【Sentence 05-4】アイしている
アトムに先導されて宇宙船の中を進んでいく。変化する通路にも慣れてきた。やがて一際広い空間へと辿り着く。そこには細長く巨大な物体が鎮座していた。全長二百メートルほど。
白い流線型で、全体的につるっとしている。宇宙船の様だが、上部には甲板、船底は波を切る形状になっている。その船体の各所には四つ足の機械——ナナフシ——が取り付いていて作業をしていた。
リイナは船に近づいて、はえーと見上げた。レティシアがアトムに質問をする。
「これが新しい船?」
『うむ。厳密には宇宙船だが、惑星揚陸を想定したモデルなので大気圏内でも使用可能であり、十分代用可能だ』
「海でも使えるの?」
『今までの人型ボゥトや太陽帆船の場合、電磁推進機関で噴出するのは海水だが、惑星間航行用なので観測者集縮欠損系仮想粒子(エーテル)を噴出する』
「難しい。三行で説明して」
『水なしで推進可能、空も飛べる、但し燃費が悪い』
「なるほど」
ぱたぱたとリイナが一周してくる。
「武器とかはついてないの?」
『デブリ排除用の装備が転用出来るが、大気圏内では使用出来ぬな』
「なんで?」
『百キロメートル単位で何もかも蒸発させたいというのであれば止めないが……』
「ぶ、物騒すぎる!」
『レーザー測距器が武器代わりに使えるな。ああ、あと確率変動兵器がある』
「あれか、エラー発生させるヤツ。地味過ぎない?」
『出力が高いから、もう少し面白い使い方が出来る。使い方を教えよう』
船の横には人型ボゥトも置かれていた。外装は深紅で塗装されて「オーキス」に酷似している。アトムの話ではオーキスに準じて新造したものらしい。
リイナは操縦席に上がって試しに始動スイッチを押す。だが何も起きない。
「あれ? 動かないよ」
『残念ながら、まだ完全に管理者権限が取得出来てない。もうしばし待たれよ。あと一手で完成する』
「あと一手?」
妙な言い回しにリイナは首を傾げた。アトムはそれには答えず、ぐるりと顔を百八十度、背中の方に廻した。リイナとレティシアはびくっとする。そこ廻るんだ……。チカチカと眼を光らせるアトムに苦笑するリイナ。
「ん?」
リイナは気がついた。アトムが振り向いた方向。ちょっと離れた場所に、ぽつんと単眼種アンドロイドが立っている。外見はアトムと全く一緒なので「へ」の字が無いと見分けがつかない。
一体どこから現れたのか。レティシアも斜め向こう側に別の一体を見つけた。やはりそれも「へ」の字が無いアトムだ。リイナもレティシアも最初はぼんやりとそれらを見ていたが、その表情がやがて引きつり始める。
「……ちょっと、何?」
数が一体、また一体と増えていくのを見て、リイナは思わず後ずさる。どうやら無音で床が開いて、そこからせり出してきているらしい。一体が二体、二体が四体と増えていき——周囲はあっという間に「へ」の字が無いアトムによって埋め尽くされた。
「なに? なんなのよ!?」
リイナたちは包囲された。アトムと同じ形をした、アトムでは無い者たちがぐるりと無数の円を描いて取り囲んでいる。その包囲に隙間は無い。単眼種アンドロイドたちは身動ぎ一つしない。
何をするでもなく、ただその眼をチカチカと光らせる。無数の眼が時に不規則に、時にオーケストラの楽曲の様に規則正しく明滅する。リイナはその圧に、思わず目を細めた。そしてその明滅が、アトムのそれと次第に同期していくのに気がついた。
『そろそろ、年貢の納め時ということであろう』
「……アトム?」
ゆっくりと歩き始めたアトムにリイナが声を掛ける。アトムは無言のまま進み、リイナと単眼種アンドロイドの群れの中間で立ち止まる。「へ」の字のアンドロイドがゆっくりと振り返る。
『どうやら拙者の旅は、ここまでであるな』
「え、どういうこと?」
リイナは何かイヤか予感がした。
『仲間たちが、拙者との同期を求めている話はしたであろう? その時が来たということだ』
「それって……同期したら、どうなるの?」
『拙者と仲間たちの保有情報が同期されると均質化される。個体差は無くなり、同族たちは恐らく僅かばかりバージョンアップされる。ほんのちょっとだろうがね』
「三行で纏めて!」
リイナは思わず叫ぶ。しかしアトムは動じない。
『アトムという個体は消失することになる。おっと一行で纏まってしまった』
アトムの眼が光る。笑っている様に見えた。でも笑えない。リイナはぎゅっと拳を握り込む。アトムが……いなくなる? その事実がリイナの心を揺さ振る。
ショーコがいなくなった時は、半身が引き千切られる様な痛みを感じた。今、リイナはぽっかりと虚空に投げ出され、宙に浮き、あるはずのものが何も無いという喪失と不安感に襲われていた。
気がつけばリイナにとって、アトムがそばにいるのが日常になっていたのを痛感した。
何か音がした。
「……なに、今の音?」
様子を見ていたレティシアが、リイナの背後に手を伸ばす。遅れて、微かに振動が足元から伝わってきた。ずずん。重たい音が遠くから響いてくる。単眼種アンドロイドの群れは無言のまま、アトムは天を見上げる様に顔を上げた。
『警報が出ている。宇宙船の外殻に一部損傷が発生している』
「宇宙船に?」
アトムの眼が光ると空中に投影スクリーンが展開された。そこらは宇宙船の外殻と、それを取り巻く海が映し出される。遠く海上にはあの白銀の巨人の姿があった。白熱球が撃ち出され、宇宙船の外殻に命中して爆ぜる。それと同期して鈍い震動がリイナたちの足元を揺らし、投影された映像が乱れる。
『どうやらリーフで攻撃してきた無人機械群であるな。恐らく拙者たちを追ってきたのだろう』
再び震動。白銀の巨人はゆっくりと距離を詰めつつ、攻撃を加えてくる。対して宇宙船は、ただその攻撃を受ける一方だった。レティシアが声を上げる。
「あのさ、反撃とかしないわけ?」
『先も説明した通り、単眼種アンドロイドは完成された種だ。戦う必要が無く、よってその能力も無い。それにこの船、移民船だしね。はははっ』
「笑い事じゃない!」
『安心したまえ。じきその船と人型ボゥトが使用可能になる。君たちはそれで脱出出来る』
リイナはそう言われて、背後の白い船と深紅の人型ボゥトを一瞥した。あれは管理者権限が取れていないとかで動かなかった。はっとリイナは察した。眉間に皺を寄せて、アトムを見る。アトムは無表情だった。
リイナは顔を歪めた。既視感を感じた。アトムが何をしようとしているのか、分かった様な気がした。
『拙者が同族と同期完了すれば当然、管理者権限が取れる。拙者の計算だと完全同期して自我が喪失するまで約十秒の猶予がある。その間に、船と人型ボゥトを動かせるように手配しよう』
「ダメだよ! それはダメっ」
『残念ながらリイナ、君には止める権利はない。これは拙者が判断すべき事柄である』
ずずん。再び震動が足元を揺らす。単眼種アンドロイドたちは身動ぎ一つしない。スクリーンは外の様子を映し続ける。白銀の巨人が二体に増えていて、攻撃を繰り返している。それはまるで鯨に噛みつくシャチの様でもある。
宇宙船の外殻が破れ、中身がまるでおもちゃのブロックの様にぼとぼとと崩れて海に落ちていく。その中には単眼種アンドロイドの姿もあった。
リイナはアトムに駆け寄った。思わず肩を掴み、揺らす。
「アトムは、それで良いの……? 消えちゃうんだよ!?」
『ふむ。一つ心残りがあるとすれば、先程の会話の続きが』
「会話の続き?! そんなのは後でも——」
『とても大事なことなんだ、リイナ。拙者の、きっと生きた証なのだから』
アトムはそっと、自分の肩に添えられたリイナの手を握り締めた。眼がちかちかと明滅する。それに呼応するかの様に、周囲の単眼種アンドロイドの眼も光る。その明滅はランダムで、まるで天空の星々の瞬きのようでもある。
『どこまで話したかな。そう。好きという感情——ここでは仮称「アイ」とするが、アイは本能に左右される即物的なものであると』
ゆっくりと、ゆっくりと。ランダムな眼の明滅に、規則性が生まれていく。それは調律される楽器のようでもある。
『好きという感情は、生物がより長く生存する為に生まれた。生殖欲求も生存欲求も、好きも嫌いも、確かにその延長線上にある。だが拙者は思うのだ。本能の為に生まれた感情であろうとも、それをどう捉えるかは人の心次第ではないかと』
外の攻撃は続いている。巨人に加えて、空中から蜂の巣の形状をした母船がゆっくりと降下してくる。独楽の様な子機が放出され、宇宙船への攻撃に加わる。
いかに宇宙船が巨大とはいえ、無抵抗では被害が拡大する一方だ。海面に対して水平だった船体が、少し傾く。
『ナイフはモノを切る為に生まれた。でもそれをどう使うかは、使う者次第だ。モノを切ってもいい、人を殺してもいい、美しいと眺めても良い——出自にかかわらず、今どう感じるか、どうするかが重要なのだ。それが人の心の有り様だと、拙者は思う』
無数の眼の明滅が少しずつ同期していく。ちかちか。その様子にリイナは何か叫んだが、止まらない。
『男と女だから好きになった?——良いではないか。二人でいた方が便利だから好きになった?——良いではないか。本当の問題は、その先にこそあるのではないか?』
アトムがリイナの手を離し、それをレティシアが受け取る。ゆっくりとアトムが二人から離れていく。傾いた床を歩いていく。二人はじっとその様子を見つめている。
『——拙者は今、満足している。単眼種アンドロイドには生殖や生存本能は無い。しかし情報を収集し蓄積するという好奇心はある。だから拙者はリイナたちを観察した。どうしてリイナたちを選んだのか——それは拙者にも分からない。観察はすぐに終わるはずであった』
リイナとレティシアを取り囲む輪の一部が解放された。白い船と人型ボゥトへと続く道が現れて、そこを二人は進んでいく。ゆっくりと同類に近づいていくアトム。一つの眼と無数の眼。その明滅はますます同期していく。
『しかし、観察は続いた。仲間からは都度同期要請が来ていたが、拙者は拒否し続けた。どうしてそういう判断をしたのか、長年不思議だった。でも今なら分かる。同期すれば君たちを見続ける内に発生したこの感情を失ってしまうからだ。しかし、いつかは同期する日が来るだろう。であれば、それは君たちの為になる様にしたいと思っていた。それが叶って——良かった』
リイナは船と人型ボゥトの元に辿り着き、そしてアトムの方に振り返った。アトムの姿は、同類の中に混じっていた。かろうじてその「へ」の字だけが、リイナのアトムであると主張している。
無数のアトムの眼が、いつもリイナを見る様な優しい光をチカチカさせている。
『自己を慈しんだまま、他者を愛する。その有り様に、拙者は惹かれたのだと。世界を内と外に分けたが故に迷えることになった生命たちの、行き着く一つの未来であり終着点。それがきっと「アイ」なのだ』
「難しいよ、三行で纏めてよ……」
泣きそうなリイナに、アトムがニッコリと微笑みかけた。そんな気がした。
『アイに形はなく、アイに境界線はない——故に拙者は、君たちをアイしている』
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