金持ちになりたい(後編)

(あいつ、何をやったのだろう? あの男たちにつかまったら、どうなるのだろう?)と思ったが、所詮は他人事だ。台風が来る前に家に帰りつかなければならない。俺はボストンバッグを抱えて、駅へ急いだ。

 背後から「うぎゃあ~」という悲鳴が聞こえたが振り返らなかった。

 地下鉄は、そこそこ混んでいたが、何とか座れた。膝の上にボストンバッグを置いて座ると、バッグの底がごつごつ膝に当たることに気がついた。着替えを中心に入れてあったはずだが、妙に重たい。

 何か変だ? とチャックを開けてみた。驚いた。

 札束がぎっしりと入っていた。

 人目を避けながら、一目散にアパートを目指した。家に帰って数えてみると、百万円の札束が百個、一億円の現金があった。

 ん? 一億円? なんだか、つい最近、そんな話をしたような気がする。

 しかし、どうして俺のボストンバッグに一億円が入っているのだ? あの時だ。あの男とぶつかった時に、ボストンバッグを取り間違えてしまったのだ。これは、あの男の金だ。二人のヤクザ風の男に追われていた。きっと、まともなお金じゃない。さて、どうする。警察に届ける。馬鹿な。どうせ、まともなお金ではないはずだ。

 これはチャンスだ。このまま、黙っていたって、バレないだろう。ネコババしたって、俺が何処の誰だか分かるはずがない。やった~! 一億円だ。俺は金持ちだ。金持ちになった。

 俺は部屋の中で、何度もガッツポーズをした。

 いっそ、会社なんか辞めてしまおう。いやいや、暫くは大人しくしておいた方が良い。目立たないのが一番だ――などと考えていて、ふと、自分のボストンバッグの中に何が入っていたのか考えた。着替えに髭剃り、歯ブラシ、会社の資料はなかったはずだ。

 次の瞬間、俺は「ああ――‼」と声を上げてしまった。

 そうだ。今朝、郵便受けを開けて郵便物をバッグに放り込んでしまった。バッグの中には、俺の名前と住所が書いた郵便物がいくつも入っている。あのヤクザ風の男たちが、バッグを開けて俺の郵便物を見たとすれば、俺の名前と住所はバレている。


――金を持って逃げた方が良い。


 そう結論した。だが、生憎の台風だ。逃げ出すにも公共交通機関が動いていない。それは、あちらも同じだ。台風が去ってから、明日の朝、一番で出発しよう。そう思った。


 寝過ごした。

 台風で外出できないこと。大金を手に入れ、あくせく働く必要がなくなったことから、(会社~? んなもん、どうでも良い)と、気が大きくなってしまったことが原因だろう。

 寝起きでぼんやりしていたが、頭が回り始めると思い出した。危ない金だ。名前も住所もバレている。取り敢えず逃げた方が良い。

 窓から外を覗く。

 まずい。雨風が止んでいる。

 手早く荷物をまとめると、一億円が入ったボストンバッグを抱えて、俺は部屋を飛び出した。アパートを出たところで、二人組の男たちと鉢合わせた。


――やつらだ! と思った時には遅かった。


 俺は大男に背後からスリーパーホールドでがっちり首を絞められた。そして、耳元でささやかれた。「丁度、良かった。部屋を襲う手間が省けた。しかもボストンバッグまで持って来てくれるなんて助かったよ。兄ちゃん、一円でも足りなかったら、どうなるか、分かっているだろうな」

「す、すいません」と俺は喉を絞められながら、やっとのことで答えた。

 もう一人の男が目の前に立つと、「手間をかけさせやがって」と言って、俺の腹に二発、三発と強烈なボディブローを入れた。背後の男が手を放す。

「うぐわっ――!」俺は悲鳴を上げながら道路に転がった。

 男たちは無言で去って行った。

 道路に横たわった俺の目の前に自動販売機があった。自動販売機の下に百円玉が落ちているのが見えた。

 俺は「ラッキー」と苦しい呼吸の下で呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る