22. 灰を纏う者1

「というより、私に聞こえるようにも言ったのだろう。本当に屑だな」

「これは手厳しい。折角の興味深い話を遮られて、私もすこし気が立っていたようです。しかし誤解だ。よもや名に聞く英雄殿が、色事の覘き魔宜しく聞き耳を立てておられるとは思いもよりませんよ」

「私も思いもよらなかったよ。あなたのような凍った血にも、気が立つような心が未だあったのか。あなたと話していると毎度新鮮な学びがあるな、サービク」

「ハハハ」

「ハハハ!」


 軽やかな声音と深みある声音が、研ぎたての真剣めいて言葉を交わし合う中、クラムはただぽかんとばかのように口を開けていたが、がちりと歯を鳴らしてその口を閉じた。サービクに詰め寄っていた英雄が、急に己を向き直るや否や、だらりと落ちた己の手を握って身を乗り出してきたのだ。


「ああ、久しぶりだな! そこの煙中毒の蛇から無事とは聞いていたが、無事で本当によかった!!」

「あ、あんたがなんで……ッ!」


 力強い握手に腕を振られようとも、クラムは未だに理解が追い付かない。茫然と、振られるまま揺れる頭で眼前の目覆いを見つめるうち、不意に、その表情が強い驚きに変わった。……あれ? いや、まさか。彼の見開かれた瞳に、その意図するところに、英雄は早々に気づいたようだ。兜の内に笑む気配があり、彼女はすぐに手を離し、目覆いを上にあげクラムと瞳を交わし——下げた。


「彼女は……まあお前が知らないはずもないが。見た通り——」

「リムハ・アル・フィッダ。王より灰甲冑を賜りし、『灰を纏う者』の一人だ」


 知らない訳もない。クラムは息を呑んだまま、身じろぎ一つ出来ないほどの驚愕を覚えている。荒野国の英雄の証。国につくし人々を守る、荒野に起こる禍ごとに立ち向かう灰甲冑の英雄たち。幼い日に凱旋を見たあの灰甲冑に憧れ、父がそれを守ったことに誇り、己もまたそうなろうと軍を目指し——いや、そんなことより。そんなことよりも!


 目覆いの下にあったものをもしクラム以外が見たのなら、まずは縦横に深く刻まれた、肉の裂けてそのまま放置されたような、痛ましい傷を気にしただろう。だが、彼は——傷の酷さに気づくことさえないほど、それに見入っていた。


 英雄の瞳が、紛れもない銀眼だったのだ。




*****


 壁の色褪せ、木造り廊下の二階の傾ぎ、屋根も崩れかけている。いかにも古びたラミーサの宿は、立地こそ貧民街の区画にある。だが表通りの南端に行けば、辛うじて店の看板が見える、そんな境界上でもある。例えば表通りで安宿を見つけられなかった商人が、困り果てながらうろうろと表通りを端から端まで歩き回る。そしてラミーサの宿看板を見つければ、「貧民街に深く入り込むのは恐ろしいが、あの位置なら踏み込める」、そのように思う者もいるだろう。


 しかしてなにぶん、家主の婆が品の無い業突く張り。表の評判は決して良くはない。だが「値段相応ではある」「確実に泊まれはする」、「バルドゥンの夜を軒下で過ごすよりはマシな選択」という声もあるにはある。不快に一晩を過ごしたとて、翌朝、思いもよらぬパンの美味さが多少は帳消しする。二度と泊まることはないが、あのパンと熱いスープはまた食べたくなる。そんなような宿だった。


 さて、もしも今この時、ラミーサの宿に立寄る商人や旅人、傭兵が居たならば、「閉店中」の看板を見て、すごすごと引き返すだろう。だが、それを地元の人間が見れば、大いに驚き、声すら上げてしまうだろう。「あの婆さんがこんな真昼間から、ひとときだって客を逃すような看板を出すなんて!」、と。


 果たして、宿の一階の食堂には、これもまた見る者が驚く光景がある。灰甲冑を纏う女英雄・リムハ・アル、宿と酒場と賭け賭博を営む胴元・サービク、その賭博闘士の万年負け犬・クラムと、身を屈めてなお天井に頭を擦りそうな異形の痩せ男。これらがひとつテーブルを囲んで、大男を除いた全員が、ラミーサが配する茶を啜っているのだから。




 口火を切ったのはサービクだった。


「ではまあ、話を共有していこう。私としては、お前とディアンから話を聞いて、英雄殿には情報だけ共有できれば良かったのだが」

「この蛇が何を自分に都合よく隠すか知れたものではないので、私も来た」

「この通り随分信用がある」


 顔ばかりはにこやかなやりとりに、(そこまでいくともう仲いいだろ)と。傾いで茶を啜るクラムは思いこそすれども、口には出さぬ見識もまた持ち合わせている。立ち上がったサービクはテーブルの天板に東部荒野の地図を広げた。そして椀で四方を押さえさせると、身を屈め、褐色の指先で地図を指しながら話始めた。


「先日英雄殿手ずから、ろくに情報も聞き出しもしない贅沢な処刑をしたアルフルフィス老だが、彼の所属していた宗教団体は、実に多岐に渡る人間や集団を包していた」


 サービクの指さす地図の一点に、赤く×印がつけられている。……それが「儀式を阻止した」、あるいは「失敗した」数であるのなら……地図上を目で追えば、瞬く間に十を越えたので、クラムは数えるのを辞めた。


 荒野は吸血種のものであり、吸血種による支配を荒野に取り戻したい——そうした吸血種を奉じ、あるいは利用するため。かつての争いにおいて封じられた吸血種を蘇らせよう、という思想や試みは、実のところ珍しくはない。多くの場合、彼らは先祖伝来の奇天烈な魔術や、己が才覚を過信した独創的な魔術を用いる。その結果はたいてい、良ければ自滅、悪ければ地域を巻き込む小災厄を引き起こすのだ。


 当然ながら、曲がりなりにも人間が王制を維持している今世において、それらは見過ごせぬ危険思想だ。大街道スコルムの巡路が敷かれた今——荒野国は国々の中でも特に、三百年前のような侵略的な吸血種の支配、その再来を許さぬ態度を示さねばならない。他国もまた荒野国に対して、交易上の友好を保ちながらも、厳しい目を常に荒野の表へ裏へと張り巡らしているのだから。


 必然として、不穏分子の活動は速やかに知られ、潰されることになるのだが——


「時期と数がおかしい。これは集中しすぎている。そして……『本物』の手段を使っているものが、多く紛れている。彼らはどうも、復活させる吸血種を選んでいる。それも三百年前のカーシム・バル・ドゥリウク統治時代に、王の命によって自らを封じた者たち……彼の死後、彼の復活のよすがとなるべく、備えとなった者たちを」


 ——卓に、奇妙な緊張が走った。荒野国に育つならば、ただのおとぎ話として、その話を聞かずに育った者はいない。彼の暴虐王は、時の英雄たちにより、肉体も魂も粉々にされて倒された。だがその寸前、カーシムは帰還を誓い、英雄たちの犠牲や働きの無意味さに、荒野に轟く大哄笑を響かせたという——。


 今の時代において、「カーシム最後の大笑い」といえば、『強がり』を意味する故事でしかない。だというのに、今のサービクの物言いは、まるで明けらかな事実として語っているようではないか。


「そして、『ズルヤ』」彼は短く名を呼び、息を溜めた。「……名を調べて驚いたよ。彼女もまた、その当時の吸血種だ。状況から考えれば、この印にない何者かが成功したのだろう……ただ何よりの問題は、その名を何故お前が知っているか、だ」


 サービクは——已然変わらぬ薄ら笑いに、しかし、堪えられぬ興味に紫檀の瞳を輝かせて、ディアンの黒瞳を覗き込んだ。


「もう幾度も尋ねたが……お前は何者だ。何をどう尋ねれば、私たちはお前の正体を知れる? ……ディアンという吸血種は、三百年前の記録には見当たらなかった。だがお前もまた、蘇った者ではないのか?」

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