第49話 逃走の行方


「飛ばせリン兄ぃ!」


「全速力だよ!!」



 前日の野宿から一夜明け、空が明るくなってすぐに山を登り始めたリンたちだが、既に陽は落ち、手綱を握るリンは真っ暗闇の中をサラの指示を頼りに駆け抜ける。

 元々、人が立ち入ることを想定していない悪路の連続。走る馬車は出来るだけ広い道を行くが、それでもキャビンは何度も木にぶつかり、初めは新品同様だったその木の箱も、今では見る影もないほどボロボロにされている。


 だが、何より辛いのは、


「ライ! 左からデカいのくるよ!」


「わかってらぁ!」


 国境が近付くにつれ、多くの害獣がその進行を阻もうとしてくることだ。


 左側からリン目掛けて走ってきたのは、頭だけでリンを超える巨大な鳥の害獣だった。その嘴が一直線にリンを目指し、丸呑みにしようと襲いかかってきたところを、跳躍したライルがその頭を殴打して止める。

 あり得ない方向に曲がった害獣の首を見て即死を確信したライルは、その死体を蹴って馬車に戻り、辺りの警戒を再開した。


 その直後、進行方向から足音が響いたかと思えば、振り向いた先にいたのは四足で走る猪。だが、その体躯は先の鳥より一回り大きく、馬車と衝突すれば脚にぶつかった時点で大破は免れない。


「『水魔法 旋千洪河』」


 その時、横から流れてきた、湖をひっくり返したかのような水が猪に直撃。水に押されながらも、堪えようと地を割るような咆哮を上げる害獣だったが、その甲斐なく濁流は自然そのものを蹂躙し、その身体を木々ごと押し流した。


「分かっていたことですが、キリがありませんね」


 背後から迫ってきていた害獣を斬り伏せたシオンが憂いた通り、森に入ってからはほとんど休みなしでこの連戦が続いている。

 いくら冒険に慣れているとはいえ、レストピア山脈はリガレア王国屈指と言われる危険地帯だ。

 害獣の強さは推定平均がB級と非常に高く、A級冒険者ですら立ち入りを固く禁じられていた。安定しない足場はいざという時の命取りになりかねないし、視界を覆う木々は害獣の奇襲を容易にする。

 今はサラがいる分、最後の部分には対処できているが、このまま続ければ如何に彼女らとて綻びが生まれるかもしれない。


「けど、もうすぐ森を抜ける。そっからはもう害獣もそんなにいないから、そのまま国境を越えられそうだよ」


「マジか!」


 そんな気が滅入る状況に、サラが一筋の光を照らす。視界から得られる情報が乏しいリンにとって、それは心に活力を与えるのに十分な役割を果たした。


 そして、半日以上神経を削り続け、ようやく見えたゴールに気力を回復させたのは、当然リンだけではない。


「おーっし! 最後まで気ぃ抜かねーでいこーぜ!」


「何故あなたが仕切ってるんですか!」


 ライルの掛け声に反応したシオンだが、その声を聞いたリンは、疲れが見える中にいつもの調子が戻ってきたのを感じる。

 シオンにとっても、この状況が終わることに安心があるのだろう。各々が集中力を高めたところで、リンは後ろのキャビンに乗るシーナを見た。


「シーナ! もう少しだぞ! 頑張れ!」


「う、うん!」


 食料などの荷物と共に、馬車の揺れを堪えるシーナの表情にも強い疲労が見える。だが、それでも元気のいい返事を返してきたことに笑い、リンはもう一度前を向く。


 直後、視界に映った、木の上を移動しながら接近してきた猿のような害獣を、シオンの光の斬撃が切断。次々に現れる害獣への対処を仲間に丸投げし、馬車の操縦のみに集中した。



 横から木々を薙ぎ倒しながら突っ込んでくる狼型の害獣を焼き尽くし、泥濘む道を、サンダーホースの脚力に物を言わせて強引に踏破し、飛来する鳥型の害獣を両断する。


 焼いて


 走って


 流して


 走って


 斬って


 走って


 走って


 走って


 走って


「っっ抜けたあ!!!」



 森が開けた先。眼前に広がる、月光が降り注ぐ大地に歓声を上げる。所々に木があるものの、一帯を見渡せる程度には障害物もなく、広々とした草原がリンたちを出迎えてくれた。


 そして、リンにとって何より喜ばしいのが――


「害獣が居ねえ!」


 森での戦闘が嘘のように、見渡す限りの草原には脅威になりそうな生物は存在せず、見晴らしもいいため少なくとも地上からの奇襲が来ることはなさそうだ。

 空には鳥型の害獣がいるが、森とは違い空も開けているため、常に視界にとらえられる分心理的な圧力は段違い。

 傾斜も緩く、少なくとも進むだけで疲労が溜まるような道ではない。


「よし。とりあえず、この辺りは安全そう」


 視覚からの情報に加え、サラからのお墨付きも得たリンは、今まで無理を敷いてきたサンダーホースの速度を緩めた。

 既に視界にとらえられている山の向こう側にいけば、すぐに国境に差し掛かる。もう数十分程度で一息つけるとあって、リンはようやく胸を撫で下ろした。


 とはいえ、


「国境を越えたからって、全部解決ってわけじゃないんだよなぁ」


 リガレア王国を出るのは、あくまで危険の少ない国へと向かっているだけであって、隣のガリバー帝国に入ったからといって安全であるというわけでもない。


 国境を越えても、きっと九鬼はシーナを狙ってくるし、シーナの魔力の件が知られれば、ガリバー帝国もシーナの存在を許さないだろう。だから、《月華の銀輪》という強力な魔導士がいても、亡命という選択は取れなかった。


 もしかしたら、人に見つからない生活を死ぬまで送ることになるかもしれない。


「……………………」


 リンには覚悟ができている。だが、改めて考えると、自分以外への罪悪感が沸々と湧き上がってきた。指していた場所が見えてきたことで、取り返しのつかない今の状況を余計に意識してしまう。

 華々しい生活を送れたはずの幼馴染たちの人生を、シーナの人生を、こんな形で過ごさせてしまっていいのかと、今更ながらに思う。


 もしかしたら、この中の誰かは今からでも――


「複雑そうな顔をしてますね」


「わっ!?」


 その時、いつの間にか隣に座っていたシオンが、リンの顔を覗き込んだ。気配がなかったと言うのもあるが、それだけリンが思考に沈んでいたというのも気付かなかった一因かもしれない。


「………むぅ」


 シオンと目を合わせると、それだけで何かを察した様子のシオンが顔を不満気に歪め、リンにグイッと近付いてきた。反射的に少し引いてシオンの真意を探るが、どうやら察しのいい妹と違い、リンは表情だけで相手の機微がわかるほど鋭くはないらしい。


「シ、シオン?」


「何度も言いますけど、私たちだって自分で選んでここにいるんですよ? 兄さんが罪悪感を抱く必要はありません」


 真っ直ぐに見つめられ、意識がシオンの黒い瞳に吸い込まれる。言葉を鵜呑みにするのは甘えすぎかとも思うが、その指摘は確かにリンの心を軽くした。


「まーた何か気にしてんの? あんたは気負いすぎだって。四人でいれればいいって言ったでしょ?」


「人の多いところって飽きてきたしなぁ。やっぱ俺らは、セナント村みたいなところが合ってるわ」


 後ろのキャビンから、サラが自身が望む時間を夢想し、ライルは故郷の名前を出して懐かしむように話す。

 それがリンを気遣っての言葉だと、流石にリンも気付いている。今までも、リンが自身を責めるたびに、彼女たちはそれ以上に心を砕いてきた。

 そんな感情に申し訳なさを感じつつ、リンは少し軽くなった心境で強引に前を向いた。


「ありがと。感情に浸ってばかりもいられないよな。いつかはきっと、帝国にも俺たちの存在はバレるだろうし」


「うちらがいれば余裕でしょ。正直、ここにいる面子だけで帝国軍の半分は相手できると思うよ?」


「いや、それは流石に……」


 無理だと、そう断言できないところが恐ろしい。もしガリバー帝国が本気でシーナを狙ってくるなら、それくらいの戦力は必要かもしれないと思えるのだから、つくづくこの幼馴染たちは規格外だ。


「まー、そこは俺らを頼ってくれてもいいけど、とりあえず寝床作んねえとなー。雨風凌げる程度の家は欲しいし」


「俺、騎士団の仕事で家造りの手伝いとかもしてたから、心得くらいならあるよ」


「そう? じゃあ、ちゃんと水源は確保して、お風呂はちょっと広めに作っちゃおうか」


「いいですね。あとは食料が確保しやすいことも重要です」


「そうなると、やっぱり山とか森が良いかな。うちはわかんないけど、山菜とかが多いし」


「そーだなー。俺もそれに関しちゃお手上げだし、兄ちゃんとシオンが分かれば何とかなんだろ。あ! 服はどうする?」


「旅の行商人から買いましょう。帝国だとギールは使えませんが、持ってきたものを売れば結構な資金になります」


 それぞれ、生活する上で重要視する事を挙げていく。大きく分けると、『家』と『食』と『服』だろうか。そのほとんどは冒険者や騎士であれば日常の延長で確保できるものであるため、そこまで問題にはならなかった。

 そこで振り返ったリンは、唯一会話に参加していなかったもう一人に声をかける。


「シーナは? 何かしたいことある?」


「っっ!? わ、私?」


 話を振られると思っていなかったのか、シーナが戸惑いの声を上げる。それを聞いたシオンが、半分呆れながらシーナに振り返った。


「当たり前でしょう。これからはここにいるみんなで暮らすんですから。多少の我儘は言っておいた方がいいですよ?」


「ほら、ガキンチョ。一番我儘な奴がこう言ってんだ。説得力が違えだろ?」


「確かに。シオンが普段してること考えたら、多少のことは我儘にもならないよね」


「………ライ、サラ。喧嘩なら買いますよ?」


「シオン。今のはシオンが悪いぞ?」


「!!? ど、どこがですか!?」


 背後の姉弟へと発言の真意を問うたシオンは、隣の兄まで敵になった事で手振りも加えて猛抗議の姿勢を見せる。


「……ふっ、くふふっ!」


 その姿を見て、シーナが口に手を当てて笑い声を漏らした。思わずといった様子のシーナは自然体で、そんなシーナを睨みつけるシオンの視線に一度ビクリと体を震わせた。


「何してんだシオン」


「あいたっ」


 大人気なさを遺憾なく発揮したシオンに対し、リンはその頭部にチョップをかます。それに目を丸くしたシーナに笑いかけると、その顔が戸惑いを見せる。

 少しの思案顔の後、何かを思いついたように瞳に光が灯るのが見えた気がした。


「どうした?」


「………あ……え、えっとね。その…………」


 辿々しく言葉を選び、チラリと視線をリンに送る。話してもいいのかという葛藤が手に取るように分かった。

 それに首を傾げる事で応えたリンは、次のシーナのリアクションを待つ。他の三人も、リンのその姿勢に同調する形だ。

 それを確認したシーナは、胸の前で組んだ両手を見つめ、決意を固める。


「………わ、私は――」



 その先の言葉は、馬車の上から降り注いだ濁流に塗り潰された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る