南アジアにおける市場法制史
南アジアにおける市場法制史(1/4)
■ 概要
南アジアの市場法制史は、インダス文明における物々交換から始まり、ヴェーダ時代・マウリヤ朝・グプタ朝にかけて市場規範が制度化され、中世以降はイスラーム政権やムガル帝国の統制下で発展した。その後、イギリス東インド会社の進出により植民地的市場統制が敷かれ、19世紀にはイギリス商法・会社法が導入されて近代的自由市場制度が移植された。
20世紀に独立したインド、パキスタン、バングラデシュなどは、計画経済と国家規制を重視する「混合経済体制」を採用し、社会主義的規制市場を築いた。1990年代以降は自由化・民営化・グローバル化の潮流を受け、証券市場やIT産業が急速に発展したが、同時に独占禁止法制や環境規制、デジタル市場監督が強化されている。
南アジア市場法制史の特徴は、①古代から商業・市場規範が詳細に整備されていたこと(『アルタシャーストラ』における市場規制)、②イスラーム・ムガル期における国家独占と市場監督、③植民地期におけるイギリス型法制の移植、④独立後の国家規制と計画経済、⑤近年の自由化と規制強化の往還、に整理できる。
■ 1. 物々交換期
●1.1 インダス文明における交換秩序
南アジア市場法制史を最古に遡ると、紀元前2600年頃から栄えたインダス文明に行き着く。モヘンジョ=ダロやハラッパといった都市遺跡からは、穀物倉庫・秤・計量器などが出土しており、物々交換を基盤とする市場秩序が存在していたことを示している。インダス文明は広域交易に積極的で、メソポタミアやペルシア湾岸との間で青銅器・宝石・綿織物を輸出し、代わりに金属資源やラピスラズリなどを輸入していた。
この段階では貨幣は未発達であり、穀物や布、宝石が交換財として利用されたと考えられる。取引は都市国家的な共同体の監督の下で行われ、秤や度量衡の統一が市場秩序の安定を支えた。これらは法典化されてはいないが、考古学的証拠から一定の慣習的規範が存在していたと推定される。
●1.2 ヴェーダ時代の物々交換と儀礼
インダス文明崩壊後、アーリヤ人の移住によりヴェーダ文化が形成された(紀元前1500年頃)。この時代の経済は牧畜と農耕を基盤とし、牛が財産の基本単位であった。牛は婚資・贈答・賠償の基準とされ、取引において最も重要な価値尺度であった。
『リグ・ヴェーダ』や『アタルヴァ・ヴェーダ』には、牛や穀物を巡る交換・贈与の儀礼が数多く記されている。これらの行為は宗教的・共同体的義務として実施され、経済取引は宗教儀礼に包摂されていた。市場の秩序は王権や司祭階層の権威によって保証され、不正は宗教的制裁によって抑制された。
●1.3 部族的規範と互酬関係
ヴェーダ社会における交換は、部族共同体間の互酬的関係に依存していた。贈与と返礼は社会秩序を維持する基本原理であり、単なる経済行為を超えて社会的義務として理解されていた。部族間の同盟や婚姻関係は財の交換によって確立され、政治的秩序と市場秩序が不可分であった。
この時代の「法」はまだ文書化されていないが、習俗法的規範が機能し、交換の正当性は共同体の承認と宗教的権威に基づいていた。
●1.4 度量衡の統一と市場監督の萌芽
インダス文明の遺跡からは、統一規格の計量器や度量衡が多数発見されている。これは、取引の公正性を保証するための規範がすでに存在したことを示している。ヴェーダ時代には王(ラージャ)が取引の監督を行い、交易や祭祀の場において不正を取り締まったとされる。これにより、市場は自然発生的ではなく、権力者による監督を伴った制度的空間へと移行しつつあった。
●1.5 市場空間の萌芽 ― 集市と祭礼
南アジアでは、宗教儀礼や祭礼の場で人々が集まり、物資の交換を行ったことが「市」の起源とされる。牛や穀物を持ち寄る集会は、共同体的義務と同時に経済的利便を果たした。やがて、こうした集会が定期的・恒常的な市場へと発展し、後の都市国家期に本格的な市場制度が形成される素地となった。
●1.6 市場法制史的意義
南アジアにおける物々交換期の特徴は次のように整理できる。
1. 共同体的互酬関係 ― 贈与・返礼が市場秩序の基本原理。
2. 宗教的儀礼との融合 ― 経済取引が宗教的行為として正当化。
3. 代用貨幣の萌芽 ― 牛・穀物・布が価値尺度として承認。
4. 度量衡の統一 ― インダス文明における計量器の存在。
5. 市場空間の萌芽 ― 祭礼や集会を契機とする「市」の原型。
この段階で市場はすでに単なる経済的交換を超え、宗教・政治・社会秩序と結びついた「制度的秩序」の性格を帯びていた。後に登場する『アルタシャーストラ』の市場規制やマウリヤ朝の法制度は、この物々交換期に形成された規範意識を基盤としている。
■ 2. 代用貨幣期
●2.1 代用貨幣への移行の背景
南アジアにおける「代用貨幣期」は、ヴェーダ時代の物々交換を基盤としつつ、特定の財が社会的に交換価値を帯び、広く「貨幣的機能」を果たすようになった段階を指す。牛や穀物が価値尺度として制度的に利用され、のちには布・金属片・宝石も交換基準となった。これはまだ鋳造貨幣の登場以前でありながら、市場において「一般的価値尺度」が共有され始めた重要な局面であった。
●2.2 牛と穀物の貨幣的役割
ヴェーダ時代から続く「牛」は、代用貨幣の中核的存在であった。婚資や罰金、賠償金はしばしば牛の頭数で規定され、財産評価の基本単位とされた。また、王や貴族への貢納も牛によって行われ、政治秩序と市場秩序が重なり合う形で制度化されていた。
穀物もまた広く代用貨幣として利用された。マガダやコーサラといった都市国家においては、米や大麦が租税・賃金の支払い手段となり、実質的に貨幣的機能を担った。インド亜大陸の肥沃な農業基盤は、穀物を安定した価値尺度とする条件を整えていた。
●2.3 布・宝石・金属の利用
インダス文明以来、南アジアは綿織物の産地であり、布は交易の代表的財であった。布は軽量で保存が容易なため、遠隔地取引で代用貨幣として広く用いられた。特に「カディ」と呼ばれる手紡ぎ布は、地域を越えて価値を持った。
さらに宝石や貴金属も代用貨幣として利用された。南インドやデカン高原では宝石資源が豊富であり、真珠・ルビー・サファイアがインド洋交易の中で通貨的役割を果たした。金や銀の粒や塊も重量単位で取引され、国家権力の関与以前から「価値の一般化」が進展していた。
●2.4 『アルタシャーストラ』に見る市場規制
紀元前4世紀頃に成立したとされる『アルタシャーストラ』は、古代インドにおける政治経済学書であり、市場規制に関する最古級の文献である。ここには度量衡の統一、価格統制、不正防止の規定が詳細に記され、代用貨幣を基盤とする市場秩序がすでに制度化されていたことがわかる。
例えば、度量衡を偽る者への罰則、賄賂を受け取る市場監督官への処罰、賃金や取引価格の標準化などが明記されている。これは、代用貨幣が単に慣習的に用いられただけでなく、国家の法的規範のもとで市場を安定させるための制度として確立されていたことを示す。
●2.5 都市国家と市の発展
紀元前6世紀頃の「十六大国(マハージャナパダ)」の時代には、都市国家が成立し、市場が定期的に開かれるようになった。これらの市場では布・穀物・牛に加え、金銀の粒や鉄器が交換財として利用され、すでに貨幣経済への移行を予感させる動きが見られた。
都市市場には市場監督官(パンチャーヤト)が配置され、秤の検査や不正取引の取り締まりを行ったと伝えられる。ここでの規範は『ダルマ・シャーストラ』などの宗教法典にも取り込まれ、経済活動は「法(ダルマ)」の一環として理解された。
●2.6 朝鮮・西アジアとの交易と代用貨幣
南アジアの市場は、早くもこの時期に国際交易と結びついていた。インド洋交易では、アラビア半島やペルシア湾地域の商人が香料や金属とインドの布や宝石を交換した。これにより、宝石や布が「国際的代用貨幣」としての性格を持つに至った。
また、ガンダーラや北西インドを経由して中央アジアとの交流も進み、ラクダや馬が価値財として流通した。ここにおいても代用貨幣的財が広域市場の中で制度的に機能した。
●2.7 法制史的意義
南アジアにおける代用貨幣期の意義は次の通りである。
1. 牛・穀物・布・宝石が価値尺度として普遍的承認を得た。
2. 『アルタシャーストラ』に市場規制の法典化が確認できる。
3. 都市国家に市場監督制度が形成された。
4. 代用貨幣が国際交易に用いられ、広域市場の基盤を築いた。
5. 宗教法典と結びつき、経済取引が「ダルマ」の秩序に統合された。
この段階は、南アジアが物々交換から貨幣経済に移行する前段階として極めて重要であり、後のマウリヤ朝における鋳造貨幣導入を準備する歴史的契機であった。
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