第21話 服選び


 初めてだというシーナの服選びは、大方の予報を裏切る事なく難航していた。


 一つを手に取り、首を傾げて元の場所に戻すという行為の数は、優に三十回を超える。


「う、うぅ〜〜〜ん…………んん? んううぅ」


 また一つ、手にとってみた赤い上着を広げ、表情の中で如実に『これじゃない』と語ったシーナは、それを元あった場所に戻してまた店内を物色する。


 その様子をすぐ後ろから見ているリンは、落ち着かない気持ちを抑え、傍観者に徹していた。


「……な、なぁ、ちょっとくらい教えてあげたほうがいいんじゃないか?」


「気にしすぎだって。そもそも、教えられるほどリン兄ファッションに詳しくないじゃん」


「んぐっ」


 ライルの指摘に、リンの口から反論は出てこない。服に対しての知識がないことは、本人にも分かっていた。

 だが、一向に選びきれないシーナを見ていると、つい『何でもいい』と言葉にしてしまいそうになる。過保護と言われればそれまでだが、この時間がシーナの為になるとは思えない。初めより強く自我を見せるようになったシーナが、服を戻すたびに渋い顔をすることがリンには辛かった。


 それでも、一度信用すると決めたチャイルズの手前もあり、大人しくシーナに全て委ねるが、その後も散々見てきた目の前の光景がまた繰り返される。


 灰色のセーター。フリルのついたブラウス。ワンポイントのカットソー。革のジャンパー。下もスカートを中心に様々なものを手に取り、そして元の場所に戻す。


 その度に、リンに一度視線が向けられるのだが、それは助けて欲しいというより、ちゃんと付いてきているかを確認しているようにされる。

 それに笑って応えて、また選んでを繰り返し、シーナが一つの服を手にとったところで、今までとは違う反応を見せた。


「…………」


 それは、シンプルな白のワンピースだった。


 装飾などはなく、刺繍も最低限の、上質な生地である事以外は至って普通のものだ。無言で前後を確認したシーナが、今までとは違って服を持ったままリンに振り向く。


「リン。これがいい」


 心なしか、空色の瞳に爛々とした光が灯る。今までにない反応は、今までになかった自信がその時宿った証でもあった。

 それを見て、リンも顔を綻ばせる。シーナがそれほどまでに気に入ったのだと思えば、悩み抜いたこの時間が途端に有意義なものだったように感じるのだから現金なものだ。


「随分とシンプルな服をお選びになりましたねん。では、一度ご試着してみましょうん。試着室は、この裏ですん」


 ずっと付いて来ていたチャイルズに、シーナが試着室へと促される。まだ他人は怖いのか、シーナはチャイルズと自分の間にリンを引っ張って自分を隠し、人見知り全開で試着室に向かった。




              ********




「リ、リン。先に帰らないでね?」


「大丈夫だよ。待ってるから焦らないでも」


 試着室があるというのは、壁を隔てた扉の向こう側らしい。そこに入る直前、シーナがありえない心配をしながら振り返った。流石にここで帰るのは色々と問題があるし、普通に考えればそんな事にはならないと分かる。

 普通じゃ測れない環境で育ったのだともう理解はしてるが、こんな反応一つ一つが痛ましいのは事実だ。それを顔に出して、余計に不安にさせたりはしないが。

 リンの言葉に納得したのか、シーナはチャイルズに連れられ、最後にリンを一瞥してから中に入る。その様子を後ろから見ていたライルが、それを待っていたかのようにリンに並び、問いかけた。


「リン兄。なんかガキンチョのこと気にかけ過ぎじゃね? いや、それが悪いってことじゃねーんだけど、なんか特別気にしてるっつーか」


 唐突なライルの問いに、リンは静かに視線を向ける。自分でもシーナに肩入れしすぎている自覚はあるのだが、その疑問への回答は既に持っている。


「……あーっと、そうだなぁ………」


 だが、リンのその後の反応は歯切れのいいものではなかった。


 説明する意思はあるのだが、頭の中で言葉を選び、眉間に皺を寄せた難しい表情を作る。その反応を不思議に思ってるだろうライルを尻目に、どう説明したものかと、そう考えを巡らせているリンを見て、何かを察したようにシオンが問いかけた。


「………被りますか? 昔の自分と」


「―――っっ!」


 シオンがそう問いかけた時、リンは視界の両端で、二人の表情が崩れていくのを見た。胸の痛みで歪んだその顔に、最も色濃く浮かぶのは『後悔』の感情だ。



 その時、三人は脳内に同じ光景を描く。――いや、少し違う。



 リンが思い出したのは、燃え盛る故郷の中、シオン、サラ、ライルの"三人"が、リンに"恐怖"と"敵意"を向ける光景。



 対して、シオンとライルのそれは――



 泥と血で塗れたリン"一人"が、"絶望"に染まった眼差しで自分達を見ている光景だった。



「っっぁ、……兄ちゃん、ごめん! そんなつもりじゃ――」


「―――っっ、」


 ライルが言葉に詰まり、シオンが唇を噛む。言葉が見つからないを体現したような反応。リンにとってそれは、予想通りといえばそうだった。



 だが、望んだ通りなわけじゃない。



「バカ。あれはお互い様だろ。………俺だって悪かった」



 サラを含めた三人との関係は、今やリンにとって何よりも大切なものだ。それは断言できる。

 だが、長いすれ違いの果てに、それは一度壊れ、そして諦めた過去があるのも確かだった。


 思い出すだけで苦痛を伴う"あの日"を境に、一人で生きる辛さを知った。そして、その地獄を引きずって生きていたあの頃のリンと、シーナが被る。



「まあそれが、俺がシーナに肩入れする理由だよ」



 自分は立ち直った。今は全部解決して、孤独を感じることもなくなった。だが、それはリン一人では越えられなかったトラウマという壁だ。

 周りの人に支えられ、助けられてようやく抜け出した、長くて永い孤独の闇から解放されたことに、リンはどれだけ周りに感謝したか知れない。


 だからリンも、シーナがそんな暗闇から一刻も早く抜け出せるように、出来る限りの手助けをしたい。それが、リンを助けてくれた仲間達に対する、せめてもの敬意の表れでもある。


 今も沈んだ顔をしているシオンとライルに、そう言って話の区切りとするが、隣で拳を握ったライルはまだ震えていた。


「………ライ。もうこの話は――」


「お互い様なもんかよ……」


「………え?」


 終わりだと続くはずだったリンの言葉を遮り、それで終わりなわけがないと、怒りに震えた声でライルは告げる。

 その感情が誰に向けられたものなのかは明らかだった。自身の髪に負けないほど顔を赤くさせたライルの心情は、自身への怒りと、死にたくなるほどの羞恥だ。


 加熱する思考の片隅で、ライルはアリスの家で言った自身の言葉を思い出す。


 あの時のライルは、リンに過去の話をしようとするサラを制止した。リンが無駄に責任を感じると、もっともらしいことを言って。


 その時の言葉に反すると分かっていながら、激情が口から漏れるのを止められなかった。


「あ、あれがっ、お互い様なわけないだろ!? だって……俺はっ、兄ちゃんに………」


 涙すら浮かぶ瞳で視線の先に捉えるのは、リンの左肩。今は服で隠れているが、その場所にあるのは、リンの傷だらけの体の中でも、一際大きかった"火傷の痕"だ。


 尋常ではない苦悶の顔をさらに歪ませ、ライルが叫ぶように言った言葉の続きは、本人が口籠る事で音にならない。それは誤魔化しているわけではなく、むしろ逆。


 あまりにも悍ましい事実に、ライルはその先を想像するだけで強烈な吐き気に襲われた。自責の念に駆られ、それでも動かそうとする口を、意思とは裏腹に、飲み込み切れない感情が蓋をする。


「もういいって。終わった事だって何度も言ってるだろ」


「……過去は、消えないですよ。兄さん」


 そして、そんなライルを慰めるリンではなく、シオンは自身を責めるライルに同調する。その責任を向けるのは、ライルと同じように自分自身だ。

 無意識にしていた唇を噛むという自罰的な行為は、その心情の表れのような気さえしてくる。ただ、そんな事で薄れるほど、シオンの罪悪感は軽くない。


「忘れそうになるんですよ。兄さんが優しいから……ついこの間まで、――いえ、きっと今でも、私たちが兄さんを苦しめ続けていることを」



 そう、つい最近のことだ。



 "あの日"から、会えなかった空白の期間。リンが自分達のせいで苦しんできたことは、残念ながら間違いない。

 故郷が滅び、幼き日のリンと邂逅した最後の時、その間違いを起こしてしまった記憶が鮮明に甦る。

 リンは自身も悪かったと言うが、シオンはそう思えなかった。リンがした事。そして、自分達がリンにした事を考えれば、ライルの言うように、簡単に割り切れるような話じゃない。


「――――」


 そして、そんな二人の様子を見ていたリンが感じた事は、"戸惑い"と"懐かしさ"が半分ずつ。


 たった一言だ。二人が多少面食らう内容であることは分かっていたが、シオンが話したたった一言が、ライルとシオンにその時を思い出させてしまった。

 自分が思っている以上に、この二人の心には、あの件が深い傷となっている。その事を実感し、軽々しく口にした事については反省。



 その上で、リンは笑った。



 シオンとライルが、並んでこちらの様子を伺うこの光景は、昔よく見たものだった。大きすぎる力を持っていたこの二人が、物を壊したり、リンを取り合ったりして親に叱られるのを、リンが庇っていた時の記憶が思い出される。時にはリンの私物が破壊されたこともある喧嘩だったが、いつだってリンは一言で二人を許してしまうのだ。



 『しょうがないな』と、心の中で一つ言って、シオンとライルが、また笑って頑張れるように言葉を選ぶ。



「俺は、昔を思い出せるようになったよ」



 唐突なその言葉に、二人の視線がリンに向く。呆気に取られた二人に対して、リンは自身の心の内を正直に、そして、一番大切にしている教えに従って伝える。



 柔らかい表情は、怒っていないと思わせるために



 優しい声は、安心させるために



 選ぶ言葉は、決して傷付けないように




 リンが英雄になりたいと言った日、どうすればなれるかを聞いた時に、人と接する時にそうしなさいと母が教えてくれた。

 当時のリンは、そんな事なのかと怪訝な顔をしたものだ。英雄とは、悪者を倒す強い人だと思っていた。

 けど、歳を重ねて改めて考えてみると、英雄の本質はそんな事じゃないと分かる。

 強さだって必要だと思う。相手に勝つ強さではなく、負けない強さがなければいけない。だが、相手を思いやることが出来ない人は、絶対に英雄にはなれない。



 それを教えてくれた人は、もういないが。



「あの日の事は、本気で思い出したくなかったんだ。………特に、母さんの事は。――思い出せるようになったのは、みんなのおかげだと思ってる」


「………え?」


 自分にとって唯一無二の、血のつながりがある家族だった。自分を愛してくれていたかけがえのない人だった。その記憶が強いからこそ、思い出す事が怖いと思うのは当然のことだろう。


 だが、それを克服出来たのは、幼馴染たちの尽力があったからだ。


「あの子は、昔の俺みたいなんだよ。俺にとって一番辛くて、一番自分を許せなかった時の。……俺はその時から、まだ完全に前を向けてるわけじゃない。けど、シーナを救う事ができたら、俺は、俺をほんの少しだけ許せる気がする。だから――」


 そこで言葉を切って、シオンたちに向き直る。自然と目尻が下がり、無意識に微笑んだリンが告げる。


 自分が持つ、何の役にも立たないちっぽけな同情心とは違い、確かな守る力を持つ二人に。



 この国の――そして、リンにとっての《英雄》に。



「手伝ってくれよ。俺を救ってくれたみたいに」



「――――」



 ――ああ、その顔だよ。



 今までの、俯きがちな顔から一転。真っ直ぐ前を向き、決意を込めた瞳がリンを射抜く。


「はい」


「ああ!」


 短く、そう応じた二人に、もう罪の意識に苛まれている様子はない。やる事が決まった事で、更にやる気に満ちた二人は、改めてリンに誓う。


 こうなった時の彼等は、頼りになるなんてものじゃない。


 誰もが信頼し、そしてそれに応え続けてきた英雄達が、その力を使って自分に協力してくれるのだ。

 何より、リンの感じてるこの安心感が、彼等の存在を証明している。


(俺も、そうなりたかったよ)


 僅かに胸の痛みを覚えながら、リンはそう胸の中で呟く。強くて、優しくて、正しい英雄像を体現した存在への、捨て切れない憧憬に自嘲しながら、頼もしくなった幼馴染達の成長を誇る。


「失礼ん。よろしいですかなん?」


 そんなやりとりが終わった丁度その時、扉から出てきたチャイルズに声をかけられ、リン達の視線がそちらに集中する。

 ただ、もう一人共に入った人物が見当たらず、三者が同時に怪訝な表情を作った。


「………えっと、シーナは?」


「あちらにん」


 三人共通の疑問を言葉にしたリンに、チャイルズは自身が通ってきた扉の方へと手を向ける。

 チャイルズに隠れていて気が付かなかったが、半開きになった扉からはシーナが顔を覗かせていた。ただ、正しくその通りの状況で、顔以外の部分は扉に阻まれて視認出来ない。


「…………シーナ?」


「っっ! う、ううぅぅ………」


 頬を染め、困ったような表情で唸るシーナ。間違いなく恥ずかしがっているのだと一目で分かる。


 悩みに悩んだ服選びを成し遂げ、不安ながらも迷いなく試着室に向かった先ほどまでは、初めての経験をした高揚感もあったのだろう。鏡に映った自分の姿をお披露目する直前、そこで今一度自分を見つめ直し、冷静になってしまうまでが容易く想像できる。

 だが、リンはその姿をかなり楽しみにしていた。急かすつもりはないが、早く見たいと気持ちが逸るのはご愛嬌だ。


「シーナ。大丈夫だから、おいで」


「………………ん、うん」


 二つ、呼吸を吸って吐いてを繰り返したシーナの体が、意を決して扉の後ろから現れる。



 ――天使の存在を一瞬信じてしまったのは、仕方のないことかもしれない。



 伝承や創作の中にのみ存在が確認される、天使という神の使い。作品によってその役割は様々だが、姿形のイメージは大方決まっている。



 そして、リンが今まで想像した天使像のどれよりも、目の前の少女は天からの使いとして納得してしまう可憐さがあった。



 少女の髪と同じ色をしたワンピースに華美な装飾はなく、シンプルな造りが逆に少女の魅力を際立たせる。透き通るような肌の色にも溶け込み、一切の汚れがない神秘的な存在として確立していた。

 唯一、火照った頬が血の巡りを認識させ、その存在を人間として繋ぎ止めるが、それすら少女の愛らしさを際立たせる要素にすぎない。


「………ど、どう?」


 そう問いかけるシーナだが、呆気に取られたリンに何を思ったのか、自信を欠片も感じさせない、縋るような視線が徐々に下がり地面に向く。


 手を合わせ、両手の指を絡めることで少しでも不安を紛らわそうとするシーナに、リンは飛ばしていた意識を戻す。膝を曲げ、両膝を抱えるようにしゃがみ込む事で下を向いたシーナの顔を覗き込み、視線を合わせて笑った。


「うん、似合ってるよ。すっげー可愛い!」


「――――っ!」


 言葉を選ばずに口をついてしまった台詞は、何のひねりもない単純明快なものだった。もっと具体的な言葉を尽くした方が良かったかと思案するが、今更何かを付け足しても蛇足になる気がして断念。正解かどうかは分からないが、シーナの反応から間違いではなかったと判断する。


 リンの言葉に、不安そうだったシーナの顔が沸騰するように赤くなっていく。俯いていた顔が一度リンに向き、もう一度視線を落とす。だが、その感情が変化したのは明らかだ。


 手を動かして頭に置いたり、何かを堪えるように、服を思い切り掴んだりと、意味のない動きの中で感情をはぐらかそうとするが、挙動の全てから歓喜を隠せていない。


 そうして一通り感情を抑え込み、それでも込み上げてくるそれを我慢できなくなって――



「………へ、へへっ」



 照れたように、シーナが笑った。



 目にはうっすらと涙を浮かべ、耳まで真っ赤にしながら、リンの言葉を噛み締める。


「――――っ」


 リンとシーナは、まだ会って間もない関係だ。シーナがどんな子なのかを知るには、共に過ごした時間が短すぎる。


 それでも、目の前で花開いた少女に、リンの心は大きく動いた。


 初めて会った時は、何の感慨も感じさせなかった。


 抱きしめた時、心底安心したようだった。


 ギルド支部で話を聞いた時、不安に塗り潰されそうだった。


 露店に行った時、ようやく晴れた表情を見れた。


 そして、今まで何をしても上がることのなかった口角が、歪ながらも弧を描く。初めて見る少女の反応がどうしようもなく嬉しくて


「……ハハっ」


 自然と出た笑い声と、目頭に浮かんだ涙に、自身が思ってる以上にこの光景を喜んでいると自覚する。


 願わくば、この笑顔が出来るだけ長く続くようにと、そう思った。




              ********





「ようやく、服選びのスタートラインに立ったようですねん」


「……こうなるって分かってたの?」


 微笑ましいやり取りを繰り広げる二人の背後で、チャイルズが満足気に笑ったのを見て、ライルが問いかける。


「いいえん。ただ、この店に入った時の彼女の顔が、これから服を選ぶためのものじゃなかっただけですん」


 チャイルズの答えに、ライルは要領を得ないとでも言いたげに怪訝な顔をする。暗に説明を求めたライルに対し、チャイルズは視線をシーナに移し、少女の顔が喜色満面なことを再確認。


 それが答えだと、チャイルズは言うのだ。


「服と一言で言っても、その種類は千差万別ん。いくら選べど、正解の服装なんてものはありません。その日着る服を、これでいいのかと悩み、ダメかもしれないと疑い、他のにしようか迷い、そして、たった一つのコーディネートを選択するその難しさたるや、饒舌に尽くし難いものですん」


 チャイルズが説いたのは、服を選ぶ人の心情を表したものだった。

 その相手が恋人であれ、友であれ、ただの知人であれ、会う時は同じように服は着る。だが、その関係性によって、あるいは親密さによって、さらには目的によって、時には日によって、着ていく服を変えるのは必然ともいうべき選択だ。

 恋人との逢瀬に適当な服で行きたくはないだろうし、共に運動をするのに、動きにくい服で行ったら落胆されることもある。暑い日に着込んでいたら正気を疑われるかもしれない。


 様々な要因を鑑みて、自分なりの最適な選択をしたところで、相手の趣味趣向とは異なる場合もある。


 挙げていけばキリがないほどに、その選択には様々な要因が複雑に絡み合う。無論、簡単に選ぶことがあるのも事実だが、ほとんどの場合に即決で服を買うことができないのには理由があるはずだ。


「だからこそ、その過程の先にある、見てもらいたい方からの言葉に一喜一憂するのですん。そしてそれを思えばこそ、服を選ぶ時は楽しそうになるものん。怯えた顔で、全てを人任せに服装を決めたところで、何も面白くないのですん。現に今の彼女の表情は、私が選んだ先にはなかったものでしょうん。大切な人からの称賛こそ、コーディネートの最高の醍醐味ですん」


 今までで最高に饒舌な様子は、チャイルズの興奮を表しているようだった。醍醐味というのであれば、自身の店でそれを見れたことに誇りを感じているのかもしれない。


「だったら、最初からそー言っとけばいいんじゃね?」


 そんなチャイルズに対し、一つだけ納得できていないライルが聞いたのがそれだ。事実、初めて会った時のチャイルズの様子に、リンとシーナは不安を覚えた。いや、シオンとライルも、彼に小さな不信感を抱いた。


 だが、ライルの質問に、今度はチャイルズが見たこともないような反応を返す。まるで悪戯が成功した時の子供のように、小さな邪気と大きな無邪気をのせた声が、ライルに向けられた。


「それも無粋でしょうん。"不安があってこそ歓喜が際立つ"というのが、私のモットーですのでん」


 あまりに堂々というものだから、それを聞いたライルは反応が一拍遅れ、そして、少しだけ呆れたように笑った。


「……食えねー奴だな、おっちゃん」


「褒め言葉として、受け取っておきましょうん」


 髭をいじりながら目を細めたその姿に、自身が警戒していた以上に癖のあるチャイルズへの評価を改めた。


「……………」


「………シオン?」


 そこでライルは、会話に一切入ってこなかったシオンの様子に気付く。彼女の視線は、リンとシーナの楽しそうな様子に釘付けにされていた。


「えへへっ、可愛い? 可愛い?」


 ワンピースの裾をもち、その場で一回転したシーナが、上機嫌にリンに問いかける。相手にするリンも、シーナの様子に微笑みながら相槌を打っていた。


 側から見れば、娘に服をプレゼントする父親を彷彿とさせるが、年齢的には兄妹の方がしっくりくる。

 他の客から向けられる視線も、そのほとんどが『微笑ましい』と語っていた。


 だが、シオンが浮かべる表情は、そんな光景に絆されたというわけではなさそうで。


「……………」


 無言のまま、リン達とは違う方向に歩き出したシオンを、その目的を察したライルが羽交い締めにして止めた。


「!? な、何ですかライ!?」


「いや、シオン。そりゃあ服買うのは勝手だし止めないけどさ。………今は空気読もうぜ?」


「な、な、何を言ってるんですか? わ、私はただ、何となく違う雰囲気の服を着てみようかと思っただけで………」


「あのなぁ、そんなバレバレの嘘つくなよ」


「!! ……だ、だってずるいじゃないですか……私だって、兄さんにあんなに可愛いって言われたのはずっと前なのに!」


「言われてんじゃねえか。だったら尚更、今回だけはリン兄貸してやりゃあいいじゃん。代わりに俺が言ってやるから」


「虫唾が走る事を言わないで下さい!」


 本気で気分が悪そうにそう吐き捨てるシオンに、ライルは苦笑いするしかない。

 どうにも、シーナとシオンの相性は随分と悪いらしい。昔からリンを独占したがるシオンにとって、リンが他の誰かを甘やかすのは面白くないのだろう。


 加えて、シーナにもそれと同じものを感じる。


 ライルもその気持ちは分からなくもないが、年齢的に見ても立場的に見ても、今はシーナ寄りの心持ちだ。


 仮にここでシオンを放っておけば、シーナと張り合ってリンに褒めてもらおうとするに違いない。ただそうすると、今目の前で繰り広げられている二人の世界をぶち壊すことになるだろう。それは流石に、ライルにとっても心が痛む。

 それに、自分たちと交代で明日からシーナの護衛をするサラは、シオンと同じくらい面倒な相手だという事を嫌というほど知っている。


 せめて自分がいる今だけは、ささやかながらもシーナの邪魔はしないであげようと、遠い目をしながらライルは思った。




              ********




「ありがとうございましたん。またのお越しを、心よりお待ち申し上げますん」


「気ぃつけて帰ってくださいねー」


 見送りのチャイルズとクレイに手を振り、リン達一行は《人魚の鱗》を後にする。一番初めに買った真っ白のワンピースを着たシーナの両腕には、今回購入した外出用の服と寝巻きが入った袋が抱えられていた。


「…………」


「……だ、大丈夫か? リン兄」


 ライルが声をかけたのは、店に入った時より、心なしか老けた印象を与えるリンだ。

 チャイルズは約束通り、シーナが選んだワンピースを無料で提供してくれた。だが、その後にシーナが選んだ服の値段は、リンの想像を遥かに超えるものだったのだろう。

 会計となった時、リンの行動が一瞬完全に停止し、動揺を表に出さないよう必死に堪えていた姿を、ライルは見逃さなかった。

 案の定、支払いを済ませた後から、明らかにリンの口数は少ない。急激にやつれたところからも、隠しきれない憔悴は見ていられないものだ。


「……全然……余裕だって。安い安い………」


「強がんなよ。死にかけのゴブリンみたいな顔してんぞ?」


「――いや、本心だよ。安いもんだ」


 だが、力無く笑ったリンの視線の先では、花開いたような笑顔で歩く少女が、抱えた袋に顔の半分を隠しながら、隠しきれない感情から足でステップを踏んでいた。


 出会った頃が嘘のように、その姿から悲壮は見られない。よく表情を天気に例える事があるが、一点の曇りもない空で、太陽が輝いているようだといえば、確かに今の少女を表現出来るだろう。


「――――」


 それを見つめるリンの様子も、晴れやかという言葉が最も当てはまる。


 憔悴したような顔色だが、その中に後悔は見られない。不純物のない慈愛に満ちた瞳がシーナを見つめ、いつしか疲労の見えた顔は笑みに変わっていた。



(………こーゆうところなんだよなぁ)



 その横顔を見て、ライルに懐かしい感慨が浮かぶ。


 ライル・ローレンにとって、リン・アルテミスという存在はとてつもなく大きい。肉親を除けば、自身を形成するうえで最も影響を受けたのが、幼い頃から兄のように慕うリンだった。


 昔のライルは、今では考えられないくらい内気な性格だった事もあり、故郷の村では同年代に虐められていた。


 それを助けてくれたのが、姉のサラと、親同士の仲も良かったリンの二人だ。

 ただ、その助け方は真逆。サラは虐めていた子供を片っ端から叩き潰す事で手を出させないようにしていたのに対し、リンは寄り添って守ってくれた。


 その時のことは二人ともに感謝しているが、憧憬を抱いたのは、ライルを気遣ってくれたリンの方だ。


 サラのように勝てるわけじゃないのに、いじめっ子からライルを庇うように立つその背中に。そして、ボロボロになりながら、自分に優しくしてくれたその姿勢に、ライルは憧れた。


 リンは否定するけど、ライルにとってリンは紛れもなく――


「――ってことなんだけど、いいか? ライ」


「…………へ?」


 意識を過去の記憶に飛ばしていたライルは、リンに声をかけられて、ようやく目の前で話し合いが行われていた事を認識した。


「えっと、なんだったっけ?」


「おい、大丈夫か? やっぱり疲れてるよな。今日はもう夜ご飯食べたら、シオンが予約してくれた宿で休もうって話してたんだけど」


「お? 俺はいいけど、まだだいぶ早くね?」


 まだ空は星すら見えておらず、夕方から夜にかかる頃。無理に遊びに出かける時間帯でもないが、まだ適当に散策する時間はある。

 実際、シーナは少し残念そうに視線を下げ、抱える袋を抱きしめることでそれを誤魔化していた。


「いや、そろそろ戻って少しでも寝ないと。夜のうちにサラと都市の警戒変わるんだろ?」


「…………あ」


 リンの言葉に、ライルは思わずそう声を出した。


 完全に頭から外れていたが、それはライルたちが初めに受けた指名依頼の内容だ。今はこの都市を害獣から守るために、サラが城壁の上で警戒している。

 だが、それはサラだから出来る芸当であって、シオンとライルでは二人で分けてようやく同じ範囲をカバーできる。それは純粋な戦闘能力の話ではなく、得意不得意の問題だった。

 今回の案件で最も重要なのは、都市に近付く害獣を感知できる能力だ。ライルとシオンのそれも常人とは比べ物にならないが、サラは《月華の銀輪》の中で、その能力がずば抜けて高い。

 端的に言えば、規格外の空間把握能力。この国でも有数の規模を誇る城塞都市の全てを、その力の範囲に収められるサラだからこそ、一人での警戒が成り立つ。


 だが、流石に休み無しというわけにはいかない。初めに取り決めた交代までの時間まで、既に六時間を切っていた。


「そっか。そーいや忘れてたな」


「しっかりして下さいよ。遅れたらサラにまた怒られますよ」


「げえっ!」


 嫌な想像に、顔を歪めたライルの悲鳴が上がった。サラ本人がいれば激怒しそうな反応だが、それを見るリンとシオンは理解を示すように同情の視線を向ける。

 唯一、事態を飲み込めていないシーナが怪訝そうな顔をするが、リンがやんわりと背を押してその場を後にした。


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