第3話 学校

 昨日は非日常な一日だった。チンピラに絡まれるわ、変なお嬢様を助けるわで正直あんなことには巻き込まれたくない。というか一生に一度の経験だろう、いらない経験だ。今日からはしっかり気を引き締めて平和で平坦な日々を送っていこう。

 いつも通りの通学路に、いつも通りの教室。これが一番だ。教室の窓の外、何もないただ木が植えられている場所をぼーっと見る。俺が学校で心落ち着くひと時である。


「おはよう、鼓太郎。何かいつもより顔が穏やかだね」


「ああ、おはよう悠。そう見えるか」


 爽やかイケメンとはまさにコイツの為にできた言葉だろう、と思わせるのは俺と幼馴染の那賀津悠。悠も商店街チルドレンで那賀津酒店のせがれだ。着ぐるみを誰が着るかの論争になった時、悠ではなく俺になった理由は悠は顔がいいからという理由があるわけだ。 ん?なんだって?


「そういえば、昨日商店街に変なチンピラが出たんだって?」

「へぇー、そうなのか知らなかった」

「その輩を退治したのはウサギの着ぐるみなんだって」

「世の中には変なウサギも居たもんだ」


 知らない、そんな怖いウサギの着ぐるみを俺は知らない。


「なん言いよん、鼓太郎やろ退治したのは、それにその時絡まれた女子高生を助けたらしいね」

「知らない、俺は何もわからない。俺はいつも通り過ごしてた」


 もう俺は何も関わりたくない、昨日の記憶だけは失くしたのだ。それにあの月志摩って子も同じ学年じゃないだろう。俺見たことないし、おそらくは先輩だろうな。


「別に俺はいじったりしよるわけじゃないんばい。ただ褒めてあげてるだけなんやけんさ。いつものめんどくさがりが発動されてるのはいいけど、月志摩さんがもし鼓太郎にお礼が言いたいってなったらどうするん?」


「え? 悠、お前、月志摩さんって知ってるの?」


「はぁーこれだからめんどくさがり屋、コミュ障は」


 悠は肩をぐっと下げる、俺が椅子に座って悠は立っているせいかその目はまるで蔑んだ目をしているようだ。でも、まさか悠も知ってるのは驚きだ。


「めんどくさがり屋はいいがコミュ障は違うだろう、めんどくさいから自分から話してないだけだ。じゃなくて、悠、月志摩さんを知っとるん?」


「もちろん、さすがにあの商店街で暮らしてれば知ってるよ。さすがに人に興味のない鼓太郎でも知っているとは思っとたけどね。今朝、鉄兄が驚いとったよ、”そろそろアイツは人間に興味を持たないけん!”ってね」


「はあ、なんでそんなことに。ってかそれよりその月志摩さんって何年生の先輩なん?」


 悠は目をまん丸くしたと思えば、頬が徐々に吊り上がっていく。すると、教室に響くほどの笑い声が瞬く間に廊下に伝播した。


「ぷっ、ぷっ、ぷっはっはははははー」


「おいおいおい、うるさいって、なんでそんなに笑うん?」


「ああ、ごめんごめん、いやーあの名家のお嬢様も鼓太郎の手にかかればただのいち女子高校生なんだね」


「ああー、もうわからん。いいから何年生なのか教えろ」


「どうしてそんなに学年が知りたいの?」


「あれだ、学年を知れればその学年の教室とか廊下で避けて通ったりできるだろ」


「ぷっぷっぷははははー」


「だからうるさいって」


「あ、鼓太郎、またあの人が呼んでるよ」


 悠の顔が向いている方向つまり、教室の入り口付近にその人は立っていた。


「あの人も懲りないね。いい加減行ってやりなよ」


「馬鹿言うな、俺は何もしたくないんだ」


 入り口とは真反対の座席からのろのろと歩く俺を真っすぐな眼差しで見つめるのは、スポーツ刈りがよく似合う精悍な男だ。


「おはよう、日笠君! 早速だがボクシング部に入らないか?」


 またこれだよ。


「先輩、いつも言ってますよね。俺はボクシングなんてやったことがないんですって」


 この学校に入学して二か月が経とうとしているがほとんど毎日毎日、ボクシング部の勧誘に来る。名前は正直知らないがボクシング部の先輩というのだけはどこからどう見ても分かった。


「そんなことはないはずだよ、だって鉄先輩が鼓太郎をよろしくと言ってたんだ」


 あのクソポリス、余計な真似を。鉄兄はこの学校出身でボクシング部の主将だった。時々部活の様子を見に来ているとは聞いていたが。


「それは、勘違いです。俺はリングに上がったことなんてありません」


 嘘はついていない、ボクシングは昔商店街の中にあったジムでサンドバックを殴ったり、シャドウをしたりしていたぐらいでほとんど遊び感覚だった。だから本当のボクシングなんかやったことはない……

 しかしそれが災いしたのか外で試したくなることがちょくちょくあった。そこを鉄兄に怒られたりもしたが小さいころの男子ってそんなものだろう。もちろん今はそんなことは微塵も思わないが。


「そこを頼む!」


 スポーツ刈りのボクシング先輩が見事なまでの直角で頭を下げる。


「いやいやいや、先輩、頭上げてください。ほんと……」

「君がボクシング部に入部するというまでは上げない」


 なんでだよ、そもそもまだ朝礼前だぞ。いつもなら引き下がってくれるのに、今日に限ってどうしてこんなに粘る。教室の入り口で、なんとも目立つこの光景は早めに対処しなければ。

 ふと視線を先輩から廊下側へ移す。すると、この先輩よりも背筋が伸び、かつ先輩にはない品というものを纏っている人がいた。一瞬思い出したくなかったはずの昨日の記憶が脳裏をよぎる。


 俺は知っている――今先輩の向こうで歩いている人を。


「先輩、分かりました。……見学になら行きます。これでどうですか?」


 なるべくめんどくさくならないようにしたいが、やむを得ない。先輩が満面の笑みで直角で折っていた腰を元に戻した。


「もちろんいいとも! 入部する前は見学するのが当たり前だよな。じゃあ都合のいい日に来てくれ。うちはいつでも歓迎するよ!」


 先輩は颯爽と自分の教室へ帰っていった。

 それよりも、うちの学校は学年ごとによって教室の階が違う。俺ら一年は三階、二年は二階、三年は一階となっている。だから基本的に一年の階、つまりこの三階には違う学年の人は来ない、さっきのボクシング先輩を除いて。

 俺はすぐに悠のもとへ向かった。

――アイツ知ってたんだ最初から。だから、あんなに笑ってたのか。






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