手紙にならなかった言葉

 机の引き出しの奥から、封筒が出てきた。

 宛名は空白のまま、切手も貼られていない。

 中を開くと、便箋が一枚。そこには、途中で止まった文が残されていた。


「君に」


 それだけ。

 その先を書こうとして、ペンが止まった跡がある。インクが小さな染みを作り、時間だけが滲んでいた。


 私は便箋を持ったまま、窓辺に立った。

 外には、かつて一緒に歩いた道がのびている。

 夕暮れの街灯が灯りはじめ、人の影が長く伸びていた。

 あの頃、影が重なることを当たり前のように思っていた。


 どうして続きを書かなかったのだろう。

 書けなかったのだろう。

「ありがとう」なのか、「さよなら」なのか。

もしかしたら、どちらでもなかったのかもしれない。


 ため息がもれそうになり、唇をかすかに噛んだ。

 紙を見つめるうちに、未練は紫煙のように胸にたちのぼる。

 煙草を吸わない私にとって、それはごまかすこともできないただのため息だった。


 便箋を折り畳み、封筒に戻す。

 机の奥にしまい込む代わりに、そっと鞄に入れた。

 持ち歩いたからといって、何かが変わるわけではない。

 けれど、消せなかった思いを抱えていることを、自分にだけは隠さずにいたかった。


 夜の風が窓を揺らす。

君に届かない言葉でも、こうして残っている。

それだけで、少し前を向ける気がした。


 手紙にならなかった言葉が、まだ私の中で呼吸している。

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