第14話
「あなたの力を、私に!」
泉の中心で戦う彼に向かって、私は力の限り叫んだ。
私の声に、彼は一瞬だけこちらを振り返る。その青い瞳が、私の真剣な眼差しと交錯した。言葉はなくとも、互いの魂が共鳴するかのように、彼は私の意図を瞬時に察してくれたようだった。力強く頷くその姿に、私は全幅の信頼を寄せる。
彼はヒュドラの薙ぎ払うような攻撃を紙一重でかわしながら、空いた片手を私へと向けた。
その掌から放たれたのは、殺意のない、しかしどこまでも純粋で強烈な冷気だった。それは私に直接当たるのではなく、私の周囲の空気を、そして足元の泉の水を一瞬にして凍らせていく。パキパキと音を立てて、透き通った氷の道が彼のもとまで伸びていった。
私は迷わず、その氷でできた足場の上を駆けた。
私の接近に気づいたヒュドラが、巨大な頭の一つを咆哮と共に振り下ろしてくる。影が私を覆い尽くし、絶体絶命かと思われた。しかし、私の心に恐怖はなかった。
「させん!」
アレクセイ様が私の前に立ちはだかり、その一撃を渾身の力で剣で受け止める。轟音と衝撃が走り、彼の足元の氷に亀裂が入った。
その刹那の隙に、私は彼の背中へと回り込み、そっと両手を触れた。そして、私の体内に宿る全ての浄化の力を、彼の体を通して、その手に握られた剣へと注ぎ込んでいく。
彼の強大な氷の魔力と、私の聖なる浄化の力が、剣を触媒として混ざり合い、まばゆい光を放ち始めた。それは、まるで闇夜を照らす新たな太陽が生まれたかのような、圧倒的な輝きだった。
「これなら……!」
彼は何かを確信したように、光り輝く剣を構え直した。剣の刀身はもはや鋼の色ではなく、聖なる光と絶対零度の冷気を宿した純白の結晶と化している。
そして、ヒュドラの全ての頭が次の攻撃に移ろうとするその瞬間を捉え、彼はその剣を大きく振るった。
「――浄破の氷刃!」
彼が叫んだ技の名と同時に、剣から光と氷の刃が無数に放たれた。一つ一つの刃が聖なる浄化の力を宿し、ヒュドラの鋼のように硬い鱗を、まるで柔らかな布のように切り裂いていく。
ヒュドラは断末魔の叫びを上げる間もなく、その巨体をいくつもの肉片へと変えられていった。そして、その肉片は泉の水に落ちると同時に浄化され、きらきらと輝く光の粒となって霧散していく。
後に残されたのは、静寂を取り戻した美しい泉と、呆然と立ち尽くす私たちだけだった。
「……やった」
私たちは顔を見合わせ、同時に安堵の息をついた。そして、どちらからともなく、強く抱きしめ合う。彼の胸の中で、私は勝利の喜びと、生きている実感とを噛みしめていた。私たちは、また二人で困難を乗り越えたのだ。この絆は、もう誰にも、何ものにも断ち切ることはできない。
ヒュドラを倒した後、私たちは無事に月光花を手に入れることができた。アレクセイ様が再び氷の道を作ってくれたおかげで、私は濡れることなく泉の中央の島へと渡ることができた。
月光花は、そっと手に取ると、温かい光を放ち、私の心まで優しく清めてくれるようだった。これをドミニク先生に届けさえすれば、きっと解毒薬が完成するはずだ。
私たちは急いで村への帰路についた。道中、これ以上の魔物の襲撃はなく、私たちは無事に村へと帰り着くことができた。村人たちは、私たちの無事を涙を流して喜んでくれた。
その日の夜、アレクセイ様はすぐに王都へと出発する騎士を選んだ。月光花を、一刻も早くドミニク先生のもとへ届けなければならない。
「頼んだぞ。何があっても、この花を先生のもとへ届けるのだ」
「はっ! この命に代えましても!」
騎士は厳重に梱包された月光花を受け取ると、夜の闇へと馬を走らせていった。その後ろ姿を見送りながら、私はただ無事を祈ることしかできなかった。私たちの運命は、そしてこの国の運命は、あの花に託されたのだ。
「……うまくいくといいですね」
「ああ。ドミニク先生なら、必ずやり遂げてくれるだろう」
アレクセイ様は、私の肩を優しく抱き寄せた。彼の隣にいれば、どんな不安も和らぐ気がした。私たちは、やるべきことをやった。あとは、天命を待つだけだ。
そう思っていたのだが、事態は私たちの想像を超えるスピードで、最悪の方向へと転がり始めていた。
月光花を届けさせた騎士が、王都に着く前に何者かに襲撃されたのだ。知らせが届いたのは、それから二日後のことだった。幸い、騎士の命に別状はなかったが、月光花は賊によって奪われてしまったという。
「……マルティン伯爵の仕業か」
アレクセイ様の表情が、氷のように冷たくなる。彼の周りの空気が、怒気によって急激に冷え込んでいくのが肌で感じられた。おそらく、私たちが月光花を手に入れたという情報がどこからか漏れたのだろう。そして、解毒薬の完成を阻止するために、先手を打ってきたに違いない。
「なんて卑劣な……!」
私は、怒りに拳を握りしめた。これでは、王太子殿下の命が危ない。それだけでなく、このままでは全てがマルティン伯爵の思う壺だ。彼らは王太子が死んだ後、セレスティーナを別の有力な王族と結婚させ、権力を盤石なものにするだろう。そんな未来は、絶対に阻止しなければならない。
「……こうなれば、俺が直接王都へ行く」
アレクセイ様が、重い口調で言った。
「私が、ですか?」
「いや、俺がだ。もう、悠長なことは言っていられん。俺が王城へ乗り込み、マルティン伯爵の不正を直接陛下に訴える。そして、君を王太子の治療のために、正式に召喚するよう陛下を説得する」
「しかし、危険です! マルティン伯爵が、黙って見ているとは思えません」
「分かっている。だが、他に方法がない」
彼の決意は、固いようだった。私をこの村に残し、彼だけが王都へ向かう。それは、私を危険から遠ざけるための、彼の優しさなのだろう。でも、私はそんなことは望んでいなかった。
「……私も、行きます」
「ダメだ。君を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「いいえ。これは、私自身の問題でもあります。セレスティーナは、私の妹です。彼女が、そして彼女の実家が、これ以上罪を重ねるのを、黙って見ていることはできません」
それに、と私は続けた。
「私がいなければ、解毒薬は作れないのでしょう? 月光花がなくても、私の浄化の力とドミニク先生の知識があれば、あるいは、別の方法で解毒薬が作れるかもしれません」
私の言葉に、アレクセイ様はぐっと言葉を詰まらせた。彼はしばらく私の目をじっと見つめていたが、やがて深くため息をついた。
「……君は、本当に、頑固だな」
「あなたにだけは、言われたくありません」
私たちは、どちらからともなく、ふっと笑みをこぼした。もう、彼の心は決まったようだった。
「わかった。一緒に行こう、王都へ」
「はい!」
「だが、約束しろ。絶対に、俺のそばから離れるな。何があっても、俺が君を守る」
「はい。信じています」
こうして、私たちは、全ての決着をつけるため王都へ向かうことになった。追放された私が、再び王都の土を踏む。それは、皮肉な運命の巡り合わせだった。
しかし、もう昔の私ではない。私の隣には最強の夫がいる。そして、私自身もこの辺境の地で多くのものを得て強くなった。
待っていなさい、セレスティーナ。お父様。そして、マルティン伯爵。
あなたたちの好きにはさせない。私は、私を追放した世界に本当の奇跡を見せつけてやる。
そう心に誓い、私は愛する夫と共に、王都へと続く道をまっすぐに進んでいった。
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