第14話 願いを叶える者

 妖は結界をくぐれない。

 でも、龍は穢れなき妖だ。幾らでも結界を潜れる。

「……自分が助けた妖に殺されろ」

 殺されろ殺されろ殺されろ。

「おい龍、まず人を狙え」


 そうやって視線を動かした。

 真っ直ぐな瞳と目があった。


「香久耶さんは、子供だったんです」

 妖と目を合わせることの恐ろしさも知らない、純粋で綺麗な黒。

「貴方と同じように、香久耶さんも大切な人を亡くしたんです」

 少女の瞳が微笑む。

「……お母様のこと、大好きだったんですね」

「……んな訳ねぇよ。だって、俺は——」

 泣く母も知らず悪行を重ね、追放されるように村を出て、二度と帰らず、母が死んだ八年後にその事を知った。

 そんな親不孝なクソガキだった。


 彼女は微笑う。

 星のかけらのような、綺麗な光を宿す涙が、その頬を伝う。

「何百年も、この土地に留まって。妖になってまで母の仇を討とうとしたんでしょう? これのどこが愛じゃないんですか?」

 龍は動かない。

 神も、妖狐も動かない。

「俺は、良心なんて持ってねぇよ‼︎」

 少女は、首を振る。

「愛してないよ! みんなみんな大っ嫌いだよ! やめろよ! 俺は殺したいんだ‼︎」

 殺したい、俺ごと全部殺したい。

 そうすればきっと……!


「……妖と言っても、君は悪霊だ」


 ようやく神が言葉を発した。

「穢れすぎた君を、召すことはできない。でも、俺は君を見捨てたくない」

「……偽善者」

「神様っていうのはそういうものだよ」

 神は結界という守護の外に出てくる。

 そうして真っ直ぐな瞳を向ける彼は——ただの一人の、青年。

「俺も、俺の中の一番大事な人を亡くした。苦しくて悲しくて、何度も消えようとした。……でも、莉月が邪魔してくれた。今は凄く、感謝してる」

 俺も同じだよ、おこがましいけど。

 神はそう言って、敵を抱きしめる。

「ごめんな、俺はお前みたいな奴を真っ先に助けなきゃいけなかったのに。みすみす死なせた。独りにさせた……」

 喉が震える。手まで震える。


「済まなかった。本当に、済まなかった……」

「うる、さい……!」


 神殺しの凶器。


 凛の悲鳴も、莉月の脚も届かない。


「……いいよ」



 石畳を。

 赤色の滝が落ちていく。



「……」

 べっとりと着物に血をつけた妖は、よろよろ立ち上がる。

「……なん、だよ。かみさまの、くせに」

 その胸を、莉月が突いた。

「お前……! お前、なんてことを‼︎」

 爪を立てようか、牙を立てようか。

 早く。

「おのれ……‼︎」

 早く八つ裂きに——!


「やめろ……莉月」


 凛の肩を借りて、香久耶は身を起こす。

「り……ん……ごめ、ん……」

 ずる、とその体が滑って、血溜まりに落ちる。

「香久耶さん‼︎」

 凛は悲痛な声を上げる。倒れ伏した体を揺する。

「お願い——! お願い、置いていかないで‼︎」






「お願い……」


 一人の少女は願う。

「お母さんが元気になりますように……」

(……大変)

 凛は少女の背負う籠の中に、薬草があることに気が付いた。

(足りない……。少し、嵩増ししましょうか)

 その作業を終え、凛は苦く笑う。

「香久耶さんの気持ち、本当に良く分かる……」

 ……自分は叶わない願いを願い続けているのに、私たちは他の人の願いを叶えなきゃいけない。


「……本当に、辛い作業」


 桜の木から飛び降りて、人の目に触れぬ神は、本殿の中に消える。

「……香久耶さん……」

 西陽が室内を満たす。

「もうそろそろ……起きて下さい」

 冷え切った手に触れる。脈のないまま、三十年以上存在する躯体。

「あなたは……死んでいるんですか? ならどうして、消えない上に腐らないんですか? 私は——」

 この、相手のいない問答は——。


「私は、どうしたらいいの?」


   ——いつだって、苦しい。

(貴方のそばにいる時は、できるだけ笑ってたいのにな……)

 涙を拭いながら、凛は笑う。

(貴方に逢ってから私、随分と泣き虫になってしまいました……)

 でも、貴方が後悔していた事をしないように……。


 肩に、神様の羽織をかけ、新しい神は今日も願いを叶える。

 そうしていれば、いつか。

 死んでいるようで死んでいないこの人が、もしかしたら起きるんじゃないかという淡い期待。

 凛は、何かへ祈りながら目を閉じた。





 雀が鳴いた。


(ん……? ああ、私、こんなところで眠ってしまったのね)

 淡く温かくなっている彼の手を離して、立ち上がる。

 体の時が止まった時、毛先の方が白になってしまった髪を高く結い上げる。

(あの時は背中の半ばだったのに……)

 今や、背中の下の方まで髪が伸びている。何度か切ったけれど、また切らなければ。


 髪を高くひとつ結びにして、着物を着て。

 彼の着物を羽織れば、今日の業務開始だ。


 莉月さんは、あの時から眠っている龍の監視を続けていて離れられない。

 神社裏手にできた池に、朝ご飯を運ぶ。

「莉月さん、おはようございます」

「……あの馬鹿神は?」

 凛は黙って妖狐に首を振る。

「そうですか……全く、いつまで眠っているつもりなのやら……」

 返事を求められている訳でないと知っているから、凛はただ黙っている。

 莉月は人間らしい食事を終えると、橋の上で丸くなった。

「凛さまも、ご無理をなされぬよう」

「……はい」

 凛はそこから掻き消えた。

 妖狐は麗らかな春の空気をしばし見上げ、また腕の中に顎を落とした。

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