第44話 前途多難
その夜。
港町ポルタの宿の一室では、ランプの灯りがやわらかく壁を照らしていた。
ルーナはテーブルに温かいお茶を置き、エルザを招いて作戦会議を開く。
「ここも美味しいご飯だったわね! あの魚料理、最高だったわ!」
「ふふーん、かーちゃんの料理は天下一品なのさ!」
お腹をさすって笑うルーナに、エルザは得意げに胸を張る。
その様子にナミが一つ咳払いをした。
「……さて。明日からはいよいよセレーネブルーへ向けての準備ですね。まさか、何も考えていないということはないでしょう?」
「もちろんさ、ナミ! まずは船を用意するのさ。造船所に行けば、すぐにでも一隻作ってもらえるはず!」
「それで船は解決ね。次は備品の準備かしら?」
「それも市場で調達するなり、あたしが作るなりすればバッチリなのさ!」
自信満々のエルザに、ナミはじとっとした目を向けた。
「――ずいぶん順調に聞こえますが、それなら今までも誰かがセレーネブルーに行けたはずですね?」
「う、うぅ……それがな……」
エルザが頭をかきながら視線を逸らす。
「セレーネブルーへの海図が、ないのさ」
「やはりそうでしたか。おとぎ話扱いだったくらいですしね」
「だとしたら、今いちばん必要なのは海図ってわけね」
「その通りなのさ! とりあえず明日は港の漁師たちに聞き込みだ!」
「決まりですね。では今日はもうお休みになりましょう」
ナミがそう言って席を立つと、部屋の明かりが少し柔らかく揺れた。
ルーナは小さく息をついて、隣のエルザに笑みを向ける。
「……エルザと出会ってから、毎日が騒がしいわ。でも、きっと楽しい旅になる」
「当たり前なのさ! セレーネブルー探検隊、絶対に成功させるのさ!」
二人の笑い声が夜風に混じって消えていく。
こうして――ルーナたちの新たな航海は、静かに幕を開けようとしていた。
翌日、ルーナたちは船を用意するため、港の造船所へと足を運んでいた。
「まずは船を用意するのさ!」
「なんか冒険の始まりみたいで、ワクワクしてきたわ!」
『ぼくもワクワク!』
エルザとルーナは胸を高鳴らせ、アルスは巨体を弾ませながら潮風を吸い込む。
その様子を見たナミは、あきれ半分に現実的な言葉を添えた。
「セレーネブルーがどんな海域かも分からない以上、半端な船で妥協するのは得策ではございません」
「それなら心配いらないのさ! ここの職人たちは腕が立つんだ!」
港の奥に広がる造船所は、木槌の音と潮の匂いに包まれていた。
真新しい船の骨組みが吊り下げられ、職人たちが汗を流しながら木材を削っている。
鉄と油の匂いが風に乗り、ルーナは目を輝かせた。
「これが造船所……! すごい活気ね!」
するとエルザが手を振り上げ、大声で呼びかけた。
「すいませーん! 船を作ってもらえないかー!?」
元気いっぱいの声に、屈強な職人の一人が反応する。
「エルザ、またお前か! どーせセレーネブルーに行ける船を作れって言うんだろ?」
「おお、話が早いのさ!」
気さくな笑みを向けるエルザに、職人は深いため息をついた。
「あのなあ、セレーネブルーなんざおとぎ話だ。海図もねぇのに船なんか作れるかよ」
「そこをなんとか頼むのさ~!」
「駄目だ駄目だ。どこに行くかも分からん奴に、命を預ける船を渡せるか!」
粘るエルザだったが、職人の頑固さは岩のようだった。
「――簡単に用意できると言っていたのはどなたでしたか?」
冷たい笑みを浮かべたナミの指摘に、エルザは頬をかきながら苦笑い。
「あはは……つい調子に乗っちゃったのさ。でも今日は違うのさ!」
エルザは勢いよくルーナとアルスを前へ押し出した。
「こちらはダックリバー公爵家のご令嬢にして蒼水の盾の名誉騎士ルーナ! そして、守護獣シャチのアルスなのさ!」
「え、えっと……ルーナです」
「キュイっ!(こんにちはー!)」
ルーナは少し照れながら挨拶し、アルスは胸びれを振って元気に鳴いた。
職人は目を丸くして言葉を失う。
「ダックリバー家の名誉騎士……しかもその生き物は……!?」
「そう、セレーネブルーの伝説に登場する海獣・シャチなのさ! 本物だぞ!」
アルスの背を叩きながらエルザが胸を張ると、職人は思案げにあごを撫でた。
「確かに……そんな伝承を聞いたことはある。だが、海図がなきゃ船は作れねぇ。沈めちまったら俺たちの沽券に関わるんだ」
「むぅ、おっちゃんのケチ~!」
ルーナたちは結局、海図を持たぬまま造船所を後にするしかなかった。
「ケチなのさ! 船の一つくらい作ってくれたっていいのに!」
「しかし職人様のおっしゃることも道理です。彼らも命を預ける船を作っておられるのですから」
「それも……そうか。ごめんな、ナミ。ついカーッてなってしまったのさ」
「わたくしに謝られても困りますが……」
エルザの子供っぽい言い訳に、ナミはため息をつく。
だが、その空気をルーナが手を叩いて切り替えた。
「それよりも、海図が必須ってことが分かったわ!」
「そう! なら次は情報収集なのさ!」
「キュイ~!(いくぞ~!)」
「ちょっと、二人とも待ちなさ~い!」
勢いよく駆け出したエルザとアルスを追い、ルーナとナミは港のハンターギルドへ向かう。
昼前のギルドは相変わらず酒と笑いに満ちていた。
潮とアルコールが混じる空気に、ルーナは思わず鼻をつまむ。
「うう、やっぱりお酒臭い……!」
「あはは、ここは朝でも夜でも宴会みたいなもんなのさ!」
「昼間から飲んでるの!?」
「それがポルタの流儀なのさ~!」
そんな賑やかな中、ルーナが尋ねた。
「エルザ、もしかしてあなたもハンター登録してるの?」
「もちろんさ! 探検少女にギルド登録は必須なのさ!」
頼もしく胸を張るエルザに、ナミがすかさず確認する。
「では、顔馴染みの方がいらっしゃるのですね?」
「当然さ! 任せておくのさ!」
――が、エルザがハンターたちに声をかけても、返ってくるのはそっけない反応ばかりだった。
「……ダメだ、誰も信じてくれないのさ」
「いつもその調子なら仕方ありませんね」
「エルザ……」
ルーナが慰めようとしたとき、エルザは拳を握って立ち上がる。
「めげててもしょうがないのさ!」
「復活早っ!」
そのとき、ギルドのざわめきを割くように低い声が響いた。
「――お前さんたちか。セレーネブルーを探してるというのは」
ルーナたちが振り向くと、片目を黒い眼帯で覆った老漁師が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
潮風に焼けた皮膚、深い皺の間に刻まれた眼差しには、長い航海の記憶が宿っていた。
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