第9話 海を見るまで
御者席から、悲痛な男性の声が幾度も聞こえて来る。
「馬は、もう少し早く走れないのか?」
「ミズエラやマルロネに何かあったら……」
そんな言葉が繰り返し、繰り返し聞こえる。
馬車は5分もたっていないのに……。
ニンフは足を投げ出し座り、ダークエルフさんはそんな彼女を膝にのせ、抱きしめている。
そして例の、牛糞の肥料の所まで来ると、馬車は男性の言うがまま、来る時には見えなかった道を、大きく曲がり、少し高台の場所へと馬車を揺らしながら登って行く。
一段上の土地へと行き着くと、ふたたび馬車は、グゥーーーーンとカーブし、マーストンたちを遠心力で押し集めながら止まった。
その最中、真新しい小さなブランコが視線の中を横切った。
「あああぁ――――!」
男性の悲痛な声が響く、降りると大きく扉が、食い破られていた。
「おっさん! この家、少し壊れることになるぞ! いいか?」
「お願いします! お願いします! なんとしても妻と娘だけは!」
「わかった。マーストン行こう! おっさん!」
「はい……」
彼は疲労困憊という感じで、返事をする。
「御者経験あるなら、馬の手綱を握っといて! もし……新手が少しでも見えたら逃げてくれ! 馬をやられたら誰も助からないし、ギルドに知らせないと、本当にやばい!」
「ああぁ……わかった。気を付けて……」
彼はしょげてはいるが、馬車席へと向かって行く。って、ニンフも、ダークエルフさんも降りて来てるし!?
「君たちなぜ、降りてきたの!」
ニンフが、ダークエルフさんを小さく指さす。
「私、頑張る」
彼女はそう祈るように、僕らに声をかける。
「どうする?」
「行きましょう。考えている時間はありません」
「わ――――おぉん!」
オオカミの遠吠えがする。返事はないようだ。先ほど退治された仲間を呼んでいるのか?
足を踏ん張りまわりも見ても、もう一段上の土地にも動くものの気配は皆無だった。
それにしても家の中だと召喚の手札が限られて、戦い難いことになりそうだ。
覚えている黒魔法もそうはない。
ドカァーッ!
「開いた」
アレックスが扉の鍵の部分を、剣で叩き割った。
それでも彼の手に持つ刀は、折られもせず、曲がりもせず、刃こぼれもないようだ。
ドアを蹴りあげ、開ける。
そこへ、狙いすました様に、アレックスの首元目掛け、ガガゥー!と、鋭い牙のある口が飛んできた!!
剣の横面がきらめき、それを叩き落とす!
そしてそのまま間髪入れず、オオカミへと剣を突き刺す!
よくわからないが、剣といい、その腕前といい、ここに居ていい剣士ではない。
そんな新たな謎が生まれる考えへと、マーストンの答えは至ってって行く。
アレックスは何者なのか?
だが、そんな気持ちもニンフから傘が、マーストンとダークエルフさんに手渡されたことで、思考のどこか遠くへ押し込まれる。
ーーさすが、ニンフ! 一番幼く見えるけれども頼もしい!
でも、その後もフライパンや、フライパンの蓋などを、次々くれようとするので、手当たり次第なのかもしれない。
それより、2階で何か、ドーンやバーンと、ぶつかる音。
そしてシュタタタと、何かが走り回る音が、玄関へ入った時は時から響いている。
その音に気づいているだろうアレックスは、2階へ向かうと、指先で合図をする。
「いる……」
そしてその声に、緊張がうかがえる。
彼らにつづき、マーストンは2階へ上がって行く。
警戒し、すべての意識を2階へ向けて、注意深く聞き入った。
――その時! 床を滑る足音、ぶつかり何かが壊れる音!
2階?
「………………」
いや、1階からだ!?
その音と共に、こちらへ向け弾みをつけて、オオカミの顔が僕に迫って来る!!!
「うあぁ!?」
誰かが僕の背中を引き、ダークエルフさんが前へと躍り出て、傘を魔物の脳天に叩きこんでいた。
オオカミはボールの様に弾み、後ろの机と共に、後ろへと滑りさがった。
「
なんとか体勢をたて直し、僕は黒魔法を唱えた。魔法で、土の塊をオオカミへと降らせる。
ドォドドド!!
と、音を立て、オオカミの体が煙の様に飛散した。
…………そして床に少し穴が……。
2階から子どもの鳴き声が響いた時、アレックスの声がその近くから聞こえて来た。
元気で、落ち着いた声に、力が抜けほっとする。
「おーい大丈夫か? 凄げ音がしたけどー」
「1匹倒しましたー! 床に穴が開いてしまいましたが……」
「ふっ、死ぬよりはいいだろう」
彼は、5歳くらいの女の子を抱いた女性と、一緒に降りて来た。
「皆さん、ありがとうございます」
「ありかぁどうぉー」
そこから彼女をそのまま連れて、マーストンたちは来た道を慎重に引き返す。
玄関までがやけに長く感じる……。
「幌馬車も、彼も無事のようだ! おれは彼と交代する。マーストンは後ろを見張ってくれ」
「わかりました」
「では、行くぞ!」
「「はい!」」
先ほどの室内での様子が嘘のように、花の咲く小さな鉢植え、蝶々、そして花の甘い香り、庭先は平和そのものだった。
「御者席を変わって、後ろへ、早く!」
「ミズエラ!、マルロネ……よくぞ無事で……」
「貴方…………」
「うわぁ――ん」
彼らは、お互いの無事を祝うように寄り添い合う。
「怪我しないように、ゆっくりでいいので、歩みは止めないでください」
そしてマーストンが、最後に乗り込んだ……。
「全員、乗り込んだ! ありがとう出発してくれ」
そして先頭に立っていた彼は、アレックスにそう伝えた。
馬車が動きだす。風景が流れるように進みだすと、どこかに隠れていたのだろう。
オオカミが、本能に逆らえなかったのか走って追って来た。
僕が立ち上がると、疲れてうなだれている人々が一斉に僕を見た。
「まさか、まだ居たのか…………」
「そうみたいですね。魔法がまだ、使えそうなので行って来ます……」
立ち上がり位置につく。左手を、ぐぅ、ぱぁ、ぐぅ、ぱぁ、と繰り返す。そして左手を開いた状態にした。
「紅蓮の炎が生まれい出る」
地獄の炎が、左手の中に現れ、それをトランプ横に広げる手つきで、5つの炎を練り上げる。次の言葉とともに……。
「5つに分かれ敵を滅ぼせ!」
オオカミは右へ左へとステップを踏み逃げたが、1つの炎がその体を捉えると、残りの炎も次々と当たって彼の心と足をくじく。
「キャイン」という声を最後に、オオカミだったものは飛散した。
マーストンは椅子に戻って座り込む。薬草を食べているし、後、2回くらい精霊なら呼べるかな? って感じだった。
ーーやっぱり召喚魔法の方が体に合うようだ。
隣に座っていたニンフは、にっこり笑いながら薬草を手渡してくれようと、僕の前に出す。
さっきまで何も持っていなかったよね? と、思いながらも「いただきます」と葉っぱをむしゃむしゃと食む。
恐怖と疲れからか寝てしまったお子さんと、そのお母さんの横で、男性が僕を見つめている。
「旨いのかね?」
「美味しくないです。栄養があるのか、体力、魔力の回復が早くなる薬草です」
「安全なのかね?」
「一応安全とは思いますが、僕たち冒険者は、死と隣り合わせです。今、生きられないと、明日も死んでますからね……」
「なら、やめておくよ。私は妻と子どものために、生きなければならないからね。君たちも……いや、私はダーイル、妻のミズエラに娘のマルロネ。私たちは君たちのおかげで助かったありがとう」
「いえいえ、御者席にいるのがアレックスで、僕がマーストン、こっちがニンフに、彼女は……名前が定まっておらず、ダークエルフさんって今は呼ばれています。しばらく海辺の街に住むことになるので、よろしくお願いします」
「こちらこそ、ようこそ、海辺の街オアハジへ、そろそろ見えて来るはずですよ」
彼が言う通り、いつの間にか右手の林が切れて、空の青を溶かしたような、青い水平線があった。
あれが海、海は太陽の光を反射させ、キラキラと星より眩しく光る。
それを横切る船の白い線。
磯の香りと言われる匂いが、彼らを包みこむ。
「おーい! 街が見えて来たぞ!!」
こうしてマーストンたちは危険な目にあったが、なんとか無事に海辺の街オアハジへと辿り着くことが出来そうだ。
続く
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