第3章

寄せる黄色い波

 まとめた髪を緇撮しさつで結っている。鼻の下の八字髭を歪め、品定めしているようだった。

 その隣に控える者は、折上巾せつじょうきんを被ったつぶらな瞳だった。面貌めんぼうの半分がひげで覆われている。

 而立じりつの頃の二人が頭に備えた巾は、そろって黄色だった。

「おいおい、こりゃあとんでもないものを見つけちまったんじゃねえか、黄邵こうしょう?」

 八字髭の野盗のような男が舌なめずりしながら、顔の半分が髭の黄邵に言った。

「金目の代物を隠してるんじゃねえか? ひょっとすると糧食の蓄えもあるかもしれねえ。何儀かぎよ、親分が知るところとなる前に、俺たちで総取りってのはどうだ?」

 目を細めて不気味な笑みを浮かせた賊徒のような黄邵が、八字髭の何儀に持ち掛けた。

「そりゃあ、いいな」

 何儀と黄邵は北叟笑ほくそえんだ。春の息吹を感じ始めた山中から、原野に広がる砦のようなむらは、黄巾賊の残党、その垂涎すいぜんの的となった。

 西暦一八八年、春――。

 邑のことをと呼ぶ者が増えていた。許淵きょえんの屋敷に方士ほうし元緒げんしょ居候いそうろうするようになってからだった。許淵のことを塢主うしゅと呼ぶ者も増えている。

 風が新緑の香りを運んでいた。

 北東の角楼かくろう胡座こざし、欠伸あくびさらしていたのは元緒だった。元緒がはぐれたというれの者は、まだ許塢きょうに現れなかった。諦めて許塢から去ることも思慮にはあった。

「冬はこれからが本番。冬を越してからにしてはどうだい?」

 元緒は、塢主である許淵の言葉に甘んじた。連れの来訪を待つように、昼間は角楼で過ごす日々が多くなっていた。

 塢の四隅にある角楼には、毎晩、邑の者が交代で見張りに立った。異変があれば、屋根から吊り下げられた鐘を鳴らすことになっている。

「ありゃ?」

 眠気眼ねむけまなこの元緒は、東の遠方に目を凝らした。黄色の頭巾を巻いた二千ほどの軍勢が寄せているように見える。

 目を見張った元緒は、弾かれたように立つと、吊り下がった鐘に身を寄せた。

わしもつくづくついてないのう」

 元緒は渋々、撞木しゅもくを手にするとしたたかに鐘を打ち鳴らすことを繰り返した。

「――――⁉」

 東西南北の門が閉まる音がした。それに続いて、門を補強する戸板を下げようと滑車を回す音が響いている。

「ほう。思いのほか迅速に対応するではないか。役割はあらかじめ決めておったか」

 元緒が笑みを浮かせて感心していると、緊張の面持ちで角楼に姿を現したのは、許淵と許定きょていの父子だった。

 それに遅れて、張鴦ちょうおう薛麗せつらん、そして、許褚きょちょが十人ほどの若人わこうどを引き連れて角楼に登ってきた。若人の群からひょっこり顔を出したのは、許林杏きょりんあんだった。

 東に面した墻壁しょうへきの上には、弓矢を手にした者が集まり始めていた。

 黄色の軍勢は、明らかに許塢を目指して寄せている。騎馬百、歩兵千七百ほどだった。陽を照り返した得物の刃が綺羅と光って見える。

「やはり、こういう日が来るのか……」

 渋面じゅうめんの許淵が肩を震わせながら、寄せる黄の荒波に目を凝らしていた。塢主は怖気おじけづいたかに見えた。刹那せつな、その渋面は不気味な笑みへと転じた。

「ここは野盗のたぐいとされるような塢じゃねえ。黄巾の餓狼どもめ、追い返してやらあ」

 許淵の震えは武者震いだった。寄せる黄巾の群れに据えた眼差まなざしは冴えていた。

「定! 褚! 手筈てはずどおりだ! みんな、黄巾の残党を追い返すぞ!」

「応よ‼」

 邑の者たちは勇んで持ち場へと向かった。行き場を失ったのは、元緒と許林杏だった。餓狼の群れからときの声が聞こえる。許林杏は不安気な表情だった。

「許林杏や、少し下がっておれ。お主は機敏じゃ。儂が伝令の任を命ずる。大切な役目じゃ。お主の活躍で、あの黄巾が退散すると言っても過言ではない。引き受けてくれるか?」

 柔らかな笑みで元緒が許林杏に尋ねた。

許林杏の瞳には、活き活きとした光が宿った。

「はい! 元緒さま」

「うむ。い。何も恐れることはないぞよ。常に平静であれ」

 弓矢を手にした若人たちにその場を託すようにして、元緒と許林杏は角楼を降りた。墻壁に沿って東の門楼もんろうへと向かった。入れ替わるように角楼へ登ってきたのは、張鴦の父、張平ちょうへいだった。

 塢の中に矢が射込まれ始めた。すぐに千矢の驟雨しゅううとなった。

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