3.


わたしは、占い師に言われた言葉を、何度も、何度も反芻していた。なぜだか全身の震えが止まらない──。

「あなたは、もう、我慢する必要はありませんよ。あなたの心の中にある闇は、全て、外に出してしまえばいいんです。」

「娘さんに、あなたの苦しみを、話してあげてください。それが、あなたを、そして、娘さんを、救う、唯一の道ですから。」

占い師の声は、まるで、わたしの心の奥底に響く、神の啓示のようだった。

わたしは、これまで、娘を愛する母を演じるために、必死に、夫への文句を飲み込んできた。

その言葉は、まるで、わたしを縛り付ける、重い、重い鎖だった。

わたしは、その鎖を、いつまで、抱え続けなければならないのだろう。

わたしは、もう、限界だった。

しかし、占い師の言葉は、わたしを、その鎖から、解放してくれた。

わたしは、もう、我慢する必要はないのかもしれない。わたしは、もう、偽りの優しさを、演じる必要はないのだ。

わたしは、この苦しみを、再び、椿に、ぶつけることができるのだ。

わたしは夜、意気揚々と、椿の部屋の扉を叩いた。

扉を開けると、そこには、ベッドに横たわる椿がいる。その顔は、わたしが毎日、温かいココアを淹れ、優しく声をかけていた、昨日までの、絶望しているのに無防備な顔だった。

その顔を見た瞬間、わたしの心に憎しみが、燃え上がった。彼女は、わたしを5年間も我慢させておきながら、自分勝手な悩みにひたっている。そんな彼女が許せなくなった。

「椿、ちょっと、いいかしら。」

わたしの声は、五年ぶりに、あの、冷たく、見下すような声に戻っていた。それが嬉しくて、ようやく解放されるという実感にひたった。

椿は、驚いたように、ベッドから起き上がった。その表情は、まるで、壊れやすいガラス細工のように、儚くて怯えている。

わたしは、その怯えた顔を見て、胸の奥が、ひりひりと熱くなるのを感じた。彼女は、気づいたのだろうか。

「お父さんって、本当に、身勝手だよね。突然、いなくなって、私を、こんなに苦しめてさ。」

わたしは、五年ぶりに、夫への文句を、口にした。

その言葉は、まるで、渇望していた、水のように、わたしの心を潤してゆく。

気がつけば、言葉を、止められない。

わたしは、五年間の間に、溜め込んでいた、全ての不満を、椿に、ぶつけ続けた。

五年前よりも、わたしの文句は、苛烈になっている。言葉の全てが、鋭い刃物となって、椿の心を、切り刻んでゆく。わたしは、その光景を、まるで、快楽のように、感じていた。

椿は、何も言わずに、ただ、黙って、わたしの話を聞いている。

わたしは、わたしのかんじた絶望を椿に味合わせたかった。椿も椿で、絶望し、悩んで、苦しんでいるだろうが、わたしの今まで感じてきた絶望とは比べ物にならない。

その顔は、無表情で、わたしの言葉が、届いているのか、届いていないのか、わたしには分からない。

それでも、わたしは、話し続ける。彼女が、わたしの感じた絶望を体感した時、椿は文句を言わず、わたしの文句を効くようになるはずだから。

「あんたもパパそっくりだよ。私の気持ちを、何も分かってくれない。ばか!」

わたしは、夫への文句から、次第に、椿への文句へと、言葉を変えていった。

わたしは、椿の顔を、じっと見つめる。

椿は、怯えるように、肩を震わせている。顔には、もう聞きたくないという叫びが滲んでいるようだ。

わたしは、その顔に、さらに、苛立ちを感じた。

わたしは、椿の顔を、両手で、強く、掴んだ。

「あんたは、本当に、何も分かっていない!」

わたしの声は、震えていた。椿の顔は、わたしの手に、痛々しいほど、歪む。

その顔に、わたしは、深い、深い、満足感を感じる。

わたしは、この瞬間、わたしが、この家の、王であることを、再認識できた気がした。

わたしは、この家を、完全に、支配している。

わたしは椿を、完全に、支配している。

わたしは、この孤独から、解放されるかもしれない。もう、わたしは一人ではない。

わたしは、深い闇の中で、静かに微笑んだ。

夜、わたしは、久しぶりに、深い眠りにつくことができた。

わたしが、この家で、再び、安らぎを見つけた、唯一の夜なのかもしれない。

わたしは、もう、この安らぎを、手放すことはできない。

わたしは、もう、偽りの優しさを、演じることはない。

わたしは、ただ、わたしが、わたしであるように、生きてゆく。

翌朝、わたしは、清々しい気分で、目を覚ました。

窓の外からは、太陽の光が差し込み、わたしの身体を、優しく包み込む。

わたしは、再び、朝食を作り始めた。

しかし、その朝食は、昨日までのような、完璧なものではなかった。

わたしは、もう、椿のために、完璧な朝食を作る必要はない。

わたしは、ただ、わたしが、食べたいものを、作ればいいのだ。

わたしは椿への文句を、心の中で、再び、呟き始めた。

わたしは、この快楽を、永遠に、手放すことはないかもしれない────。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る