24. 妖笛の行軍奏1
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あるいはそれは、白日に現れた天女の戯れのようでもあった。
馬ほどはあるだろうか、優雅に歩む白長毛の妖猫の背に並んで横座り。揃えた足を猫の横腹に下ろし、風に長い袖と長い髪を流した二人の女が笛を奏でている。陽射しは強く、風に砂が混ざろうとも、妖しの音色が曇る様子は見られない。
しかし、白々と照りおろす光はやはり、奏で手の喉を乾かすのだろう。一人が手を止め、駆け寄る一匹の大猫の背籠から、採りたての果実を一つ取り出した。形よく艶やかな唇に押し当て、食みしめ、吸いつき——溢れ零れるのは赤赤とした血潮だ。存分に飲み、絞りつくし——女が臓物を放り投げれば、びしゃりと落ちたそれに鼠共が群がり、奪い合う。女は美しく指を、腕を伝う血を舐め、再び笛に唇をやる。そうして、また二つの音色が重なり、和音し、蒼穹へ響き渡り——続く幾百の猫共、幾千の鼠共の頭上を飛翔する。
嗚呼。まるで、あの時のようだ。
なんと愉快なことだろう。
それは、どちらの女が——どちらのズルヤが想ったことであろうか。あるいは、どちらもがそう想ったのかもしれぬことだ。
そして、こうも想った。
まるであの時のようであるのに、ここには王さまがいない。
なんと寂しいことだろう。
『あの時』とは、あの最後のおおいくさの日、荒野に立ちはだかりし最後の大吸血種、老いたる竜の……名前はなんだったか。まあとにかく、最後まで王さまに逆らっていた吸血種と、王さまが戦った日のことだ。
——いいかげんその眠い笛をやめろ。士気が下がる。輿の上で奏でるズルヤにむかって、馬に乗るいじわるな誰かがそう言った。誰であったかは、これもどうでもいい。ズルヤの頭のなかには幾千幾万の笛の譜がおさめられているので、どうでもいいことはいちいちと覚えていられないのだ。
それはズルヤが悪い悪い吸血種の下で、鎖につながれた一対の楽器であったころに詰め込まれた譜だ。荒野において、弱きはおもちゃ。ひと指違えればズルヤが刺され、ひと息間違えればズルヤが絞められる。音色以外を発してはいけない、くるしいくるしい日々の中。なぐさみの猫と鼠さえ、目の前で裂かれ、それが餌に出された日。王さまは現れて、お慈悲とお力をくださった。
それから、ズルヤはずっと、いつでも、王さまのために奏でている。
だというのに、そんないじわるを言うやつがいたのだ。
けれども、同じ輿に居た王さまがすぐにこう言った。
『そう娘どもに意地悪を言うな。あの老いぼれ相手だ、眠いくらいでちょうどよかろうよ』
ああ、おやさしい王さま!
ズルヤがくすくすと笑ったので、ズルヤもまたくすくすと笑った。
王さまもまた笑い、ズルヤに向かってこう言った。
『喉は乾かぬか。銀杯の心臓がまだあるぞ』
そうして、王さまは心臓をふたつに割り裂いて、ズルヤにくれたのだ。銀杯の血は舌に柔らかで、とてもやさしい味がする。とくにその心臓は小さいけれど瑞々しく、ズルヤはむちゅうで食べたのだった。きっとまだ年若い、十にも満たぬ心臓だったのだろう。
『さあ元気が出たなら、口うるさいのがいることだ。勇壮な調べを聞かせてくれるな』
王さまがそう言ったので、ズルヤは拝して、力づよい戦の調べを奏でたのだ。
ああ、でも本当は。
王さまはそんな曲はお好きではないのに。
王さまが好きなのは物悲しい曲。
王さまが好きなのは優しい調べ。
『あの音色はお前たちか! 素晴らしきことだ。この馬鹿はずいぶんな飼い方をしたようだが、音曲の肥やしとしての辛苦は充分だろう。お前たちはこれより、楽しめ! そうあるように約束してやろう——』
あの時、ごしゅじんさまの首と鎖をねじきって、手をのべてくれた優しい王さま。
あの時のように晴れていて。
あの時のように軍勢がいて。
あの時のようにいじわるなやつがいないから、王さまの好きな曲をいくらでも奏でられるのに。
嗚呼。
はやく王さまをお見つけしなくては——
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