第2話
模擬戦が終了した。ナオトはもちろん本気を出さず負けるというこの結果に満足してはいなかったが、ただそれほど悔しさを感じているわけでも無かった。
そういう行事なのだと最初から理解していた。最初から諦めていれば何も期待せずに済む。そんな気持ちはあった。
ただ、それでもなぜかほんの少しだけ、なんとなくの後悔もしていた。
その後も入学式は着々と進み万事滞りなく式を終えた。今日は当然授業など何もない。これにて終了である。
ニ階にいた生徒が次々に講堂を出て帰路につく。ナオトも役目を終え、帰宅しようとしていると担任であるアオイ先生に呼び止められた。
「おいタチバナ、少しいいか?」
「なんですか?」
「今から図書室に行ってこい」
「図書室?どこにあるんですか。っていうかなんで? 俺一応この後用事があるんですけど」
別に急ぎの用事というわけではなかった。それでも、明日からは今日のように早く帰ることは少なくなる。できれば今日中に行きたい場所がナオトにはあった。
「さあ?私も理由は知らないな」
「は?」
「場所はこの講堂でて右手ある建物内の階段を上がって3階にある。よくわからなければまだ、学園の簡易地図が魔法で校内のそこらじゅうに写し出されてあるからそれ見れば辿り着けるだろ。あと、ちなみにこれは命令だからな」
真面目なようで冗談とも思えるトーンでアオイ先生は言う。
「…命令って。もしその命令無視したらどうなるんですか?」
「さあ?この学校の退学とかじゃないか?」
「は?本当にさっきから意味がわかりません。そもそも、シラヌイ先生にそんな権限あるんですか」
少しイラついたナオトは言葉の語気が鋭くなっていた。
「ははっ。お前っておかしなこと言う奴だな。私なんてただのいち雇われ教師だぞ。私にそんな権限あるわけないだろ」
ナオトの気持ちとは裏腹にアオイ先生は笑いながら言う。
「いや、あんたが言ったんだろ」
「私には無いさ。けれど、そんな事を簡単にできてしまうような人間も世の中にはいるもんだ」
「意味がわかりません」
「ま、とりあえず私は伝えたぞ。これでお前が行かなかったらお前の責任だからな」
そう言ってアオイ先生はどこかへ行ってしまった。
(なんなんだあの人は)
ナオトは心の中で呟く。
命令する理由を自分自身が知らない命令。
そんなわけのわからない命令にナオトは少し腹が立ったが、嘘か本当かわからない退学という先生の話は無視できたかった。
ナオトはすぐに気持ちを切り替え図書室に向かった。
---
デュミナイアの図書室は大きい。それは図書室だけに限らず、音楽室や体育館、それに入学式で使った講堂など学校の全ての設備において基本的に広いスペースが確保され、尚且つ清潔感を保ち続けている。
そのため普段はこの図書室も生徒が沢山いるのだろうが、本日は図書室の中に誰もいないだろうということがナオトにはわかった。
なぜなら、図書室の入り口の前に「閉館中」と書かれた札が貼ってあったからだ。
「いや、閉館中なんだけど………」
ナオトには意味がわからなかった。アオイ先生が場所を言い間違えたのか。それとも、自分はただ単にからかわれたのか。
さっきの言い方からするに前者も後者もどちらともありそうなところが若干恐ろしかった。ナオトは頭の中でいろいろと考え込む。
しかし、特段これといった素晴らしい案が浮かんではこなかったが、とりあえず一度図書室の扉を開け、中に入ってみようとは思った。扉に鍵がかかってなく開けばの話ではあったが。
ナオトは図書室の扉を開ける。
(開いた!…ここの図書室って閉館中でも鍵かけないのか?)
ナオトは図書室の中に入った。大きな図書室で、周りには沢山の本が所狭しと棚に詰め込まれている。
一度図書室の中をざっと見渡してもやはり、ほとんど人の気配はしなかったが、唯一一人だけ、ナオト以外にその図書室には人がいた。
図書室に設置されているイスと机の一部を占領し、本を読んでいた。
そこにいたのはミナセ アズサだった。
アズサは静かに、しかし、しっかりとその本の一字一句を見つめていた。
自分以外に誰もいないこの空間にただ一人、本と戯れているように見えたアズサのその姿にナオトは少し見蕩れてしまっていた。
その一ページ一ページをめくる動き、その指の先の所作の一つ一つまで彼女は美しかった。
ナオトが少しの間アズサのことを見続けていると、アズサの方がその視線に気づいたのだろうか、ナオトの方を向く。二人は少しの間見つめあった。
「あら、来たのね」
「………来た?」
ナオトはもとの自分に意識を戻す。それでもなおぼーっと立っていたナオトに向かって、アズサは自分の目の前に空いている席に視線を向け「座れば」と言う。
アズサの指示に従いナオトは彼女と向かい合って座る。
「もしかして、俺を呼び出したのってお前なのか」
「ええ」
「何のために?」
「ただの暇つぶしよ」
「暇つぶし?」
そんなことのために自分を呼んだのか。さすが王族の中でも名家な生まれなだけあるなとナオトは心の中で辟易する。
「ええ。一人でこんな広い図書室にいるというのも寂しいものでしょ」
「いや、家に帰れよ」
ナオトは呆れた口調で言う。
「今日すぐに家に帰ると、面倒な人が居座っているから嫌なの」
「面倒な人?」
「そう、『カブラギ』という男が今日は家にきているの」
「そいつの何が面倒なんだ?」
「彼はとても王族的なの。自分より地位が下の人は見下し、上の人には迎合する。そんな人間よ。あまり関わりたいと思うような人ではないわ」
まるで自分は違うとでも言いたげなその言葉がナオトには鼻についた。
「ふーん。でも、王族の人間なんて大概そんなものなきがするけど」
「ふふ、まぁそうね。少ない例外もいるけれど、王族の世界は大体彼のような人達の世界ね」
アズサは少し笑いながら言った。ナオトにとってはアズサを含め王族に対して非難の意を込めて言ったつもりだったが、あまりにもあっさりとアズサからの同意を得てしまったことになんだか申し訳なさを感じた。
「だったら、別に家に帰ったところでじゃないか。カブラギってやつがいてもいなくても、結果はあんまり変わらないだろ」
「そうでもないわ。彼は私の家柄に取り入ろうとしてきているから、ことあるごとに私に茶々を入れてくるのでとても面倒なの。私は王族の中でも上の人間ではあるから、他の王族の人達は基本的には私に遠慮している人達ばかりなのだけれど、彼は違うわ」
「王族様の政治事情なんてのは知らないけど、まあ、ミナセの家の者とのコネクションなんて喉から手が出るほど欲しいだろうことは察するよ」
「彼からしたら私のような上の者を取り込んでより強い権力を掌握しようととしているのでしょうね。そういう野心が彼にはあるのよ」
「野心ね。ま、いかにも王族様の世界って感じだな」
「そうね。けれど、人間なんて大抵そんなものでしょう。それは王族であるなしに関わらないと思うわ………あなたにだって何かしらの野心はあるんじゃないかしら」
アズサは少し鋭い目をしてナオトに質問を投げかける。ナオトは彼女のその目を一目見てほんの一瞬、間をとった。
そして、かつて親友とも呼べるような大切でかけがえのないとある人物に自分の胸を魔法で貫かれた過去をほんの少しだけ思い返した。
「...……さぁ、どうなんだろうな。っていうか、お前はどうなんだ?」
「私?」
「ミナセの家なんていうご大層な地位があればなんでもやりたい放題だろ。そんなやつでも、何かをやり遂げたいっていう強い思いとかってあったりはするのか?」
「あなただって知っているでしょう。十年前の魔術大戦以降、王族の権力は以前より格段に落ちたわ。なんでもやりたい放題なほどの権力は今はないわ」
「だとしても俺らのような人間からしたら絶対的だろ?」
「まあ、そうかもしれないわね………でもそうね。私にもあるわ。どうしてもやらなくてはいけないことが、私の中で一つだけ」
アズサその思いがどれほどあるものなのか、ナオトにはわからなかった。それでも彼女のその言葉は今まで気軽に話をしてきた以上の力強さが確かにあった。
「へーそうか...まあがんばれ。一応応援してるわ」
ナオトはあっさりとアズサに返答した。
「ふふっ、今度はそのことについて聞かないのね。今までずっと質問してきたくせに」
「なんだよ。聞いたら教えてくれるのか?」
「あら、私がそんなに口の軽い人間に見えるかしら」
「全く見えないけど」
「ええ、もちろんその通りよ」
「だと思ったよ」
そう言って2人は少しだけ互いに笑い合った。
「そういえば、なんで暇つぶしの相手が俺だったんだ?」
ナオトは率直な疑問をぶつけた。
「………それは、あなたが今日の模擬戦で私に手を抜いたからかしらね」
ゆっくりと間をとりつつ、アズサはきっぱりと言った。
「よくわからないな。手を抜くこととお前の暇つぶし候補者に選ばれる理由が関係あるのか?」
「理由を知りたかったの。どうして全力でかかってこなかったかのか。全力で来なさいと言ったはずだけれど」
「いや、当たり前だろ。俺らはお前らに勝てないんだよ。Aクラスの人間だってあれが八百長だって知ってるんじゃないのか?」
「それぐらい知っているけれど」
アズサは少しだけ苛立つ。
「だったら、手を抜くだろ普通…」
「それはつまり、あなたは自分が手を抜かなければ私に勝てると思っていたということかしら」
アズサの瞳は力強くナオトを見ていた。まるで、ナオトに対して威嚇しているような眼差しだった。そしてナオトは瞬時に理解した、彼女がどうしてそんなにも好戦的なのかを。
「はははっ」
一呼吸おいてナオトは笑った。先ほどの戦闘中と同じように。さっきはどうして自分が笑ったのかはわからなかったが、今はわかった。
「どうして笑うのかしら。面白い冗談を言った覚えはないわ」
「ははっ、いや、悪い悪い。お前って結構負けず嫌いなんだなって思って、つい」
ナオトは素直に感想を口にした。
「は?」
彼女は呆気に取られたような言葉を口にした。その表情はどこか子供のような幼さがあったが、しかしそれはほんの一瞬ですぐに表情は切り替わり、アズサのその鋭くも美しい視線が再びナオトに突き刺さった。
「そういえばさっきの模擬戦でもそうだったよな。俺が挑発したらお前は近接戦闘から遠距離戦に変えた。まあ、あのときは別にわざと挑発したわけじゃないけどな」
「何を言っているの?勝手に話を逸らさないでくれるかしら。さっきの私の問いにあなたまだ答えてないわ」
「ああ、そうだな。悪い。まあ、思ってたよ。勝てると思ってた」
「やっぱりね。けれどーーー」
「最初はな」
アズサが言葉を最後まで発し終える前にナオトは言葉を被せた。
「最初は思ってたよ勝てるって。俺は王族の人間に詳しいわけじゃない。けど、お前のことは知ってた。天上人の一人だしな。そんな家の人間だ、さぞかし甘やかされて育ったんだろうなって思ってた。そんなお前に負けるなんて思ってもなかった。でも違った。お前の戦いはとても洗練されてた。槍捌きはたいしたものだったし、魔法の攻撃にも恐れ入った。だから思った。こいつは強いって。今思えば、お前と本気でやりあっても勝てるかどうかはわからないよ」
ナオトは先ほどの戦いで感じたことの全てをあるがままに語った。アズサと戦う前にはリスペクトのかけらもなかった。今のナオトの言葉はそのことに対する謝罪だった。そしてそれは当然アズサにも伝わった。
「………最初からそういう気持ちでかかってくればよかったのよ。まあ、わかればいいのだけど」
悪くはなかった、いや、むしろ好ましい雰囲気でニ人の会話は終わった……………
「そうだな。悪かった。でも、ま、勝てるかどうかわからないとは言ったけど、負ける気なんてのもさらさらないけどな」
「先に言っておくけれど、私もあれが全力ではないわよ」
アズサはすぐさま反論する。
「…………お前さ、やっぱり負けず嫌いだろ」
「…………知らないわ」
…わけもなかった。
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