1章 厄介な結婚①

「子どもたちの前で乱暴はやめてください!!」

 震えながら身を寄せ合う数人の子どもを背中に隠しながら、オリヴィアは目の前の男を強気な蜜色の瞳でキッとにらみ上げた。

「うるさい!!」

 高圧的に叫んだ男が椅子を蹴り上げる。

 テーブルの上に置いてあった収穫したての蜂蜜が入った陶器のつぼが床に落ちて飛び散り、それに子どもの高い悲鳴が重なる。

「場所をわきまえてください! ここは養護院ですよ!? こんな場所で騒ぎを起こせば、ご自分とちちうえの評判に傷がつくだけなのがお分かりになりませんか!?」

 その、こちらの言葉など全く耳に入れるつもりのない横暴な振る舞いに、オリヴィアは負けじと声を荒らげる。

 それがこのプライドの高い男のいらちに油を注いでしまうと知りながら……。

「貧乏領主の娘が偉そうに!! お前のようなざかしい女、どうせ他にもらい手もないんだ! とっとと決断して、親父おやじを説得したらどうだ!」

 怒りに顔を赤く染めてつかみかかってきた男の指が肩に食い込む。そのぎらつく瞳を睨み返して、オリヴィアは負けるものかと拳を握り締めた。


    ***


「とにかく俺は認めないからな!」

 夕食の片づけを終わらせ、二階へ足を向けたオリヴィアは、吐き捨てるような声と共に父の部屋から荒々しく飛び出してきた兄の姿にその場で足を止めた。

 苛立たしげに顔をしかめ、ふとこちらを見た兄は、はっとした表情を浮かべて足を止め、それからばつが悪そうに目をらす。

「父様と話したいの。今行っても大丈夫かしら?」

 兄の表情の変化に何となく事情を察しつつ、あえて何も言わずに苦笑して首をかしげると、眉間に深いしわを寄せた兄が低くつぶやく。

「……丁度お前を呼びに行くところだった。親父がお前に話したいことがあるそうだ」

 それはタイミングが良かったと笑い返すが、兄の顔は晴れない。

 悔しげに唇をみ締め、何かを堪えるように拳を握り締めてオリヴィアを見つめる。

「兄様?」

「……おかしなことを考えるなよ。オリヴィア。俺はお前が幸せになれない未来なんか認められない。お前が犠牲になる必要なんてどこにもないんだからな」

 すれ違いざまに大きな手で乱暴にオリヴィアの頭をで、兄はそのまま歩き去る。

 その遠ざかる背中を見送って、オリヴィアは静かに目を伏せる。

(ごめんね。兄様)

 静まり返った廊下で、ゆっくりと息を吐き出し顔を上げる。オリヴィアは胸に秘めた決意と共に改めて目的の部屋に足を向けた。


 西大陸、サレナンド王国南部の森林地帯に接する小領地、フォントナーを治める領主の娘、オリヴィアとその家族は現在少々厄介な問題に頭を悩まされている。

 その発端はひと月前、この地方を大きな嵐が襲ったことにさかのぼる。

 大雨で増水した川が氾濫し、周辺一帯が水に押し流されて、ここフォントナーもじんだいな被害を受けた。山ばかりでさほどのたくわえもない小さな領地の財政は、国からの援助だけでは到底賄いきれずあっという間に困窮した。

 頭を悩ませる父のもとに、その不足分を援助しようと申し出があったのは水害から二週間程った頃だった。声をかけてきたのはこの地方の有力な商人で、主要産業である木材の流通を一手に引き受けるマロウ商会の長ロンデウス。

 ただし、その援助にはある条件が付け加えられていた。それが領主の娘オリヴィアと、ロンデウスの息子の結婚である。

 以前からはくけのため、息子に貴族の娘を宛てがいたいと画策していたロンデウスは、領主として男爵の地位を持つ父に、復興費用の不足分二千ダルクの援助の見返りに娘を差し出せとそう要求してきたのである。

「──父様? 入るわよ?」

 ノックをしても反応のない部屋に足を踏み入れ、いかめしい顔で手の中の紙を睨みつける熊──もとい父に近づき、改めて声をかけると、こちらに全く気づいていなかったらしい大柄な男が、びくりと顔を上げる。

「オリヴィア……か」

「用事があるって聞いたけど?」

「……ああ……」

 ぼんやりとした視線を返した父は、小さくうなずいて手元にちらりと視線を落とす。

「……その手紙……あちらがまた何か言ってきたんでしょう? 今度は何て?」

「…………」

 戻ってこない返事にオリヴィアはそっと苦笑をもらす。

(どうやら今回は本当にどうにもならない要求みたいね……)

 夕食中もずっと何かを考え込み、厳めしい顔で黙り込んでいた。加えて先程の兄の反応。何かあったと察するには十分だ。

 当初、ロンデウスの申し出を父は激怒してきっぱりとねつけた。

 だが、先方はそれでも諦めず、この地方の主要産業である林業を掌握する商会の力を使って、領地の復興を妨害するため様々な圧力をかけてくるようになった。

 春先のこの時期に復興が遅れれば、多くの領民が仕事を始められず、冬を越す貯えを作れなくなる。領地自体の収入も減り、復興どころかこのままでは領地を支えられなくなる。

(もうこれ以上迷っている時間なんてない)

 領主としてそれは父も分かっているはずだ。だからこそオリヴィアを呼んだのだろう。

「──父様。もう決めてしまいましょう」

 顔を上げた父の視線をしっかり捉え「覚悟はできている」と、オリヴィアは前を向く。

「領民の生活を守るのが私たちの一番の役目でしょう? 私は大丈夫。どんな場所だって、きっとうまくやっていけるわ? だから父様は迷わず領主の責任を果たしてください」

 ロンデウスとその息子は正直あまり評判の良くない親子だ。オリヴィアとて思うところがない訳ではないが、避けられないのならいっそ飛び込んで、自分のできることを探したい。その方がずっと建設的だ。

 これ以上自分のことで悩んでほしくなくて、オリヴィアは笑みを見せ明るく告げる。

 父は痛みをこらえるように顔を顰め、手元の手紙をくしゃりと握り締めた。

 長い沈黙の後、深く大きな息を吐いて父が自分の名を呼ぶ。


「オリヴィア……」

「はい」


「お前を……嫁に出そうと思う」

「はい」


「ただし、一年間の期限付きの契約結婚だ」

「はい?」


 覚悟を決めて返した短い了承の言葉は、三度目で語尾の上がったろんげな問い掛けに変わった。


「──契約結婚?」

 父が差し出すくしゃくしゃになった手紙を広げながら、まだどこか追い付かない頭でオリヴィアは父の言葉をはんすうする。

「急な代替わりでとりあえずって話だ」

「馬鹿にしている」とあきれたように鼻を鳴らす父の声を聞きながら、オリヴィアは手紙の文末に記された差出人の署名をぼんやりと眺める。

 ──シオン・アルシュターク・オルド。

 その名前はオリヴィアが予想していた相手とは全く別人のものだ。

 そしてその手紙の内容は、マロウ商会に嫁ぐ覚悟を決めて父の部屋を訪ねたオリヴィアを大いに困惑させるものだった。

 隣国リアレンド王国の公爵家の跡取りである差出人は、父公爵の急死で爵位を継ぐことになったのだという。国の決まりで爵位を継ぐためには伴侶が必要だが、現在事情があって婚約者はおらず、国内の貴族の娘を新たに選ぶこともできない。とりあえず間に合わせで一度婚姻関係を結んで爵位の継承を済ませてしまおうと考え、細い縁故を辿たどってオリヴィアにたどり着いた。妻として雇い入れて離婚が認められる一年後には離縁させてほしいと、手紙にはそんな内容が簡潔に書かれていた。

「……身分は公爵で、契約金は一万ダルクに水害復興の人員の援助付き……って……」

 泳ぐ目でもう一度書面に目を落としたオリヴィアは、何度読み返しても変わらないその額面に顔を顰めて額を押さえる。

 契約金として提示された額は、復興の不足分を補っても、領地を一年余裕で回せる額だ。それとは別に人員を手配してくれるとなると、復興の人件費もろもろも浮くことになる。

(この額……それに復興の援助まで提示してくるってことは、こちらの困った状況もある程度把握済みと思っていってことよね……?)

 ──ダンッ!

 考え込むオリヴィアの目の前で父の拳が机に振り下ろされ、大きな音を立てる。

「こんな話、親として許しちゃいけねえのは分かってる。だが、お前が言うとおり俺は領主として決断しなくちゃいけねえ……」

 言葉を絞り出す父の表情は苦渋に満ちている。

 その表情に、オリヴィアはふっと表情を緩める。

「そうね。多少さんくさくはあるけれど、こっちの方がうちにとっては好条件よね」

 提示額もさることながら、マロウ商会とつながりを持たなくていいのならその方が良い。

 ロンデウスはこうかつな商人だ。要求をのんで一時的に危機をしのげたとしても、婚家の立場を利用してまた別の要求をしてこないとも限らない。

「分かりました。ちょっと驚いたけど父様の決定に異論はありません。そのまま話を進めてください」

 そもそも父の部屋に来た時点でオリヴィアの覚悟は決まっている。

 厳めしい顔にそう告げれば、その眉間に更に深い皺が刻まれる。

「……もし母様がこの場にいたら、きっと行って来いって言ってくれると思うわ? 『この際利用できるものは利用して、広い世界を観察していらっしゃい』って」

 六年前にくなった母は、身体からだこそ弱かったものの、非常に行動的な人だった。

 色々なことに興味を持ち、必要とあらば躊躇ためらいなくそこに飛び込んでいく。母に似ていると言われるオリヴィアもまた、その性格をしっかり受け継いでいる。

「…………言いそうだな」

 言葉を詰まらせた父は、どこか寂しそうにくしゃりと笑う。

 その表情に、オリヴィアも口の端を上げる。

「一年なんてあっという間よ。新しいことに挑戦するのは嫌いじゃないし、きっとなんとかなるわ。だから父様はその間にきっちり領地を立て直して、次の嫁ぎ先でも考えていて」

「──っ……お前は本当に……」

 髪をきむしり、低いうなり声をあげた父は、深いためいきを吐いた後「母さんにそっくりだよ」と苦く笑う。

「行ってくれるか。オリヴィア」

「ええ。もちろん」

 どこか吹っ切れたような父の表情にほっと息をついて、オリヴィアはにっこりと大きく頷きを返した。

 その後、渋る兄を説得し先方に了承の返事を送ると、契約書を携えた使者が契約金と復興のための人員を伴って領主館を訪れた。

 その素早い対応にオリヴィアと家族が驚く中、介入しようとするマロウ商会を黙らせてまたたく間に復興が進められた。そうして返事をしてからひと月が慌ただしく過ぎ、オリヴィアは迎えの馬車に乗り込み、隣国リアレンドの王都に向けて旅立った。



「大きな街……本当に身一つで来ちゃって大丈夫だったのかしら……」

 馬車に揺られ三日、いよいよ遠くに見え始めたリアレンドの王都の大きさに、オリヴィアの口からぽろりと不安が転がり出る。

 身の回りのものは全て用意すると言われ、オリヴィアが実家から持ち出したものはほとんどない。当面の衣服と、旅の退屈を紛らわす本が数冊、それと去年自分で収穫した蜂蜜とみつろうくらいのものだ。

 蜂蜜はオリヴィアの好物である。そして、それを収穫するために蜜蜂を育てること──養蜂はオリヴィアの実益を兼ねた趣味の一つでもあった。

 運営を手伝っていた領地の養護院では運営費の足しに蜜蜂を飼っており、毎日世話をし、付加価値を上げるためにその活用方法を研究するうち、オリヴィアはすっかり蜜蜂と、彼らが作り出す蜂蜜のとりことなってしまった。

「あんな大きな街じゃ、流石さすがに養蜂はできないわよね……っていうかそもそも許してもらえないだろうし……」

 今年の蜂蜜の収穫ができないのは残念だが、諦めるしかないだろう。

 期間限定とはいえ、これから一年、オリヴィアの肩書きは公爵夫人だ。

 男爵令嬢としてですら『虫を育てて喜ぶ変わり者』と周囲からひんしゅくを買っていたのだ。自分だけならどう言われようと構わないが、相手がいる以上そこは気をつけなければならない。

「恩人に迷惑をかける訳にはいかないものね」

 当初はその都合の良すぎる話に多少の不信感を抱いていたオリヴィアだったが、申し出を了承した後の対応は迅速で誠意の感じられるものだった。

 ちなみに相手方からの提案もあり、今回の話は実家では表向きは『婚姻』ではなく『行儀見習い』とされることになった。一年で離縁された娘とうわさが立つより、行儀見習いとしておいた方が箔もつくとの配慮だった。

 その辺りも含めてマロウ商会に圧力をかけてくれたらしく、あれ程諦めの悪かった求婚者も流石に分が悪いと判断したのか、あっさりとこの話から手を引いた。

 そんな訳で、オリヴィアの中のまだ見ぬ夫への評価はこのひと月でかなり急上昇した。

「どんな人なのかしらね……」

 ほおづえをつき、流れる景色を眺めながらオリヴィアはその姿を想像して息を吐く。

 事前に聞いた話では、一年間の雇用主で夫となる人は三か月前に父公爵を亡くし、その仕事を引き継ぐかたわら、近衛このえ騎士として王宮に勤めている大変忙しい人なのだそうだ。

「王族の警護に貴族の仕事……確かに結婚相手なんか探してる暇もないのかもね……」

 契約を結ぶにあたり、先方から条件が二つだけ提示された。

 その条件は、『許可なくしきの敷地から出ない事』と『互いの生活に干渉しない事』。

 母親も既に他界しており、兄弟も、同居する親族もおらず、本人も王宮に部屋を貰ってそちらで生活することが多いそうで、気兼ねする必要はないと言われている。

 社交に関しても必要はなく、もちろん夫婦としての生活も必要ないとのことだった。

 つまり『構うつもりは無いから屋敷の中で好きにやれ』ということらしい。

「何にもしなくて良いなんて、逆に申し訳なくてストレスがまりそう……その辺は話し合う必要がありそうよね」

(うまくやっていけると良いな……)

 そう思いながらオリヴィアは、徐々にはっきりと輪郭を持ち始めた街を眺めた。


 それからしばらくして、馬車は王都の門を潜り、開けた街中に入った。

 リアレンドの王都は、当然だがこれまで自分が見たことのある田舎の地方都市とは比べようがない程大きく、洗練された街だった。

 一番高い丘の上に壮麗な王宮を据え、その周囲を貴族の邸宅と教会や裁判所などが取り囲む。緩やかな坂に沿って整然と屋根が並び、それが太陽の光を反射してキラキラと光る。そんな街並みを眺めながら馬車はゆっくりと坂を上り、王宮から見て東側──緑が多く、さほど建物の密集していない区画へと進み、現れた重厚な門の一つに入った。

 林に囲まれた石畳の道を進み、やがて視界の先に鈍色の屋根の大きな屋敷が現れる。

 屋敷の前に広がる見事な庭園の間を進んだ馬車は、正面に広く造られた馬車回しでぴたりとまる。

 外側から扉が開かれるのを待ちながら、その眼前の光景にオリヴィアは思わず息をむ。そこには同じお仕着せの使用人たちが整然と列をなし、オリヴィアを出迎えていた。


「──当家の執事を務めますハロルド・マイセンと申します。オルド公爵家使用人一同、奥方様のご到着を心よりお待ち申しあげておりました」

 前に進み出た初老の男が、胸に手をあてオリヴィアに向けて静かに腰を折る。

 とがった顎と、銀縁眼鏡の奥の細い目が少し神経質そうな印象を与える男だった。

「旦那様がお待ちです。お疲れのところ申し訳ございませんが、まずはこのまま……」

 そう言って先導する背中を追って、こうべを垂れる使用人の間を落ち着かない気分で通り抜け、案内されたのは屋敷の二階の一室、屋敷の主の執務室だという部屋だった。

「ご到着されました」

 扉をたたいたハロルドが中に向けて声をかけるとすぐに「入れ」と落ち着いた低めの声が返ってくる。

「随分かかったな」

 屋敷の思った以上の大きさと出迎えの使用人の多さに戸惑い、緊張でうつむきながら部屋に足を踏み入れたオリヴィアにかけられたのは、長旅を終えた客人に向けるにはいささかそっけない、そんな言葉だった。

「城下が込み合っておりましたので、かいしたようです」

 ハロルドの冷静なとりなしに気のない返事をして、声の主が座っていた机から立ち上がる気配がした。

 オリヴィアは伏せたままだった顔をそっと上げ、そして思わずはっと息を呑む。

 目に飛び込んできたのは、深く、引き込まれそうな藍色の瞳だった。

(夜の空の色みたい……)

「──長旅ご苦労だった。シオン・アルシュタークだ」

 すらりとした長身に、瞳の色を更に深くしたような濃紺の騎士服を着こなした男が、こちらに目を向ける。

 暗めのアッシュブロンドの髪に、すっきりと伸びたりよう。鋭く、だがどこかうれいを含んだ深い色をたたえた目元……書面で何度か目にしていた名を口にしたのは、硬質な彫像のような美しさを持つ男だった。

「……オリヴィア……バーレイです」

 返事をしようと喉から出た自分の声は、思いのほか、室内にか細く響いた。

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