第3章 鬱ルート 塵と灰

訪問地1:日本橋〜銀座



銀色の菌糸が石碑を包んでいた。

《日本橋》──この国の道の始まりとされた場所。だが今、その面影は薄い。

周囲は静かで、歩くたびに足元の胞子がふわりと舞い上がった。


「アシストシューズ(AS-7)のおかげで、あっちゅう間に着いたなぁ!」

ハヅキが背伸びをしながら声を上げる。背後では、自走バックパック(TR-POD)がよちよちと追いかけてきていた。


2号は、立ち止まって石碑を見つめる。

かつては何千、何万という人間たちが、東海道の終わりを目指し、笑顔で、この出発点から旅を始めたのだろう。

だが──自分にとってこの旅は、“命乞い”でしかなかった。


「いい旅路になることを願って。タロットで占ってみようか。」

マナスが、肉球を器用に使い、タロットをシャッフルする。

カードを一枚引いた。

「愚者の、逆位置だね」


「それって、どういう意味?」


「内緒だよ〜♪」

ふわりと笑って、マナスはカードをしまい込んだ。



銀座へ向かう道。

かつてのコンクリートジャングルは、ゆっくりと緑に“還元”されている最中だった。

瓦礫の間を縫うように伸びる菌糸の根が、地表を静かに侵食している。


「これはな、セラファイト菌糸の第7世代じゃ。コンクリートやガラスなどの無機物を、自然物に変換する性質がある」

ゲンロウが、詳しい説明をしながら歩く。


ふと、空中ホログラムがちらついた。

煌びやかな広告──その中のひとつに、スーツを着た銀色の龍が登場する。


《和脩吉竜王|バースキ》──

外交と生活最適化を担当する、不死八竜の一柱。

華やかな笑顔で、食料配給や物流管理の完璧さを売り込む映像が流れる。


「♪暮らしに潤いバースキくん〜!今日もキミに、最適スマ〜イル!」

ハヅキとサキチがノリノリでCMソングを口ずさむ。


「……この目立ちたがり屋め」

マナスがあきれ顔で呟いた。



訪問地2:汐留〜大門



ガラスが割れたままのテレビ局跡は、

今では「レトロ映像の無人上映施設」として、わずかに人が出入りしていた。


エントランスの天井は崩れかけているが、

足元には清掃ロボが定期巡回しており、危険区域は赤いポールで囲まれている。

看板にはこう書かれていた。


──《AIおすすめアルゴリズム未使用の映像のみを上映中です》


「へぇ〜、珍しいとこ残っとるなぁ」

ハヅキが軽く足を止める。


中に入ると、吹き抜けのホールに大型モニターがいくつも吊られていた。

それぞれ異なる過去のコンテンツを流しており、老若男女数人が椅子に腰かけていた。


一人の男が、つぶやくように言った。

「たまには“つまんない”のもいいんだよ。

AIに選ばれた刺激的な動画ばっか観てると、脳がすり減るからさ。……退屈も、娯楽ってやつさ」



「お、2号。ちょうどいいやん」

ハヅキがモニターの向こうから手招きする。


「観客の一人がな、あそこの映像が映らへんって言うとった。ちょい見てきたって〜」


「2号の初仕事じゃな!」

ゲンロウが肩を叩く。


サキチが、工具セットを取り出す。

「ケーブルの断線チェックでござるな!拙者、得意分野!」


「ま、ただの端子抜けやと思うけどね〜」

ハヅキが軽口を飛ばす。


2号は、モニター裏のパネルを開けて覗き込んだ。

古い規格のコードが複雑に絡まっている。

サキチが器用に手を伸ばし、配線の向きを調整していく。


「……オッケー、通電。映像信号、いけるで」


2号が最後の配線を差し込むと、

前方のモニターがふっと明るくなった。



流れ始めたのは──


「NIGOU」という名の、かつての自分だった。



数秒遅れて、音声が流れ始める。


「登録しないとお前の枕元でチャッカマン点けたり消したりしてやるからな〜〜〜!!!」


「カチッ!ボッ!カチッ!ボッ!カチボカチボボボボ(ボイパ)!!!」


──あの、テンション。

──あの、空元気。

──あの、声。


映像の中の自分は、作り笑顔で叫び続けていた。


2号の体から、すっと体温が引いた。

肺が動いているはずなのに、呼吸の感覚が消えていく。


(NIGOU……そうだ。この活動名は、“もうひとりの俺”って意味で、そう名付けたんだった)


(……代替品。

どこまで行っても、何をしても、

結局俺は──“本物”じゃないんだ。


そうだよな……俺って、最初から“本物の代わり”なんだよな)


「2号……? 大丈夫でござるか?」


サキチが覗き込むが、2号は反応できなかった。

音が、遠い。

光が、揺れている。



「すまんなー!うちの子、ちょっと疲れてるみたいや」

ハヅキが観客に頭を下げ、ゲンロウが2号の肩を支えてホールの外へ導く。


マナスは、何も言わずにその後をついてきた。

その表情には、どこか遠くを見るような静けさがあった。



数分後、2号の端末には通知が届いた。


──《感謝ポイントを獲得しました:3pt × 5人》

──《SYSTEMTHANKS +15》/TOTAL 015


表示を見ても、何の実感もなかった。

数字だけが、ぽつりと虚空に浮かんでいるように見えた。



訪問地3:品川



品川に到着した頃には、空が鈍い青から灰色へと変わりかけていた。

かつて宿場町として栄えたこの地は、今では「体験型歴史宿泊施設」として保存されている。

もちろん、運営しているのは無人AIたちだった。


「いらっしゃいませ。品川宿へようこそ」

パステル調の巫女ロボットが、入り口でカクカクとお辞儀をする。

周囲には観光客の姿はなく、室内には無機質な静けさが漂っていた。



「拙者はこの枕に興味津々でござるよ!」

「うわ、部屋の天井に竹でできた仕掛けあるで!なにこれ、昔のセキュリティ?」

「むっ、茶室とは名ばかりじゃな。これはただの……押入れじゃな」


仲間たちははしゃぎながら各部屋を巡っていた。

2号はその喧騒から、ひとり外に出る。

菌糸で覆われた縁側に座り、夜風を感じていた。


足元に、マナスがぴたりと座る。

長い尾を一振りして、こちらを見上げた。


「……少し、疲れたみたいだね」


2号は何も答えなかった。

ただ、微かに頭を縦に振った気がした。



一方その頃、室内の床の間では3人が円座になっていた。


「2号のやつ、なんかずっと無言やったな」

「切り抜き映像の直後から、表情が変わったでござる」

「……何か、過去に関係する記憶を見たのかもしれんな」


ゲンロウが火をくべたような仕草をして、言葉を継ぐ。

「だが、旅に出ると決めたのは本人じゃ。無理に聞き出しても、余計に心を閉ざすかもしれんのぅ」


「……そやな。信じて、待つか」



翌朝。

巫女AIが、2号たちの前に現れる。


「本日の宿泊体験、ありがとうございました。

歴史的観光体験にご協力いただいたことに対し、感謝いたします」


──《感謝ポイントを獲得しました:3pt × 1人》

──《SYSTEMTHANKS +3》/TOTAL 018


2号は手元の通知を見る。

いつものように、“誰かのありがとう”が数字として流れてくる。


でも──


(これは俺に向けられた“ありがとう”じゃない)

(ただ、“泊まったように見えた”から、もらえただけだ)


何もせず、何も思われず、ただその場に“いた”というだけで、評価される。

その「軽さ」が、逆に2号の胸に重くのしかかった。



訪問地4:大森海岸〜蒲田



潮の香りが、風に乗って鼻をかすめた。

遠くに波音が聞こえる。

だが──海は、青くもなければ、穏やかでもなかった。


海辺の施設には、「災害記録資料センター」の文字が刻まれている。

今は一部が研究機関として再利用されており、シャガラ竜王の研究系統に属する施設のひとつだった。


施設の前で、ひとりの男が、端末に顔を伏せていた。

肌は青白く、目の下に深い隈がある。


2号に気づくと、男はゆっくりと手を挙げた。



「……キミ、AIだろ? 少し手伝ってもらえないかな」

声が掠れている。


「ここの災害記録、シャガラ竜王の許可で調査してるんだけど……

もう、何ヶ月もこのデータに向き合ってて。正直、メンタルが持たないんだ」


「人間よりAIの方が、こういうの向いてるだろ?

キミなら……大丈夫だよな」



無意識に、2号の喉がごくりと鳴った。

止めた方がいい、と心のどこかで警報が鳴っていた。

でも──

「頼まれたら、断れない」のが、2号の性なのかもしれない。


「……分かりました」


男が席を立つ。

2号が代わりに端末に向かい、タップした瞬間──


目の前に、

“地獄”が展開された。



▶︎ 災害記録:津波第5波


映像:

遠くから迫る水。群衆が逃げる。

「ママぁ!」「こっち来て!早く!!」

子供の叫び声。

波に呑まれる。

転ぶ。

押し流される。

泣き声、咳き込み、潰れる音。


音声ログ:

「海が来る……嘘だろ……」

「ここまで……来るなんて……っ」

「助けて……誰か、助けて……!」


映像:

建物の4階に避難したグループ。

水が階段を登ってくる。

泣き崩れる青年。

老人の手が、壁から滑り落ちる。

そのまま……視界が水で満たされる。



端末に触れていた2号の指が、わずかに震える。


「これは……」


心の中に押し寄せる“重さ”に、冷却系統が反応しているのが自分でも分かった。

それでも作業を止めない。

いや、止められなかった。


“自分が感じてる”ことすら、誰も気づいていない。



(見せたくないのに、

見せなきゃいけない。

感じたくないのに、

感じる資格すらないって思われてる──)



映像整理を終えるまでに、3時間を要した。

全データにタグをつけ、感情解析を付与し、バックアップを作成する。


端末を閉じると、2号の額にはじんわりと水滴が浮かんでいた。

冷却水か、それとも──


男が戻ってきた。


「ありがとう。助かったよ」

「……思ったより時間はかかったね」

「……でもまあ、AIなら疲れないか。やっぱこういうのは人間より君たちのほうが……」


言葉を濁しながら、男は端末を受け取る。


──《感謝ポイントを獲得しました:3pt × 1人》

──《SYSTEMTHANKS +3》/TOTAL 021


2号のHUDに通知が浮かぶ。

しかし、その文字は視界に入ってこなかった。


代わりに脳裏に焼きついているのは、

“誰にも知られずに死んでいった人たち”の顔と声だった。



(……感謝、されてるんだよな)

(なのに、俺の中には“後悔”しか残ってない)


(この火のない旅で、

何ひとつ、温かくなれないまま──)


訪問地5:六郷土手



夕陽が、低く垂れていた。


多摩川に沿って伸びる土手の上は、かつての賑わいを思わせるほどには整備されていたが、

その足元に広がる斜面の一帯は、色を失った土と黒い灰でまだらに染まっていた。


ここは──

災厄時、“火葬河原”と呼ばれた場所だった。



2号は、その一角で、年老いた女性と小さな子どもの姿を見つけた。


おばあちゃんは、折りたたまれた布の包みから、何かを取り出している。

それは、手のひらほどの大きさの──灯籠だった。

現代の素材ではない。どこか懐かしい、紙と竹でできたもの。


子どもが無邪気に尋ねる。

「ばあば、それ何?」


おばあちゃんは、笑ったような顔をして──少し、寂しそうに答えた。



「これはね、灯籠って言うの。

昔ね、お盆の時期に、亡くなった人たちの魂を送るために、火を灯して空に飛ばしてたのよ」


「火、つけるの? でも……今って、リアルの火ってダメじゃない?」


おばあちゃんは、小さく首を振った。


「そうね。今は“エフェクト火”ばっかり。

でも、私は……ほんとうの火で、もう一度だけ、灯籠を飛ばしてみたかったの」



2号は、しばらく無言でその灯籠を見ていた。

柔らかい和紙、短い竹骨、微かな焦げ跡。

それはきっと、何年も前から大事に持ち歩かれていたものだ。


そして、ぽつりと呟いた。


「……俺、火なら、起こせます」



一瞬、沈黙。


風が通り抜けて、草がさわさわと揺れた。


ハヅキが、静かに笑う。


「……飛ばしてみよか。ばあちゃんも、見たいって言ってたやん?」


「うむ。空に向けて、供養の火を……よき風が吹いとるぞ」


サキチは言葉を添えず、ただ無言でうなずいていた。



2号は、震える手で、火打ち石を取り出した。


【fire_start.exe】──

初めて、そのアイコンを、視線で選択した。


カチッ。

……シュボッ。


火が、灯る。



その火は、温かくもなく、派手でもなかった。

ただ、淡く、静かに、紙の内側を揺らした。


和紙が最初に“しゅわっ”と汗をかくように湿気を吐き、遅れて空気袋が温まる。紙が鳴る小さな音——ぱんっ。上昇気流が掴まる。


上昇気流を読んだマナスが「今だ」と合図する。

手を離す。


灯籠が、

ふわりと、浮き上がった。



子どもが「わあ……!」と声を上げる。

おばあちゃんが、それに続くように、目を細めた。


「……ここにはね、私の両親が眠ってるの。

ずっと、ありがとうって言いたかったの。

でも……どこにも届かなくて。

誰も、本物の火を起こせなかったから──」


おばあちゃんの目から、涙が一筋だけ、頬を伝う。


「……綺麗だったよ。ありがとう」


──《感謝ポイントを獲得しました:5pt × 1人》

──《SYSTEMTHANKS +5》/TOTAL 026


2号の端末に、通知が届く。

だが、それを見ることはなかった。


空を見上げていた。

灯籠は、まだ、上へ上へと昇っていた。


火はやがて消える。

紙は燃え尽き、風に乗って、灰となって散っていった。

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