Prolog 3

 ここで終わりなのか──

 旋が中身のない十二年間の走馬灯を見ていると、


「旋くん!」


 圭が旋を押し退け、いつの間にか帯刀していた木刀で魔術師の刀を弾き返した。

 一方、圭に突き飛ばされた旋は勢いよく地面に転がされ、その拍子に桜の苗木を折ってしまう。


「……ッは」


 両者譲らぬ剣さばき。

 魔術師が僅かな隙を狙って刀を振る。それら全てに対応し、着実にカウンターを決める圭。

 敢えて隙を作って刀を振らせている。

 圭の方が優勢だった。

 しかし、魔術師は未だに魔術を見せていない。

 魔術師は体制を立て直すべく、後方に大きく飛び上がり、塀へと着地する。


「旋くん! ぼーとしてねぇで警察呼べ!」


「わ、わかった!」


 旋は圭の言葉に現実に戻された。


「圭! そいつまだ本気じゃない! 逃げた方がいい!」


 そう言って旋は固定電話へと全速力で向かった。


「本気じゃない……? そりゃこっちも一緒だ……全力マジで行くぜ」


 圭は前髪を上げ、青白い左目を輝かせ言った。


 ─────────────────────


「もしもし、こちら天霊警察署。事件ですか。事故ですか」


 電話の向こう側から落ち着いた声が聞こえる。

 その声だけで少しだけ冷静になることができる。


「じ、事件……事件です! 家の庭で般若のお面をつけた男が刀を振り回しています!」


「……な、るほど……? 場所は?」


 しまった。圭に連れて行って貰うからってしっかり住所を把握していなかった。


「えーと……あ! 『あじじまん』っていうレストラン! そこの裏の家です!」


「『あじじまん』……わかりました。それではパトカーを向かわせますが、五分程の到着になるかと思われます。決して近づかないようにお願いいたします。念の為電話は繋ぎ────」


 電話口の警察官が次の言葉を発しようとした瞬間。

 壁を突き破り、圭の背中が旋の顔面に落ちてきた。

 その拍子に固定電話が破壊された。

 その身体は見るに堪えない程にボロボロで切り傷が目立つ。


「ぐぅ……ごめん旋くん……あいつやばい……花弁使って攻撃してくる」


「花弁……!? まさか……」


 般若の面をつけた魔術師が崩壊した壁を乗り越え、二人に近づいてくる。


「お前……一般人に魔術を使用したな……?」


 魔術師の周りには無数の桜の花弁が漂っている。

 魔術の使用にはいくつか『魔術協会』の規定によって制限がある。

 そのひとつが一般人に対する魔術の使用は厳禁であるということである。

 もし、覇山の魔術師であるのなら知らないはずがないのだ。


「『一般人』? そんな者この場にはいませんよ旋様?」


「どういうことだ……? 俺はともかく圭は一般人だろうが」


「嗚呼……勘違いをしておられますなぁ旋様。圭は『魔眼』持ちですから一般人ではありませんよ」


「 「な、」」


 圭が魔眼持ち?

 知らなかったのは旋だけではなく 当の本人すらも驚いている。

 確かに圭の左目は右目の焦げ茶に比べるまでもなく青白い。


「この世に存在する物事の『流れ』を視認する『流眼るがんですか……然し、魔術のいろはも知らぬ小娘が持っていたとしても宝の持ち腐れですな』


「……目で見えててもそれに身体が反応しねぇ……妙な力だ気持ちわりぃ」


 圭は唾を吐いて立ち上がると、折れた木刀を魔術師に向けた。


「おい! てめぇだろ!? あたしの父さんと母さんのことどっかにやったやつ! 何処に行ったのか教えやがれ!」


 早朝の薄暗い部屋に圭の怒号が響き渡る。


「ふ……はっはっはっ……!」


 魔術師は声を上げて笑う。


「何が可笑しい……!?」


「いやぁ……なに。旋様はとっくにご存知なんでしょう? 意地悪なお方だ……教えて差し上げればよろしいのに……になってしまったということを」


 圭の木刀が力なく地面に落ちる。


「ッッ!! 外道!!!」


「い、行くな旋くん!!」


 旋は自身の魔力をフル回転させ、地面を蹴る。

 魔術師は刀を指揮棒のように振り回し、桜の花弁を旋に向けて放つ。


「乱れ裂け……『桜切おうせつ


 包丁よりも鋭い桜が旋の身体を切り裂くその瞬間──花弁が旋の目の前でピタリと停止した。


「そこまでにしとけ……石崎……」


 魔術師の背後から老人の、だが如何せん健康な声が聞こえてくる。


「『色彩流忍術・影踏み』か……『黒』……貴様何故こんなところにいる?」


「ジジイの朝は早ぇのよ。日課の散歩だ」


『黒』はこちらに近づいて来る気配すらない。

『影踏み』というのが何かは旋には分からないが、対象を動けなくする魔術なのだろう。

 すると遠くからパトカーのサイレン音が聞こえて来る。


「ここはお互い手を引くべきじゃねぇか? てめぇの『幻影桜』で多少は認知に障害が出てるとは言え、まじもんを見ちまえば混乱は避けられねぇぞ」


「そして世を忍ぶ身として貴様にも問題がある……なるほど……良いでしょう」


 そう言った瞬間、桜が魔力の粒子となり消える。

 それを見た『黒』は『影踏み』を解除して近づいてくる。


「圭、旋様。またお会いすることを楽しみにしております。では」


 おもむろに般若の面を外すと、魔術を発動した。

 旋が圭を庇うように手を広げる。が、攻撃は来ない。

 魔術師──魔術師、覇山家執事長石崎淳平は自身の桜の花弁が台風の目の如く集まり、散ったかと思えば、そこに石崎はいなくなっていた。


「石崎……」


「……」


 圭が木刀を拾いながら呟く。


「大丈夫か? ガキども」


 ランニングウェアを着込んだ老人が二人に手を差し出す。

 旋はその手を取り、立ち上がろうとするが、足に上手く力が入らない。


「焦らんでいい。ゆっくり立ち上がれ」


「助けてくれてありがとうございます……あ、あの貴方は……?」


 何とか立ち上がった旋が『黒』と呼ばれた老人に尋ねる。

『色彩流忍術』という忍術を使ったということは忍者なのだろうか、どちらにせよ只者ではない。


「そんな事よりポリ公どもがすぐそこに来ておる。『どろん』するぞ」


「は? 『どろん』?」


 すると、老人は地面に何か球を投げつけた。

 球は地面に接触すると破裂し、勢いよく煙を吹き出した。

『黒』は旋と圭の二人を脇に抱え、とてつもない速さで走り出す。

 魔力によって加速した『黒』は屋根から屋根へと器用に渡っていく。

 その速度は空を駆ける流れ星よりも速いと錯覚する程だ。


「警察にもツテはあるが、そういうのはあくまで最終手段よォ」


 これだけのスピードでも息を一切切らしていない。


「こ、こ、こ、これ、か、からどこへい行くんですかー!」


「とりあえずワシの家だ。行く宛てねぇだろ?」


『黒』の家に到着するまで圭が口を開くことはなかった。


 ─────────────────────


 それから十分程経っただろうか。

 とある民家の前で『黒』が立ち止まった。

 降ろされた旋は思わずその場で嘔吐く。

 その民家というのがまさに幽霊屋敷と呼ぶに相応しく、お世辞でも良い家とは言い難い景観であった。

 ───頼むここじゃないと言ってくれ。

 という旋の心の叫びは無情にも『黒』の「ここだ」という言葉によってかき消された。


「……で、あ、改めて助けて頂きありがとうございます……あ、あの俺覇山旋って言います。お名前聞いても大丈夫ですか?」


「おう。良いってことよ。ワシは烏養晋助うかいしんすけ。朝廷直属忍者隊『色彩』の十三代目当頭でござる」


 ニンニン、と忍者のポーズをとる。


「……えーと。あ、こっちの女性は桃瀬圭って言います。……そっとしておいてあげてください。今は」


 圭はうずくまったまま、動く気配がない。

 それでも折れた木刀はしっかりと握ったままで、その腕には血管が浮き出ている。


「そうか。覇山旋、覇山のガキか……旋。てめぇ幾つだ?」


「今年で十一歳になりました」


「十一か、ワシがてめぇの歳の頃よりもしっかりしてやがる。てめぇはいい忍になるぜ」


 今、聞き捨てならないことを聞いた気がする。

 晋助は腕を組み、心底嬉しそうな顔をして旋を見ている。

 まあ勘違いだろう。


「忍ですか……そうですかねぇ」


 旋は戯言だと受け取り、そのまま受け流す。


「てめぇだけじゃねぇそこの圭ってやつもだ。いやぁ新しい弟子を探してたんでな。丁度良かったぜ」


「え? ちょ、ちょっと待ってください!? 弟子になりたいなんて一言も言ってないです!」


「おいおいてめぇワシがてめぇらを助けてやったこと忘れたのか? 嫌だとは言わせねぇぞ」


 先程のことを引き合いに出されては真面目な旋は困ってしまう。


「だ、だとしても俺には魔術の才能はないですからね! 烏養……さんのような忍術は使えないと思いますよ!」


「てめぇ……師匠と呼べ」


「なんなんですか! もう!」


「てめぇの才能があるかないかはワシは知らん。ワシはてめぇの人の為に怒れる心にハートを撃ち抜かれた」


 晋助はジャージのポケットから鍵を取り出すと、錆びれた扉を開いた。


「誰でも良いって訳じゃねえよ。てめぇらが良かったんだ」


 晋助が二人を置いて家の中へとはいっていく。


「……行こう」


 旋は圭の手を引き、彼に続いていった。


 ─────────────────────


 家の中は想像していたよりも綺麗で、整理整頓がしっかりとなされている。


「適当に座ってくれ」


 そう促され、リビングに案内される。

 ごくごく一般的な、慣用する言葉もない程の普通の家だ。


「さっきの話だが」


 と、晋助がコップ三つと、麦茶をテーブルの上に並べる。


「弟子にはなりたくねぇってか?」


 用意したコップに麦茶を注ぎながら言う。


「いや、そういう訳ではないんですけど」


「なら何故だ。先刻のようにまた魔術師が奇襲を仕掛けて来るかもしれんのだぞ。ワシがたまたま居合わせたから助かったものを……」


 そうだ。さっきのように魔術師に襲われる可能性があるのなら断る理由もない。

 強くならなければならない。

 しかし───


「──俺には戦う才能がない……覇山なのに魔術を使えないし、覇山なのに魔力も少ない……武器もで持つことすら叶わない……覇山なのに……」


 テーブルに水滴が落ちる。

 日本有数の名家の生まれであるはずなのに戦うことのできない劣等感。

 圭に守られてしまったという男としてのプライドが旋を苦しめている。


「……なぁ旋。ワシはてめぇの親でも、ましてやてめぇ自身じゃねぇからその感情を理解することはできない。だが、てめぇの悔しいって気持ちはしっかりと伝わった。どう足掻いても仕方がねぇから諦めるしかねぇんだよな」


「なら」と、続けて言う。


「無理強いはしない」


 旋は拳をテーブルの下で握る。


「悔しいです……才能がないだけで諦めなければいけない現状が……何もできない自分が……」


 心のどこかで諦めきれなかった思いが溢れ出す。

 旋は覇山家の人間だ。才だけで諦められる程に弱いはずがない。


「ッ本当は! つ、強くなりたい! 大切な人を守りたい! もう二度と、身近な誰かに、圭に、あんな思いはさせたくない!」


「──おう。」


「こんな俺でも強くなれるのなら……お願いします! 弟子にしてください……!」


 頭を晋助へと下げる。


「もちろんだ」


 すると、今まで静かだった圭が口を開く。


「……なぁ旋くん。なんでコイツのことそんなに信用してるわけ?」


「え? や、そりゃだって助けてくれたし、良い人っぽいし……」


 圭は頭を抱え、ため息を吐く。


「明らかに怪しいだろ。大体なんなんだよ魔術師とか魔術とかって」


「……いやいやあるんだって。圭だって見ただろ。般若のやつと烏養さんが屋根の上を八艘飛び《はっそうとび》してたやつ」


 どちらも圭の目で見て、身体で体験している。

 これを信じずして何を信じると言うのか。


「……認めねぇ。母さんと父さんがそんな非科学的なものに殺されたなんて認めてたまるか!」


 圭にとって両親は常に心の支えであった。

 そんな両親を魔術で消されたとなれば混乱は必然と言える。


「じゃ、じゃあ圭はここから出てくってこと? ここが安全って保証はないけど、外で一人なんてもっと危険だ!」


「は? 誰もそんな話してねぇだろ」


「え?」


「アタシが言ってるのはこんな胡散臭いジジイを信じすぎるなって言ってんだ」


「それに」と圭は麦茶を飲み干すとダンっとテーブルに叩きつける。


「イライラしてんだ……悪ぃが両親が殺されて悲しいよりも怒りが勝ってる……そんな自分にも……」


 鬼気迫る表情に旋は思わずたじろぐ。


「だからよジジイ……アタシはアタシの復讐の為に利用させてもらう。憎しみは何も生まないなんて綺麗事言うンじゃねぇぞ」


 圭は目を逸らすことなく真っ直ぐ晋助を見詰める。

 彼女の左目は爛々と青白く輝いている。

 晋助もそれに応える。


「て、てっきり反対してるのかと思った」


「ワシも」


「違ぇよ……手放しで信用すんなって何度も言ってんだろ。あとジジイ。アタシがてめぇよりも強くなったら旋くん連れて出てくからな」


 その言葉に晋助は大きな笑い声をあげる。


「何がそんなに面白い!?」


 涙を指で拭いながら答える。


「いや何。ワシ今七五歳なんだけど、その時にはワシは生きてるかな〜て思ってよぉ」


「てめぇ……!」


 身を乗り出して殴りに行こうとする圭と、それを宥める旋。


「心は決まったな。では今から大事なこと言うぞい」


 パンと手を叩き、旋を見る。

 一体何を言われるのかドギマギする。

 やはり、修行の内容だろうか。はたまた『黒』のようにコードネームの話だろうか。


「てめぇは、覇山旋は今日を持って死んだことにしろ」


 予想外の言葉に旋は絶句するしかできなかった。







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