第2話
山中を駆けていると、不意に見覚えのある場所に出たと思った。
幸い、あまり
急いでそこへ走って行く。
……人の気配がしない。
あの時は山間の村の人々の気配が、なんとなくここまで伝わって来ていた。
庵へ続く小道を見つけた時、雪に足跡が残っていることに気づいた。
馬の蹄だ。まだ新しい。
徐庶はハッとすると、斜面に手を付きながら上っていく。
庵の戸は閉まっていたが蹄の足跡を追って行くと、裏手の木の側に
徐庶が近づいて行くと、一つ
するとそこにあった雨戸が、僅かに開かれた。
「馬超殿!」
様子を見るつもりだった馬超は、徐庶の姿を見つけると雨戸をすぐ開いてくれた。
「徐庶殿か。よく来てくれた。
貴方に連絡を取りたかったが、どうすべきか考えていたのだ。
【
翡翠がやって来る。
身体に少し積もっていた雪を、わざわざ徐庶の側でブルルと言いながら飛ばして落とした。
「こいつを見れば、貴方は何かを察してここに来てくれるかと思ってな。
だがこいつだけ捕まって貴方にその情報が行かないと、俺が
翡翠が
「
徐庶が言うと馬超が頷く。
「涼州騎馬隊は無事に
……やはり馬岱と一度話しておきたい。
あいつが
関わろうとは思わない。
だけどあいつはこの辺りに残っていた。
しかも名を変えて……、
俺は、あいつの本当の気持ちを、まだ聞いていない気がするのだ。
だから……」
徐庶は頷き、庵の中に入った。
「馬超殿。彼は今、天水砦にいます。
虜囚ではなく腹部に重傷を負って、手当を受けている状態です」
「なに」
馬超は驚いたようだ。
「この傷は、涼州にやって来た【
【烏桓六道】の生き残りの兄妹と偶然出会い、貴方と別れた後、行動を共にしていたようです。
彼らは復讐から離れ人並みの人生を暮らすことを望んでいたので、同じようにそれを望んでいた
ただ
風雅はそこが誰の屋敷かも知らなかったと言っていました。
しかし後にもう一度戻り、郭奉孝が療養している屋敷だと理解し……今回涼州で彼らと再会した」
「その妹が、
「共に行動していたようですが、彼の話を聞くと三年ほど前のその潁川での諍い以来、彼女とも連絡を取らない状況になっていたので、
「そうか……」
「彼女は馬岱と戦って……」
馬超は息を飲み、押し黙った。
自分と離れた後、馬岱は幸せに暮らしていると思い込んでいた。
今頃、馬岱が好むような明るい笑顔の娘を娶り、すでに父と母になってきっと子供も生まれ、家族仲良く暮らしているのだろうと。
一人で彷徨い、
一人で戦って血に塗れている。
(これでは同じだ)
自分と、同じだ。
縛るつもりはなかった。
しかし馬岱が自分と同じ戦いの道を選ぶなら、共に生きろと叱りつける。
側で戦うなら守ってやれる。力になってやれる。
だが他のどこかで戦うくらいなら、隣で共に戦ってほしいのだ。
馬超のその言葉を聞くと、徐庶は頷いた。
「多分
彼は自分は……貴方と違うと思っている。
貴方の力になれない人間だと自分を見誤っているんです。
共に生きたくなかったわけではないと思う。
貴方にも、
「徐庶殿。それも含め、
もし本当に馬岱が俺と共に、今後も戦っていくのが嫌だというのならば、俺は無理に涼州騎馬隊にあいつを引き込もうとは思わん。
涼州を離れたくないなら
あいつには自由に、自分の生き方を決めてほしい。
だが、あいつは俺の弟だ。俺に嘘をついてほしくない」
「従弟だが、俺は馬岱のことは実の弟だと思っている。
二人の弟は殺された。
だからあいつだけは守ってやりたい」
「馬超殿」
「馬岱の正体は魏軍に知れているのか」
「理由は分かりませんが知られています。
かといって彼が馬岱殿を、貴方に関わる者として利用するかは分かりません。
そうと決まったわけではなく【
「馬超殿、
どうなるかは分かりませんが、彼が魏軍の虜囚などにならないよう、涼州の人々の許に戻れるようにします。
具体的にどうなるかとは、今は彼の傷のこともあり約束出来ませんが……でも、必ず。
俺は……」
一度俯いてから、顔を上げた。
「今回こうして魏軍の軍師として涼州にやって来て、つくづく自分の歩いている道が嫌になりました。
元々は母を一人に出来ないと思って魏にはやって来ましたが、もはや俺の問題は母のことではないのです。
自分の道を歩いていない。
歩いている道に誰かが現れると、俺は必ずその人間に道を譲って来た。
そうするうちに必ず本来望んでいた道から逸れて行く。
それは俺自身の弱さが原因で、他の誰のせいでもない。
俺はもし許されるのなら、涼州遠征後職を辞して魏を去ろうと思っています。
再び流れて落ち着く先を決め、門を閉じて学問に専念したい」
「徐庶殿。ならば蜀に来て下されば。
馬超は言った。
自分も馬岱が戦うのは嫌だと言ったら、無理に戦場には連れて行かない。
ただ家族として、家で帰りを待ってくれるだけで十分だ。
そこにいてくれるだけでも、自分にとっては馬岱は意味がある。
徐庶は小さく頷いた。
「そうだと思います。
しかし俺は国のために生きれない人間なのです。馬超殿。
国に関わらず、人とも広く交わらず、学問を志す人間たちと、ささやかに関わって過ごすのが望みです。
人を守ることは尊いですが……俺は、自分が見知った顔の人達ほどを、彼らが苦しんだ時に助けたり守ったり出来ればそれでいいのです。
高い志を持った貴方には理解しがたい生き方かもしれませんが、どうかお許しを。
しかし
少しの間、沈黙が流れた。
馬超が徐庶の肩に手を置いた。
「……いや。
俺にもちゃんと理解出来る。
貴方の望む生き方は、多分馬岱の望む生き方に似ているんだ。
……俺は今しばらくは涼州にいるつもりだ。
しかし見通しは立たない。いつまでもいるわけにはいかないし……。
何か余程のことがあれば、この庵に書き残してくれ。
例の薬を隠していた場所を貴方は知っているな。
あそこに残してくれればいい。
馬岱のことは貴方に託す。どうかよろしく頼む。
馬岱が成都に無事に来られたら、俺は貴方に深く感謝する。徐庶殿。
話を聞いて馬岱が自由を望むなら、戦わせたりせず必ずそうさせる。
その時は、きっと貴方を馬岱は訪ねて行くだろう」
徐庶は目を伏せた。
【いつか天下が太平になったら】
誰の目を
――そんな日が、いつか来たら。
二人は頷き合うと、強く握手を交わした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます