第11話「無音の襲撃」

ドサッ


静寂を裂くように、見回りの兵士が音を立てて崩れ落ちた。

ティアリの手元には、まだ血に濡れぬ銀のナイフ――月の光をはじくように、鋭く輝いている。


「ティアちゃんすごーい!」


ぱちぱち、と小さく手を叩く音。

アドニスが無邪気な笑みを浮かべて賞賛する。が、その瞳の奥には、どこか獣じみた観察の光が潜んでいた。


背後から襲いかかった別の兵士を、アドニスは振り返ることもなく軽やかにかわす。刃が空を切り、風を裂いた瞬間――


 シュッ――ザンッ。


舞うように一閃。兵士は呻き声すらあげられず、地に伏した。


 「この剣は――もーらいっと」


口元に軽い笑みを浮かべたまま、アドニスは短検を投げ捨てると倒れた兵士の腰から剣を抜き取る。

金属が鞘から抜ける乾いた音が、夜気にひどく生々しく響いた。


「それにしても、ティアちゃん。今日、大活躍じゃん?」


「そんなことはありません」


ティアリは短く否定するも満更でもなさそうな表情を浮かべる。

だが――アドニスの次の言葉が、空気を鋭く断ち切った。


「ねえ……ちょっと聞いていい?」


「構いませんよ」


「ティアちゃんってさ、どこでそんな技術、覚えたの?」


ティアリの足が、ピタリと止まる。

まるで呼吸さえ忘れたかのように、静止。


「色仕掛けにしろ、そのナイフ捌きにしろ――普通の子じゃないよね」


アドニスの笑顔は変わらない。けれど、その目だけが笑っていない。

探るような視線がティアリの素肌に突き刺さる。


「……答えたくない、と言ったら」


ティアリもまた、真っ直ぐにその視線を返す。

空気が、静かに張り詰めていく。剣戦の直前に似た、緊張の間。


「……まあ、言いたくない秘密の1つや2つ、誰にでもあるか」


ふっと、アドニスが肩の力を抜いた。

その笑みは、探りを収めた大人のそれか、それとも――単に興味を失っただけか。


沈黙。けれど、それは敵意ではなく、理解にも似た静けさだった。


「さて、このまま進むとしますかー」


肩の力を抜いたアドニスの声に対し、ティアリはわずかに遅れて歩き出す。

アドニスは足取りは軽いが、目だけは警戒の色を解かない。まるで、一秒先を読むように。


「……あれ、扉がある」


アドニスの視線が、錆びた鉄の扉に向けられる。


「開けてみましょうか」


「そうだね」


ギィィ……


鈍い金属音が、暗がりに響く。扉の向こうにあったのは――


「……子供?」


ティアリが目を見開く。

薄暗い牢の中、痩せた子供たちが身を寄せ合い、怯えた目でこちらを見ていた。


「……た、助けに……来てくれたの……?」


震える声。涙に濡れた瞳。

アドニスはすぐにひざをつき、子供と目線を合わせて微笑んだ。


「もちろんだよ。もう大丈夫」


ティアリも無言で頷き、手早く鍵を破壊していく。

カチャン、カチャン…… 檻の開く音とともに、希望の光が差す。


「静かに、ついてきて。走れる子は、他の子を支えて」


その声に、子供たちはこくりと頷く。泣きじゃくる声を噛み殺すようにして。


---


 ――だが。


 バンッ!!


扉が破られ、空気が張り詰める。

通路の向こうから、鋭い視線を宿した影たちが現れる。剣を構え、こちらへ迫る。


「見つかったか……!」


アドニスが剣を抜き放つ。ティアリも即座にナイフを構える。


「ティアちゃん、子供たちお願い!こっちは俺が引きつける!」


「了解しました」


ティアリは振り返ることなく、子供たちを引き連れ、駆け出す。

背後で、アドニスがふっと微笑みながら剣を構え直した。


「さあ、かかってきな」


火花のように鋭い声が、静寂を切り裂いた。


 ――


ティアリは息を切らしながら、子供たちの手を取り走る。

狭い通路に子供の足音、泣き声が混ざる。


「うっ……うぇぇっ……」

「こわいよぉ……!」

「おかあさん……っ!」


嗚咽が次々に上がる。そのたびに、ティアリの心がざわつく。

 

――守る。絶対に。


――もう少し。あと少しで出口……


そう思った瞬間だった。


 ピンッ。


甲高い音とともに、手からナイフが弾かれた。

同時に、身体が何かに絡め取られたような圧迫感に襲われる。


「な、なに……これ……?!」


理解が追いつかない。だが、背後で子供たちの悲鳴が上がる。


「いやぁあっ!」

「たすけてっ……!!」


敵兵たちが、足音もなく現れ、子供たちを包囲していた。

息を詰め、ティアリは必死に体をひねり、ナイフを拾おうとする――その時。


 ザッ!!


鋭い風切り音。敵兵が一人、崩れ落ちる。


「ティアリさんっ、大丈夫ですか?!」


聞き覚えのある声。駆けつけた影が、敵を切り伏せながら呼びかける。


「エミル……さん……!」


「貴方達が今回の作戦に参加すると知った時は驚きましたよ」


見上げると、そこに立っていたのは、微笑みを浮かべる騎士団員の――エミル。

その背後から、続々と騎士たちが現れる。


ティアリの中に、かすかに安堵が芽生えた、その瞬間。


「ティアリさん! 後ろ!!」


エミルの叫びに振り向いたティアリの目に飛び込んできたのは――


青い髪のショートカット。片目に眼帯をした、浮遊する女。


「バイバーイ♪」


その女は、浮いたままの姿勢で、ティアリへ向けて指先を弾いた。


 ビシュッ!!


鋭く伸びた糸が、空気ごと地面に叩きつける――


ティアリは咄嗟に身をひねり、仮面が真っ二つに割れて地を転がる。

肩に焼けるような痛みが走るが、致命傷は避けた。

 

――なにこの女……足音が――しなかった!?


視線を足元に落とす。

見えない何かが、足元を通り過ぎていた。

 

 細く、鋭く――

 

――この違和感も、敵兵が音もなく近づいてきたのも、こいつの糸……!


確信した瞬間、ティアリはナイフを握り直し、眼帯の女に斬りかかる。


「エミルさん! 子供たちは任せました!」


「任されました!!」


ティアリは言い放つと、女との距離を詰め――


 ズバッ!!


宙に張られた糸を見極めるように動き、重心をぶつけるように跳び蹴りを叩き込んだのだった。

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