24. 妖笛の行軍奏1


*****


 あるいはそれは、白日に現れた天女の戯れのようでもあった。


 馬ほどはあるだろうか、優雅に歩む白長毛の妖猫の背に並んで横座り。揃えた足を猫の横腹に下ろし、風に長い袖と長い髪を流した二人の女が笛を奏でている。陽射しは強く、風に砂が混ざろうとも、妖しの音色が曇る様子は見られない。


 しかし、白々と照りおろす光はやはり、奏で手の喉を乾かすのだろう。一人が手を止め、駆け寄る一匹の大猫の背籠から、採りたての果実を一つ取り出した。形よく艶やかな唇に押し当て、食みしめ、吸いつき——溢れ零れるのは赤赤とした血潮だ。存分に飲み、絞りつくし——女が臓物を放り投げれば、びしゃりと落ちたそれに鼠共が群がり、奪い合う。女は美しく指を、腕を伝う血を舐め、再び笛に唇をやる。そうして、また二つの音色が重なり、和音し、蒼穹へ響き渡り——続く幾百の猫共、幾千の鼠共の頭上を飛翔する。




 嗚呼。まるで、あの時のようだ。

 なんと愉快なことだろう。


 それは、どちらの女が——どちらのズルヤが想ったことであろうか。あるいは、どちらもがそう想ったのかもしれぬことだ。


 そして、こうも想った。


 まるであの時のようであるのに、ここには王さまがいない。

 なんと寂しいことだろう。




 『あの時』とは、あの最後のおおいくさの日、荒野に立ちはだかりし最後の大吸血種、老いたる竜の……名前はなんだったか。まあとにかく、最後まで王さまに逆らっていた吸血種と、王さまが戦った日のことだ。


 ——いいかげんその眠い笛をやめろ。士気が下がる。輿の上で奏でるズルヤにむかって、馬に乗るいじわるな誰かがそう言った。誰であったかは、これもどうでもいい。ズルヤの頭のなかには幾千幾万の笛の譜がおさめられているので、どうでもいいことはいちいちと覚えていられないのだ。


 それはズルヤが悪い悪い吸血種の下で、鎖につながれた一対の楽器であったころに詰め込まれた譜だ。荒野において、弱きはおもちゃ。ひと指違えればズルヤが刺され、ひと息間違えればズルヤが絞められる。音色以外を発してはいけない、くるしいくるしい日々の中。なぐさみの猫と鼠さえ、目の前で裂かれ、それが餌に出された日。王さまは現れて、お慈悲とお力をくださった。


 それから、ズルヤはずっと、いつでも、王さまのために奏でている。

 だというのに、そんないじわるを言うやつがいたのだ。

 けれども、同じ輿に居た王さまがすぐにこう言った。


『そう娘どもに意地悪を言うな。あの老いぼれ相手だ、眠いくらいでちょうどよかろうよ』


 ああ、おやさしい王さま!

 ズルヤがくすくすと笑ったので、ズルヤもまたくすくすと笑った。

 王さまもまた笑い、ズルヤに向かってこう言った。


『喉は乾かぬか。銀杯の心臓がまだあるぞ』


 そうして、王さまは心臓をふたつに割り裂いて、ズルヤにくれたのだ。銀杯の血は舌に柔らかで、とてもやさしい味がする。とくにその心臓は小さいけれど瑞々しく、ズルヤはむちゅうで食べたのだった。きっとまだ年若い、十にも満たぬ心臓だったのだろう。


『さあ元気が出たなら、口うるさいのがいることだ。勇壮な調べを聞かせてくれるな』


 王さまがそう言ったので、ズルヤは拝して、力づよい戦の調べを奏でたのだ。




 ああ、でも本当は。

 王さまはそんな曲はお好きではないのに。

 

 王さまが好きなのは物悲しい曲。

 王さまが好きなのは優しい調べ。


『あの音色はお前たちか! 素晴らしきことだ。この馬鹿はずいぶんな飼い方をしたようだが、音曲の肥やしとしての辛苦は充分だろう。お前たちはこれより、楽しめ! そうあるように約束してやろう——』


 あの時、ごしゅじんさまの首と鎖をねじきって、手をのべてくれた優しい王さま。 




 あの時のように晴れていて。

 あの時のように軍勢がいて。


 あの時のようにいじわるなやつがいないから、王さまの好きな曲をいくらでも奏でられるのに。




 嗚呼。

 はやく王さまをお見つけしなくては——

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