オーマイゴースト私の同居人
のみ山ハジメ
第1話 私は一国一城の女主!
ある春の朝8時30分。新宿区内のとある住宅街に、穏やかな朝の光が差し込んでいた。マンションの前の一方通行路で、大きな引っ越し業者のトラックが方向転換に苦労している様子を見つけた女性がいた。彼女は春日恵、28歳。中堅商社に勤める営業事務員。おせっかい、言い方を変えると、困っている人を見ると放っておけないのだった。
「そこ一方通行だから、入れませんよ」
運転手に向かって親切に声をかけた。
「あ、ありがとうございます!」
運転手は手を振りながら、急ぎトラックをバックさせ始めた。
「気をつけてくださいね」と恵はそのまま駅に向かった。
場面変わって、マンション最寄り駅の改札前。上田市子、42歳がいる。ふだんはきちんとしたスーツ姿だが、今日は違った。ジョギングでもするようなスポーツウエアを羽織り、セミロングの髪を後ろでまとめていた。市子は念願のマンションを購入し、今日がいよいよ引っ越しだったのだ。
駅から出てきた市子と駅に向かう恵が駅前の雑踏で一瞬すれ違う。そして二人は、そのまま通り過ぎる。この時点では、二人は見ず知らずの間柄。それがまさか1年後に再会することになるとは・・・・。
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引っ越し業者のトラックが、今度は正しいルートでマンションに到着した。そのマンションの前で、市子は腕組みをしながら、これから住む部屋を見上げていた。築15年の中古マンションだが、外観は綺麗に保たれており、陽当たりも抜群だった。
「やっと手に入れた理想の我が家。今日から私は一国一城の女主よ」
42歳にして初めてのマイホーム。長年の夢がついに実現した瞬間だった。
引っ越し業者の男性が、トラックから大きな段ボール箱を特に大事そうに運んでいる。その箱には「チョー大切な書類・取り扱い注意」と市子の手書きで書かれていた。
「それは大事な荷物だから、私が運ぶわ」
市子は箱を受け取った。大きくてかさばる箱だったが、中身はそれほど重くない。引越し業者たちは、テキパキと運んでいる。
(エレベーターは引っ越し屋さんが使っているから邪魔しないように、私は階段かな、4階だけど、大丈夫よね)
階段を登り始める市子。1階、2階、3階、そろそろ疲れてきたのか、よろよろし始めた。大きな箱で足元が見えない。市子は3階と4階の間で、階段を踏み外してしまった。
「きゃあ!」
段ボール箱と市子は階段を転げ落ちていく。後頭部を強く打って、意識を失った。
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どれくらい時間が経ったのだろう。気がつくと、市子はリビングのソファに座っていた。引っ越しの荷物はまとまっておいてある。部屋も整頓されていた。
「あれ?いつの間に...」
市子は首をかしげる。覚えているのは、階段で転んだことだった。その後の記憶は全くない。
その時、部屋に柔らかな光が差し込む。そして、聞き覚えのある声が。
「市子」
市子は怪訝な顔をする。
「市子よ、おい、市子!」
市子の目が大きく見開かれた。
「この声?...まさか、父さん?!」
振り返ると、そこには5年前に亡くなったはずの市子の父親の卓郎が立っていた。過去にタイムスリップしたのか、生前の父そのままの姿で、市子を見つめている。
「なんで? 死んだはずじゃない!」
市子ははげしく混乱した。
「お前も死んだんだよ」
卓郎は静かに、しかしはっきりと告げた。
「は?何言ってんの。冗談はやめてよ。私は階段から落ちただけだよ。見てよ、体も何ともないし、どこも痛くないじゃない!」
市子は自分の腕を叩き、頬をつねってみる。痛みは感じないが、感覚はあるように思えた。
「夢でも見てるの?それとも、まだ気を失ってて幻覚を見てるの?ねえ、父さん、どういうことなのよ!」
市子は泣きそうな顔で卓郎に詰め寄った。
「信じられないなら、試してみればいい。あの段ボール箱を持ってみろ」
卓郎が指差した箱は、市子が自分で運ぼうとしていた箱だった。
「こんな簡単なこと、何言っているの!」
市子は箱を掴む・・・・、手が箱を通り抜けてしまう。まるで箱が空気でできているかのように。
「なにこれ!」
市子は何度もやり直すが、やはり箱を抱えるどころか、つかむことすらできない。
「次は台所で水を出してみろ」
市子はキッチンに向かった。蛇口のレバーは力を入れずとも、軽く上向けられた。勢いよく水が出る。
「手を洗ってみろ」と卓郎の指示。
水の流れに、手を入れると、水はそのまま通り抜けて、動作的には洗っているのだが、なんか違う。
「えーっ!何このヘンな感じ!」
市子は信じられない表情で、何度も手を洗ってみるのだが、蛇口からの水は、そのままタンクに落ちていく。
「そんなに力を入れなくてもできることはできるんだ。コーヒカップくらいなら持てるぞ。ただ、ちょっと大きなものになると掴めない。水も勢いがあるから素通りする」
「壁を通り抜けてみろ」
「ムリだよ!」
恐る恐る壁に向かって歩いていく。壁に当たると思ったら、そのまま進むことができた。
「うわあああ!通り抜けた!」
振り返ると、眼の前に壁が。すり抜けられるけど、壁は壁で、透視はできないらしい。
ベランダから雀の鳴き声が聞こえてきた。春らしい、軽やかな鳴き声で。卓郎の指示ではないけれど、市子はベランダのサッシを通り抜けた。
ベランダに出ると、心地よいはずの陽光が暖かく降り注ぎ、眼下には緑豊かな公園が見えた。遠くには新宿の高層ビル群が見える、素晴らしい眺めだ。しかし、そこにいる自分は「空っぽ」な違和感に包まれていた。まるで、この景色をただ見ているだけのゴーストになったような気になっていた。実際、ゴーストなのだけど、市子はまだ完全な自覚には届いていないようだ。
いつの間にか卓郎も隣に立って、同じ景色を眺めている。
「いいところだな」
「そうなの。ほんとここ、いいとこよね」
ふと足元を見ると、卓郎と自分の影がないことに気づいた。
「あれ?影が...ない?」
「だから俺達はゴーストなんだよ。しょうがないだろ」
卓郎は苦笑いを浮かべた。市子もようやく現実を受け入れ始めた。
「私はこれからどうなるの?」
市子の問いに、再会して初めて卓郎は真剣な顔つきになった。
「俺とお前には違いがある」
「何よ?」
「お前は成仏していない。お前はマンションへの執着心が強すぎたらしく、成仏できていないそうだ」
「執着? 当たり前じゃない。買ったばっかりよ! しかもまだ1日も住んでないし」
「お前はすでに死んでいる」
「ケンシロウか!」
「死んだんだから、とにかく成仏することだ。いつまでもそんな中途半端じゃ困るだろ」
「それ、父さんが生きていた頃から言ってた小言じゃん」
「1年後、新しい所有者がやってくる。お前に似てマンションへの執着心が強過ぎて、今ひとつ幸せになりきれないそうだ。そいつが幸せを感じるようになれば、マンション執着も収まる。その時、お前は成仏できる」
「つまり、その新しいこの部屋の新しい持ち主が幸せになればいいってこと?」
「それがお前のミッションだ」
市子は卓郎を見つめて、少し考えた。
「分かったわ、やってやろうじゃないの。父さんの指令じゃ断れないわ」
「しっかりやれよ」
「ああ、いいことを教えておこう。俺達は霊界通信ができるんだ」
「レイカイツウシン? 死んだ人と交信できるってこと? ああ、私も死んでいるから、霊界の住民同士のコミュニケーションね」
「じゃ、マイケル・ジャクソンと話ができるの!」
「お前、マイケル・ジャクソンの電話番号知っているのか」
「知らないわよ」
「じゃあ、ダメだ。交信するためには、その人を特定できる電話番号とか生前の住所などが必要だ」
「何その、個人情報管理・・・」
「それと、瞬間移動もできる!」
「正確な住所が必要とか?」
「いいや。瞬間移動は、頭の中でどこに移動するかをイメージできればいいんだ」
「やってみるか。俺の家の近くに交番があったろ、そこで待ってるから、ついてこい」
「そんないきなり。どうすればいいの?」
「イメージするだけでいいんだ、交番の前に立っている姿をイメージしろ」
卓郎の姿が消えた。続いて、市子の姿も消えた。
どうやら、瞬間移動は難易度の低い能力らしい。
そして1年が過ぎると…
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