第二章

第7話 長安へ

 ところが、大伴部博麻の命は、つながった。


 唐軍の捕虜となった日本兵が連行されたのは、熊津都督府(ゆうしんととくふ)内にある捕虜収容所であった。


 熊津都督府は、旧百済領内に現在の朝鮮半島中南部忠清南道に唐国が設置した支配拠点だ。ここに百名を超える日本兵が幽閉されたのだが、居房は決して粗悪ではなく、十分な食事も提供された。だが、博麻は恐怖から免れることはなかった。


(首をはねられるのは、今日かもしれない……)


 来る日も来る日も、朝を迎えるたびに処刑宣告を想像して怯えてしまう。戦場で捕えられた時に死を覚悟したはずなのに、命の猶予期間が延びれば延びるほど、命は惜しくなる。持続的で終わりのない恐怖の植え付けこそ、まさに「極刑」であると思い知らせる日々が続いた。


 転機は何の前触れもなく、突然訪れる。


 収容から三ヶ月が経った天智天皇二年(六六三)十一月のことだった。博麻が属していた筑紫薩夜麻の部隊員たちの居房の格子が開かれた。隊長の筑紫薩夜麻を筆頭に、大伴部博麻ら旧隊員がついに幽閉を解かれたのだ。


(ついにその時が来た……)


 博麻はいよいよ処刑を覚悟したが、実際は違った。獄舎の外に出された旧隊員たちの身柄を唐国兵たちが固め、次々と都督府の城門をくぐり、外に出ていくではないか。博麻と薩夜麻もまた兵士に脇を固められ、都督府の外へと引きずられていった。


(どこに連れられるのか?)


 戦々恐々とする博麻らを連れた一行は、なぜか港に到着した。そこには一隻の唐船が待機していた。見た目は軍用船ではない。訳も分からず乗船させられると、唐船は慌ただしく出航した。大海に揺られること十日。十二月に入り、登州(現在の山東省)に到着すると、今度は陸路をひたすら歩かされる。ひと月が経ち年が改まり、博麻らを待ち受けたのは、この世のものとは思えぬ華やかなる大城市。唐の都、長安であった。


 ここまで来ると、我々は処刑はされない、というのは捕虜たちの共通認識として広がっていた。代わりに、この世界一の大都会の中で何らかの形で「利用」されるのだと。何かしらの役割を与えられ、それを忠実に遂行することを求められるのだと。


 ここで長らく共に連行されてきた日本兵たちがひとりまたひとりと、捕虜収容施設を離れていく。才があると認められた者は役人として起用されよう。中には対日外交官として育成される者もいるかもしれない。だが、そうでないものは、奴隷として売られるのだろう――


 博麻はなぜか、上官の筑紫薩夜麻と共に、中級役人用の官舎に送還された。そこにはすでに数人の捕虜が「先住」していた。


(ここで、何をせねばならないのだろう)


 博麻は命こそつながったものの、先の見えぬ未来を憂いた。


 官舎内の築年数が著しい古い小屋に押し込められ、「軟禁」状態の生活が始まった。それは、来る日も来る日も何ら変化のない、食事だけ与えられただじっとしていることを強いられる日々だ。


 光陰矢の如し。


捕虜となって七年の歳月が流れた――



(つづく)


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