10 反逆者




 安紀十八年四月十三日




 永信が領南離宮を訪れた。永山医師が投薬を調整して、安憲王が十分に話せる状態になったと言ってきたからである。

 突然の面会申し入れに宮務庁の女から永信は睨まれた。名札には次長となっているからここのナンバー2か。貴様は誰を睨んでいるんだ、と気に入らなかったが、安憲王への取次をその女に頼んだ。安憲王は面会を承諾。永信は安憲王の寝室に通された。

 ベッドではなくテーブルセットのイスに安憲王は座っていた。永信はここも気に入らない。そこらのビジネスホテルよりはまし、って程度の部屋。発展途上にも至っていない三流国家の元首でも、もっとましな部屋で寝ているぞと言いたい。こんな部屋で良しとしているような者が国王なんぞやっているから、周りの国に舐められるのだ。そうは思うものの、永信はこう言った。

「横になってなくてよろしいのか?」

安憲王は穏やかに返す。

「ああ、大丈夫。それより重田さんこそ元老と太政官の職は寝る暇もないくらい大変でしょう。申し訳ない、私がこんなことになったばかりに」

「いやいや、全ては国の為ですから」

「感謝します」

 永信は挨拶代わりの会話をそこそこにして、S5事件の話に触れた。安憲王は公の話しか知らなかった。永信は腹を決めて来ていたので、安憲王に本当のことを最初から話した。

 ナシ国、モス国などに対する軍事力の強化を目指し、強化兵の拡充をしようとした。しかし新規製造は既に中止されていたことを知った。だから製造再開を考えたが、製造データも必要な試薬も隠されていたのでそれを探した。それがS5にあると分かったので、必要な物の提出を求めたら、S5司令の浅沼少将がそれを拒否して籠城、反乱を起こした。その鎮圧を目立たぬよう迅速に行うため、現存の強化兵部隊を集結させようとしたら、セクター1の責任者が離反。同所の強化兵を連れて逃亡。そしてS5の反乱に合流した。故にS5では強化兵同士の戦闘が行われた。と、そこまで話した。

 永信は話しながら安憲王の反応を観察していた。永信が強化兵の製造を再開しようとした辺りまでは知っていたようであった。しかしS5に関わることや、セクター1のことは初耳であるように感じられた。

 そこで永信は確信した。S5の浅沼少将や、セクター1の岩下中佐を動かしている人物は他にいると。


 聞き終えて安憲王が最初に口にしたのは、

「S5では、どのくらいの死傷者が出た?」

と言う質問であった。

「双方合わせて二十一人死亡です」

「二十一人」

「ああ、それは強化兵の死亡者数です。武装して抵抗したS5職員は五十九人死亡しました。こちらの強化兵以外の死者はゼロ。負傷者七名です」

「合わせて八十人。この国の者同士が殺し合って八十人も死亡。はぁ、あってはならんことだ。なんでそこまでした」

「彼らは反乱者です」

「違う、みんな本城国民だ」

安憲王の語調は少し強かった。

「……ですが命令に従わず、武装して抵抗してきたのです。反乱です」

それでも永信はそう返した。しかし安憲王はこう言う。

「反乱ではない」

「……」

「私の指示に従ったのだ」

永信は知らず安憲王を睨んでいた。

「陛下が彼らに命令していたのですか」

「そうだ」

永信の目が気持ち細くなった。

「ここからそんなことを……」

「ここから? そんなこと出来るわけないだろ。情けない話だが、私はもうこの一年ほど、ずっと夢うつつの世界にいるんだ。こうやって起きていられたのなんて何日もないんだぞ」

「ならどうやって?」

「私が頼んだのはずっと以前のことだ」

「頼んだ?」

「ああ、強化兵を生み出す技術が決して表に出ないように、守るように頼んだ。守り切れないと判断した時は、躊躇なくすべて破棄してくれと頼んだ」

永信は溜息のような息を吐いた。

「浅沼少将と岩下中佐にですか」

何か意外なことがあったのか、安憲王は僅かに首を傾げた。でもすぐに思い当たったようにこう言う。

「そうか、セク1は反乱に加わったと言ったな。ああ、反乱ではないけどな」

「……ご指示ではなかったのですか?」

「いや、さっきの頼みは浅沼少将にした。彼にS5の所長をお願いした時に」

「では、岩下中佐はなぜ反乱を」

「う~ん、彼女は恐らく強化兵の招集に応じなかっただけだよ」

「……」

永信は続きを促すように睨んでいた。本人は国王を睨んでいることに気付いていないであろうが。

「強化兵を戦わせまいとして、彼らを連れて逃げただけだ。おそらく」

「ですがS5にその強化兵達はいましたよ。と言うことは岩下中佐が彼らを連れて反乱に加わっていたと言うことです」

「その経緯は分からないが、反乱ではないとさっきから言ってるだろ」

「いえ、命令に背き、反乱者に合流したのです。反乱です」

「合流したと言うのは浅沼少将にと言うことだろ。その浅沼少将がそもそも反乱者ではない。私の命に従っていたのだから」

「いやそれは……」

「ならこう言ってやろうか。私の命に従っていた者達に武力を向けた。そのことの方が反乱だと」

「な……」

自分の言葉を遮ってそう言った安憲王に、永信は返す言葉が見つからなかった。

「なぜ強化兵の製造を中止し、その技術まで封印したのですか」

永信がやっとのことで見つけた言葉はこうであった。

「まだまだ我々の技術が未熟だからだ」

「未熟? 完成しているじゃないですか」

「何が完成だ。完成と言えるところに至る道すらまだ見えていないんだぞ」

「……どういうことですか」

「重田さん、私が中止を命令した時点での、最新の彼らの製造過程をちゃんと把握していますか?」

「……いえ」

「長年の研究で、肉体改造からの場合、十歳前後で適性があると判断された者からの改造が一番うまくいくとされていた。それでも改造後にちゃんと肉体制御が出来るものは五十人に一人程度だ。最後の数年は年に六人から八人の肉体改造からの強化兵が誕生していた。と言うことは、そんな幼い年の者を毎年三百人から四百人も研究によって殺していたと言うことだぞ」

「……」

「それともう一つ。中止するころには主体となっていた受精卵からの強化兵製造。受精卵が新生児の段階まで成長する確率を知っているか?」

「……いえ」

「五百分の一だ。ただしこれは最後の頃の話で、前はもっと低かった」

「……」

「そしてそれだけじゃない。完全に安定した個体だと判断されるのは六歳まで生きた者だ。その確率は一割ほど。最後に受精卵から強化兵となった者は六人。と言うことはその者たちと同じ年に新生児となった者は六十人ほどいると言うことだ。そして受精卵にまで遡ると約三万人だ。六人生み出すのに三万人が死んでいるんだぞ。毎年毎年この国はこれだけの人間を、誰も知らないところで殺し続けていた。これで完成している技術だと言えるか?」

さすがの永信も言葉に詰まる。が、やがてこう言った。

「それでも強化兵は完成しています」

 安憲王は疲れた顔を見せてから再び口を開く。

「完成などしていない」

「いや、完成までの過程でそれだけの犠牲があると言うのは何としても改善しなければいけないことです。でも、完成した強化兵は完璧です」

「二十六年。何の年数か分かるか?」

安憲王は尋ねた。永信は首を傾げる。

「いえ」

「強化兵となってからの最長生存年数だ。彼女は七歳の時に改造され、九歳で強化兵となった。そして現在三十五才。この年齢も強化兵の最年長記録だ」

「……」

「強化兵全体の平均生存年数は二十年にまだ届かない。年齢で言うと二十代後半から三十歳くらいまでだ。ただ、最初の頃の強化兵は十代半ばから二十代前半くらいからの改造が多かった。三十まで生きても長くて十五年ほどだったと言うことだ。そして最後の方でもまだ四、五年で死んでしまうものもいた。これでも完璧か?」

「……」

「本城国は密かに強化兵、いや強化人間の研究開発をしている。実用レベルの完成体も存在している。このことは元老クラスまでは知っている国家機密だ。私が知っていたのも、恐らく重田さんと同じでその程度だった。私の父、忠憲王は強化兵研究のことを秘書をやっていた私にも一切話さなかったから」

「……」

「私が王位について半年ぐらい経った頃だったかな、強化兵を実際に製造している所から、新しい設備導入資金の相談があった。私が強化兵と言う国家機密の実態に触れたのはそれが最初だった。でもその時はその施設に行って簡単な説明を受け、相談のあった話を承諾したくらいだった。とても実態に触れたなんて言えるレベルでは、何も知ることはなかった。何しろまだまだ国務をこなすのが精一杯、他のことを考える余裕なんてなかった」

安憲王はそこで席を立ち、部屋の隅の冷蔵庫へと向かった。そして中から水の入った容器を二本取り出し戻ってくる。一本を永信の前に置き、席に戻って自身はフタを取り一口飲んだ。そして続けた。

「それから一年ほど経って国王職にも慣れた頃、時間が出来たら手を付けるべきと思っていたことに手を付け始めた。その中に強化兵のこともあった。でもその頃にアイテン国で大規模テロがあったでしょ。再び世界大戦に発展するのではと各国が緊張状態になったやつ。あのおかげでまた何も出来なくなった」

安憲王はまた水を口にする。永信もその時水を口にした。

「落ち着いて強化兵研究のことに関わり始めたのは、王となって四年目くらいのことになってしまった。そしてさっき話したようなことを知った。私は施設に飛んでいったよ、研究をやめさせようと思って。そして責任者に会った」

「田中博士ですね」

永信が口を挟んだ。

「知ってるのか」

安憲王は少しだけ驚いた顔をした。

「私は彼に製造中止を求めた。一人生み出すまでの犠牲が多すぎることを理由に。すると彼は、その数字は平均値であって、今はもっと改善されている、これからさらに改善されると言った。受精卵からの初期の失敗率は現状では改善できる見通しはないが、一般的に人工中絶不可となるところまで成長したものに関しては、格段に改善されているし、今後もっと改善される。そう主張して、研究継続を訴えてきた」

「……」

「私は強化兵の寿命の短さにも言及した。普通の人間の寿命を迎えられないような者を作るなと。すると彼はそれにも反論した。まだまだ一般人の寿命には遠く及ばないけれど、肉体改造によって寿命が短くなるメカニズムが分かってきた。そしてそのメカニズムを壊す改造方法や薬を開発中だと。だから時間をくれと言った。でも私は大量の犠牲を生んでまでする研究ではないと言った。そしたら博士はこう言ったよ、これは人類が生まれ変わるための研究なのだと。強化人間の肉体はその運動能力だけでなく、肉体自身の強化にもなっている。寿命の短さとは反することでほとんど注目されていないが、彼らは風邪をひかない。詳しくは私が理解できてないが、変質した筋肉などはその活動時に、常人では死に至るほどの毒となるものを出すそうだ。それらを完全に分解する能力を持っているとのことだ。その能力はウィルスなどにも有効なようで、結果として彼らは病気にならないし、一般人には毒性が強く危険な物質も、かなりのレベルで無害であるらしい。そして、肉体自体の耐久力も一般人をはるかに上回る。怪我をしにくくなるし、しても回復が早いそうだ。これも博士は人類に必要なことだと言ったよ」

「……ではなんで早く死んでしまうのですか」

「老衰らしい」

「老衰?」

「ああ、博士曰く、若い肉体のまま急激に老いていくらしい。突然体調を崩し、あっという間に死んでしまう。六十才から七十才くらいになって顕著に老いていき、そこから十年、二十年ほどで死に至る我々の肉体。その、老い、としか言えない兆候を若い肉体で起こすらしい。そしてその兆候が起きると、数日から長くて数週間で彼らは、老い、で死ぬそうだ」

「……でも、それが克服できると?」

「ああ、博士はそのメカニズムが分かってきた、もう少しで克服できると言った。だから時間をくれと」

「それで」

「二十年くれと言ったよ。私は拒否した。博士の言う人類が生まれ変わると言うのには意義を感じはしたけど、今のようなことがまだ二十年も続くのは承服できないと。そしてそこからは交渉となった。そして最終的に、七年間の継続を認めた。必ず改善されていく成果を毎年示すことを約束させ、七年で完成、もしくは、完成に至るとハッキリ示せるものが出なければそこで研究は完全に中止すると言う条件で」

「……」

「それからは博士と定期的に会い、いろんな話をしたよ。完成に至らなかった者のことを私が、殺している、と言うのは、博士は当初気に入らなかったようだけど、そのうち博士も殺しているんだと認識し始めた。受精卵となった直後からは何千と言う数が次々と死んでいく。それにも心を痛めるようになっていったよ。そして、自分が生み出した者が、若者の姿のまま老衰で死んでいくことにも」

「……」

「結果、七年を待たずに五年で博士の方から中止を言い出してきた」

「な、なぜ」

「限界だと言っていた」

「限界」

「今の自分たちの知識や技術では、五年前に言ったようなことは実現できないことが分かったと。つまり現状が自分たちの限界だと」

「……」

「私はその時点で研究開発の全面中止を命じた。同時に全ての施設、研究データなどの破棄も命じた。でも後世の為、データは残したいと博士は言った。自分のやってきたことのどこが間違っていたのか、後の研究者に検証してもらいたいと」

「それでS5に」

「ああ」

安憲王はまた水を飲む。でもそのあと口は開かなかった。

 永信は考えを巡らしていた。安憲王が強化兵製造を中止させた理由は分かった。その理由は頷けるものでもあった。しかし永信は安憲王のように割り切れない。強化兵の能力は実証された、長保基地戦で。その戦力を手放せない。人は有用だと分かった道具は手放せないのだ。その道具に欠陥があると分かっても、問題があると分かっても、その道具が他と比べられないほどの高性能だと分かれば、どんな不具合があろうとも、使いたいときに使えさえすれば、不具合がどんなに大きな事でもそんなことは問題ではないのだ。

「再開すべきだ」

永信の口からそうこぼれた。

「陛下の考えは分かる、分かります。しかし続けなければ永遠に克服できないことだ。そのことで生まれる非人道的と言われるようなことは、我々で受け止めるしかない。背負うしかない。そうしてでも続けるべきだ」

安憲王は黙って永信を見ていた。

「そう思いませんか」

「……思わない。それに、田中博士自身がすでに続ける気を失くしている」

「研究者は他にもいます。彼らに博士のデータを渡せば続けられます」

「……」

「ほんとにデータはもうないのですか。S5で全て消滅したのですか?」

「重田さん」

「浅沼少将が持って出ていませんか?」

「それは分からないが、恐らくそんなことはしていない。いや、絶対にしていない」

「確認出来ませんか?」

「重田さん、もう諦めてください」

「諦める? どこの国も実現できていない技術ですよ。この国の宝ですよ。それを捨てるなんて国益に反してる」

「国益なんかじゃないですよ。恥です。国の恥です。もし他国がこんなむごい研究を何十年も続けていたと聞いたら、あなたは批判しませんか?」

「それは……、いや、それは持たない国の遠吠えだ。批判したとしてもそれはやっかみだ。無視できる」

「重田さん、諦めてください」

冷めた安憲王の目を見て、話はこれで終わった、と永信は思い知らされた。




 同じ日、水野少尉たちはS5を脱出してからの潜伏先であった旅館から、東園島へ向けて出発であった。水野少尉たちと言ったが、S5から一緒にここまで来たシャチ部隊の者は、到着後すぐに姿を消していた。そして浅沼少将も、やることがある、と言って翌日出て行った。

 出発は昼食後。夕方頃までに本土東岸北部にある岩間市のフェリー埠頭までバスで行き、夜になってから出航のフェリーで東園島に渡る。東園島到着は翌早朝の予定だ。

 早目の昼食後、水野少尉は荷物を持って、すっかりみんなのリビングとなっていた広間にいた。そこに理沙が鞄を持って現れた。黒地にショッキングピンクで読めない文字が描かれたトレーナーを着、ぴちぴちのジーンズを履いている。昨日慶子様と買い物に出掛けた時、買って来た物だろう。

「かっこいいね、それ」

彼女の姿を見て水野少尉はそう言った。

「えっ、可愛くない?」

理沙は水野少尉の傍に寄りながら自分の服を見て、少しガッカリしたような顔でそう言う。ヘビメタファンが着てそうなトレーナー、可愛いかなぁ? と思いながらも水野少尉はこう返した。

「う~ん、どっちかって言うとかっこいいってイメージのデザインだと思うんだけど、うん、理沙が着ると可愛く見える」

はにかんだ笑顔を見せ、理沙はもう一度自分の格好に目を落とした。そのあと戸口を窺ってから理沙が水野少尉に顔を寄せる。そしてこう言い出した。

「あの、お願いがあるんだけど」

「なに?」

水野少尉も理沙に合わせて声をおとす。

「私も美穂子って呼んでいい?」

「何それ、いいよ、好きに呼んで」

声をおとして顔を近付けてきたので、水野少尉はもっと他のことを言われるかと思っていた。なので思わず吹き出すようにそう返した。

「良かった。私も慶子様みたいに名前で呼びたかったから」

「あれ? なら、みっちゃんでもおんなじじゃない?」

「えっ、みっちゃんは水野だから……、あっ、美穂子でもみっちゃんなんだ」

「まあそうだね、どっちでもみっちゃんだもんね。ただ、エリーさんが最初に、美穂子だからみっちゃんでいいよね、って言ったから、私は名前で呼ばれてるつもりだったけど」

「そっか、……でも私は美穂子って呼びたい」

「いいよ、美穂子で」

「うん」

理沙が嬉しそうな顔をした。でもすぐに真顔に戻ってこう言う。

「私達ってなんで苗字がないの?」

水野少尉は返事に困ったけれど、慶子様と話していたことを告げた。本当は東園島に落ち着いて、慶子様が手はずを整えてからみんなに話す予定であったことだけど。

「苗字ね、慶子様がみんなにも名乗れるようにしてくれるって」

「えっ?」

「今から東園島の舞丘市って所に行くでしょ? そこに落ち着いてしばらくしたら、そこの住所でみんなのことを役所に登録するって、舞丘市の住人として。その時にみんなが好きな苗字を付けていいって」

これは言うほど簡単なことではない。強化兵達は戸籍がない。水野少尉達、普通の本城国民が産まれた時に割り振られる国民番号がない。それを各々が産まれた時に遡って国民番号データを改ざんして、新しい番号を、架空の戸籍を作ると言うことだ。水野少尉にはどうすればそんなことが出来るのかも分からないこと。慶子様には出来るようだけど、それでも簡単なことではなく、しばらく時間が必要と言っていた。

「役所……、住人?」

今まで全く馴染みのないことなのだろう、理沙は少し不安気な表情でそう言う。

「そっ、まあ少し先のことにはなるだろうけど、みんなは東園県舞丘市の市民になるの」

「市民、そうなんだ」

「そだよ」

でも理沙の顔は暗かった。

「嫌?」

水野少尉はそう聞いてみた。

「ううん、でも、役所に登録とかって、いいの?」

「なんで?」

何を心配しているのか水野少尉には分からなかった。

「だって、私たちもう一生隠れて生きなきゃいけないとかって」

そうだ、そんな話をしてセクター1から逃亡したんだった。

「うん、だからね、隠れて生きなくてもいいように、慶子様がそうして下さるの」

「そうなの?」

「そう、だからみんなはもうこれまでのことは忘れて、誰にも話しちゃダメ。これからは新しい人生。今までとは別人として、普通の人として生きるんだから」

「……」

「嫌?」

なんだか浮かない理沙の顔を見て、水野少尉はもう一度そう聞いた。

「ううん、嬉しい」

すると微笑んで理沙はそう返した。実感が湧かないだけみたいだ。

「良かった」

水野少尉も安心した顔でそう言う。

「さっき好きな苗字って言った?」

理沙が嬉しそうな顔のままそう聞いた。

「うん、慶子様がみんなに好きな苗字を付けてあげるって」

「だったら水野がいい」

「はあ? そんなどこにでもあるような苗字にしなくても」

その方が目立たなくていいかな、と思いながら水野少尉はそう言っていた。

「ううん、みっ、美穂子と一緒がいい」

「そっか、ありがと。苗字が一緒だと姉妹みたいになっちゃうね」

「未沙みたいに?」

そうだった、理沙と未沙は六歳で強化兵として登録された日が同じ。だからなのか姉妹と言われ続けていたようだ。登録が数時間早かった未沙が姉として。

「そだね。二人は同い年で双子みたいな姉妹だけど、私は二人と年の離れたお姉ちゃんってことになるのかな」

「そっか、未沙と一緒になるんだ」

また理沙が嬉しそうな顔をした。

「あっ、やっぱりここにいた」

いきなり真由の声がした。こっちは怒ったような顔をしてる。

「もうみんな集まってるのに」

そして不機嫌混じりの声でそう言う。

「えっ、どこに?」

水野少尉が真由の方を見てそう聞く。

「玄関のとこ」

「あれ? ここに集合じゃなかった?」

そう返す水野少尉に、

「ううん、荷物持って玄関って言ってた」

と理沙も言う。

「えっ、じゃあなんであんたはここに?」

水野少尉は理沙にそう聞く。

「美穂子を探しに来た」

「そうだったんだ、早く言ってよ」

そう返す水野少尉の傍に真由が来て、彼女の鞄に手を掛けながらこう言う。

「もう、片手使えないんでしょ? 鞄持つから早く、バス来てるから」

そして水野少尉の鞄を持って廊下に向かう。

「ごめん」

そう言って水野少尉は席を立ち、理沙と一緒に真由の後を追った。




 永信は王制府内の諜報機関、調査室を自分の手足として使い始めた頃、その調査室に強力な実行部隊を置くことを考えた。そして陸軍の特殊任務部隊の一つに目を付け、一中隊を特別編成にして分離、調査室直属としていた。またそれを、調査室特務隊とした。

 S5事件はテロ集団の仕業だと公にはなっているのを永信は利用。国王陛下が現在療養中の領南離宮のテロ対策が不十分だとし、警備責任を本土東部軍から調査室特務隊に変え、特務隊の一小隊七十名を配置する命令を下した。

 同時に、別組織が二重に警備するのは有事の際に双方の連携に不具合が出ると指摘し、王宮警察を離宮警備から外す命令も出した。観光客等、一般人の目につく正門前は、特務隊員に軍の礼装をさせて立たせることとした。

 離宮詰めの宮務庁職員も、当面は病人である国王陛下しか利用されないと言うのを理由に、人数を最低限の十数人ほどにした。安憲王への忠誠心が強そうな現地幹部も入れ替えたかったが、さすがにそこまでは出来ず、幹部では気に入らなかった次長の女性のみ飛ばした。

 そしてこの命令の実行は、各所が段取りなどを付ける暇もないほど急がれ、四月十五日に発令、四月二十日に行われた。反発は方々から出たが、S5規模のテロ行為が明日行われたら、お前たちが責任を取るのだな、と言う永信の脅しで黙ることとなった。

 十三日に安憲王と話した後も永信は考えていた。そしてあることに気付いた。データはもうないのか、と聞いたのに対して、諦めろ、としか安憲王は言わなかった。一度も、ない、とは明言していない。そこで永信は勝手に確信した、データはまだあると。

 永信は安憲王からデータのありかを聞き出すと決心した。そしてそれにはもう尋問しかない。しかし国王陛下を尋問することなど許されない。やるとなったら密かにやるしかない。その為の離宮の警備や人員の配置換えであった。そして尋問などと言うことをしてしまったら、二度と安憲王を自由には出来ない。もう一生幽閉しておくしかない。永信はそこまで決意していた、強化兵復活のために。




 四月二十日


 永信は朝一番から再び領南離宮を訪れた。その日から実施される離宮の人員配置換え、警備隊や王宮警察には昨日までに通達してあったが、宮務庁の者にはその場での通達になった。離宮詰めの宮務庁職員の大幅削減が事前に安憲王の耳に入ったら、安憲王が何か手を打つ可能性があると考え、わざとそうしたのであった。永信に従う宮務庁本部高官を同行させ、離宮事務所に集合させた職員にその者から通達させた。大半の者が通達即日の異動となる。当然のことながら事務所内は騒然となった。永信はその事務所には寄らず、安憲王の寝室へ向かう。永山医師に命じて、安憲王の容体は良好な状態にさせてある。

 永信はその日、調査室に最近入れた者を伴っていた。その者は東条秘書が秘め事に使っていた者で、以前、永山医師と接触していた者でもある。名は山田静男といった。彼が今後の安憲王尋問の責任者となる。

 朝食後の診察を終えた永山医師と入れ替わるように、永信を先頭に男たちが安憲王の寝室に入った。安憲王はこの前と同じテーブルのイスに座っていた。

「何かあったのか、こんな時間に」

朝の早い時間から、それも山田他数名を連れて入った永信に、安憲王はいきなりそう尋ねた。

「国家機密、並びに、国益保護のための緊急処置を取りました」

永信は、安憲王にはそう告げた。

「なに? 何があった」

「はい、そのために陛下を聴取させて頂きます」

永信はそう言って、これまたこの前と同様に安憲王の前に座った。

「聴取?」

「先日お聞きしたデータの件です」

「……」

安憲王が永信を睨んだ。

「陛下とお話しさせてもらい確信しました。データはまだありますね。それがどこにあるかお教えください」

「……」

「話していただけるまで続けることになります。ですから早く話してもらった方がお互い楽なんですが」

「……」

「浅沼南海男、岩下エレノア、この二名は国家反逆罪で指名手配としました。そのうち見つかるでしょうが、反逆罪はこの国で一番重い罪です。捕まれば彼らには拷問並みの尋問が待っています。出来ればそんなことはしたくありません。教えてもらえませんか?」

「馬鹿なことはやめろ。この前も言っただろ、彼らは反逆などしてない」

安憲王は強い口調でそう言う。しかし永信は顔色も変えずこう言う。

「彼らの手配を取り消すかどうかは陛下次第です」

「……」

安憲王は再び永信を睨む。

「さあ、話してもらえませんか」

「……分かってはもらえないのか」

安憲王はそう言った。

「は?」

「あれはまだ早いんだ。それがなんで分からん」

「研究を続けなければいつまで経っても未来のことです。この前もそう言いましたよね」

「強化兵として生まれ、囲いの中だけで生かされ、そして短命に終わる。そう言う者の人生に責任を感じないのか。そう言う者を生み出す罪深さを感じないのか」

「彼らは兵器として生み出されるのです。人生云々は人としての我々の感性がそう感じているだけのことです。ですから罪だと感じるならそれは背負います。前回もそう言いました」

「彼らは自ら望んでそう生み出されるわけじゃない。人体改造を受ける者本人にも、その親にも、強化兵がどういうことになるかなど説明してはいない。その時点で我々は罪を犯していたんだ」

「ならそれは善処しましょう。なんなら今後は受精卵からの製造だけにしてもいい」

「彼らこそ望みもしないのにそうやって勝手に生み出されるんだぞ。人間として生きることの出来ない人間として」

「我々が生み出さなければ生まれることもない者です。この世に生まれたことだけでも彼らには幸せなことだ」

「なんてことを……。重田さん、人の、国民の上に立つ者としてそれは絶対に言ってはならないことだ。思ってもいけないことだ」

「……」

「それに、まだ早いと言うのはそれもあるんだ」

「それ?」

「生み出した以上、生み出された者に人としての権利を与え、人としての人生を与えなければいけない。人としての幸せを。生み出したからには彼らもこの国の国民なんだ」

「……」

「しかし、生み出していること自体を秘密にしている以上、彼らにそんな物を与えることが出来ない。本城国民として最低限の権利すら与えてやれない」

「だからそ……」

永信を遮って安憲王が続ける。

「私はその方法をずっと考えていた。でも、何もかもがまだ早いとしか結論が出なかった」

「……」

「新しい法を作り、制度を変える。私がそう言うことをして彼らを国民としても、我々の社会がまだ彼らを受け入れられない。自分たちの能力をはるかに上回る者たちを、隣人として迎えられるものなどほとんどいない。そんな社会に彼らを組み入れても、彼らは圧倒的多数から偏見を持たれ、疎外され、彼らのその能力が原因で何か些細な問題を起こそうものなら、それはすぐに恐れとなり、迫害を受けることになる。自分達と比べることすらできないはるかに優秀な者を、絶対多数を占める自分達と対等な者として受け入れられる者など、ほとんどいないんだ、我々のこの社会には。絶対多数である自分たちの上に立つ存在だと忌み嫌い、自分たちにとって代わる存在だと敵視し、拒絶することしかできない者の方がほとんどなんだ。この社会自体が彼らを受け入れられるレベルではない、まだまだ幼過ぎるんだ」

「そんなことは分からないだろ」

「いや、分かる、あなたがその見本だ」

「なに?」

「この国の、この社会の一番上に今立っている重田さんが、彼らのことを人ではなく物として見ている」

「……」

「戦場で彼らの恐ろしいまでの戦闘能力を実際に見ても、彼らを恐れず、ほんの一瞬触れあっただけで、彼らの人としての、自分達と変わらない普通の人間としての部分を感じ取った者がいる」

「……」

「私はその者を彼らの元に送った。そしてしばらく彼らと暮らしたその者がなんと言ったか分かるか?」

「……いや、知るわけない」

「彼らは超人類だと言ったそうだ」

「超人類」

「あんなすごい能力を持っていても、我々と同じ、いやそれ以上に感性豊かで繊細だと、とても優しいと、そう言ったそうだ」

「……」

「でも彼女は非常に稀な存在だ。彼女のような存在はほんの一握りもいないだろう。彼らの人間の部分をちゃんと見ることが出来る者が、もっともっと増えるまで、我々の社会が彼らをちゃんと受け入れることが出来るように成長するまで、我々は彼らを生み出してはいけないんだ。生み出すことの出来る技術があるだけではダメなんだ」

さすがに永信も考えを巡らしている様に見えた。しかしこう言う。

「だがその技術、失うわけにはいかない。研究も続けなければいけない。陛下自身が言った事だ、技術も未完であると。ならその技術も育てて、完成させなければいけない」

「その完成も、今の技術レベルではずっと先のことになるとも言っただろ」

「だったらなおさらだ、続けなければその先には永遠に辿り着けない」

「重田さん」

「分かってる、社会の成長も必要だと言うんだろ。でも人間は愚かだ、目先に対処する実態がない事に備えて成長することなどできない。それは実際に強化兵達が社会に組み入れられてからしか乗り越えられないことだ。強化兵にも市民にも被害が出るだろう。混乱、いや、大混乱が起こるだろう。しかしそう言うことがなければ変われないよ、この社会は」

「それは乱暴すぎる」

「分かってる。だが強化兵は必要なんだ。あの能力、彼らの戦闘力は必要なんだ、この国に」

「まだ東園を取り返そうと考えているのか」

「……」

「東園は心配ない」

「なんでそう言える」

「考えたら分かることだ」

「……」

「ナシ国の租借地周辺には、次の侵攻を阻止できるだけの戦力が配備されている。それはナシ国も分かっていることだ。今は次の侵攻をまだ考えていて戦力を増やしているようだけど、やがて意味のない事だと気付くはずだ」

「何を根拠に。人員は遥かに向こうが上回っているんだぞ」

「人数が上回っていても、大山には来れない。彼らの目的はあくまで大山島だ。そこへの道さえ塞いでいればいいんだ」

「……」

「分からんか? ナシ国政府は大山島以東の島々を領有しても、これまで自分たちが宣言し続けていた大山島を取らない限り、人民に対してメンツが保てないんだよ」

「……」

「しかし次の大山島侵攻にはとてつもない損害が出ることが分かっているはずだ、こちらの軍の配備状況を見て」

「……」

「ナシ国はその損害を受け入れないよ。そして無意味な軍の増員も、過大な配備もやめるだろう。彼らには我が国からの脅威はないが、他の複数の国からの脅威は常にあるわけだから、いつまでもこちらに戦力を向けてはいられないさ」

「……」

「私の希望的な予想かもしれないけど、租借地の維持は無駄なだけで莫大な浪費だと気付いて、何かきっかけがあれば、早い時期に向こうから契約破棄を願い出て来て引き上げると思ってる」

「そんなこと」

「冷静になって重田さんも一度よく考えてみてください。おそらくあなたなら私と同じ答えに辿り着くはずだ」

永信はしばし考え込んだ。しかし考えは変わらなかったようだ。

「陛下の言う通りかもしれない。しかし強化兵は必要だ。いや、強化兵を作る技術は必要だ。それは絶対に失うことは出来ない」

安憲王は永信を見つめた。

「……分かってはもらえないか。ならもういい、忘れろ、諦めろとしか私はもう言わない」

そしてそう言った。

「もういいのはこんな話の方だ。データはどこだ、どこなんだ」

永信の我慢が限界となったのか、彼の口調が変わった。

「……」

「陛下!」

永信が大きな声を出した。

「無駄だ。強化兵のことは忘れろ。私はもう何も話さんと言っただろ」

「話さなければあなたも反逆罪となる。国王と言えどもこの罪は該当するんだ。教えろ」

安憲王はまっすぐ永信を見据え、これまでより強い雰囲気でこう言った。

「私はこう言うことは言いたくなかった。しかしそんなことを言われるのであれば私も言うしかない。あなたの強い愛国心を信じて、太政官を置くならあなたにと思ったけど、私とは愛国心の方向が違ったみたいだ」

「なにを」

「強化兵の研究開発は国益に反している。私は国王としてそう判断しそれを中止、放棄した。それに抗するのは、あなたの方こそ反乱を起こしていると言える。王命として言う、重田永信の太政官職を解く。今から私が国務に復帰し、あなたの元老としての身分も更迭する」

「……」

「騒ぎにはしたくない。おとなしくこのまま帰り、謹慎してください。近いうちに連絡します」

「……」

永信は安憲王を睨んだままであった。

「使って悪い、そこの電話を取ってくれ」

安憲王は永信の後ろに控える男たちにそう言った。しかし男たちはじりとも動かなかった。

 安憲王は悟り、自ら立ち上がり電話機を取りに行こうとした。

「無駄です」

腰を上げた安憲王に永信がそう言った。

「この部屋の電話は先程切りました。ついでに言うと、ここにはもう陛下に、いや、御前安憲に従う者は誰もいません」

「なに?」

「もう諦めてください。あなたには何も出来ないのです」

「そこまでするのか」

「……」

「私を拘束するつもりか」

「国の為です」

「何が国の為だ、冷静になれ」

「何を言っても無駄です。早く話して下さればこうはならなかった。しかしもう遅い。あんたはもう罪人だ」

「そこまで……、なぜそこまで、忘れろ、強化兵のことはもう諦めろ」

「陛下! 諦めるのはあんたの方だ、データのありかを教えろ」

永信が再び大きな声を出した。安憲王は再びイスに腰を降ろし、永信を見据えたまま黙った。しばらくお互いに睨み合っていた。やがて永信が目をそらす。

「しょうがない」

そしてこう言った。

「こんなことはしたくないが、話していただくまでこれからはこの者たちの尋問を受けてもらう。ほんとにこんなことはしたくないんだ。だからもう一度聞きます。教えてください、データのありかを」

「……」

「……残念だ」

永信はそう言って席を立った。そして、

「後は頼む。出来るだけ失礼のないように」

山田にそう言うと部屋を出て行った。


 安憲王の寝室は尋問室ともなった。扉の外の廊下、掃き出し窓の外のテラス、どちらにも四六時中調査室の者が立ち、人の立ち入りが禁じられた。そして、安憲王が寝室から出ることも禁じられた。安憲王が無理に出ようとすると、殴る蹴ると言った乱暴はされないが、それでも力ずくで阻止された。そして昼夜を問わない尋問が始まった。

 安憲王は聞かれたことには一切答えなかった。しかし黙っていたわけではない。永信にこう伝えよ、などと永信への伝言を述べたり、永信のやろうとしていることは間違いである、永信に従うべきではない、などと、尋問している者たちを説き伏せようとしていた。尋問している者たちは、質問に答えず、尋問に関係のないことばかり話す安憲王に、イライラを募らせていった。

 三日目のこと。山田の目の前に座らされた安憲王は、見るからにやつれていた。ほとんど眠らせずに、もうすでに拷問と呼ぶべき尋問が続いているのだから当然の事であろう。そろそろ精神も限界のはず、そのうち意識せず口を滑らすであろう。山田はそう考えていた。

「どうでしょう、そろそろ話してくれませんか?」

「……」

「強化兵の製造データ、誰が持ってるんですか?」

「……」

「田中博士はどこにいますか?」

「……」

腹が立つほどよく動いた安憲王の舌が動かない。もう時間の問題、山田は今日中に目的を達すると思った。

「浅沼少将や岩下中佐だけでなく、田中博士、その助手の安藤博子、セク1関係者で姿を消した者も全て指名手配済みです。見つけ次第あなたより辛い尋問を受けてもらうことになります。それでもよろしいですか?」

「……」

「王妃、王女も手配されています。お二人にも拷問、いえ、尋問します。よろしいですね?」

「……」

「そうだ、宗憲さんは所在が分かっている。彼にも何か理由を付けて尋問出来るように手配しましょうか」

「……」

返事はないが安憲王の身体が少し動いた。山田は少し待つ。すると、

「外を、カーテンを開けて、外を見せてくれ」

安憲王はそう言った。山田は窓際の者に顎で指図した。

 カーテンが半分開き、外の光が室内に入る。安憲王は首を巡らせガラスの外を見た。

「さあ、話してください」

「……」

「我々だってこんな尋問を何人にもしたくないんだ。頼みますよ」

「不自由だ」

安憲王がそう言った。

「はい?」

「こんなの苦痛でしかない」

「ああ、話してくれればもっと自由な身になれますよ」

「……それでも自由ではないだろう」

「まあ、それはそうでしょうね、あなたはもう犯罪者ですから」

「犯罪者か、ならしょうがないか」

山田は内心笑っていた。やっと安憲王と会話が成立し始めた。もう本当に時間の問題だ。

「ですが、話せば罪は軽くなるかもしれませんよ」

「罪、……何が罪だったんだ」

「法の正確な解釈は私には分かりませんが、国家機密の独占が罪であったのでは?」

イライラを感じながらも、もう一息だと山田は会話に付き合う。

「生まれたことが罪だったのか?」

「そこまでは言いませんよ、さすがに太政官も」

「管理され、監視され、囲いの中だけで生かされ、都合のいいように使われ、そして死んでいく。そんな人生なのに、生まれたことが罪だと言うのか」

「……王家に産まれると言うのはそんなに辛いことですか」

安憲王は自身の人生を語っていると思い、ほんの少し同情を込めて山田はそう言った。

「こんなに明るい世界が外にあるのに、自由にそこへ出て行くことも出来ず」

「……」

「生まれたことが罪ではない。生み出したことが罪なんだ」

「なに?」

「彼らに罪はない。なのにこんな不自由をさせていたなんて」

「何を言ってる」

山田の声が少し大きくなった。安憲王は顔を戻し山田を見る。

「君が囲いの中に入れられ、誰かの許可のもとでしか何も出来ない人生を送らされたらどう思う」

「だから何の話をしているんだ」

「罪もないのにそんな人生を与えられたらどうする」

「黙れ」

会話など成立しておらず、様子が少し違っていただけでこれまでと同じであったのだと、山田はやっと気付いた。馬鹿にされた思いが湧いてくる。

「やはり生み出すことが罪。生み出された彼らに罪はない。自由にしてやらないと。重田にそう言ってくれ、いや、自分で……」

安憲王はそこで殴られた、山田から。

「いい加減にしろ」

「まだ分からんか、君が彼らの……」

山田はもう一度殴った。

「聞かれたこと以外何もしゃべるな」

「間違い……」

そしてもう一度。

「黙れ、これからは関係ないことを話す度に殴る、いいな」

山田がそう言い終わる頃、安憲王はイスから崩れ落ちた。駆け寄った者が安憲王の様子を見て顔を上げる。

「気絶してます」

「……ベッドに運べ。永山医師を密かに呼べ。我々は休憩だ」

山田は赤くなった右の拳を見ながらそう言った。


 安憲王はさらに一日耐えた。さすがに手を出したことを永信に咎められた山田は、あれ以降は殴ったりしていない。しかしイライラは溜まりに溜まっていた。永信から急かされているわけではない。なのに山田はなぜか焦っていた。そして山田はやってはいけないことをする。人目を盗んで安憲王に注射を打った。超極細の注射針で、打たれた本人すら気付かないほどの物、跡はまず見つからない。それは某国で使われている自白剤、精神を極度に衰えさせる薬を打った。

 その後安憲王は目覚めなかった。無理矢理起こそうとしても目覚めなかった。そしてそれは翌朝になっても。山田は永山医師に安憲王の治療を命じた。


 山田が安憲王を尋問中に殴った日、永信は朝から不機嫌であった。理由は昨日で閉会した春の民政院議会での決議事項や審議依頼などの書類が、タイトルだけでも全て表示されないほど画面に現れたからである。全て目を通すだけでも何日掛ることか。思わず天井を見上げていた。しかし目を背けているわけにもいかない。各元老たちも今朝からこれに向き合っているであろう。彼らが吟味し、意見を求めてきたりした時に、全く内容を知らないなどと太政官の立場で言うわけにはいかない。一つ一つを調べていくなんてことは出来なくとも、内容だけは頭に入れておかなければならない。

 永信は東条秘書を筆頭に秘書たちを傍らに置き、適時資料などを出させながら書類に目を通していった。それにしても全部で六百七十五もある決議書など。承認、差し戻し(要再検討)、不承認、を決めていくのに、ほんとに何日掛るであろうか。数日もしたら待ちきれない者から催促も来るであろう。いっそ催促された物だけ目を通してやろうか、などと思いながらも仕事を続けた。


 午前中を乗り切り、昼食後人払いをしてしばしの休息を、永信は一人で取っていた。そんな時にスマホが鳴る。永山医師からであった。

 一瞬部屋の中が波打つように揺れた、と感じるほどに衝撃的な内容であった。尋問中に尋問を任せていた山田が安憲王に手を出し、気絶させたと言うのだ。永山医師はその処置を終わらせ、取り急ぎ連絡したと言う。安憲王の命には問題ないが、左目は腫れあがり、鼻は少し潰れていると言う。これで完全に安憲王は二度と人前に出すことが出来ない。もとよりその覚悟ではあるが、暴力を振るうなどと言うことは全く考えていなかった。

 永信は山田に電話する。そして怒りをぶつけた。しかし山田は役目を果たしているだけだと返した。山田を外すことも考えたが、もうこうなってはこいつに最後まで任せるしかない、とも思った。永信は今後暴力は許さないと厳命し、安憲王が回復したら尋問を続けるように指示した。時間が掛かってもいい、根気よくやれと何度も言った。


 二十二時を過ぎて永信はその日の仕事をやめた。いくらやっても当分終わらないのである。無理をする必要はないと秘書たちも下がらせた。さて夕食は? と思ったところでスマホが鳴った。とある親戚からであった。ただしただの親戚ではない、皇太子、宗憲殿下を預けている者であった。

「どうした?」

宗憲は最近、王宮に一度戻りたい、と言うようなことを言っていると聞いていた。またその話であろうと電話に出た。

『永信さん、申し訳ありません、宗憲様がいなくなりました』

慌てたような怯えたような声が返ってきた。

「はあ?」

耳を疑う内容であった。

『全員で家の中、庭、敷地内全て探しましたが、どこにも見当たりません』

「どういうことだ」

『分かりません、ただ、いなくなったのです』

「もっとよく探せ」

『探してます。今、家の外も探させてます』

「何をやってる、いつからだ」

『分かりません』

「分からない?」

『はい、ああ、夕食は召し上がったのでそれ以降じゃないかと』

「それは何時だ」

『七時過ぎですから、八時頃までは見えたと思うんですが』

「二時間以上前か」

すぐに逃げたのだとしたらもう近くにはいないだろう。探しても無駄だ。永信は頭を抱え込みたい気分だった。

「殿下の様子に変わりはなかったか?」

『はい?』

「ここ最近、殿下に変わりはなかったか?」

『ああ、はい、特に変わりは』

「殿下の周りは?」

『まわり?』

永信はイラついてきた。

「頻繁に電話があったとか、そう言うことはないか?」

『いや、それは分かりません』

「電話は預かって取り次ぐ形にしろと言ってあっただろ」

『いえ、それは手間なんで最近は殿下にお返ししてました』

何をやってるんだまったく、と怒鳴るのを必死で抑えた。東条だけならまだいいが、隣の部屋にはまだ他の秘書もいるはず。こんな話を聞かせるわけにはいかない。

「手間だと感じたと言うことは、ちょくちょく殿下に電話が掛かって来ていたと言うことか」

『ええ』

「なんでそれを言って来ない」

『いや、掛かってくるのはほとんど純子様か慶子様でしたから』

「なに? その二人から電話があったのか」

その二人が行方をくらましていて、永信たちが密かに探しているのをこの者も知っているはず。

『はい』

「その二人を探してるのを知ってるだろ」

『はい』

「なんでそれを教えないんだ」

『はあ、でもご家族のことですからいいかと』

こんな頭の悪い奴に任せた自分が悪いんだと、永信は自分に言い聞かすしかなかった、この場で怒りを爆発させないためには。

「分かった、もういい。探しても無駄だろ、変な騒ぎにならないように引き上げさせろ」

『えっ、いいんですか?』

「ああ」

永信は電話を切った。

 宗憲を幽閉していたその親戚の屋敷は、一番近い集落まで十キロ近くある山の中にある。幹線道路に出るにはさらに十キロほど。駅のある町までは四十キロほどもある。そんなところから逃げたとしたら協力者が絶対にいる。永信は純子王妃達の失踪やその後の潜伏に、御前家か東園の双城家が協力していると見ている。故にその両家の関係者は調査室に監視させている。それが甘かったのか、それ以外の協力者がいるのか。頭の痛い事ばかりでどうにかなりそうであった。

 頭の中が静まるのを待ってから、永信は迫水大佐に電話した。


 翌二十三日朝、永信は軍のチルトローター機で領南離宮に向かった。永信の到着から少し遅れて、迫水大佐たちを乗せた機も到着した。迫水大佐にはそれと分からぬよう、通常の軍の戦闘服姿をさせた強化兵十人を連れて来させていた。そして迫水大佐の指揮にて、彼らをここの警備に加えた。何者かが安憲王を脱出させるために、ここを襲撃する可能性があると考えたからだ。そしてその者たちにも強化兵がいる可能性が高い。なので本当は現存の強化兵十九人全員を希望したが、九人は前回のS5戦のダメージがまだあり、治療中だと言われた。

 迫水大佐に警備の指示をしてから、永信は安憲王の寝室に向かった。ベッドで眠る安憲王を見て、永信は隣に立つ山田を殴りたくなった。それほどに安憲王の顔は腫れあがっていた。

 寝室を出てリビングに移動した。そこで永信は山田にこう言った。

「誰が手を出してもいいと言った」

「手を出すなとも言われていませんが」

悪びれることもなく山田がそう返す。

「失礼がないようにと言ったはずだ」

「聞き分けのない者は、王家の子でもぶたれるのでは?」

「なに?」

「安憲さんは簡単な相手ではありません。質問しているだけではいつまで経っても答えは得られませんよ。だから手を変えたのです」

拘束している相手とはいえ、国王を安憲さんなどと呼ぶ山田に、永信は嫌悪感を覚えた。だからなのかこう言っていた。

「……分かった、お前には別のことを頼む」

「別の事?」

「ああ、宗憲殿下が姿を消した。そっちの捜索に加わってくれ」

「……」

「純子王妃、慶子王女を手助けしている者たちがいる。おそらく同じ者たちが手を貸しているはずだ、それを探ってくれ」

「……お断りします」

「なに?」

「安憲さんの尋問を任せてくれたはず。途中ではやめられません」

「それは他の者にさせる。お前は外れろ」

「断ります」

「いい加減にしろ」

「どうしてもと言うなら私は下ります」

「はあ?」

「永信様との縁は貴重なんですが、任された仕事を取り上げられるのは面白くない。そんなことをされるのであれば私は元の仕事に戻ります」

山田は裏社会の仕切り屋だ。得体のしれない男だが、秘め事には使えると思った。しかし言うことを聞かないのでは使えない。かと言って公に出来ないことをさせていたこいつを、元の世界に戻すなんてことも出来ない。こいつをこの場で拘束してしまうか。永信は一瞬そう考えたが、この手の男には仲間がいる。こいつが拘束されたと聞いたら秘密をそいつらが暴露するかも知れない。永信はまた頭を抱えたくなった。厄介な男を連れて来てくれた、と東条秘書を思わず睨んでしまう。

「分かった、陛下の尋問は任せる。ただし、暴力は二度となしだ」

「分かりました」

「時間が掛かってもいい、根気よくやってくれ」

永信はまたそう言うしかなかった。

 永信が帰って行ってしばらくして、安憲王は目覚めた。くどくどと同じことを何度も言われ、頭に来ていた山田であったが、自重して尋問を始めた。しかし安憲王はもう何も話さず。そして一時間もしないうちにベッドの上でも疲れ切った様子となり、意識を失ったかのように眠ってしまう。山田が薬を使ったのはこのあとであった。

 永山医師が定期的に様子を見に来ては処置を施していたが、安憲王はその日はもう目覚めることがなかった。そして翌朝も目覚めない。それどころか容体が悪くなっていると永山医師が言う。山田はその時初めて安憲王が難病を患っていて、本当に療養中であったのだと知った。それまでは、永信が永山医師に命じて体調を崩させているだけだと思っていた。そして心配し始めていた、薬の影響で本来の病気が悪くなっているのではと。ただ、安憲王の身体の心配をしたのではなく、聞き出さなければならないことを聞き出せないのではと心配したのである。

 夕方になって安憲王は目覚めた。いや、意識を取り戻したと言うべきか。永山医師の懸命の処置のおかげである。山田はその永山医師の制止も聞かず尋問をしようとした。しかし安憲王は会話できるような状態ではなかった。その日の尋問のチャンスはその時だけであった。


 翌二十五日、山田は安憲王の回復の為、全てを永山医師に任せた。尋問は諦め、安憲王の寝室に近付きもしなかった。しかし安憲王は回復した様子はなく、容体は悪くなる一方であった。山田が使った薬は精神を弱らせる、疲れさせるもの。極度の疲労状態となる安憲王の病気には最悪と言ってもいいものであった。

 翌日も朝から安憲王は目覚めず容体は悪いまま。そしてとうとうお昼過ぎに永山医師は危篤状態だと診断を下した。そのことは当然すぐに永信に伝えられた。

 永信は、とにかく最善を尽くせと言うしかなかった。なんでも協力する、何とかしろ、そうとしか言えなかった。皇太子である宗憲が手元にいない今の状態で、安憲王崩御なんてことにはしたくなかった。宗憲を見つけ出すまでは安憲王に生きていてもらわなくてはならない。

 そんな永信の執務室を四人の元老が全員で訪れた。そして安憲王が危篤状態と言うのは本当なのかと永信に詰め寄った。どこから話が漏れたのかと、永信は頭に血が上ったが、冷静に事実だと告げた。自分も少し前に聞いたばかりだと。

 元老たちは明日にでも安憲王の顔を見に行くと相談を始める。しかしやらねばならぬことが今は山積みである。役目を放り出して領南離宮になど行ったら、そのことの方が安憲王を失望させるだろう、と誰かが言い、皆がそれに同意する。安憲王の回復を祈りながら仕事に集中しよう、と言うことで落ち着いた。忠誠心の高い者ばかりで助かった、と永信は内心笑い、安堵した。安憲王の顔はまだ腫れているはず。そんな顔を元老たちに見せるわけにはいかなかった。


 仕事に戻った永信は一つの議案に目を通していた。急いで片付けていかねばならない議決書の処理をしているつもりが、それが議決書に混ざっていたのか、永信が開くファイルを間違えたのか、その時目を通していたのは議案書であった。

 その議案書は東園地方における軍の追加配備に伴う費用が増大していることを取り上げていた。安紀十四年、ナシ国の租借地が出来てから急勾配で右肩上がりとなり、この四年余りで二十倍ほどになっている。そして現在、それはもう国家予算を十分に圧迫しているレベルだと指摘している。

 永信は安憲王の話を思い出した。ナシ国も租借地の維持は莫大な浪費だとそのうち気付く。自国の東園地方の軍事費の増加を見て、永信もそうかもしれないと思った。

 ナシ国もかなりの決断をしなければ、東園地方でのこれ以上の支配拡大は出来ない。そんなところに莫大な予算をつぎ込み続けていると、そのうち人民から不平が出るであろう。ナシ国はこの何年も不況が続いている。そして改善される見通しはなさそうである。人民の不満は静かに蓄積され続けていることであろう。そろそろ、ガス抜き、が必要なレベルかもしれない。しかしそんな状況のナシ国に、再びガス抜きの為の東園地方再侵攻の余裕はないであろう。そんなことをしている時に東側の国から侵攻を受けたら、恐らくナシ国は防ぎきれまい。

 ひょっとしたらもう莫大な浪費を何とかしたいと考えているかも。ナシ国が少しでも租借地を持て余しているような素振りを見せたら、ナシ国が整備した基地や施設を買い取ってやるとでも持ち掛けてやろうか。そうしたら案外ナシ国はその話に乗ってくるかもしれない。ナシ国の利益には何一つ役に立っておらず、多大な負担にしかなっていない租借地。手放す口実が出来れば、その時ナシ国政府のメンツが保てる大義名分を作ってやれれば、本当にナシ国の方から租借契約の破棄を言ってくるかもしれない。

 陽は沈み、西の空にだけ最後の光が残っている窓の外を見て、永信は自分が間違っていたのではと感じた。安憲王が希望的な予想と言った事は当たっている、その通りになりそうな気がする。

 永信は窓の方を向いたまま、しばらく目を閉じた。




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