少女は見据える Ⅱ

「お、何だ兄ちゃん。今日はもう帰ってきたのかい?」


 それは朝。人々が慌ただしくなる時間帯より、少し後のこと。

 街まで引き返してきていたスカーレを呼び止めたのは、市場の入口辺りに位置する店の主だった。

「それともクビにでもされたか」

「不吉なこと言わんでくれ」

 相変わらず発言に遠慮がない。この街に来てからもう何度か顔を合わせているし、あちらなりに気を許してくれているということなのかもしれないが。

「買い出しを頼まれたんだよ」

「なるほど、使いっ走りってわけだ。……ん? けどよ、確か兄ちゃんの仕事は剣の先生じゃなかったか」

「俺もそう思ってたんだがな」

 呆れ気味に言って、スカーレは肩をすくめる。

「そうかい。けど、何てったって雇い主が雇い主だからな。ある程度は飲み込まにゃならんこともあるだろうよ」

 そう言って、店主は苦笑いを一つ。しかしそこで一つの疑問が浮かぶ。

「つーか、何で俺の仕事のこと知ってんだ。言いふらした覚えはねぇぞ」

「あぁ。兄ちゃんが泊まってる宿の女将さんさ。悪い人ってわけじゃないんだが、ちょっとばかりお喋りなところがあってな。少なくとも街じゃ結構な噂になってるぜ」

 なるほど、それなら情報の出本としては納得がいく。その宿はここで仕事をしている間の拠点となっていて、女将は雇い主から事情を聞かされているはずだからだ。

 まあ、とはいえ。

「どこがちょっとだよ……」

 あるいはどこかで更なるお喋りに当たったか。そういえばここ数日ほどは、街中で異様に多くの視線を感じていたような気がしていた。

 これから長く滞在することを考えると、あまり変に目立つのも困るのだが――事ここに至ってはどうしようもないかと、スカーレは溜息を吐く。

「まあそうじゃなくても、領主様の屋敷に毎日足を運んでる時点で、時間の問題だったとも思うがね」

「そういうもんか?」

「あぁ。前までは俺たちも、何か困ったことがあればよく屋敷に足を運んだもんだがね。奥様がとてもお優しい方で、俺たち下々の者の用向きにも快く門戸を開いてくださってな。俺も商売の悩み事とかでよく通わせてもらったもんだが、あの方の言う通りにやって上手くいかないことはなかったよ」

「ほう?」

 確かに貴族の奥方ともなれば、相応の知性を備えていても不思議はない。しかし商売人の事情にまで的確に口を出せるほどとなると、なるほど確かに利口な人物だったのだろう。

 店主の口ぶりから察せられることはあったが、それを分かち合えるような間柄でもないだろうと、スカーレは話題をぼかした。

「風の噂じゃ、どっかに似たようなことをしてる小娘がいるって聞いたけどな」

「はっは、そうだな。流石に奥様ほどじゃないが」

 可笑しそうに言って、店主は虚空を見上げる。

「しかし、この街があの頃の活気を保てているのは、きっとそのおかげなんだろうなぁ」



―――――――



 カレドヴルフ王国、アストランド領。

 王都の西側に位置する大平原と、国境の山岳地帯からなる広大な領地。それを守り続けるアストランド家は、建国以前から王家に仕えてきたという誉れ高き家柄であり、現代に至ってもなお強大な権力を有している。

 加えて当代の領主オーヴェルといえば、王国を代表する武人。“カレドヴルフの双璧”と称される二大英雄の一人であり、まだ西の隣国が王国と敵対していた頃においても、国土の一切を侵されることがなかったのは彼の活躍によるところが大きいという。

「……噂ってのは当てにならんな」

 英雄と呼ばれるほどの領主と、領民たちからも慕われていたという利口な夫人。彼らによって支えられてきたこの領地は王国の中でも特に栄え、治安維持も徹底された場所だと聞き及んでいた。

 しかして実状はどうか。近頃は肝心の領主が領地を空けがちになり、その留守を狙って盗賊なども領内に侵入してきている。治安維持を任されている衛士たちの尽力によって、まだそう大きな騒動には発展していないようだが。

「……何やってんだかな、その英雄様は」

 それはきっと、どこかの偏屈令嬢の影響だろうか。

 今はそう考えるようにして、スカーレは零れた言葉を誤魔化した。



 ―――――――



 買い出しの品が詰まった麻袋を抱え、スカーレは屋敷の中央庭園へ向かう。

「あら、遅かったわね」

 目印である大きな木の下。テーブルセットの置かれたそこでは、一人の少女が静かに読書をしていた。当人にその自覚があるのかは分からないが、その優雅な姿が偉そうにふんぞり返っているように見えて少し腹立たしい。

「雑貨屋のおっさんに捕まってな」

「あぁ、あの人。商人としては優秀な部類だけれど、いつも話が長いのよ」

 その呆れた物言いから察するに、もしかしたら彼女も何度か同じ目に遭っているのかもしれない。あるいは小間使いを頼んだ理由もそこにあったのだろうか。

 まあ理解はするが、納得できるかというと話は別だ。

「今更だが、買い出しなら他のやつに頼めねぇのか。契約にも入ってねぇだろ」

「いいじゃない。どうせ今日も暇だったんでしょ?」

「……」

 まるで好きでそうしていたように言うが、もちろん違う。相手が事情を承知の上でそんな言っているのは分かっているから、多少不満げに睨みはしても言い返しはしなかったが。

 そもそもスカーレがここへやってきたのは、このアルカから仕事を頼まれたからである。

 少し前、妹の剣術指南役をしてほしいと、彼女は突然スカーレが泊まっていた宿にやってきた。突飛すぎて流石に面食らったが、挙句には自分が領主の娘だと名乗ってくるので、さしものスカーレも一旦は思考を放棄しかけたほどだ。

 彼とて決して素人ではない。そのまま一方的に畳みかけられるわけにもいかないので、とりあえずある程度事情を細かく聞いていくことにした。ただの頭のおかしいだけの少女ならすぐにボロが出ただろうが、彼女はこちらの問いかけにも不気味なほど堂々と応じてみせ、気付けば会話は立派な取引きのそれになっていた。

 彼女の身分についても説明を重ねられ、次第に疑うこともできなくなった。結局最低限の注意事項だけ確認した上で、最終的に報酬の良さからスカーレは仕事を引き受けることにしたのだった。

「今日こそは何かしら聞かせてもらうぞ。これじゃいつまで経っても仕事にならん」

「……そうね」

 スカーレの言葉を受けて、アルカはそっと本を閉じる。彼の聞きたいことは理解している様子だった。

 アルカの実妹――クリシア・アストランドは、今日も剣術指南の場に現れなかった。

 それはもはやいつも通りの出来事。開始の日から今日に至るまでクリシアは一切の鍛錬をすっぽかしており、それどころかスカーレの前には全く姿を見せないでいる。当然仕事ゆえスカーレも可能な限りは彼女を探し回ったが、外部の人間、それも素性の知れぬ流れ者という立場の彼では、屋敷の中を自由に動くことは難しかった。

 そこでアルカやレオノーラにも助力を求めることにしたものの、


『む、クリス様なら……あぁいや、すまないが私は知らないな。それより時間があるなら少し鍛錬に付き合っ――』

『さあ? 見ていないわね。それより暇なら、少し用事を頼まれてくれないかしら?』


 ……ダメだこいつら。

 前者は間違いなく嘘を吐いていて、しぶとく問い詰めればそのうち白状した可能性もあるが、その間に何度叩きのめされるか知れたものではなかった。後者は口調や雰囲気こそ平然としていたものの、まあしらばっくれていることくらいは分かった。

 だからスカーレも、一仕切り当人を捜した後はアルカの元へやってくることにしていた。結局また小間使いを頼まれてしまうことになったが、いつもなら終わったら帰ってくれていいと言うところを、今日だけは自分の元へ報告に来るようにとわざわざ指示された。

 少しは話す気になったかと、そう察するには十分な変化だ。

「貴方はあの子のことをどう考えてる?」

「どうもこうも……まだろくに言葉も交わせてねぇんだが」

 スカーレが屋敷へ来たばかりの頃に、クリシアとは一度アルカの仲介で顔を合わせている。しかし本当にそれだけだ。その人柄を把握するにはどう考えても時間が足りていない。

「失望はしていないの? あの子が鍛錬をサボらなければわざわざ探す手間もなく、私やノーラに振り回されることもなかった。それに対する文句は?」

「文句ならある。お前らに対してはな」

 妙な切り出し方をしてくるものだ。焦って話を打ち切られても困るし、とりあえず率直に答えはするが。

「俺はただの根無し草だ。素性もはっきりしねぇし、他の屋敷のやつらみたいに不気味に思うところもあるんだろ。多少は驚いたが、別に最初から何もかも上手くいくなんて思ってねぇよ」

「……そう」

 少しだけ微笑んで、アルカは続ける。

「確かに、あの子は貴方のことを恐れているのでしょうね。でもそれは、別に貴方に原因があるわけではないわ」

「? どういうことだ」

「契約の時に少しだけ話したでしょう。あの子には以前、別の指南役がついていたって」

 確かに聞いていた。その指南役が任を降りることになったからこそ、その代わりを探す必要があったのだと。

「それをクビにしたのは、他ならぬ私なのよ」

「……」

 言葉の響きに僅かながら苛立ちを感じる。ここまではっきりと分かるのは、この少女にしては珍しいことに思えた。

「そいつはお父様が連れてきた王都の騎士でね。家柄は良く、かのカリベール学園の出とあれば実力を疑う必要もない。屋敷の者たちもそれを快く受け入れ、少ししてからクリスの鍛錬が始まったの」

 自分とはすっかり真逆だ。まあそれも仕方ないだろう。

 カリベール学園といえば、確かこの王国内でも随一とされる名門だ。文武両道に秀で、多くの騎士や学者などを輩出してきたという輝かしい歴史を有している。その卒業生でしかも王都の騎士――王国騎士団の所属となれば、確かに貴族の目にも止まるだろう。

「……元々あの子は剣の鍛錬が大好きだったの。こんな状況で言っても説得力はないでしょうけど」

 何かを懐かしむように、アルカは目を細める。

「本格的な指南が始まるまでは、私の鍛錬にもよく混ざってきてね。いつかノーラやお父様みたいな立派な剣士になりたいというあの子の熱意は、とても私のように貴族の嗜みで終わるようなものじゃなかった」

「…………」

「……それなのに」

 次の言葉までは、少しだけ間があった。


「あいつは、あの子からその思いを奪っていったの」

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