『沈黙の証拠 ― 闇を暴く者たち』
稲佐オサム
『沈黙の証拠 ― 闇を暴く者たち』
沈黙の始まり
深夜、渋谷の雑居ビルの屋上。
風に揺れる看板の下、ジャーナリストの佐久間亮介は震える指でスマートフォンを握っていた。
彼の胸ポケットには、厚みのあるUSBメモリが隠されている。そこには、警察高官と政界の一部、そして芸能界の大手事務所が裏で繋がっている決定的な証拠映像が収められていた。
――これは表に出せば、日本を揺るがす大事件になる。
佐久間はそう確信していた。だが同時に、背筋を冷たく這い上がる恐怖もまた抑えきれなかった。
数日前から、尾行されている気配がある。電車を降りれば必ず同じ男が後ろに立ち、コンビニに立ち寄れば隣の雑誌棚から視線を投げてくる者がいる。
「ここまで来たら、引き返せない……」
彼は小さくつぶやき、メモリを封筒に入れ、封をした。明朝には、信頼できる後輩記者に渡すつもりだった。
だが、その計画は果たされなかった。
屋上の鉄扉が静かに開き、冷たい影が近づく。佐久間が振り返った時、闇の中から伸びた手が彼の首筋を掴んだ。
叫ぶ暇もなく、喉に圧迫がかかり、視界が赤く染まっていく。
そして次の瞬間、佐久間の体はビルの縁から放り出され、渋谷の夜景に呑み込まれていった。
彼が落下した歩道には、たまたま通りかかった若い女性の悲鳴が響き、瞬く間に人だかりができる。
だが、証拠の入った封筒はどこにもなかった。
⸻
遺された断片
翌朝、テレビのワイドショーは「酔って転落したジャーナリスト」という軽薄なトーンで事故を報じた。
だが、同じ社の後輩記者である橘結衣は違和感を覚えていた。
前夜、佐久間から「大スクープがある。明日渡す」とだけ書かれたメールを受け取っていたからだ。
彼女は佐久間のデスクを調べ、引き出しの奥から一枚の名刺を見つける。
そこには、ある大手芸能事務所の幹部の名前と、見慣れぬ暗号のような数字列が書かれていた。
「これは……」
結衣がつぶやいた時、社内の電話が鳴った。受話器を取ると、無言のまま、ただ微かな呼吸音だけが響いている。
彼女の背筋に冷たい汗が伝った。
――誰かが見ている。
⸻
糸口を追う者
結衣は旧知の刑事、長谷川徹に連絡を取った。彼は警視庁捜査一課に所属するが、出世コースから外れた異端児として知られている。
彼にだけは、事情を話せると思った。
「佐久間さんは、政界と芸能界の繋がりを追ってたみたいです。名刺には芸能事務所の幹部の名前が……」
「待て。軽々しく口に出すな。ここは安全じゃない」
長谷川は声を潜め、視線を周囲に走らせた。まるで自分たちの会話すら盗聴されているかのように。
「……わかった。だが気をつけろ。こういう件は、内部にも敵がいる。警察を信用しすぎるな」
その言葉を裏付けるように、二人の会話を記録するカメラが、ビルの屋上から彼らを静かに見下ろしていた。
⸻
次なる犠牲者
夜、人気俳優の白川隼人が自宅マンションの浴室で死亡しているのが発見された。死因は心筋梗塞とされたが、死の直前に彼が親友に送ったメッセージにはこう記されていた。
――「俺、やばいことに巻き込まれたかもしれない。芸能界の裏側を知りすぎた」
そのニュースを知った結衣の胸に、激しい直感が走る。
「また……殺された?」
警察・政界・芸能界。
一見交わらぬ三つの世界は、闇の底でひとつに繋がっている。
そして、真実に近づこうとする者は、必ず死ぬ。
結衣もまた、その標的に選ばれようとしていた――。
情報屋の影
夜の神楽坂。
人通りの少ない路地裏のバーで、橘結衣は約束の人物を待っていた。
佐久間が生前にしばしば会っていたという情報屋、水城蓮。
彼はかつて警察の捜査二課に所属していたが、裏金事件で辞職に追い込まれ、今は裏社会と表社会を行き来する存在だという。
「お前が結衣か。佐久間の小娘だな」
黒いフードを被った水城は、琥珀色のウイスキーを揺らしながら笑った。
「彼は……なぜ殺されたんですか?」
結衣の問いに、水城は短く息を吐いた。
「簡単だ。真実に近づいたからだ。俺が渡したデータの一部を持っていた。だが奴は甘かった。守りを固めずに動いた」
「データ……?」
結衣の胸がざわついた。
水城は懐から小さなメモを差し出した。
そこには数列の暗号化された文字列と、ひとつの名前が書かれていた。
――黒崎統一郎。
現職の大物国会議員であり、政界の重鎮。テレビに頻繁に登場し、クリーンな改革派を自称している男だ。
「黒崎の背後には芸能界と警察の金が流れ込んでる。俺が掴んだのはその証拠の一端だ」
水城の声は低く、しかし確かに震えていた。
結衣は直感した。
――佐久間が命を賭けて追っていたのは、この黒崎に繋がる巨大な利権構造なのだ。
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沈黙する歌姫
翌日、大手芸能事務所の看板歌手、藤崎マリアが急死したニュースが流れた。
死因は「睡眠薬の過剰摂取」と発表されたが、彼女のファンサイトには不審な書き込みが残っていた。
――「マリアは知ってはいけないことを知った」
さらに、亡くなる数時間前にSNSに投稿された彼女の最後の言葉。
《ごめんなさい。全部、私のせいなの》
それは遺書にも見えたが、同時に“口封じ”を示唆するサインのようにも思えた。
長谷川刑事は呟いた。
「自殺に見せかけた他殺だろうな。だが証拠は必ず消される」
「じゃあ、どうすれば……」
結衣の問いに、長谷川は険しい目をした。
「俺たちしか動けない。だが覚悟しろ。次に狙われるのはお前だ」
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黒い追跡者
結衣は帰宅途中、背後に気配を感じた。
足音。間違いなく彼女をつけてくる影。
心臓が激しく脈打つ。
路地に入った瞬間、背後から手が伸び、口を塞がれた。
「……静かに」
しかし次の瞬間、暗闇の中から別の手が襲撃者を突き飛ばした。
倒れた男は無言のまま逃げ去り、残された結衣の前に立っていたのは――水城だった。
「言ったろう、もうお前は狙われてる。敵は警察にも芸能界にも政界にもいる。守る奴なんていない」
水城の目は鋭く光っていた。
「だが……もし真実を追う覚悟があるなら、俺が導いてやる」
結衣は震える唇を噛み、うなずいた。
「佐久間さんの死を無駄にしたくない。だから……進みます」
水城は薄く笑い、暗闇に消えた。
その背に、結衣は確かに“次の扉が開いた”感覚を覚えた。
裏金の回廊
都内の高級料亭。
重厚な襖の奥で、黒崎統一郎は政財界の有力者たちを前に微笑んでいた。
その顔はテレビで見る「清廉な改革派議員」そのものだったが、盃を傾ける目は氷のように冷たい。
「例の歌姫の件は処理済みか?」
黒崎が低く問うと、同席する芸能事務所の会長が頭を下げた。
「問題ありません。証拠は一切残っておりません」
「よろしい。……だが、まだ小娘が一人残っている」
黒崎は書類を卓上に置いた。そこには橘結衣の顔写真と経歴が印刷されていた。
「彼女は佐久間の後継者になり得る存在だ。放っておけば面倒になる」
静寂の中、誰もがその一言に重みを感じた。
黒崎の視線は鋭く、まるで人間を“駒”としか見ていないようだった。
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内部の影
その頃、長谷川刑事は警視庁の資料室で古い調書をめくっていた。
「黒崎の裏金ルート……必ずどこかに痕跡があるはずだ」
すると、不意に背後から声がした。
「長谷川さん、何を調べてるんです?」
振り返ると、同僚の三田村警部補が立っていた。
彼は笑顔を見せていたが、その瞳は妙に探るようで、不気味に光っていた。
「ちょっとな、昔の未解決事件を」
長谷川はとっさに話を濁した。
しかし、その夜。
三田村は密かに黒崎の秘書に電話を入れていた。
「……例の件、長谷川が動いてます。放置すると危険かもしれません」
受話器の向こうで、黒崎の低い声が響く。
「処理しろ。表沙汰になる前にな」
――警察の内部にも裏切り者がいた。
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裏金ファイル
橘結衣は水城に導かれ、都心のとある廃ビルに足を踏み入れた。
そこは水城の“アジト”の一つだった。壁一面に資料と写真が貼られ、糸で繋がれた図はまるで巨大な蜘蛛の巣のようだった。
「これが……」
結衣は絶句した。
そこには政治家の名前、芸能事務所の幹部、暴力団の構成員、そして複数の銀行口座番号が克明に記されていた。
「裏金の流れだ。警察の一部も加担してる」
水城は淡々と語った。
結衣は震える手で一枚のファイルを掴んだ。
そこには――黒崎統一郎と芸能事務所会長の極秘会合記録が記されていた。
「これを世に出せば……」
「命はないだろうな」
水城が冷たく言い切る。
その瞬間、ビルの外から轟音が響いた。
窓ガラスが砕け散り、銃弾が室内を貫いた。
「伏せろ!」
水城が結衣を庇いながら叫ぶ。
彼らはもう完全に包囲されていた――。
⸻
裏切りの銃声
夜の街に銃声が鳴り響き、廃ビルの外には黒ずくめの男たちが配置されていた。
その指揮を執っていたのは、警察の三田村警部補だった。
「動け! あの女を生かして帰すな!」
水城は結衣の腕を掴み、裏口へと走った。
だがその背後に銃口が突きつけられる。
「逃がさねえぞ」
三田村が冷笑した瞬間――
別の方向から一発の銃声が響き、三田村の腕を撃ち抜いた。
「……ぐっ!」
煙の中に立っていたのは、長谷川刑事だった。
「裏切り者め……」
三田村は血を流しながらも、不敵に笑った。
「お前も長くは持たないさ。黒崎の網からは誰も逃れられない……」
その言葉を残し、彼は暗闇に姿を消した。
揺れる信頼
煙の匂いがまだ残る廃ビルの一室で、結衣は息を荒げながら資料を抱えていた。
銃弾で破れた壁の穴から、冷たい夜風が吹き込む。
「……あの三田村って警部補、本当に警察なの?」
結衣の声は震えていた。
「正真正銘、警視庁の人間だ。だが黒崎に魂を売った」
長谷川は険しい表情を崩さなかった。
その横で水城は黙って煙草をくゆらせていた。
「警察なんてそんなもんだ。上の命令に逆らえば干され、金で転べば即座に飼い犬だ」
「でも、あなたはどうなんですか?」
結衣は思わず水城を睨みつけた。
「元警察で、今は情報屋。……本当に味方なんですか?」
沈黙。
灰が落ちる音だけが響く。
水城はゆっくり立ち上がり、結衣に視線を投げた。
「味方かどうかは関係ない。俺は生き残るために動いてる。ただ……今はお前が黒崎を潰そうとしてる。だから利用する価値はある」
その冷たい言葉に、結衣の胸は揺れた。
だが同時に――水城の背中には、自分と同じように「何かを失った人間」の影が見えた。
⸻
核心の証拠
三人は深夜のネットカフェに身を潜め、持ち出したファイルを解析していた。
水城がパソコンに暗号を入力すると、銀行取引のログが次々と画面に映し出される。
「これは……」
結衣は息を呑んだ。
海外のタックスヘイブンに設立されたペーパーカンパニー。
そこから芸能事務所の口座を経由し、政治団体へ流れ込む資金。
そして最終的には黒崎統一郎の資金管理団体へと収束していた。
「決定的じゃないですか……!」
結衣の瞳が光った瞬間、水城が手を伸ばしてパソコンを閉じた。
「まだだ。これを世に出すには裏付けが要る。そうでなければ“改ざんだ”“捏造だ”と握り潰される」
「でも……!」
「焦るな。証拠を出すタイミングを誤れば、佐久間と同じ末路だ」
水城の声には焦燥も混じっていた。
彼もまた、命を狙われているのだ。
⸻
裏切りの残響
翌日、長谷川は内部の信頼できる上司に相談しようと警視庁へ向かった。
だがエレベーターの中で、妙な違和感に気づく。
――監視されている。
振り返ると、廊下の突き当たりに三田村の影が一瞬見えた。
長谷川は即座に拳銃に手をかけたが、その姿はすぐに消えた。
「やはり……内部はもう腐っている」
彼は苦い思いで結衣たちの隠れ家に戻った。
「結衣、もう警察に頼るな。俺自身、いつ消されてもおかしくない」
結衣は唇を噛んだ。
――本当に頼れるのは、水城だけなのか。
⸻
覚悟
その夜。
結衣は眠れぬまま、佐久間から届いた最後のメールを読み返していた。
――「この国の闇を暴け。誰も信じるな」
胸に重く突き刺さる言葉。
彼女は決意した。
「逃げない……。たとえ命を狙われても、真実を伝える」
結衣は立ち上がり、水城と長谷川に向き合った。
「私はこの証拠を世に出します。佐久間さんの意志を継いで」
その目は強い光を帯びていた。
水城は煙草を消し、ふっと笑った。
「……そうこなくちゃな」
長谷川も無言でうなずいた。
だが、その瞬間。
窓の外に、赤いレーザーポイントが結衣の胸元に走った。
――狙撃手だ。
闇は、彼女たちを決して逃がそうとはしていなかった。
赤い光点
赤いレーザーが結衣の胸元を照らした瞬間、
「伏せろ!」
水城が彼女を抱き倒し、窓ガラスを割る銃声が轟いた。
ガラス片が雨のように降り注ぎ、床に散った。
長谷川が即座に拳銃を抜き、窓辺に構える。
「屋上だ! 狙撃手がいる!」
しかし撃ち返す間もなく、再び銃弾が壁を抉った。
コンクリート片が弾け、室内は粉塵に包まれる。
「くそっ、このままじゃ蜂の巣だ!」
水城は結衣の腕を引き、非常階段へと走った。
夜の都会の空気は冷たく、息をするたびに肺が焼けるようだった。
頭上では、狙撃手のスコープがなおも彼らを追っている。
⸻
逃走と犠牲
非常階段を駆け下りながら、結衣は必死にUSBを握りしめていた。
「これだけは、絶対に渡せない……!」
だが階下の出口にも黒ずくめの男たちが立ちはだかっていた。
「囲まれてる……!」
水城は短く舌打ちすると、結衣に耳打ちした。
「長谷川と一緒に裏手から出ろ。俺が囮になる」
「そんな、無茶です!」
「俺は元々、こういう世界でしか生きられねえんだ。お前はまだ、表で戦える」
言い終えるや否や、水城は男たちに向かって飛び出した。
拳銃を乱射し、敵の注意を一身に集める。
「水城さん!!」
結衣の叫びは夜に飲み込まれた。
長谷川は彼女の肩を掴み、無理やり引きずる。
「行くぞ! 今は奴を信じるしかない!」
二人は裏手の路地へと駆け込んだ。
背後では銃声が続き、やがて――一際大きな爆発音が響いた。
ビルの一角が炎に包まれ、赤く夜空を染める。
水城の姿はもう見えなかった。
⸻
黒崎の影
翌朝。
テレビは「都心での火災事故」を大きく報じていたが、銃撃戦の痕跡は一切触れられていなかった。
映し出されたのは、笑顔で記者に応じる黒崎統一郎の姿。
「今回の事故は大変遺憾であります。市民の安全を第一に、再発防止に努めてまいります」
その口調は穏やかで、誠実そのものだった。
だがその背後に控える秘書の視線は冷たく、まるで「処理は完了した」と告げるようだった。
一方、結衣と長谷川は郊外の安宿に身を隠していた。
結衣は涙を堪えきれず、声を震わせた。
「水城さん……死んじゃったんですか」
長谷川は黙っていた。
だが心の奥では――水城がそう簡単に消えるとは思っていなかった。
「奴はしぶとい。……だが、次に狙われるのは俺たちだ」
結衣は涙を拭い、USBを見つめた。
「黒崎を倒す。もう後戻りはできない」
その時、宿のドアに一枚の封筒が差し込まれていることに気づいた。
中には、血で汚れたメモが一枚。
――「まだ終わっていない。港に来い。 水城」
港の密会
夜の湾岸エリア。
冷たい海風が吹き、コンテナが積み上げられた埠頭には、潮と鉄の匂いが混じっていた。
結衣と長谷川は、手紙に指定された倉庫へと足を運んだ。
内部は暗闇に包まれていたが、その奥でライターの火が一瞬揺れた。
煙草の煙とともに現れた影――水城蓮。
「……生きてたんですね!」
結衣の胸が熱くなる。
水城は左腕に包帯を巻き、血に染まったシャツのまま立っていた。
「死にかけたが、あいつらは甘い。俺を仕留めきれなかった」
その目には疲労と共に、鋭い光が宿っていた。
「この港に裏金の動きの拠点がある。コンテナに現金が積まれ、海外の口座に洗浄されていく。証拠を押さえれば、黒崎を一気に追い詰められる」
だがその時、遠くでエンジン音が響いた。
複数の黒塗りの車が倉庫街へと入ってきた。
「……嗅ぎつけられたな」
水城の声は低く沈んだ。
⸻
黒崎の真意
同じ頃。
都心の高層ホテルの最上階スイート。
黒崎統一郎は窓際に立ち、夜景を見下ろしていた。
「港で片をつけろ。やつらを生かして帰すな」
電話口の相手にそう告げると、黒崎はグラスの赤ワインを傾けた。
「国を変えるには、多少の犠牲は必要だ。……これは“浄化”なのだよ」
その言葉に、秘書が小さく頷いた。
黒崎の目は、単なる権力欲ではなく“使命感”のような狂気に満ちていた。
「芸能界も、警察も、政界も――全てを一つに束ねる。それが私の役目だ」
その呟きは、神にでもなったかのような響きを持っていた。
⸻
新たな裏切り
港の倉庫街で、結衣たちは闇に紛れて移動していた。
コンテナの影に身を潜めながら、水城が指差す。
「あの青いコンテナだ。中に現金がある」
長谷川が頷き、慎重に近づこうとしたその時――
「動くな!」
背後から銃口が突きつけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは――三田村警部補。
「やっぱり生きてたか、水城。……お前らにはここで死んでもらう」
三田村の目は冷酷に光っていた。
だが次の瞬間、別方向からもライトが照らされる。
黒塗りの車から降りてきた黒服の男たちが一斉に銃を構えていた。
「な……お前ら、俺を狙う気か?」
三田村が狼狽する。
黒服のリーダーは淡々と告げた。
「黒崎先生は“用済み”と仰った」
その瞬間、銃声が響き、三田村の体が弾け飛んだ。
裏切り者は、裏切られたのだ。
結衣は凍りついた。
この世界では、忠誠すらも取引材料にすぎない――。
コンテナの開封
銃声が静まった後も、港の空気は重く淀んでいた。
黒服の男たちは三田村の亡骸を無造作に放置し、別の車に指示を飛ばす。
その隙を突き、水城は結衣と長谷川をコンテナの影へ引き寄せた。
「今しかない……開けるぞ」
工具で錠を外し、重たい扉を押し開ける。
中に積み上げられていたのは、無数の黒いトランクケース。
水城が一つを開けると、札束がぎっしりと詰め込まれていた。
「これが……黒崎の裏金……」
結衣は息を呑んだ。
札束には銀行のシリアル番号が残されており、追跡可能な状態だった。
しかも、いくつかのケースにはUSBと帳簿のコピーが隠されていた。
それはまさに――黒崎と政界・芸能界・警察を繋ぐ決定的な証拠。
だが次の瞬間、倉庫の天井から投光器が点灯し、三人の姿が白々と照らし出された。
「そこまでだ」
マイクを通した声が響く。
コンテナ群の上に立っていたのは、黒崎の秘書だった。
「証拠を手に入れたつもりか? だが、それを世に出せると思うな」
無数の銃口が彼らを取り囲んだ。
⸻
黒崎の影響力
その頃、国会議事堂。
黒崎統一郎は満場の記者を前に堂々と演説をしていた。
「我が国は今、浄化の時を迎えています。腐敗を一掃し、新たな時代を築くのです」
報道陣は熱狂し、拍手が湧き起こる。
だが、その演説の裏で彼がどれほどの人間を犠牲にしているか、誰も知らない。
いや、知っていても口をつぐむしかないのだ。
テレビを見ていた市民は「改革派の英雄」として黒崎を支持し、支持率は急上昇していた。
その姿は、もはや“選ばれた救世主”に見えた。
一方で、港の倉庫に追い詰められた結衣は、まさにその“英雄の影”に飲み込まれようとしていた。
⸻
結衣の命運
銃口を突きつけられながら、結衣はUSBを握りしめた。
もしここで奪われれば、佐久間の死も水城の犠牲もすべて無駄になる。
「……渡さない」
彼女は震える声で呟いた。
「おい、結衣!」
長谷川が焦る。
秘書が一歩前に出て、冷たく笑った。
「お前たちはここで処分される。証拠もろとも海の底だ」
絶体絶命――。
だがその瞬間、倉庫の外で轟音が響いた。
パトカーのサイレンと共に、突入部隊が一斉に駆け込んできたのだ。
「全員動くな!」
警察特殊部隊の突入。
だが結衣の目には、ある違和感が映った。
――彼らの腕章に刻まれた“特殊部隊”の紋章が、どこか偽物のように見えた。
「まさか……」
水城が低く呟く。
「黒崎の私兵だ……!」
倉庫内は再び銃声と悲鳴に満たされ、修羅場と化した。
結衣の運命は、もはや紙一重の綱渡りにあった。
偽りの救援
倉庫内に突入してきた“特殊部隊”は、黒い迷彩服に身を包み、最新式の銃を構えていた。
だがその動きは訓練された警察官のものではなく、殺気に満ちていた。
「全員動くな!」
隊長格が叫ぶが、その銃口は結衣たちではなく――黒崎の秘書や黒服の部下に向けられていた。
「な……何をしている!」
秘書が狼狽する。
次の瞬間、裏切りの銃声が轟いた。
黒服の部下たちが次々と倒れていく。
結衣は息を呑んだ。
――この部隊は黒崎の命令ではない。
隊長が結衣に近づき、低い声で告げた。
「安心しろ。俺たちは本物の特殊部隊だ。だが……警察上層部は誰も信用するな」
その言葉を残し、彼らは一瞬の隙を作り出した。
水城と長谷川は結衣を連れて、倉庫の裏口へ走る。
銃声と怒号の中、三人は夜の港を駆け抜けた。
⸻
逃走劇の果て
港の埠頭を全力で走り抜ける結衣の耳に、背後の爆発音が響いた。
振り返ると、さきほどの倉庫が炎に包まれていた。
証拠の入ったコンテナもろとも吹き飛ばされたのだ。
「そんな……!」
結衣の顔が青ざめる。
「まだUSBがある!」
水城が叫んだ。
「お前が握ってるそれが最後の切り札だ!」
三人は漁港に停泊していた小型ボートに飛び乗り、沖へと逃げ出した。
だが闇の中、すでに追跡用の高速艇が現れていた。
照明弾が夜空を裂き、海面を白く照らし出す。
銃撃戦が始まり、弾丸が水面に火花を散らした。
長谷川が応戦するが、弾は限られている。
「結衣! 身を低くしろ!」
水城が覆いかぶさるように守る。
その瞬間、一発の銃弾が水城の肩を貫いた。
「ぐっ……!」
血が飛び散り、結衣の頬に温かさが走る。
「水城さん!」
それでも彼は唇を噛み、操舵輪を握りしめた。
「生き延びろ……真実を世に出すんだ……!」
荒れ狂う海を突っ切り、ボートは闇の向こうへ消えていった。
⸻
本拠の影
一方その頃、黒崎統一郎は都心の豪奢な邸宅で静かにワインを傾けていた。
テレビでは、自身の演説が繰り返し流され、国民の喝采を浴びている。
「世論は我に従う……敵は次々と消えた……」
だが秘書が慌ただしく駆け込んだ。
「先生……奴らが逃げました。USBも未だ回収できておりません」
黒崎はしばらく沈黙したのち、冷たく微笑んだ。
「ならばいい。最後は私の手で処分する」
その眼差しは狂気を孕み、まるで自らを“この国の神”と信じて疑わない者のものだった。
最終決戦の序曲
夜明け前の郊外の安宿。
結衣は重傷を負った水城の肩に包帯を巻きながら、震える手でUSBを見つめていた。
それは佐久間が命を賭け、水城が血を流し、長谷川が背負った全ての証。
「……これを公開すれば、黒崎は終わる」
結衣の声は震えていたが、その瞳は決して揺らがなかった。
長谷川は頷いた。
「だが出す場は選べ。テレビも新聞も、すでに黒崎に抑えられている」
水城は苦笑し、口の端から血を滲ませながら言った。
「だったら……一番奴が目立ちたい場所で暴いてやれ。
あす、黒崎は“国民集会”と称して大演説をやるはずだ。全国中継だ。
そこに割り込め」
結衣は拳を握った。
「……そこで全部暴く」
その言葉が部屋の空気を震わせた。
彼女はもう逃げない――最後まで戦うと決めたのだ。
⸻
告発の舞台
翌日、国立競技場。
五万人を超える観衆が集まり、黒崎統一郎の演説を待っていた。
テレビ中継のカメラが並び、司会者が熱狂的に黒崎を讃える。
「改革の英雄! 未来の首相! 黒崎統一郎!」
大歓声とともに、黒崎が姿を現した。
白いスーツに身を包み、両手を広げる姿はまるで救世主だった。
「国民よ、我らは新しい時代へと歩み出す!」
その声に、観衆は総立ちになり、旗を振った。
だが、会場の後方に立つ結衣の胸には、冷たい汗が流れていた。
USBを忍ばせたスマートフォンを強く握りしめる。
――これをスクリーンに映せば、一瞬で全てが明るみに出る。
長谷川が耳元で囁いた。
「準備はいいな。ここから先は命懸けだ」
結衣は小さく頷いた。
だがその時、観客のざわめきの中に不自然な動きがあった。
黒服の警備員たちが観客を装い、彼女の方へと密かに近づいていたのだ。
「……見つかった!」
⸻
最終章 裁き
黒崎の演説は最高潮に達していた。
「腐敗を浄化し、この国を救うのは我らだ!」
その瞬間、競技場の巨大スクリーンに突如映像が映し出された。
海外口座の取引履歴、裏金を積み込むコンテナ、黒崎と芸能事務所会長の密会写真。
「なっ……!」
黒崎の顔色が変わる。
観客のざわめきが広がり、テレビ中継のスタッフが慌てふためく。
「放送を切れ! 今すぐ!」
「だめです! 全国に流れてます!」
結衣は壇上に歩み出た。
「佐久間亮介は殺されました! 芸能人も政治家も、多くの命が奪われました! ――その黒幕は黒崎統一郎です!」
群衆は一瞬沈黙し、やがて怒号が渦巻いた。
「嘘だ!」「本当なのか!?」
黒崎はマイクを奪い、怒鳴った。
「捏造だ! 彼女はテロリストだ! 私を貶めようとしている!」
だが、その時。
傷だらけの水城が観衆の前に姿を現した。
「俺は元警察だ! 証拠はすべて本物だ! 佐久間は真実のために殺された!」
長谷川もまた警察手帳を掲げ、叫んだ。
「黒崎、お前の罪は俺たちが暴く!」
観衆の中からも「真実を明かせ!」の声が飛び交い、怒りが爆発した。
黒崎は逃げようとしたが、ステージ上に突入した本物の警察に取り押さえられた。
カメラはすべての瞬間を全国に映し出していた。
結衣は涙を流しながら空を見上げた。
「佐久間さん……終わりました」
朝の光が競技場に差し込み、長い闇を照らした。
――事件は終わったのだ。
• 警察・政界・芸能界を繋ぐ巨大な闇
• 真実を追い求める者たちの犠牲と決意
• そして最後の告発と裁き
を描いた難解ミステリーが幕を閉じました。
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