第二話:賢者と毒薬
第二話:英雄と毒薬
賢者の屋敷を出てギルドに戻る道すがら、バロウスは一言も口を開かなかった。
ただ、その横顔には友を失った悲しみとは別の、硬い覚悟のようなものが滲んでいる。
冒険者ギルドに戻り、ギルドマスター室の重厚な扉を閉め、バロウスはようやく口を開いた。
「すまんな、サイラス。お前を面倒事に巻き込んで」
「今更だろ。で、何か心当たりは?」
「……ありすぎる」
バロウスは執務机の椅子に深く沈み込み、こめかみを押さえた。
「リュシアンほどの存在だ。敵もいれば、その力を利用しようとする者もいる。あいつは永く生きていた。しかし家族と呼べるのは神殿にいる養女のフィリア嬢くらいのものだ。」
バロウスは一度言葉を切り、続けた。
「特に最近は、王位継承を巡って貴族共が不穏な動きを見せていた。リュシアンは第二王子を支持する穏健派の、いわば精神的支柱だったからな。第二王子は幼い頃からリュシアンに師事し、歴史と対話を重んじる聡明な方だ。一方、第一王子は武力による領土拡大を公言してはばからん。リュシアンは、この国の未来を深く憂いていたんだ」
「対立する第一王子派、か」
面倒な話になってきた。政治の匂いがする。
「ああ。奴らの筆頭はマルドゥーク公爵だ。もし奴らが動いたとすれば……」
バロウスはそこまで言うと、苦々しく顔を歪めた。
「ワシはギルドマスターとして、表立っては動けん。すべてお前に任せる。必要な権限は、裏から回そう。まずは何から始める?」
「情報収集だ。表と、裏のな」
俺は短く答えると、執務室を後にした。
賢者の死の真相。その糸口は、きっと王都の光と影が交わる場所に落ちている。
◇
湿った石畳と、得体の知れない汚水の匂い。表通りの華やかさとは無縁の、“影溜まり”は欲望と情報が渦巻く場所だ。
「よぉ、元Sランク様。こんな暗がりで、昔の栄光でも探してるのかい?」
物陰から、猫のようにしなやかな人影が現れた。
年の頃は三十代後半か。痩せた身体に、歳不応な狡猾さを宿した瞳が光っている。情報屋のジンだ。
俺は黙って銀貨を数枚、指で弾いた。
ジンはそれを空中で器用に掴み取ると、ニヤリと笑う。
「で、何のネタだい? 今夜はサービスしとくぜ」
「賢者リュシアン・フォシルが死んだ」
その名前に、ジンの表情から軽薄さが消えた。
「……ああ、昼過ぎに噂が流れてきた。騎士団は自然死だって触れ回ってるが、あんたがここに来たってことは、違うんだろ?」
「賢者の周辺で、最近何か変わったことは?」
ジンは少し考えるそぶりを見せた後、声を潜めて言った。
「面白い動きがあったぜ。最近、現役最強のSランク様、ゼノビアス・イグニスが、第一王子派のマルドゥーク公爵の屋敷に頻繁に出入りしてる」
ゼノビアス・イグニス。燃えるような赤髪と絶対的な自信を隠さない、冒険者ギルドの若き英雄。
そして、マルドゥーク公爵。リュシアンが支持した第二王子と対立する、第一王子派の筆頭。
「それだけか?」
「もう一つ、とびきりのがある。公爵の執事が、裏市場でヤバいモンを探してたって話だ」
ジンは、さらに声を低くした。
「品物は『月の雫』。無味無臭、魔力探知にもかからず、飲めば数時間で心臓を止め、死後すぐに体内で分解されちまう“完全犯罪の毒薬”さ。エルフの秘薬がベースだから、普通の検死じゃ絶対に見つかねえ」
ゼノビアスとマルドゥーク公爵。そして、完璧な毒薬。
パズルのピースが、一気に揃いすぎだ。
「……礼を言う」
俺は踵を返し、影溜まりを後にした。背後で、ジンの「またご贔屓に!」という声が聞こえた。
◇
ギルドの自室に戻り、俺は壁に貼った王都の地図にジンから得た情報を書き込んでいく。
赤いインクで「マルドゥーク公爵邸」「賢者の屋敷」「酒場『竜の寝床』」の三点に印をつけた。それぞれの位置関係を見る。馬を使えば、一時間で往復するには十分すぎる距離だ。
次に、『月の雫』。エルフの秘薬がベースで、検死では見つからない。
「英雄、敵対派閥、完璧な毒薬か」。
あまりにも出来すぎている。まるで誰かが書いた三文芝居のようだ。だが、役者が揃いすぎている時ほど、その裏にいる演出家の存在を疑うべきだ。俺は一度、思考をリセットする。まずは、主役候補の男に直接会うのが先決だ。
翌日、俺はギルドの地下訓練場にいた。
金属がぶつかり合う甲高い音と、荒い息遣い。その中心で、ゼノビアス・イグニスが模擬剣を振るっていた。
彼の剣筋は、炎のように苛烈で、一切の迷いがない。なるほど、現役最強と謳われるだけの実力はある。
訓練の合間、汗を拭う彼に声をかけた。
「少し、話がある」
ゼノビアスは、俺を一瞥すると、あからさまに不快そうな顔をした。
「……引退した“元”英雄が、何の用だ。俺はアンタみたいに暇じゃない」
「賢者リュシアンが亡くなった。知っているな」
「当然だ。偉大な先達の死は、ギルドにとって大きな損失だ」
その口調には、少しも弔意は含まれていないように聞こえた。
「事件の夜、あんたはどこで何をしていた?」
俺は単刀直入に聞いた。
ゼノビアスの眉が、ぴくりと動く。
「……お前、俺を疑っているのか? ギルドの職員風情が」
「質問に答えろ」
ゼノビアスは、俺を睨みつけ、やがて吐き捨てるように言った。
「酒場『竜の寝床』で、一人で飲んでいた。それがどうした」
「ずっとか?」
「ああ、そうだ」
彼の答えは、淀みなかった。だが、その自信に満ちた瞳の奥に、ほんの一瞬、何かが揺らぐのを俺は見逃さなかった。
俺は話題を変える。
「マルドゥーク公爵とは、ずいぶん親しいようだな」
その名を出した瞬間、ゼノビアスの顔から表情が消えた。
「……力を持つ者と誼を通じて、何が悪い」
「別に。ただ、賢者はあんたたちの派閥とは敵対していた。公爵は、さぞお喜びだろうな。邪魔者が消えて」
「貴様……!」
ゼノビアスが、掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。
だが、その行動は、何かを隠すための過剰な反応にも見えた。
「忠告しておく。賢者の死に、騎士団も注目している。不用意な行動は、身を滅ぼすぞ」
俺はそれだけ言い残し、訓練場を後にした。
背中に突き刺さる、焼け付くような視線を感じながら。
◇
俺が次に向かったのは、ゼノビアスが名前を挙げた酒場『竜の寝床』だった。
昼下がりの酒場は、客もまばらで閑散としている。
カウンターを磨いていた無口なマスターに、銀貨を一枚滑らせた。
「昨夜、ゼノビアス・イグニスが来ていたか?」
マスターは銀貨を一瞥し、静かに頷いた。
「ええ。赤い髪の旦那ですね。確かにいらっしゃいました」
「ずっとここに?」
「いいえ」
マスターは、少し間を置いて答えた。
「夜の鐘が十を打った頃でしたか。一時間ほど、席を外されていましたよ。戻ってきた時は……まるで亡霊でも見たかのように、ひどく思い詰めた顔をされていました」
ゼノビアスは、嘘をついた。
奴のアリバイに穴が空いた。
ギルドの自室に戻り、俺は情報を整理する。
動機:リュシアンへの嫉妬か、あるいはマルドゥーク公爵の政治的思惑か。
凶器:『月の雫』の存在。
機会:昨夜のアリバイの空白。
疑惑は深まった。
あとは、どうやって英雄を追及するかだ。正面から行っても、奴に白状させるのは容易ではない。
ならば、別の力を使うまでだ。
俺は机の引き出しから、一枚の羊皮紙とペンを取り出した。
宛名は、王都騎士団団長、イザール辺境伯。
文面は、こうだ。
『Sランク冒険者ゼノビアス・イグニスに、賢者殺害の嫌疑あり』
この一手で、盤面は大きく動くはずだ。
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