第5話 SP司

 香澄から情報を得られたことで、朱鷺宮紅葉の抱える問題は理解できた。



 歳の差婚をさせられる紅葉を救うために、俺はNTRを実行しなければいけない。



 エロゲーだから、そういうシーンもあるわけだが、精神的童貞である俺が出来るのか? 攻略しなくちゃいけないのはわかっているが、自信がない。



 てか、その前に外に出なくちゃいけない。


 頭の片隅ではずっと考えていた。


 もしも、外に出たことでヒロインと関わりを持ってしまえば、NTRを実行しなくてはいけなくなる。



 だが結論は一つ。



「俺は大学に行く」



 朱鷺宮紅葉の抱える問題を解決して、破滅を回避するためには外に出なくてはいけない。


 ただ、いきなり色々なことが起こりすぎて疲れた。


 今日は寝ることにした。




 

 翌日、俺は香澄に相談することにした。



 部屋を出て、大学に行くことを告げる。



 唐突に言い放った俺の言葉に、香澄の目が大きく見開かれた。



「な、なんと……大学に、でございますか?」

「そうだ。俺は大学生だ。大学に行くのは当たり前だろ?」



 俺の見た目は、リア充陽キャラになったんだ。


 これまで貧乏で出来なかったキャンパスライフ。



 それを楽しみたい。



 何よりも、紅葉を攻略するエロゲー世界では学園ライフは鉄板だ。


 学校での交流を使って、シナリオを踏まなければルート攻略なんて進むはずがない。


 だが香澄は眉をひそめ、珍しく即答せずに沈黙した。



「……恭弥様。お考え直しを」

「は?」

「大学などに行かれずとも、恭弥様のお力を必要とする雌は後を絶ちません。外に出るなど……リスクでしかございません」

「大学イベントこそがメインなんだ! 登場ヒロインの八割は同級生だぞ。外に出ないでどうやって攻略すんだよ」



 俺の熱弁を口にしながら、香澄は頬を染めて小さく身を震わせる。



「雄が雌を攻略……! なんと甘美な響きでしょう……♡ ですがっ!」



 香澄が、机に両手を突いて叫んだ。



「恭弥様が外に出れば、雌どもが群がり、きっと奪い合いになることでしょう! 雄の安全を守るのが私の使命、危険に晒すわけには……!」

「いや、どんだけだよ!」

「蓮見恭弥様の人気をなめてはいけません!」



 俺が否定を口にすると、香澄が詰め寄ってきてなかなか引かない。



 要約すると、見た目が良くて、金持ちで、高学歴、さらに身長が高くて、ハイスペックの男である恭弥は、女性からすれば格好の獲物であるという内容だった。



 どんだけ俺のことを過大評価してんだよ。


 それだけ女子が群がってきたら嬉しいっての。



「いや、俺は別にモテるキャラじゃねぇし」

「いえ、恭弥様はモテすぎて危険なのです!」

「断言すんな!」



 香澄の過保護は理解できる。だが俺の中には妙な確信があった。


 大学に行かないとシナリオが進まない。


 放置していたら、むしろ破滅エンド一直線だ。



「行く。俺は絶対に大学に行く」



 俺が断固として言い切ると、香澄はしばし震えたまま沈黙した。


 その後、瞳を潤ませて……頬を赤らめた。



「……っ♡ 雄らしい、断固たるご決断……! やはり恭弥様は雄の中の雄……♡」



 なんでそうなる。



「わ、分かりました……。ではせめて、護衛をお付けいたします」


「護衛?」



 香澄は小さくうなずき、ドアの外に目をやった。



「入って」



 次の瞬間、ドアが開き、一人の女性が姿を現した。



 てか、この家って俺たち二人だけじゃなかったんだな。


 長い黒髪を後ろでひとつに結び、鋭い眼差しをこちらに向けてくる。


 スーツ姿に身を包み、腰には本物のホルスター。



不嶋司ふしまつかさです。二十一歳です。SPの国家資格持ち。以後、お側で護衛を務めさせていただけること光栄に思います」



 ピシッと直立不動で名乗りを上げる姿はまさに警護のプロ。


 ……いやいや待て。



「ちょっと待て。SP? 国家資格? そんなの存在するのか、この世界?」



 突っ込まずにいられなかった。


 金持ちってのは、SPをつけないと外にも出れないのか?!



「ございます。恭弥様のような尊き雄を守るために整備された制度です」

「香澄の脳内世界は、雄を守るシステム完備かよ!」

「当然です。雄は国宝。女性はその守護者。護衛がいなければ雄はすぐに食い尽くされてしまいます」

「食い尽くされるって言うな!」



 どんだけ俺を守りたいんだよ。思わず後ずさる。


 しかし、司の真剣な視線は、そんな俺の戸惑いを容赦なく射抜いた。



「本日から私が護衛として同じ大学に同行します。既に学生証も取得済みです」

「えっ……同じ大学? え、いつから!?」

「恭弥様が入学された時からです。危険要因を洗い出す任務を遂行しておりました」

「監視されてた!? 俺、完全にマークされてるじゃん!?」



 香澄が満面の笑みを浮かべる。



「司は私の従妹です。幼い頃から鍛えてきました。強靭な体力、正確な判断力、そして何より雌としての忠誠心は折り紙付きです」

「雌としての忠誠心ってなんだよ! 国家資格にそんな科目ねぇだろ!」



 司は小さくうなずき、言葉を重ねた。



「ご安心ください。私は任務に忠実で、決して雄に無礼を働きません。ただし」



 そこで一歩近づき、真剣な表情のまま言い放った。



「もしも大学内で雌どもが襲いかかってきた場合、私が真っ先に彼女らを排除します」

「排除!? 物騒すぎるだろ!!」



 なんだこの物騒な新キャラは。けど……本物の護衛がつくってのはよくわからんが、とにかく俺の「大学ルート」がようやく動き出すってことだ。



 混乱と不安と、ほんの少しの期待を抱えながら、俺は司の視線を正面から受け止めた。



「……分かった。じゃあ、頼むわ。不嶋司」



 真っ直ぐに答える司の声は凛としていた。


 その真剣な眼差しを見て、つい俺は口をついて出てしまった。



「よろしく。……ほら、握手しようぜ」



 差し出した右手を見て、司が息を呑んだ。


 なんだ? なんでそんな怖いものみたいに手を見てんだよ。


 そんなに俺が嫌いか?



「……握手、でございますか?」

「そうそう。まぁ、形だけでも。よろしくな、ってやつ」

「……っ……」



 司は眉を震わせ、わずかに後ずさる。なんだよ、握手くらいでそんな顔するか? と思いながらも俺は手を引っ込めない。



「……ほら、別に取って食うわけじゃねぇし。ほらほら」

「……っ……っ」



 観念したように、司は恐る恐る俺の手に自分の右手を重ねた。


 細い指先、だが鍛えられた掌は硬く、温かい。



「おお、案外しっかりしてるな」

「っっ――――――!!」



 次の瞬間……バタンッ!



「えっ……?」



 司が、その場にへたり込んだ。全身の力が抜けたかのように、床に膝をつき、両手で顔を覆って震えている。



「お、おい司!? 何してんだよ!?」

「はぁ……はぁ……っ……し、信じられません……っ……雄の……恭弥様の……手を……直接……っ……!」



 さっきまでの真面目モードはどこに行った。


 あれほど無表情でキリッとしてたSPが、今や頬を真っ赤に染め、呼吸も荒い。



「お、落ち着け! ただの握手だって!」

「ただの……っ!? い、いえ……この尊さ……雄の温もり……指の硬さ……っ。わ、私は……このまま死んでも……」

「死ぬな! まだ任務始まったばっかだろ!!」



 俺が慌てて司の肩を掴むと、その肩すらビクリと震えた。マジで過剰反応すぎるだろ。



「ふふ……」



 背後から、落ち着いた笑い声。振り向けば香澄が、いつものクールな顔にうっすら笑みを浮かべていた。



「……あぁ、もう仕方ない子ですね」



 呆れ半分、慈愛半分。姉のような眼差しで、床にへたり込む司を見つめている。



「し、仕方ないって……これが普通なのか?」

「普通ではありません。ですが……恭弥様と触れ合うなど、雌にとっては誉れ。司にとっては初めての接触です。こうなるのも当然といえば当然でしょう」



 いや、俺の存在がヤバい奴みたいになってるぞ。



「いや、当然じゃねぇよ! 俺、ただ握手しただけだぞ!?」



 司はまだ顔を真っ赤にして、俺の手を握っていた方の手を胸に押し当てている。



「……この熱……忘れません……」

「忘れろ! 今すぐ忘れろ!」



 俺の叫びに、香澄が小さく肩をすくめる。



「恭弥様……あなた様の影響力というものを、もっと自覚なさった方がよろしいですよ」

「そんな危険物扱いみたいに言うな!」



 香澄はくすくすと笑い、しゃがみ込んで司の肩を支えながら立ち上がらせる。



「さぁ、司。雄の温もりに酔っている暇はありませんよ」

「……は、はいっ……」



 真っ赤な顔のまま、司は立ち上がる。しかし、その瞳はいつもの真剣さに戻りきらず、ちらちらと俺の手元を見ては小さく息を呑んでいた。



 ……握手一つでこの反応。

 


「恭弥様はこの命に代えても」



 即答する彼女の声に、背筋がゾクリとした。


 感情が、重すぎない?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る