第42話 解放と代償

 院長の笑い声が僕の耳に届く。


「120枚であったという証拠もないし、お前たちのような子供の言うことなど聞く人は居らんよ」


「くそ……!」


 僕は冷静さを失いそうになる。せっかく白金貨をここまで集めたのに――140枚だと?そんな馬鹿な話があるか!


 その時――


「それは、聞いた話と違うな」


 低く、静かな声が響いた。


 僕たちが振り返ると――そこには、金髪で引き締まった体格の男性が立っていた。実務的な貴族服を着ており、鋭い碧眼がこちらを見据えている。


 高貴な雰囲気と威圧感――この人は、相当な地位の人物だ。


「領主様……!」


 院長が慌てて頭を下げる。


 領主?この人がこの街を治める辺境伯なのか――

 男性は、冷たい視線で院長を見据えていた。


「私はヴェラント神殿守、及びお前と契約した奴隷商から『白金貨120枚で買い取る』と聞いている。奴隷商の男のところには部下を控えさせているので連絡をとったということも無いはずだが?」


 院長が言葉に詰まる。


「そ、それは……」


「答えられないのであれば、これは白金貨20枚分の詐欺、及び取引の領内優先を違反したものと見なされる。行政に訴える必要もない。私が直接裁定を下す」


 領主が一歩近づく。


「院長。お前は孤児院の運営者だが多大な儲けを出していたようだな。確か『適切な金額での斡旋』が経営条件だったはずだが?」


「し、しかし領主様、これは合法的な……」


「黙れ。既に調べはついている」


 領主の声が響く。

 院長が震え上がる。


「私は今、この領地の法と秩序を守る者として話している。お前の行為は明らかに詐欺であり、領民——たとえ孤児であっても——を不当に扱う行為だ」


 領主が僕たちに視線を向けた。

 僕たち三人とも、困惑と希望が入り混じった表情で見つめ返す。


 領主は院長に向き直った。


「院長。孤児院の借金額は白金貨120枚で確定だ。それ以上を要求することは認めない。また、白金貨20枚の詐欺未遂の罪にて領外追放とする」


 院長の顔が真っ青になった。


「り、領外追放……!そ、そんな……」


「私の裁定に異論があるか?では、お前の過去の取引について一件ずつ全て精査しよう。得策とは思えぬがな」


 院長が言葉を失う。領主による調査となれば、全てが明るみに出るのだろう。


「……わ、分かりました」


 院長が震える声で答えた。


 しかし——領主はそこで終わらなかった。


「それから」


 僕たちの方へ向き直って領主が続ける。


「ミオルたちには、スタンピードでの功績に対する報酬を支払う。領主としての特別報酬だ」


 領主は懐から小さな袋を取り出した。中には白金貨が入っているようだ。


「白金貨20枚だ。お前たちの働きには、十分な価値があった。ヴェルディナ辺境伯として感謝する」


 僕は驚いて目を見開く。領主が僕に袋を手渡してくる。


「お前たちは自由だ。もう孤児院に縛られる必要はない」


 ルシェルとメルナが喜びの声を上げた。僕も――


「ありがとうございます!」


 思わず、頭を深く下げた。


 主伽藍から僕達を見ようと出てきていた観客の歓声が、神殿中に響き渡っていた。



 セドリック・ヴェルディナ辺境伯は、指揮室に戻ると人払いし執事に一つの指示を出した。

 執事が一礼して退出する。


 セドリックは指揮室の窓から街を眺める。


 領地を守る。領民を守る。それが領主の責務だ。

 そのためにに心を痛める必要などない。

 必要なのは、冷徹な計算と、確実な実行だけだ。


 すべては領地のために。


「これも領を守るためだ…。恨まないでくれたまえよ?」


 セドリックは報告書を取り、次の問題に頭を切り替えた。



 その日の夕刻。


 一台の馬車が、ヴェルデの街を出て領外への街道を走っていた。


 荷台には大きな木箱がいくつも積まれている。中身は——院長が今まで孤児を売って稼いだ白金貨だ。

 スタンピード直後のため護衛の冒険者は雇えなかったが、スタンピードにより近隣の野党は死に絶え、スタンピードが解決した今なら魔物も激減しているため大丈夫であろうという馬車屋の声を信じて街を出発していた。


 院長は馬車の中で、フードを深く被った御者の背中を見ながら小さく呟いた。


「私はまだ終わっていない。これだけの金があれば、他の領で再起することもできる。今までの取引相手の貴族に取り入って、あの領主に目にもの見せてくれるわ」


 院長の顔は怒りに歪んでいた。


 しかし——


「いいえ、あなたはですよ」


 御者が、フードの下から静かな声で答えた。


「な、何を……? 貴様は!!」


 院長の顔が凍りつく。


「そのお金は、今後の孤児院のために有効に使われますので」


 御者がゆっくりと振り返る。フードの下から見えるのは、見覚えのある顔。


 執事——領主の側近である、あの執事だ。


 その手には、鋭く光るナイフが握られている。身のこなしは明らかに剣を修めた者のもの。執事服の下に隠された、もう一つの顔。


「ま、待て!待ってくれ!金ならやる!だから、命だけは——!」


 院長が狼狽うろたえ、みっともなく命乞いを始める。


 しかし、執事は冷たく首を横に振った。


「今まで多くの人間を苦しめたのです。自分がそうなる覚悟もおありでしょう?」


「い、いやだ!助けてくれ!頼む!なんでもする!なんでも——」


 院長の悲鳴が、夕暮れの街道に響いた。


 しかし、その声はすぐに途絶えた。



 翌朝早く。


 領都ヴェルデに、一台の馬車が戻ってきた。


 不思議なことに乗客はおらず、御者一人のみ。


 荷台には重そうな木箱がいくつも積まれている。


 馬車は静かに城へと入っていった。


 院長の姿は、どこにもなかった。

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