中東における市場法制史

中東における市場法制史(1/4)

■ 概要


中東の市場法制史は、世界で最も古い市場制度の発祥地に位置づけられる。古代メソポタミアでは神殿・宮殿が市場を統制し、ハンムラビ法典に取引・利息・債務に関する規定が整備された。古代エジプトでも神殿経済と王権が市場を支配し、交易は宗教権威と不可分であった。


イスラーム期に入ると、コーランとシャリーア(イスラーム法)が市場秩序の基盤となった。取引の誠実、利息の禁止(リバー)、ザカート(喜捨)などが規範化され、ムスリム共同体(ウンマ)の秩序を支える商法体系が成立した。スーク(市)やバザールは、イスラーム都市において宗教施設と結びつきつつ発展し、ムフタシブ(市場監督官)が取引の公正を監督した。


近世にはオスマン帝国が市場を統制し、ギルド(エスナーフ)を通じて取引や生産を管理した。市場は帝国財政を支える装置であると同時に、宗教的・社会的共同体の秩序を維持する場でもあった。


近代以降、中東は欧州列強の影響を受けつつ石油市場を形成し、20世紀にはOPECを通じて世界市場統制の主体となった。今日では石油・ガス市場に加え、イスラーム金融市場が発展し、シャリーアに基づく無利息金融(イスラーム・バンキング)が国際的に展開している。



■ 1. 物々交換期


●1.1 メソポタミア文明における物々交換


中東市場法制史を最も起源的な段階に遡ると、古代メソポタミアのシュメール都市国家やアッカド王国に見られる物々交換に行き当たる。ここでは小麦や大麦などの穀物、羊や山羊といった家畜、布や青銅製品などが交換の中心であった。農耕を基盤とするメソポタミア社会では、神殿や宮殿が生産と分配の中心に位置し、共同体の余剰を集積し、必要に応じて再配分する形で市場機能を果たしていた。


しかし単なる自給自足的再分配にとどまらず、神殿が仲介者として人々の間の交換を監督し、取引の信頼性を保証した。粘土板に刻まれた初期の楔形文字は、穀物や家畜の交換を記録した会計文書であり、物々交換がすでに規範化・文書化されていたことを示す。ここに、市場を制度的に管理しようとする「法的契機」が胚胎していた。


●1.2 エジプトにおける交換と宗教的権威


ナイル流域の古代エジプトでも、余剰農産物の分配は神殿や王権を通じて行われた。小麦・亜麻布・ビールなどが交換の中心を占め、神殿祭祀における供物の分配が事実上の市場機能を果たした。エジプトの王権は農業生産物を収集・保管し、労働力や資源と交換する権能を持っており、これが「市場統制」と「法的秩序」の先駆を成した。


王権や神殿は交換の規則を定め、不正取引を防ぐ役割を担った。これは後の律令法的規範と異なり、「宗教的義務」としての性格を帯びていたが、共同体秩序の維持に不可欠なものであった。


●1.3 宗教儀礼と物々交換


中東の物々交換は、宗教的儀礼と不可分であった。収穫祭や神殿祭祀において、余剰物資が交換されると同時に、神への奉納として扱われた。奉納物の一部は再分配され、共同体成員に配給された。これにより、取引は単なる経済活動にとどまらず、宗教的承認を伴う「合法的行為」として制度的性格を帯びた。


取引の安全性を確保するため、神への誓約が利用された。不正を行えば宗教的制裁を受けると信じられたため、法的強制力に匹敵する拘束力を持った。後のイスラームにおける「契約はアッラーの前で結ばれる」という規範の源流は、こうした宗教的交換に遡ることができる。


●1.4 価値尺度の萌芽と代用貨幣への移行準備


物々交換の拡大とともに、特定の財が一般的交換手段として機能し始めた。メソポタミアでは大麦や銀の重量単位が価値尺度となり、エジプトでは穀物や亜麻布が基準とされた。これらは後に「代用貨幣」として機能するが、この段階ではあくまで物資に基づく価値の相対化であった。


特に銀は保存性・可分性・普遍性に優れており、すでにハンムラビ法典以前の段階から交換手段として機能していた。物々交換期に芽生えた「価値の標準化」は、後の貨幣経済への移行を準備する制度的要素となった。


●1.5 市場空間の萌芽 ― 「スーク」の原型


定期的な宗教儀礼や都市の集会が開かれる場で、物資交換が集中する傾向があった。これが「スーク(市)」の原型である。初期のスークは神殿の周囲や城壁内に設けられ、交易と祭祀が融合した空間であった。ここでは人々の往来が集中し、共同体規範が自然に形成され、秩序を維持する仕組みが生まれた。


スークは後世のイスラーム都市におけるバザールへと直結し、宗教的権威と市場秩序の融合という中東固有の市場法制史的特徴を早くも備えていたといえる。



■ 2. 代用貨幣期


●2.1 代用貨幣の成立背景


中東においては、物々交換の限界を克服するために、保存性・可搬性・可分性を備えた財が「交換の標準」として用いられた。これが代用貨幣期である。メソポタミアでは大麦や銀の重量単位が、エジプトでは穀物や布が、レヴァントやアラビアでは家畜や塩が、それぞれ代用貨幣として機能した。こうした財は、単に実用的価値を持つだけでなく、社会的に「価値の尺度」として承認され、法的・宗教的規範に組み込まれていった。


●2.2 メソポタミアにおける銀と大麦


メソポタミアでは、銀がもっとも重要な代用貨幣として機能した。シュメールやアッカドの時代から、神殿や宮殿は銀を重量単位で測定し、取引や租税に用いた。銀は日常的に流通していたわけではないが、価格や賃金の計算単位として用いられ、すでに「価値尺度」としての性格を有していた。また、大麦もまた取引や給与の基準として用いられ、『ハンムラビ法典』には銀や大麦を単位とした利息規定が明記されている。これは代用貨幣が法典の中に制度的に組み込まれていたことを示す。


●2.3 エジプトにおける穀物・布の機能


古代エジプトでは、穀物(特に小麦)と布(亜麻布)が代用貨幣として広く用いられた。ナイル流域の農業は豊かな収穫を可能とし、穀物は王権・神殿による徴収・配給の基盤となった。労働者への給与はパンやビールとして支給され、これは実質的に「貨幣的支払い」と同様の機能を果たしていた。


また布は軽量で保存可能なため、長距離交易にも適し、婚資や贈与の基準としても利用された。パピルス文書には「布〇反をもって債務を清算する」といった記録があり、布が貨幣的役割を担っていたことが分かる。


●2.4 レヴァント・アラビアにおける家畜と塩


乾燥地域であるレヴァントやアラビアでは、家畜が重要な代用貨幣として利用された。特にラクダは高い価値を持ち、婚資や賠償の支払い単位とされた。イスラーム以前のアラビア部族法では、「血の復讐(カサース)」に代えて一定頭数のラクダを支払う制度が存在し、これは代用貨幣的性格を帯びていた。


また、塩は保存性と必需性を兼ね備えていたため、オアシス都市や隊商交易において重要な交換財となった。サハラ交易で金と交換された「塩の道」の概念は、アラビア半島と北アフリカを結ぶ広域経済においても同様に機能した。


●2.5 代用貨幣と法規範


中東において代用貨幣は単なる交換手段ではなく、法規範と密接に結びついていた。バビロニアの『ハンムラビ法典』(前18世紀)には、利息・債務・担保に関する規定が銀や穀物を基準に記されている。これは代用貨幣が単に経済的便宜の道具にとどまらず、法的契約の基盤として機能していたことを示す。


またエジプトでも王権が穀物や布の価値を基準として徴税を行い、国家経済の制度に組み込んだ。すなわち代用貨幣は「市場的信認」と「国家的規範」を同時に担保する制度であった。


●2.6 代用貨幣から金属貨幣への移行


代用貨幣は地域ごとに多様性を持ち、保存性や流通範囲に限界があった。銀は国際的に普遍性を持ち得たが、農産物や布は腐敗や摩耗という欠点を持ち、長距離交易には不向きであった。こうした限界を克服するために、紀元前7世紀、小アジアのリディアで鋳造貨幣が登場し、ギリシア都市国家を経て中東全域へ広まった。


このとき、中東社会はすでに代用貨幣を通じて「価値尺度」の概念を確立していたため、金属貨幣の受容は比較的円滑であった。すなわち代用貨幣期は、貨幣制度の思想的・社会的前提を準備する歴史的段階であったといえる。

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