第20話 人の魔法

 お嬢様は俺の顔を確認してニチャリと口を歪ませた。


 あぁまた面倒が増えたのか。

 全てを放っておくか、ザイラスから精霊を奪うだけにしていればよかったんだ。

 最適解を考えれば、リリアを放置してザイラスの隙を突くべきだった。それだけで済んだかもしれないのに、こうなったらこのお嬢様も門番も殺すしかない。そうに違いない。


「何故私を置いていった?」


「はぁ。あんたを庇ったガキが死にかけてたからだよ、精霊が必要だったから急いで持って帰った。もう質問はいいな?」


 殺そう。俺の油断の結果だ。悪いとは思うが、どうせ俺がいなきゃ嬲られて死んでいただろう。恨むなよ。


「そうか……」


 お嬢様はそれだけ呟いて立ち上がった。そして俺に向かって軽く頭を下げた。


「誠にありがとうございます。あなたのご助力により、私は救われました」


 んん?


「ふぅぅ……。お前の功罪を考えれば、功の方が大きいだろう。こうして私は無事でいるわけだからな」


 お嬢様はこめかみを揉みながら、冷静に評価しようとしているように見える。

 これは……いけるか?全部丸く収まる可能性があるか?


「……ありがとうございます」


「ところでお前。今、諦めて私を殺そうとか考えていなかったか?」


「……そんなことないです」


「ふむ。私としてもあそこで放置されたのはとてもショックだった。ここから生きて帰れたなら殺してやろうとも思ったが、お前は助けに戻ってきたわけだからな。本当に恐ろしかったよ、近くであの男が食われるのを見ながら、ガタガタ震えて魔法を維持するのは」


「………」


『はぁ。何やってるのよ。一人くらい抱えて走っても平気でしょうに』


 その通りだが、あの時は興奮状態だったんだよ。失敗したわ。


「全て水に流そう。むしろ礼をしなければならんな。ただし、これ以上は許すことができない」


「分かっています」


 最初から分かっている。相手は貴族だ。弱みを見せた以上、敵対するなら殺すか逃げるかのどちらか。もう誤魔化しは通じない。下手すれば孤児院丸ごと責めを受けるだろう。

 だがそれは向こうも同じだ。舐めた態度を取るなら殺す。一歩でも引けばすべてを奪われる。俺が生きるためには、こいつを殺す可能性も消してない。


「よし。それで、精霊と言っていたが、それはあの、御伽話の精霊か?光る何かを掴んでいるのを見たし、不思議な鎧も見たのだが……。それでもやすやすとは信じられなくてな」


「はい。セレン、少し出てくれ」


 胸から嫌そうにセレンが出てきた。やはり力が落ちているようで、光の粉が無いし服装もシンプルになっている。なんで服が変わるんだろうか?

 それでもセレンは羽をゆっくりひらめかせ、お嬢様の前で胸を張った。


「こんにちはお嬢さん。わたくしは花の精霊、セレネリアですわ。これは私の下僕ですの」


 セレンが気取った挨拶をした。こいつちょくちょくこんなんなるが、全然決まってないぞ。それと下僕は今だけ許そう。お嬢様を置いていったのは俺の意思ではなかったんだ。分かってくれ。


「こ、これは精霊殿!わたくしはドラーヴェン領を治めまする領主、ルドルフ・ヴァルムント・ドラーヴェンの娘、フロレンティア・ヴェルムント。お会いできて感動しております!」


「ふふん!フロレンティアね!覚えておきますわ!」


 おお、なんかいい感じだ。このまま全部こいつのせいにして押し切るぞ!


「こちらの精霊、セレンとは偶然縁ができたんです。それで、今回はセレンからあのザイラスが持つ精霊を連れてくる様に強く言われていまして、それで慌ててしまいあの様な間違った行為を……。いえ、僕の間違いだったんです!ごめんなさい!」


「なるほど、その様な都合があったのか。精霊殿の要望とあらば平民を責めても仕方ない。そう言えば名を聞いていなかったな」


「はい。僕はレオンハルト。街の孤児院でお世話になっています」


「そうか、あの孤児院にいたのか。ではあの少女たちも?」


「はい。二人とも以前からお嬢様を慕っていたようです」


「そうだったのか。精霊殿がいたならもう怪我はいいのか?」


「いえ、なんとか保っている状態です。かなりの深手でしたので」


「ならば彼女たちのところへ向かおう。お前も来い。その間に精霊殿とお話を――」


 お嬢様は血で汚れた頬を染め、目を爛々と輝かせてセレンを凝視している。これはまじで何とかなりそうだな。


 この後しばらくして迎えの馬車がやってきた。護衛の騎士付きだ。

 それを見てセレンが俺の中に引っ込んでしまい、お嬢様は無事を喜び騒ぐ騎士を適当にあしらって俺を馬車に連れ込んだ。


 再び現れたセレンとお嬢様のお話を聞き流している間に、馬車は街へ戻り、そのまま孤児院へと向かう。


「フ、フロ……!お嬢様!?」


 既にイリーナも戻っていた。驚きすぎて名前を呼びそうになっていたが、お貴族様の名前を呼ぶなんて許されない。

 こういうのはみんなグレタから教わっている。下手すりゃ一発で縛り首って話だからな。名前を呼ばれたから縛り首って最高にイカれてるぜ。


 お嬢様はイリーナの顔を覚えていたようで、庇おうとした行いを褒めた。俺には一応礼を言ったが、そこまでは行かないようだ。貴族うぜぇな。

 一通り話し終えてから、お嬢様はリリアの寝かされたベッドの前に立ち、息を整えた。


守りに包みヴェル流れて解きロー結び繋ぎトゥア光を与えるジオ。癒やしの光よ」


 お嬢様が呪文を唱えると同時に、光が生まれてリリアの全身を包んだ。

 淡い金色の粒子が舞い、まるで春の木漏れ日を浴びているようだ。

 その様子に皆が息を呑んだ。


 やがて光はリリアの中に吸い込まれるように消えていき、リリアの蒼白な顔がほんのり赤みを取り戻す。まるでただ眠っているように安らかに胸が上下している。


 俺は言葉を失っていた。

 これが魔法か。不思議な言葉だった。歌ってるみたいな不思議な音。あれが魔力を震わせるってやつなんだな。


『何度見ても不様ねぇ、あんなことをしなきゃ魔法を使えないなんて』


 セレンは見下しているが、俺は感動した。凄い技術だ、ただ身体能力に魔力を突っ込むのとは全然違う。

 俺も使いたいとは思う。だが、到底扱える気がしない。


「ありがとうございます!リリア……!よかった……!」


「私を守ろうとして受けた傷だ。後日改めて褒美を用意する。それでは他にも怪我人がいるので私はこれで。……人を寄越すので必ず来るようにな」


 念を押されてしまった。ここまで来て逃げるかよ。

 元々はセレンを隠す気も無かったんだ。こちらに敵意を向けないならどうこうする気はない。


 夜になり、ラグナルも混ざって静かな食事をした。

 食事の後に、イリーナとグレタにはまとめて話をした。勿論詳細を話すことは無い。偶然セレンと縁を結び、力を得たことなどだ。その上でしっかり口止めをしておいた。


 ザイラスがお嬢様を攫おうとしていると聞いたとき、これを利用して英雄になろうと思っていた。だが終わってみれば、自分の力不足を突きつけられた気分だ。

 貴族に縁が出来たのはいい。だが今はそれまで。俺はもっと力を付けなきゃいけない。セレンも同じはずだ。

 英雄とおだてられ、貴族と遊んでいる暇など無い。俺が目指すのは完全無欠の英雄なんだからな。



「というわけでチュリ。お前はどうしたい?」


 夜。庭に出ている。他の連中は流石に疲れたようでぐっすりだ。

 俺も寝たいが、リリアの傷が魔法で癒えたので、チュリと話を付けなきゃいけない。

 話を聞いてやる姿勢を見せているが、どうするかはセレン次第である。


「同化は嫌。いま同化したら一方的に消えるのは私だから」


「嫌と言ってもね、今のあなたには抵抗する魔力も、身を守る肉の盾も無いでしょ。同化すれば私の存在が強化されるの。諦めなさい」


「約束……した」


 縋る目で俺を見るな。あんなもん嘘に決まってるだろ。

 しかし、今回こいつは役に立った。魔力が無かったせいで癒やすことは出来なかったが、リリアを保たせたのは功績だ。


「二匹いると便利そうなんだが、上手いことやれないのか?」


「二匹って言うな!そうねぇ、いつでも分離出来るように意思を残して同化することも出来るけど、逆らわれたら面倒かも」


「逆らわない……1つになりたい気持ちはある。でも消えたくないだけ。怖いから」


「ふぅん。出来るんなら話し相手にでもすりゃいいんじゃないか?」


「仕方ないわねぇ。でも、チャンスを伺うつもりなら諦めなさい。私はそんなに甘くないわよ」


「離れたりしない。一人は怖いから。一緒にいたい。消えたくないだけ」


 意思を残して同化ってのはどんなものか知らんが、なんとなく大丈夫そうだ。あのザイラスすら裏切らずにいたくらいだからな。裏切りなんて頭にもなさそう。


「それじゃ、こっちに来なさい」


「うん」


 それだけ交わして、チュリの姿が溶けて光の珠になった。それがセレンに近づき、中に溶けていく。

 小さく光が弾け、見ればセレンの姿が少しだけ変わっていた。


「それで終わりか?何が変わったんだ?」


「今回は魔力が少なかったから、私の存在が少し強化されただけね。それと、あの子の能力も使えるようになったわよ」


 聞いても分からないな。

 まぁいい。セレンは目標に向かって一歩進んだと言うことだ。


 俺も、力を付けるのと同時に貴族との繋がりを上手くやらなきゃな。

 邪魔をしない素直な踏み台になってくれりゃいいんだが。


 今日は本当に疲れた。久しぶりに満員になった大部屋でベッドに入った。考えることはたくさんあったのに、気がついたら泥のように眠っていた。

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