第19話 悔しき野心

リアとリナは息を合わせ、同時にレバーを引いた。瞬間、周囲を淡い光が包み込み、空気が震えるような感覚が二人を貫く。


光が収まったとき、リアの目の前には迷宮が静かに解け、先へと続く扉が姿を現した。思わず息を呑むリア。希望が、目の前に広がっている。


しかし、逆側のリナの視界では、迷宮は確かに解けたものの、扉はどこにも現れなかった。


「なんでよ!」リナは声を荒げ、悔しさを胸に残す。


「もう……お姉ちゃんの意地悪……」


そう言い残すと、リナは肩を落とし、光の中へと去っていった。


リアはその背を見送りながら、わずかに肩をすくめる。喜びの中に、少しの切なさが混ざる瞬間だった。


リアは扉の前で立ち止まった。光に照らされ、迷宮の残り香がほのかに漂う空間。胸の奥に、リナの声と姿がまだ鮮明に残っている。


「……リナ、あんなに悔しがるなんて、やっぱり悔しいのね」


ふと微笑む自分に気づきながらも、扉は現実への道を示していた。迷ってはいられない——ここで立ち止まれば、進む意味がなくなる。


リアは深く息を吸い、覚悟を決めた。


「行くわ……次へ」


小さく呟き、扉を押すと、先に広がる世界がゆっくりとその姿を現す。光と影が交錯する迷宮の向こう、リアの冒険はまだ続く。



リア、ミルダ、アッシュの三人は、互いに距離を取りながら扉をくぐった。足元に広がるのは、滑らかで冷たい氷の床——光を反射して目を眩ませるほどだ。


「うわ……足元、やばいな」アッシュが声を漏らす。銃を構えつつも、慎重に一歩を踏み出す。


「気をつけて。ここで転んだら、一気に滑り落ちそう」ミルダは短剣を握りしめ、バランスを取りながら進む。


リアはクロックハートを胸元で握り、冷たい空気を感じながら前を見据えた。


「……こんなところで足を取られてる暇はないわ」


三人の足音が、氷の上でカツカツと響く。滑らないように、互いに距離を保ち、慎重に進む。壁も天井もすべて氷で覆われ、光が乱反射して方向感覚を狂わせる迷宮——しかし、先に進む意志だけは揺るがなかった。


一歩一歩、冷たさと緊張感を噛みしめながら、三人は足場の悪い氷の通路を進んでいった。




一歩ごとに氷の冷たさが足裏に伝わる。まるで床が生き物のように二人の体重を揺さぶるかのようだ。リアは手を壁に添えつつ、ミルダとアッシュの動きを確認する。二人の背中が頼もしく見える反面、この足場の悪さは三人の協力なくしては進めないことを痛感させた。


「この氷……どこまで続くんだ?」アッシュが小さくため息をつく。銃を構えた手がわずかに震えているのに、リアは気づいた。緊張感で指先まで神経が張り詰めているのだ。


「先は見えてないけど……落ち着いて、一歩ずつ進むしかないわ」リアは自分に言い聞かせるように呟く。胸の奥で、リナの姿がちらついた。彼女は扉の向こうで、悔しさと意地を胸に抱え去っていったはずだ。リアの心は少し痛むが、今はここで立ち止まるわけにはいかない。


氷の迷宮は音まで違う。足を踏み出すたびにカツカツと乾いた音が響き、反響が壁から返ってくる。小さな振動が氷全体に伝わり、まるで迷宮そのものが生きているかのように空間がざわめく。


ミルダが短く声をかける。「ここ、微妙に傾斜してる。斜めに滑るから、壁をしっかり掴んで!」


リアはうなずき、壁に手を滑らせてバランスを取る。冷たさに指先が痺れるが、それでも滑落するよりは遥かに安全だ。


アッシュが慎重に足を運びながらも、時折銃を構えて周囲を警戒する。迷宮の氷は光を反射して視界を乱すだけでなく、どこから敵が出てくるか予測できない。小型の機械の残骸が氷の裂け目に埋まっているのを見て、三人は互いに目を合わせる。警戒を怠るわけにはいかない。


「……この先、どうなってるのかしら」リアは心の中で問いかける。氷の迷宮は迷路のように複雑で、先が見えない不安が徐々に膨らむ。


ミルダが小声でつぶやく。「でも、こんな場所で転ぶより、進む方がましよね」


リアは短く息を吐き、頷く。「そうね……一歩ずつ」


三人は氷の通路を慎重に進む。時折、足元の氷が小さく割れる音がして、心臓が跳ねる。しかし、それでも足を止めることはない。迷宮は冷たく厳しいが、先に進む意思は誰にも止められなかった。



突然、足元の氷が小さく割れた。リアは咄嗟に壁を握り、アッシュも足を踏ん張る。ミルダは短剣で壁を蹴り、身体のバランスを保った。


「危な……!」三人は息を合わせ、何とか転倒を免れる。冷たい空気が口元に押し寄せ、短く息を吐く。心臓は跳ね、指先は痺れる。


リアは振り返り、二人に目配せする。「大丈夫?」


「うん、なんとか」ミルダが短く答える。「でも、まだ続くわよ……」


氷の通路はさらに狭く、曲がりくねっている。天井から氷の鍾乳石が垂れ下がり、足元の反射が乱反射して視界を惑わす。光の加減で、床が途切れて見える箇所もある。三人は声を殺し、呼吸を整えながら慎重に進む。


「ここ、ちょっと手伝うわ」リアは壁伝いに歩きながら、アッシュの背を軽く押す。アッシュは銃を握りつつ、感謝の目を向けた。


氷の迷宮はただ冷たいだけではない。歩くたびに「ギギ……」と床が鳴り、割れる寸前の緊張感を伝えてくる。三人の足音が反響し、互いの存在を確認する唯一の手段になった。


突然、足元の氷が崩れた。アッシュの右足が一瞬沈み、氷が割れる音が洞窟全体に反響する。リアは反射的に手を伸ばし、アッシュの肩を掴む。ミルダも短剣で壁を蹴り、二人を支える。


「危なかった……!」リアは息を整え、指先の冷たさを忘れるほど心臓が高鳴っていた。アッシュはぎりぎりで踏みとどまり、背中を壁に押し当てる。


「ここ、やっぱり罠があるね」ミルダがつぶやく。「氷がただの通路じゃない。重さで割れる場所もあるみたい」


リアは小さくうなずき、声を低くする。「二人で支え合って進むしかない。私たち、バラバラにはなれないわ」


三人は壁と互いの体を頼りに、さらに慎重に進む。氷の通路は迷路のように曲がり、光と影が交錯して視界を惑わせる。天井から落ちる氷の雫が耳に冷たく、足元の氷を滑らせる音と混ざって、緊迫感は増すばかりだ。


「まだ……先があるのか」アッシュが小声で呟く。息は白く、凍るように空気が冷たい。


「……大丈夫。みんなで進めば」リアは自分に言い聞かせるように、短く頷く。心の奥に、迷宮の先に待つものへの期待と恐怖が入り混じった。


ミルダが氷の亀裂を指でなぞりながら言った。「こっちのルート、ちょっと危険だけど……右に寄れば何とかなるかも」


リアは視線を合わせる。「じゃあ、慎重に右に……」


三人は連携して歩を進める。互いに支え合い、声をかけ、少しずつ迷宮の奥へと進んでいった。氷の迷宮は厳しく冷たく、美しくも恐ろしい。だが、三人の意志は揺るがない。足元の危険を一歩一歩越えながら、希望の光を求めて進むのだった。



氷の迷宮の最奥、三人の前に広がるのは透明な氷の広間だった。天井からは氷柱が垂れ下がり、床には無数の亀裂が走る。光が氷壁に反射し、無数の小さな星のように揺らめく。


「ここ……だね」リアが息を整えながら言う。


アッシュは警戒を緩めず、銃の照準を前方に向ける。「罠……ありそうだな」


ミルダは短剣を握り締め、足元の亀裂を見つめる。「……一歩間違えれば、落ちるわ」


床の氷が微かに振動する。亀裂は一層広がり、三人は互いに距離を詰めながら慎重に進む。


「リア、ちょっとこっち見て」ミルダが指差す。前方の氷壁に、三つのレバーが設置されている。リアはその形に見覚えがあった――以前、リナと同時に引いたレバーと同じ形。


「またか……」リアは小さくため息をつく。「でも、今度は三人で……」


アッシュが眉を寄せる。「三人で同時に引くってことか?」


「そうね」リアは短く頷く。「でも……今度は失敗できない。床が崩れる可能性もある」


三人は息を合わせる。ミルダが「いくよ」と声をかけ、リアとアッシュも息を整えた。


「せーの!」


三人が同時にレバーを引く。瞬間、氷の広間全体が強い光に包まれる。反射光が壁や天井で乱反射し、目を開けるのも困難だった。


光が収まると、目の前には一枚の巨大な氷の扉が浮かび上がっていた。氷は青白く輝き、微かに暖かさすら感じさせる不思議な質感だ。


「……開いた」リアの声に、アッシュとミルダも同意する。扉の向こうにはさらなる迷宮、いや、出口の気配が漂っていた。


しかし、広間の床の氷はまだ不安定だ。亀裂が広がり、どこかで氷柱が落ちる音がする。


「気を抜くな!」アッシュが叫ぶ。


三人は互いに手を取り合いながら、ゆっくりと扉へと近づく。足元の亀裂を避け、氷柱の落下をかわし、まるで一つの生き物のように息を合わせる。


「もう少し……」リアは短く息を吐き、心の中で祈る。


ミルダが笑う。「こういう時って……やっぱり連携が全てよね」


「……うん」リアも笑みを返す。「みんながいるから、ここまで来れたんだもの」


最後の一歩を踏み出すと、広間の氷が安定し、三人は揃って巨大な氷の扉の前に立った。光が差し込み、冷たい迷宮を溶かすかのように輝く。


「いこう」リアは短く言い、扉を押し開く。


扉の向こうに広がるのは、迷宮を抜けた先の静かな光景。氷の冷たさはもうなく、温かな光が三人を包み込む。迷宮で培った絆と信頼が、ここで報われる瞬間だった。


三人は無言で見つめ合い、しかしそれ以上に強く互いを意識する。危険を共に乗り越えたからこそ、言葉は必要なかった。


外の光に目を細め、リアは心の中でつぶやく。


「これで……次に進める」


氷の迷宮は背後に消え去り、三人は新たな一歩を踏み出す。心地よい緊張感と達成感が混ざり合い、冷たい迷宮での体験が温かな絆へと変わっていった。




リナは地上に戻ると、宿の一室に駆け込んだ。扉を閉めると、悔しさで体が震える。


「悔しい……! あと少しで手に入ったのに……!」


声を荒げ、リナは地面を踏み鳴らす。氷の迷宮の記憶がまだ胸に残り、指先が熱くなるようだった。冷たい迷宮を攻略したはずなのに、手の届かなかったクロックハート朱が思い出される。


「もう……お風呂入る!」


顔を赤らめながら、リナは怒りと悔しさを流すように浴室へ駆け込む。冷えた体を温め、汗と迷宮の埃を洗い流す。湯気の中、リナは拳をぎゅっと握り、瞳をぎらりと光らせた。


「見てなさいよ……絶対に……今度は、クロックハート朱も……新しいやつも……ぜーんぶ、私の物にしてやるんだから……!」


湯気に包まれた彼女の声は、悔しさと決意の混じった低い呟きになった。外からは夜の風が窓を揺らし、リナの怒りと野心を、ひそやかに包み込んでいた。

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