第1話 生まれ変わった少女の嘆き

(……何が、『裏切り者』だったのだろう)


 前世の自分の死という悪夢から目覚めて、ティアー・フローヌは俯いたまま奥歯を噛み締めた。

 視界の端で、濃い青髪が力なく揺れる。

 胸がうずくように痛い。果てのない後悔が押し寄せ、呼吸が苦しくなる。


(裏切ったのは、私の方だったのに)


 哀れな幼い少女が、栄光を求めた少年に騙されて殺された。

 それがあの悲劇のストーリーだったのだと、ずっと思っていたのに。

 あの日から四百年が経過した現代。

 生まれ変わったティアーは、自分の前世であるプルウィア・リーベルが何を犯したのかを、十年前に歴史書を読んで初めて知った。

 ルーキフェル・カエリトゥスが、何故プルウィア・リーベルを殺したのかも——。

 五年間の憎悪と十年間の後悔に満ちた毎日。それが十五歳のティアーが過ごしてきた今世だった。


「目が覚めたか」


 低く深い男性の声が聞こえ、自己嫌悪に陥っていたティアーは顔を上げた。

 二メートルほど先に、暗い赤色のローブを身にまとった初老の男性が立っていた。

 白髪の下、黒い目が鋭い光を宿してこちらを見据えている。

 歪んだ口元。その手に握られているのは真紅の光をまとった長剣。

 そこまで認識してようやく、ティアーは自分が見知らぬ場所にいる現状をあくした。


「……っ!?」


 両手足が動かない。黒い鎖で椅子に縛り付けられている。

 慌てて周囲を見回せば、ここには照明と右奥のドア以外には何もない。ただ無機質な灰色の壁に囲まれていた。


(ここはどこ……? 何が起こってるの!?)


 全身に悪寒が走る。

 真冬の極寒の中、ティアーは靴も履かずコートもまとわず、桃色のパジャマ姿でこの場所にいた。

 けれども、寒い理由は冷気だけではない。

 得体の知れない状況に、不安を通り越して恐怖が迫り上がってくる。

 その恐怖が冷気と混ざり合い、ティアーの全身を震わせていた。

 息が詰まるような静寂が空間に満ちる。

 何もしないでいる事が怖くて、ティアーは目の前の男性に恐る恐る話しかけた。


「あ、あなたは……?」


 瞬間、胸部に衝撃が走った。鋭い痛みが襲い、視界が一瞬真っ白に染まった。


「ぎっ、あ……!?」


 火を押し当てられているような痛みに、息ができない。涙が溢れ返り、激痛に意識が砕けかける。

 けれどもこの激痛は、知っている痛みだった。

 四百年前のあの日の、あの絶望が鮮烈に蘇るような痛み。

 ティアーは歯を食い縛って、自分の身体に目を向けた。男性が持っていた剣が、この胸に突き刺さっていた。

 ルーキフェルに殺されたときと同じように、胸を刺し貫かれている。




 ——なのにこの身体からは、一滴の血液さえ零れ落ちていなかった。




「くくく、やはり不死身のようだな」


 男性がわらい、剣を何度もねじる。


「あ……が……」


 空気は既に吐き尽くした。

 肺がひねり潰されたように痛む。声にもなっていない、掠れた音だけが喉から出ていた。


「服にも傷が付かない。決まりだな」


 男性が納得したように呟く。次の瞬間、乱雑に剣が引き抜かれた。


「あぐッ!? ああああぁぁあああ!」


 今日一番の激痛が脳を突き抜け、ティアーの視界で火花が弾けた。

 のたうち回りたい衝動に駆られるが、手足を縛られているために許されない。

 ガタガタと全身を震わせて、ティアーは痛みに絶叫した。


「っ……はあ! は、あ……はぁ……」


 やがて苦痛の衝撃はある程度過ぎ去り、身体は幾分楽になった。

 しかし全身に力が入らず、ティアーはだらりと俯く。

 呼吸が荒れ狂い、目から零れた涙がポタポタと膝を濡らす。


「〈破壊の魔女〉は痛みを感じないとわれていたが、耐性は後天的なものなのか」

「っ……」


 興味深げに男性が呟いた言葉に、ティアーは大きく肩を震わせた。


 ——〈破壊の魔女〉。


 それは、二度と聞きたくなかった単語。ティアーにとって、己の許されない罪そのものを指し示す言葉。

 顔を伏せて黙っていたら、首にチクリと痛みが走った。

 剣の先端を押し付けられているのだと、ティアーは遅れて認識する。

 また刺されるのかと、背筋にゾッとおぞが走った。

 グイッと下から剣腹であごを押され、無理やり顔を上げさせられる。


「自分が〈破壊の魔女〉の生まれ変わりである事は知っているようだな。だが、その力はまだ成熟していないため使えない。違うか?」


 男性からえつ混じりに問いかけられた内容は、まさにその通りだった。

 そして動揺を表に出してしまったのだ。今さら誤魔化ごまかす事はできないだろう。

 だからティアーは、恐怖を呑み込んで逆に問いかけた。


「何が、目的ですか……?」

「話が早いな。無駄な時間が生まれそうになったら、もう一度貫いてやるところだった」


 剣が首から離れ、その先端が眼前に突き付けられた。

 ティアーはびくりと顔を強張らせる。

 前世も含め何度も死痛を受けているとはいえ、痛みに慣れる事などなかった。

 いつだって、頭が壊れるほど苦しかった。


「なるほど。お前、痛いのは嫌いか」


 男性が笑みを深め、剣の先端をこれ見よがしに揺らす。

 ティアーは何も答えられず、ただ背筋を凍らせた。緊張で息が詰まる。

 痛いのは嫌いだが、それ以上に怖いのだ。自分の身体が壊されていく、あの感覚が怖かった。


「もう痛い目に遭いたくなければ、私に服従を誓え」


 男性が嗤いながら、何かの魔法を発動した。

 赤い魔法陣が出現し、ティアーの眼前で回転しながら輝く。


「『契約けいやく魔法』だ。一言、私に服従を誓うと告げるだけで良い。〈破壊の魔女〉の力、この私が存分に活用してやろう」


 男性の言葉に、ティアーは奥歯を噛み締めた。

 この男性が具体的に何をするつもりかは分からない。しかし、ろくでもない事だけは確かだった。

〈破壊の魔女〉の力は、人を殺す以外には何もできないのだから。


「無駄な時間を使うなよ?」


 低い声で脅され、ティアーは目を伏せる。心臓が軋む思いで拳を握り締めた。

 痛いのは怖い。怖くて涙が滲む。だけど——。

 四百年前のあの日、ルーキフェル・カエリトゥスに殺されたときの光景が蘇る。

 あのとき、涙で彼の顔は見えなかったけれど——きっと、彼は笑ってなんかいなかった。

 あのときルーキフェル・カエリトゥスは、奪われた多くの命と残された人々の悲哀を背負って、あの場所に立っていたのだから。

 彼を裏切り悲劇を振り撒いた、プルウィア・リーベルを断罪するために。


(分かっているの。たった一度死んだくらいじゃ、許されないって……)


 四百年前。プルウィア・リーベルは〈破壊の魔女〉の力を暴走させ、無意識下で大勢の人々を殺戮した。

 それだけではない。〈破壊の魔女〉は初めて姿を現した八百年前にも、あまの悲劇を引き起こしている。

 どう言うわけか、ティアーはプルウィア・リーベルの記憶しか持ち合わせていないけれど。

 それでも、記憶にないからといって犯した罪が消える事などない。

 四百年前も八百年前も、自分は数え切れないほどの命を奪ったのだ。

 どれだけ悔やみ謝罪を重ねても、決して許されはしない。だから——。


(これが、罰なのかな……)


 ティアーが服従を誓わない限り、この男性は延々とティアーを痛めつけるはずだ。

 この心が壊れるまで——いや、きっと壊れても終わる事のない拷問。

 けれども、もしもこれが罰なのであれば。

 その罰から逃げる事だけは、絶対に自分で自分を許せなかった。

 だからティアーは顔を上げて、涙を堪えて言い切った。


「絶対に、嫌です……!」


 男性の顔から笑みが消える。すっと、その目が不機嫌そうに細められる。


「そうか」


 吐き捨てるように一言告げて、男性が剣を振り上げた。

 死痛がくる……! ティアーは息を止めて目をぎゅっと閉じた。

 直後、頭が割れるような激痛が脳を突き抜けた。

 壮絶な痛みにティアーは目を見開き、悲鳴を迸らせた。

 意識が砕け、視界が暗転する——寸前。

 誰かが奥のドアをやぶって突入してくるのが、見えた気がした——。




☆—☆—☆



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