1章 厄介な結婚①
「子どもたちの前で乱暴はやめてください!!」
震えながら身を寄せ合う数人の子どもを背中に隠しながら、オリヴィアは目の前の男を強気な蜜色の瞳でキッと
「うるさい!!」
高圧的に叫んだ男が椅子を蹴り上げる。
テーブルの上に置いてあった収穫したての蜂蜜が入った陶器の
「場所を
その、こちらの言葉など全く耳に入れるつもりのない横暴な振る舞いに、オリヴィアは負けじと声を荒らげる。
それがこのプライドの高い男の
「貧乏領主の娘が偉そうに!! お前のような
怒りに顔を赤く染めて
***
「とにかく俺は認めないからな!」
夕食の片づけを終わらせ、二階へ足を向けたオリヴィアは、吐き捨てるような声と共に父の部屋から荒々しく飛び出してきた兄の姿にその場で足を止めた。
苛立たしげに顔を
「父様と話したいの。今行っても大丈夫かしら?」
兄の表情の変化に何となく事情を察しつつ、あえて何も言わずに苦笑して首を
「……丁度お前を呼びに行くところだった。親父がお前に話したいことがあるそうだ」
それはタイミングが良かったと笑い返すが、兄の顔は晴れない。
悔しげに唇を
「兄様?」
「……おかしなことを考えるなよ。オリヴィア。俺はお前が幸せになれない未来なんか認められない。お前が犠牲になる必要なんてどこにもないんだからな」
すれ違いざまに大きな手で乱暴にオリヴィアの頭を
その遠ざかる背中を見送って、オリヴィアは静かに目を伏せる。
(ごめんね。兄様)
静まり返った廊下で、ゆっくりと息を吐き出し顔を上げる。オリヴィアは胸に秘めた決意と共に改めて目的の部屋に足を向けた。
西大陸、サレナンド王国南部の森林地帯に接する小領地、フォントナーを治める領主の娘、オリヴィアとその家族は現在少々厄介な問題に頭を悩まされている。
その発端はひと月前、この地方を大きな嵐が襲ったことにさかのぼる。
大雨で増水した川が氾濫し、周辺一帯が水に押し流されて、ここフォントナーも
頭を悩ませる父のもとに、その不足分を援助しようと申し出があったのは水害から二週間程
ただし、その援助にはある条件が付け加えられていた。それが領主の娘オリヴィアと、ロンデウスの息子の結婚である。
以前から
「──父様? 入るわよ?」
ノックをしても反応のない部屋に足を踏み入れ、
「オリヴィア……か」
「用事があるって聞いたけど?」
「……ああ……」
ぼんやりとした視線を返した父は、小さく
「……その手紙……あちらがまた何か言ってきたんでしょう? 今度は何て?」
「…………」
戻ってこない返事にオリヴィアはそっと苦笑をもらす。
(どうやら今回は本当にどうにもならない要求みたいね……)
夕食中もずっと何かを考え込み、厳めしい顔で黙り込んでいた。加えて先程の兄の反応。何かあったと察するには十分だ。
当初、ロンデウスの申し出を父は激怒してきっぱりと
だが、先方はそれでも諦めず、この地方の主要産業である林業を掌握する商会の力を使って、領地の復興を妨害するため様々な圧力をかけてくるようになった。
春先のこの時期に復興が遅れれば、多くの領民が仕事を始められず、冬を越す貯えを作れなくなる。領地自体の収入も減り、復興どころかこのままでは領地を支えられなくなる。
(もうこれ以上迷っている時間なんてない)
領主としてそれは父も分かっているはずだ。だからこそオリヴィアを呼んだのだろう。
「──父様。もう決めてしまいましょう」
顔を上げた父の視線をしっかり捉え「覚悟はできている」と、オリヴィアは前を向く。
「領民の生活を守るのが私たちの一番の役目でしょう? 私は大丈夫。どんな場所だって、きっとうまくやっていけるわ? だから父様は迷わず領主の責任を果たしてください」
ロンデウスとその息子は正直あまり評判の良くない親子だ。オリヴィアとて思うところがない訳ではないが、避けられないのならいっそ飛び込んで、自分のできることを探したい。その方がずっと建設的だ。
これ以上自分のことで悩んでほしくなくて、オリヴィアは笑みを見せ明るく告げる。
父は痛みをこらえるように顔を顰め、手元の手紙をくしゃりと握り締めた。
長い沈黙の後、深く大きな息を吐いて父が自分の名を呼ぶ。
「オリヴィア……」
「はい」
「お前を……嫁に出そうと思う」
「はい」
「ただし、一年間の期限付きの契約結婚だ」
「はい?」
覚悟を決めて返した短い了承の言葉は、三度目で語尾の上がった
「──契約結婚?」
父が差し出すくしゃくしゃになった手紙を広げながら、まだどこか追い付かない頭でオリヴィアは父の言葉を
「急な代替わりでとりあえずって話だ」
「馬鹿にしている」と
──シオン・アルシュターク・オルド。
その名前はオリヴィアが予想していた相手とは全く別人のものだ。
そしてその手紙の内容は、マロウ商会に嫁ぐ覚悟を決めて父の部屋を訪ねたオリヴィアを大いに困惑させるものだった。
隣国リアレンド王国の公爵家の跡取りである差出人は、父公爵の急死で爵位を継ぐことになったのだという。国の決まりで爵位を継ぐためには伴侶が必要だが、現在事情があって婚約者はおらず、国内の貴族の娘を新たに選ぶこともできない。とりあえず間に合わせで一度婚姻関係を結んで爵位の継承を済ませてしまおうと考え、細い縁故を
「……身分は公爵で、契約金は一万ダルクに水害復興の人員の援助付き……って……」
泳ぐ目でもう一度書面に目を落としたオリヴィアは、何度読み返しても変わらないその額面に顔を顰めて額を押さえる。
契約金として提示された額は、復興の不足分を補っても、領地を一年余裕で回せる額だ。それとは別に人員を手配してくれるとなると、復興の人件費
(この額……それに復興の援助まで提示してくるってことは、こちらの困った状況もある程度把握済みと思って
──ダンッ!
考え込むオリヴィアの目の前で父の拳が机に振り下ろされ、大きな音を立てる。
「こんな話、親として許しちゃいけねえのは分かってる。だが、お前が言うとおり俺は領主として決断しなくちゃいけねえ……」
言葉を絞り出す父の表情は苦渋に満ちている。
その表情に、オリヴィアはふっと表情を緩める。
「そうね。多少
提示額もさることながら、マロウ商会と
ロンデウスは
「分かりました。ちょっと驚いたけど父様の決定に異論はありません。そのまま話を進めてください」
そもそも父の部屋に来た時点でオリヴィアの覚悟は決まっている。
厳めしい顔にそう告げれば、その眉間に更に深い皺が刻まれる。
「……もし母様がこの場にいたら、きっと行って来いって言ってくれると思うわ? 『この際利用できるものは利用して、広い世界を観察していらっしゃい』って」
六年前に
色々なことに興味を持ち、必要とあらば
「…………言いそうだな」
言葉を詰まらせた父は、どこか寂しそうにくしゃりと笑う。
その表情に、オリヴィアも口の端を上げる。
「一年なんてあっという間よ。新しいことに挑戦するのは嫌いじゃないし、きっとなんとかなるわ。だから父様はその間にきっちり領地を立て直して、次の嫁ぎ先でも考えていて」
「──っ……お前は本当に……」
髪を
「行ってくれるか。オリヴィア」
「ええ。もちろん」
どこか吹っ切れたような父の表情にほっと息をついて、オリヴィアはにっこりと大きく頷きを返した。
その後、渋る兄を説得し先方に了承の返事を送ると、契約書を携えた使者が契約金と復興のための人員を伴って領主館を訪れた。
その素早い対応にオリヴィアと家族が驚く中、介入しようとするマロウ商会を黙らせて
「大きな街……本当に身一つで来ちゃって大丈夫だったのかしら……」
馬車に揺られ三日、いよいよ遠くに見え始めたリアレンドの王都の大きさに、オリヴィアの口からぽろりと不安が転がり出る。
身の回りのものは全て用意すると言われ、オリヴィアが実家から持ち出したものはほとんどない。当面の衣服と、旅の退屈を紛らわす本が数冊、それと去年自分で収穫した蜂蜜と
蜂蜜はオリヴィアの好物である。そして、それを収穫するために蜜蜂を育てること──養蜂はオリヴィアの実益を兼ねた趣味の一つでもあった。
運営を手伝っていた領地の養護院では運営費の足しに蜜蜂を飼っており、毎日世話をし、付加価値を上げるためにその活用方法を研究するうち、オリヴィアはすっかり蜜蜂と、彼らが作り出す蜂蜜の
「あんな大きな街じゃ、
今年の蜂蜜の収穫ができないのは残念だが、諦めるしかないだろう。
期間限定とはいえ、これから一年、オリヴィアの肩書きは公爵夫人だ。
男爵令嬢としてですら『虫を育てて喜ぶ変わり者』と周囲からひんしゅくを買っていたのだ。自分だけならどう言われようと構わないが、相手がいる以上そこは気をつけなければならない。
「恩人に迷惑をかける訳にはいかないものね」
当初はその都合の良すぎる話に多少の不信感を抱いていたオリヴィアだったが、申し出を了承した後の対応は迅速で誠意の感じられるものだった。
その辺りも含めてマロウ商会に圧力をかけてくれたらしく、あれ程諦めの悪かった求婚者も流石に分が悪いと判断したのか、あっさりとこの話から手を引いた。
そんな訳で、オリヴィアの中のまだ見ぬ夫への評価はこのひと月でかなり急上昇した。
「どんな人なのかしらね……」
事前に聞いた話では、一年間の雇用主で夫となる人は三か月前に父公爵を亡くし、その仕事を引き継ぐ
「王族の警護に貴族の仕事……確かに結婚相手なんか探してる暇もないのかもね……」
契約を結ぶにあたり、先方から条件が二つだけ提示された。
その条件は、『許可なく
母親も既に他界しており、兄弟も、同居する親族もおらず、本人も王宮に部屋を貰ってそちらで生活することが多いそうで、気兼ねする必要はないと言われている。
社交に関しても必要はなく、もちろん夫婦としての生活も必要ないとのことだった。
つまり『構うつもりは無いから屋敷の中で好きにやれ』ということらしい。
「何にもしなくて良いなんて、逆に申し訳なくてストレスが
(うまくやっていけると良いな……)
そう思いながらオリヴィアは、徐々にはっきりと輪郭を持ち始めた街を眺めた。
それからしばらくして、馬車は王都の門を潜り、開けた街中に入った。
リアレンドの王都は、当然だがこれまで自分が見たことのある田舎の地方都市とは比べようがない程大きく、洗練された街だった。
一番高い丘の上に壮麗な王宮を据え、その周囲を貴族の邸宅と教会や裁判所などが取り囲む。緩やかな坂に沿って整然と屋根が並び、それが太陽の光を反射してキラキラと光る。そんな街並みを眺めながら馬車はゆっくりと坂を上り、王宮から見て東側──緑が多く、さほど建物の密集していない区画へと進み、現れた重厚な門の一つに入った。
林に囲まれた石畳の道を進み、やがて視界の先に鈍色の屋根の大きな屋敷が現れる。
屋敷の前に広がる見事な庭園の間を進んだ馬車は、正面に広く造られた馬車回しでぴたりと
外側から扉が開かれるのを待ちながら、その眼前の光景にオリヴィアは思わず息を
「──当家の執事を務めますハロルド・マイセンと申します。オルド公爵家使用人一同、奥方様のご到着を心よりお待ち申しあげておりました」
前に進み出た初老の男が、胸に手をあてオリヴィアに向けて静かに腰を折る。
「旦那様がお待ちです。お疲れのところ申し訳ございませんが、まずはこのまま……」
そう言って先導する背中を追って、
「ご到着されました」
扉を
「随分かかったな」
屋敷の思った以上の大きさと出迎えの使用人の多さに戸惑い、緊張で
「城下が込み合っておりましたので、
ハロルドの冷静なとりなしに気のない返事をして、声の主が座っていた机から立ち上がる気配がした。
オリヴィアは伏せたままだった顔をそっと上げ、そして思わずはっと息を呑む。
目に飛び込んできたのは、深く、引き込まれそうな藍色の瞳だった。
(夜の空の色みたい……)
「──長旅ご苦労だった。シオン・アルシュタークだ」
すらりとした長身に、瞳の色を更に深くしたような濃紺の騎士服を着こなした男が、こちらに目を向ける。
暗めのアッシュブロンドの髪に、すっきりと伸びた
「……オリヴィア……バーレイです」
返事をしようと喉から出た自分の声は、思いのほか、室内にか細く響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます