貞操逆転世界でおじさんは青春を取り戻せるか?

すこマロ

青春喪失おじさん

つまらない人生だった。

青春を知らぬまま、三十路になってしまった。

いや、正確には青春どころか、俺の人生は最初から「自由」というものを与えられたことがなかったのだ。


母は、世間で言う教育ママだった。

小学校に入る前からドリルと参考書を山のように買い与え、正解以外は認めなかった。テストで満点を取ることが、俺に課された義務。98点でも、赤ペンでつけられた小さなバツがあれば、帰宅した瞬間に平手打ちが飛んできた。

「どうしてできないの?」

「お前は頭が悪い」

「私の顔に泥を塗るな」

罵声が日常になり、殴られる痛みも驚きに値しなくなった。


父は何も言わなかった。ただ黙って酒をあおり、母の怒声と俺の泣き声を聞き流すだけ。家の中には味方が一人もいなかった。


学校は、唯一の逃げ場になるはずだった。だが、そこで待っていたのは別の地獄だ。

テレビやゲームの話題に混ざれない。放課後に友達と遊んだ記憶もない。俺が知っているのは教科書の中身だけ。誰とも共通の話題を持たず、気づけば孤立していた。

真面目くん、そんなあだ名で呼ばれたのはまだマシな方だった。無邪気が故の残酷さだろう、特に理由もなく皆の輪に入れなかった自分はいじめの対象になっていた。机にゴミを入れられ、上履きを隠される。教師に訴えても、「君がもう少し皆に合わせればいい」と言われるだけ。

家にも学校にも、俺の居場所はどこにもなかった。


それでも俺は、必死に勉強だけは続けた。そうするしか生き残る術がなかったからだ。

けれど努力の果てに何が残った?

青春も知らず、恋人もできないまま、気づけば三十路になっていた。空っぽの人生。ただ働いて、食って、眠って、また働くだけ。


今の俺の生活に、張り合いなんて一つもない。

朝は惰性で目覚ましを止め、満員電車に揺られて、黙々と書類を処理するだけ。誰にも期待されず、誰にも必要とされず、定時になれば疲れた体を引きずって帰路につく。

帰り道のコンビニで安い弁当と缶ビールを買い、狭いアパートの部屋でテレビをつけっぱなしにして、味のしない飯を流し込む。気づけば寝落ちし、また翌朝が来る。

そんな日々を、ただ繰り返している。まるで生きている屍だ。


笑うことも、怒ることも、泣くことさえも減っていった。感情を失くした人形のように、ただ日々を消費している。


そんなある日のことだ。

仕事帰り、いつものようにコンビニに立ち寄り、安い弁当と缶ビールを買い込んで、夜の街を歩いていると雑踏の中に懐かしい顔を見つけた。唯一の友人だった。

友人と言っても高校生のころに勉強を教えてほしいといわれ、受験前の少し期間を共に過ごしただけだ、それでも自分にとっては誰かと仲良く会話した大事な記憶である。

卒業してからは会うこともなく連絡も取っていない、友人と思っていたのは俺だけかもしれない、それでも話せばまたあの日のように楽しく会話ができるかもしれない、光に惹かれる虫のように俺の足は友人の元へ少しずつ動いていた。


だがすぐにその歩みは止まってしまう、彼は彼女らしき女性と並んで歩いていた。肩を寄せ合い、時おり顔を見合わせて笑い合っている。

その光景は、俺の胸を強くえぐった。

眩しかった。あまりに幸福そうで、羨ましすぎて。

俺には一度もなかった青春を、彼は当たり前のように手にしている。


心の底で黒い感情がざわついた。

嫉妬だ。

自分でも信じられないほど、醜い思いがこみ上げてくる。

そして気づいた瞬間、自己嫌悪で息が詰まった。唯一の友を羨むなんて、最低だ。

友情さえも穢すのか、俺は。


そう悔いていたその刹那だった。

視界の端に異様な光景が映った。

友人の背後そこに、刃物を握りしめた女が忍び寄っていたのだ。


考えるより早く、体が勝手に動いた。

「やめろ」と叫ぶ暇もなく、ただ全力で走り出し、友をかばうように飛び込む。

あっまずい...刺さってんな...これ。


「お、おいっ!? 天馬!...大丈夫か!? しっかりしろ!」

耳に飛び込んできたのは、友の必死な声だった。

彼は俺の体を抱きかかえ、震える声で何度も俺の名を呼んでいた。

忘れられてなんかいなかった。

久しぶりに会ったのに、ちゃんと俺を覚えていてくれた。その事実が、たまらなく嬉しかった。


視界の隅で、刃物を握った女がこちらを睨みつけ、舌打ちを残して闇の中へと逃げていくのが見えた。追いかける力なんて、もう俺にはなかった。


体から力が抜けていく。

朦朧とする意識の中で、思った。

俺は結局、このまま終わるらしい。

いい人生とは言えないだろうが、友が無事であるならすこしは満足して人生を締めくくれるだろうか?




だんだんと闇に落ちていく

そして次に目を開けると、天井が見えた。

薄いクリーム色の天井。蛍光灯は丸いシーリングライト。

それは確かに「日本の住宅の一室」に見えたが俺の記憶にはない天井だった。


「は?...どこだ、ここ?」


体を起こして、はっと息を呑む。

目の前に映る手が、やけに細く白い。

ベッド脇の鏡に映り込んだのはあの頃の俺だった。

まだ二十歳にも届いていない学生時代の姿。

三十路をとうに過ぎた俺ではない。


胸の奥で動悸が早まる。

刺されたはずだ。確かに、胸に冷たい感触を覚え、血の海に沈んだはずだ。

なのに、なぜ。


ベッドから立ち上がり、部屋の中を見回す。

シンプルな木製の机、本棚、整理されたタンス。

だがどれも、見覚えのない家具だった。

壁にかけられたカレンダーも、どこか現実味を欠いている。数字は確かに読めるのに、妙に歪んで見え、月日を理解できない。


「夢か...?」

自分に言い聞かせるように呟きながら、足を引きずるようにドアを開けた。


階段を降りる。ぎし、と木が軋む音がやけに大きく響く。

リビングに出ても、人気はなかった。

広々とした室内には、ソファとローテーブル、薄型テレビが整然と並んでいる。

人の生活感はあるのに、誰もいない。

「誰か、いませんか?」

恐る恐る声を出してみる。

返事はない。時計の秒針の音だけが、やけに鮮明に響いた。


胸の奥に、説明のつかない寒気が走る。

ここは一体どこなんだ?


リビングで途方に暮れながら、俺はふとテレビのリモコンに手を伸ばした。

カチ、とスイッチを押す。


画面に映ったのは、スーツ姿の女性キャスター。落ち着いた口調で、淡々とニュースを読み上げる。


『本年度の男性出生率ですが、過去最低を記録しました。

 統計によると、出生率と婚姻成功率は年々低下しています。』


「...え?男性出生率?」


画面に続いて街頭インタビューが流れた。


女子高生が生意気そうに笑いながら話す。

『男の子って、ほんとに可愛くて守ってあげたくなるの。変に強引にさせず、私たちがリードするのが当たり前かな~』


若い母親もにこやかに語る。

『うちの息子は、優しく丁寧に扱わないと泣いちゃうのよ。だからついつい私が主導しちゃうんだけど、それがまた可愛いの』


再びスタジオに戻ると、別の女性コメンテーターが淡々と締めくくった。

『現在の社会では、男性は、女性の主導のもとで生活するのケースが主流となりつつあるようですね。』


男性は守られる側、女性は主導しつつも丁重に扱う。

ニュースなのに、どこかコミカルで、不思議な日常を覗き見している気分になる。

現実感のなさと妙な可笑しさが混ざり、頭が混乱した。


背中に冷たい汗が伝う。

この世界は...ただの過去への転生ではなく、貞操の価値観ごと逆転した世界らしい。


混乱が拍車をかけるように家の中をさらに探索する、机の引き出しをかき分け、数冊の教科書やノートの下に隠れていた封筒を取り出した。

中には 学生証 が一枚。指でそっと触れると、体は学生時代のものでも、意識は三十路のままの自分だという感覚が返ってくる。


学生証には見覚えのある名前――春田悠真。

写真は十代の自分で、少し細面の顔に不安そうな表情を浮かべている。

しかし住所は見慣れないものだった。


「この住所、やっぱり知らない場所だけど俺の家ってことなのかな」

思わず口に出す。


財布や少額の現金、銀行カードも発見し、どれも自分名義で間違いない。

悠真は学生証をじっと見つめ、現状を整理する。


・体は学生時代の自分

・ 意識は三十路のまま

・ 家の住所も家具も知らない

・ 社会は男女の貞操が逆転している


状況をもう少し把握するため、悠真は部屋の片隅に置かれたノートパソコンに目を向けた。

ネットは繋がってるよな?、この世界がどれほど変わっているかもっと確認しないと。


電源を入れると、すぐにデスクトップが立ち上がり、ニュースアプリや検索窓が開いている。

手が少し震えながらも、検索窓に打ち込んだ。


「男性 出生率 社会状況...」


画面には統計局のデータ、ニュース記事、SNSの投稿まで、次々に情報が表示される。文章を追うたびに、悠真の頭はますます混乱する。


・男性の出生率は過去最低水準で、社会の中心は女性が握っている

・男性は性的にも社会的にも「守られる存在」として扱われる

・ 女性は堂々と主導権を握りつつ、男性を丁重に扱うのが常識

・学校や職場、日常生活の制度やルールも、この価値観に沿って作られている


掲示板やSNSには奇妙でコミカルな書き込みも目立った。

「うちの彼、ちゃんと座ってお茶飲んでくれるから可愛い」

「男の子は守ってあげると喜ぶから、今日もリードしてみた」

「男子生徒を丁寧に送り出すのが日課です」


...若干の嘘が混じってそうな気もするが、それでも男性がリードする世界ではないことは察せられる。

女性が全て仕切り、男性はそのまま受け身で守られる世界。


悠真は椅子にどっしり座り込み、深く息をついた。


過去に戻ったことへの不安はもちろんあった。

このままやり直せるのか、失敗したらどうなるのか、頭の中で不安が渦巻く。


それでも、胸の奥には小さな希望が芽生えていた。

取り戻せるかもしれない...

青春を知らぬまま過ごしてきた日々を、脱却できるかもしれない。


混乱と不安の間で揺れながらも、心にはほんのわずかな期待が差し込む。

「...どうせ一度はなくした命だ。どうにでもなれ。」


そう自分に言い聞かせると、悠真はパソコンを閉じ、立ち上がった。

まずは外に出て、この男女逆転社会の街の様子を確かめるしかない。

守られる立場で、失った青春を取り戻す。その可能性を、この目で確かめるために。

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