第4話 weed ~雑草~

 _____っはぁ、はぁ


「あら、お目覚めかしらお姫様?」


りょうっ」


 ぐっしょりとかいた汗が、白いスーツと制服を濡らしている。

 夢ではない、ここは現実だ。

 喉が渇いて声が出にくい。それでも心臓は、さっきの記憶を引きずっている。


「あらあら、残念ながら私は“涼”って名前じゃなくってよ」

「え、あ…」


 真っ白の壁に鉄パイプのベッド、僅かに香る薬品の匂い。


「貴方ね、熱中症で倒れて運ばれてきたのよ?」


 ここは、高校の保健室か。


「だ、誰が、ここまで…」


「誰がって…それは、王子様」


「…は?」


 保健室の先生は、真剣な顔で冗談を言うタイプの人らしい。

 残念なことに、僕は突然の冗談に面白く返せるスキルを持ち合わせてはいない。


「ふふ、あ、それより、もうすぐ杉山先生が謝罪に来ると思うから…寛大に受け止めてあげて?」


(…謝罪?)


 なぜ謝罪?裏庭で倒れたのは僕のせいだ。

 きっとまた、僕は迷惑をかけてしまった。

 未だ回らない頭でベッドのシーツを握り締めていると、勢いよく開いた保健室の扉。


 勢いよく扉が開くや否や、杉山先生はそのまま床に倒れ込むように土下座した。


「すまん羽野!担任失格だ!」

「あ、あの…先生のせいじゃないです!僕の管理不足ですから!」


 先生が謝るたび、胸がちくりと痛む。迷惑をかけているのは、本当は僕の方なのに。


 謝り倒す僕たちを見て、保健室の先生は呆れたように笑った。








「はぁあ…裏庭もまだ雑草だらけだろうに」


 一通り、謝罪論争が落ち着いたところで珈琲を片手に杉山先生は溜息をつく。


「…どうか、したんですか?」


 いつも明るい先生の溜息なんて滅多に聞かないから、思わずどうしたのか聞いてしまった。


「いや、実はな“植物係”っちゅうのがこの学校にはあんだよ」

「あぁ、あの、今じゃ形だけの“植物係”ね」


 植物係__裏庭の手入れやガーデニングを任される係だと聞いたことがある。



「教頭から言われて、うちのクラスで1人出せって言われてんだけど…こりゃ、まぁ誰も引き受けんでな」


 それはそうか、あの暑い草むしり大会後にとてもじゃないけど植物係をやりたいとは誰も思わない。

 ある程度綺麗になったんだろうけど、虫も出るし日焼けもする…女子生徒はもっと引き受けないだろう。


「いつもは纏めてくれる河木も部活でいねぇし、どうしろって言うんだ!」


 どうやら、先生は相当参ってしまっているらしい。

 今にも泣き出しそうな杉山先生をまたも保健室の先生は呆れた顔で見ていた。


「あ、あの…!」


「どうした?羽野」



「良かったら、その係…僕がやりましょうか?」



 見つけたかもしれない。雑草の僕にでもできる仕事を。

 美しく咲く花たちを、守る仕事を。


 ほんの小さな役割。それでも、今の僕には十分だった。







 翌日から、植物係としての活動を始めた。


 まずは、裏庭に残った雑草を抜き、硬い土を耕す。そして花の居場所を整える──地味で、けれど確実な作業から始まった。


 ガーデニング初心者な僕にとって、正直分からないことだらけだった。


「これ、終わるか…?」


 想像していた以上に過酷だった植物係。汗と泥にまみれるだけじゃない、“誰にも気づかれない努力”を続けることの苦しさもあった。


「…よし」


 次の日も、その次の日も庭の手入れを続けた。

 休み時間は決まって、裏庭に来た。


 そうして、漸く辿り着いた花植の日。

 少し気持ちを昂らせながら裏庭に着くと、来るのを見計らっていたように、ガーデニングの机の上には一冊の図鑑が置いてあった。



(誰かの忘れ物…?)


 気になって、ぱらぱらとその図鑑を広げてみる。



「分かりやすい」

 今まで見てきたどの図鑑よりも、簡潔に細かく書かれたその本は、まさに求めていた物だった。



(一体誰が忘れて…)


 持ち主の名が書かれていないか、もう一度ぱらぱらとページを開く。


 ふと、あるページで手が止まった。






 __サザンカだ



(あぁ、まただ。)


 心臓がバクバクと音を立てる、突然のフラッシュバックに対応できない自分が悔しい。



『…冬麻』


 頭がガンガンと響く。静まれ。


『…って知って』



 思い出すな、思い出すな、思い出すな



『…その、……だよ』



 嫌だ。

 そう強く思った時だった。



 __ひらり


 足元に何か紙切れが落ちる。

 汗とは違う、冷や汗に震えが未だ止まらない。

 小さく息を吐きながら、バクバクと鳴り響く心臓を必死に塞ぎ込み、落ちた紙切れに手を伸ばした。





“お疲れ様”



 たった一言、そう書かれた紙に何故か心が軽くなるみたいで。

 今まで一度もかけられたことのなかった言葉が、こんなにも胸を締めつけるなんて思わなかった。





 誰からのメッセージだろうか。

“お疲れ様”の文字以外、何も書かれていない紙切れをじっと手に取り見つめる。


 丸っこくて、可愛らしい字。



 僕に“お疲れ様”を言う人なんて、今まで誰一人いなかった。

 誰かの忘れ物だと思っていた図鑑は、誰かからのプレゼントだったのだろうか。



 一体誰が、こんな言葉を__





 ふわっ



 暖かい風が僕の長い前髪を靡かせる。

 やっぱり、



(夏は嫌いだ__)


 暖かい風のせいで、考えることを辞めてしまいたくなるから。


 だけど、温かい言葉の方がもっと苦手。




 胸の奥をぎゅっと苦しくさせるから。












 たまに、夢を見るんだ。いつもの悪夢じゃなくて、ふわっと柔らかい夢。



 中学の僕が河木くんと笑いあっている夢。



 悪夢を見た日なんかより、僕はずっと傷付いて目を覚ます。温かい心とは裏腹に涙が溢れて止まらない。






「おはよー!夏喜!」


「夏喜くんだ!おはよう!」


 今日もクラスメイトが河木くんの名前を呼ぶ。

 その名前を聞く度に、僕は胸をドキッと跳ねさせた。




 雑草として生きよう、誰にも見つからず、静かに生きよう。

 中学3年の夏、僕は決めたんだ。






『サザンカの花はもう捨てる』



 だからね、河木くん。


 せめて、毎日君を見ることだけは許して欲しい。

 隣に立てなくても、同じ景色を見られなくても。

 君に愛する人ができたとしても。


 せめて遠くから、君を見つめていたい。

 それだけで、僕は生きていられるんだ。






 だって、僕は雑草だから。

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