期待に負けない道はどこ?

第20話:天川くみ

『屋上の地縛霊』

 昔、屋上から飛び降り自殺をした生徒がいた。

 その子は今も屋上にいて、他の生徒を死へ誘うという。


「自殺した生徒がいたなんて情報はどこにもなかったんだけどね」

「ないに越したことはありませんよ」

 日暮ひぐれ七瀬川ななせがわは一号棟の屋上に向かって階段を上っていた。踊り場の窓外から射すのは月明かりで、会話も足音も聞こえてこない静寂に満ちている。普段と異なる学校の姿が珍しく、二人の歩調はゆったりとしていた。

 自殺者がいないことはせいかノートにも記載されていた。ウェブサイト上のニュース、図書室の新聞、動画などを調べたが、すべて空振りに終わったという。日暮も学校から徒歩二十分の家で育ってきたが、そのような話は聞いたことがなかった。

「でも、火のない所に煙は立たぬって言うじゃない? たとえ、それが火じゃなかったとしても、煙を出した何かがあるはずだと思うんだよ」

「つまり、噂になった原因があると」

「他の原因があってほしいというのが正直なところなんだけどね。自殺した人はもちろん、地縛霊だって怨念とか心残りとかがあって成仏できていないわけだし、いてほしいとは思わないから」

 オカルトはあってほしいが悲しいものではあってほしくない。声からはそのような思いが感じ取れた。

 気持ちを切り替えるように、七瀬川が口調を明るくする。

「それにしても、都合がついてよかったよ。くーみんは特に、受験が近くなるほど時間が取れなくなるからね」

 今日は七夕で、天文部が観測会を催す日。不安視されていた悪天候も織姫や彦星を眺められるように考慮したらしく、昨日さくじつの大雨とは打って変わって雲一つない快晴だった。

「七瀬川先輩も受験シーズンですよね?」

「うん。でも、私は七不思議を調べ終えてから本格的に取り組む予定だから大丈夫。こう見えて頭は良いほうなんだよ。さすがにくーみんとは比較にならないけど」

 こう見えて、と七瀬川は言ったが、日暮はせいかノートのまとめ方や読書の仕方から要領のよさを知っていたため、頭も良いことは意外でもなんでもなかった。むしろ、七瀬川が比較にならないと言うくらいに上を行く人がいることに驚いていた。

「くーみんという人はそんなにすごいんですか」

 七瀬川は二回も頷いた。

「学校始まって以来の才色兼備って新聞部が何度も取り上げたくらいなんだよ。目指している大学もすごくて、受かれば学校初になるんだって。だから、みんなの期待も大きいみたいで……」

 最上階である四階からさらに伸びた階段を上り、折り返そうとしたところで二人は止まった。

 屋上へ続くドアの前。うなじあたりで濡羽色ぬればいろの髪を結んだ女子生徒が壁に寄り掛かり、絵になる真剣な表情で赤い本を読んでいる。表紙にはまだ一年生の日暮でも知っている難関校がタイトルとして載っていた。

 七瀬川はかばんを静かに置くと、一息つくのを待ってから声をかけた。

「くーみん、おまたせ!」

 その言葉を聞くや否や、本の主はぱたんと閉じて、気迫が消えた美麗な顔に大きな笑みを咲かせた。

「七ちゃん!」

 清らかな声からも溢れんばかりの喜びが伝わってくる。

 彼女は足元の鞄に本をしまい、いそいそと七瀬川のもとへ駆け寄ってすぐに両手を取った。ラズベリーの匂いがふわりと香る。

「ごめんなさい。赤本に集中していて。もしかして、待たせてしまったかしら」

「ううん。全然」

「そう、よかった。私、嬉しかったのよ。七ちゃんから声をかけてくれるなんて思っていなかったから。どうしましょう、運を使い切ってしまったかもしれないわ」

「大袈裟だよ」

「いいえ、いいえ!」

 首を振ってようやく視界に映ったのだろうか。彼女は後方で突っ立っている日暮を不思議そうに見て、七瀬川に訊ねた。

「そちらの方は?」

「うちに入会した一年生だよ」

「まあ、なんてめでたいのでしょう」

 膝立ちになり、透明感のある両腕で小さな身体からだを抱き寄せる。

「今日、二人来ることは知っていたけれど、まさか新しい会員さんが入っていたなんて。そんな大事なことを今日まで知らなかった自分が恥ずかしい」

「くーみん、メガネがずれちゃうよ」

 日暮の顔に、自分はここにいていいのかと苦笑いが浮かぶ。七瀬川はされるがままにされていた。

 喜びに浸って落ち着きが戻ったのだろう。彼女ははっとして日暮のほうを向くと、七瀬川から腕を解いて慌てて立ち上がった。

「ごめんなさい。取り乱してしまいました。自己紹介もまだだというのに」

「いえ、大丈夫です」

 白鳥しらとりと同じくらいある高身長、長い睫毛まつげを携えた二重のアーモンドアイ、上品にツンと立った鼻、ぷっくりと膨らんだ唇。そういった部位が、卵型の顔の上で、南十字星や白鳥座のような心惹かれる調和を取っている。立ち姿にも気品があり、新聞部が誇張なしで記事を作れたことは想像に難くない。だが、日暮の目に留まったのは、まとめるほどではない長さの前髪を装飾している、五芒星ごぼうせいから尾が生えた流れ星のヘアピンだった。

天川あまかわくみと言います。天文部の部長です」

「俺は日暮信義しんぎです。みんなからはヒグマと呼ばれています」

「ヒグマさんね。よろしく」

 柔らかい笑みを浮かべると、メガネの位置を直した七瀬川の手を取って屋上のドアへ向かった。

「それで、七ちゃん、今日は月を見たいという話で合っていたかしら」

「うん。ごめんね。勉強で忙しい時期だっていうのに」

「あれ、七瀬川先輩、今日って……」

 調査しに来たんですよね、と言おうとした日暮に、七瀬川は慌てて振り返って人差し指を口に当てた。

 もしかして、『屋上の地縛霊』について話していないのだろうか。

 日暮は不思議に思いながらも頷き、二人の後ろに付いていった。

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