをする気配さえない。その姿に、改めて、本当に人形なのだと思い知らされる。
「まずは、俺から謝罪をさせてほしい。騙すような真似をして申し訳ない」
身分の高い男性から頭を下げられ、思わず身じろいだ。しかも私に覚えのない謝罪だ。
「あの、騙すって……?」
「俺と結婚すれば資金援助をする、という話のことだ」
忘れかけていた約束を突きつけられ、胸がざわめく。
「あ、でも、白夜さんが騙そうとしたわけでは……」
「俺の一族が仕組んだことだ。結果的に俺も加担したことになる。……申し訳ない。謝ってすむ問題ではないのに、そのうえこんな契約を持ちかけて……」
確かに、騙されたと知ったときは悲しくて腹が立った。だが、実行犯ではない彼に言われても意味はない。
それに「怒っていませんよ」などと口にすれば、私自身や両親の気持ちを踏みにじることになる。何と答えればいいか分からず、私は話題を逸らした。
「……契約といえば、その……殺されたって……何か心当たりはあるのですか?」
「……皇家は多くの者に恨まれている。妖も、数えきれないほど葬ってきた。それに、一族の繁栄を邪魔する者たちも……」
言いにくそうに、白夜さんは私の方を見た。
同じように報復を受けた人の噂は耳にしたことがある。彼自身の行いではないにせよ、身内の罪に負い目を感じているのだろう。
「……なぜ人形に?」
「殺された時、術式で魂を人形に移した。この人形は何かあった時のため、あらかじめ俺が用意していたものだ」
「え!? そんな大事な人形を、どうして結婚の罠に使ったんですか!」
問い詰めると、彼は口をつぐみ、視線を落とした。……地雷を踏んだのかもしれない。私は慌てて話題を変える。
「あの、相手を見つけるにはどうしたらいいのでしょう? 皇家は名家で、白夜さんは特務隊と軍でも腕利きと噂されています。そんな方を殺した相手なんて……私には想像もつきません」
ただの商人の娘にすぎない。学も力もない私が、どうやって犯人を探せばいいのか。
「方法はある」
「え?」
「俺は特務隊として妖を祓ってきた。……貴方にも同じことをしてもらう」
あまりに突飛な言葉に、思わずのけぞって後頭部をぶつけてしまう。
白夜さんが心配そうに覗き込むが、そんなことはどうでもいい。
「む、無理です! 私にできるわけないです!」
「いや、正確には“フリ”をしてもらう。祓うのは俺だ」
「フリ……?」
「皇白夜の妻として祓い屋を開く。繁盛すれば噂は広がり、俺を殺した者は真偽を確かめに来るはずだ。……生きているのでは、と。
たとえ確証があっても、放ってはおけまい」
「祓い屋……」
確かに、白夜さんは生前未婚だった。それなのに死んだはずの彼の妻を名乗る女が商売を始めたら、犯人は混乱するだろう。
狂った女の妄言か、それとも本当に白夜さんが生きているのか。必ず確かめに来る。
「それに、金にもなる。資金援助が途絶えて困っているのだろう? 生活資金は多いに越したことはない」
名家の出でありながら、金銭感覚は鋭い。確かに跳ね除ける理由はない。
「で、でも……それなら白夜さん本人が表に出た方が早いのでは? 正直、人間としか思えませんし」
「……あまり、犯人を刺激したくない」
「え?」
「俺には兄と弟がいる。もし犯人の狙いが俺個人ではなく皇家そのものだった場合……二人に被害が及ぶ」
兄弟。白夜さんにとって大切な存在なのだろう。
確かに死者本人が矢面に立つより、“妻”が立った方が、狂った女の妄言として処理されやすい。そうすれば、まずこちらに相手は来る。
「迷惑をかけたうえに、さらに隠れ蓑にしてしまう。だが──お前を傷つけることは絶対にしない! 約束する! 何があっても、この身に代えて守ると誓う!」
その強い言葉に、胸が熱くなる。
「……明日香」
「?」
「明日香です。……妻の名前を、覚えてください」
「っ……ありがとう! この礼は必ず……!」
「はい。ちゃんと守って、お金も稼いでもらいますね、旦那様」
わざとらしく言って笑いを誘ったが、心の奥は重かった。
この契約が終われば、彼は成仏するのだろう。
その時、この瞳を見ることもできなくなる。──そう思うと、ほんの少しだけ寂しさが滲んだ。
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