第4話 国の命令と惜別と

 現在の福岡県八女市にあたる筑後国八女郡、当時の名称で上陽咩郡(かみつやめぐん)に生まれ育った大伴部博麻は、農夫の次男坊として平々凡々に暮らしていた。温和な性格ながら長身でほどよい肉付きを持ち体力には自信がある。率先して重労働に勤しむ姿は、周囲の人たちの中で「気が優しくて力持ち」との定評を得るに至っていた。


 ところがそんな何気ない穏やかな日常から、まさか自らの運命が暗転することになるとは、夢にも思わなかった。緊迫する朝鮮半島情勢が、博麻の人生を百八十度変えてしまったのだ。


 斉明天皇六年(六六〇)、日本と友好関係にあった百済(くだら)が、半島内の敵対国である新羅(しらぎ)と唐国の連合軍により滅ぼされた。すると百済復興を目指す旧臣らが日本に協力を要請、時の権力者である中大兄皇子(後の天智天皇)はこれを承諾した。着々と軍備を進め百済難民を受け入れたことで、唐・新羅との対立は深まった。


今年に入ると、唐・新羅連合軍との全面衝突が避けられない情勢になる。朝鮮半島に向けた遠征軍の増員に伴い、中央政府である大和朝廷は急遽九州の広範囲で民間人に徴兵をかけた。小さな村でひときわ目立つ体力自慢の若者が目をつけられるのに時間はかからず、筑後の国役所から大伴部博麻に召集命令が下された。それは拒否することなど断じて許されぬ国家命令であった。


「日本の船隊を大軍に見せるための数合わせだ。最後方の部隊に配置されるため、戦闘に巻き込まれることはまずないだろう」


 博麻は役人からそう説明された。両親からは、「お国のためだ。すぐに帰れるからとりあえず参加しろ」と言われた。十歳離れた兄は「日本は百済の手伝いに行くだけだろ。長引きそうならさっさと撤退するんじゃないか」と軽く考えていた。本当にそうだろうかと懐疑心も抱いたが、「村の体面を保つためにも一肌脱いでくれ」と村長から直々に諭され、ついに徴兵を承諾したのだった。


 応召を報告するやいなや、そのわずか五日後の六月十日の太宰府行きを慌ただしく命じられる。博麻ら臨時兵士は太宰府に集められ訓練を受けた後、九州後援隊の名目で博多から出征し、政府軍本隊に合流することになっているのだという。


出発の朝を迎えた博麻の家に、ひとりの少女が訪ねてきた。竪穴住居の入り口の前でもじもじと立っているのを、博麻が見つけたのだ。


「つぐみ……」


「博麻さま……」


 同じ村に住む、幼馴染のつぐみ。農家の一人娘で十四歳、両親同士が仲が良く互いの水田が隣り合わせで、農作業では常々顔を合わせている間柄だ。


「行ってしまうのですか?」


 つぐみは、その大きな瞳を潤ませながら、博麻をじっと見つめている。その無垢な目力に圧倒されそうになった博麻は、小柄な彼女に合わせるように首を下に傾け、一つぐっと息を呑んでから語りかける。


「ああ、でも、大丈夫だよ。すぐに帰ってくるから」


「本当に?絶対に?」


 短い言葉に、つぐみは切実なる願いを込めているのが伝わる。


「うん」


 博麻は頷いたが、すぐに帰還できる確証は全くないだけに、次の言葉に詰まってしまった。そんな博麻の心中を見透かしたつぐみは、薄い唇をぶるぶる震わせながら、か細い声を懸命に発した。


「お願い!生きて、生きて帰ってきて」


「ああ、もちろんだよ。必ず……」


 瞳孔が開き今にも涙がこぼれ落ちそうなつぐみに対し、博麻は「生きて帰れないかも」という不安が一気に押し寄せ、さらに間違いなく再会できることを約束できないもどかしさに襲われた。


彼女の純粋さは、動揺し始めた博麻を遥かに圧倒していた。胸にためた想いを振り絞るように、確かな口調で、つぐみは言葉を繋げた。


「無事に帰ってきたら、夫婦になってくれますよね?」



(つづく)

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