第3話:魚にまつわる連想ゲーム

前日、旅の男が去った川辺は、再び穏やかな静けさを取り戻していた。


エリカは、新しい釣り餌を試すために、焚き火の跡から少し離れた場所に座っていた。彼女の指先に止まっているのは、小さな、小さな毛虫だった。


その毛虫は、もこもことした体を揺らし、短い脚を忙しなく動かしている。その姿は、まるで小さな緑の絨毯が生きているかのようだった。エリカは、その毛虫をじっと見つめていた。彼女の瞳は、まるで宝石を鑑定するかのように、毛虫の細部にまで集中していた。


(ふむふむ、この子は、この森にしかいない種類だな。このもこもこした毛は、天敵から身を守るためのもの。でも、これだけ鮮やかな緑色をしているってことは、草食性だ。つまり、身は甘くて、魚もきっと喜んでくれるはず……)


エリカは、毛虫の生態について、壮大な推理を繰り広げ始めた。それは、まるで大魔導士が古代の魔法書を紐解くかのような真剣さだった。


彼女の思考は、そこからさらに暴走を始めた。


(もし、この子が巨大化したら……どうなるだろう?きっと、この森の生態系の頂点に君臨するはずだ。もこもこの毛は、あらゆる攻撃を無効化する最強の盾。そして、その巨大な口からは、緑の光線が放たれ、森を食らい尽くす。ああ、なんて恐ろしい……いや、待てよ。こんな子を釣ったら、魚も大変だ。きっとお腹を壊してしまう。それは可哀想だ。じゃあ、この子を巨大魚の餌にするのはやめよう。うん、そうしよう。巨大な毛虫と巨大な魚が戦ったら、きっと川が泥だらけになって、魚たちの家がなくなっちゃう。それは絶対に避けなきゃ)


エリカは、一人でうんうんと頷き、壮大な妄想から結論を導き出した。


(よし、この子は、リリースしよう)


「元気でね」


エリカはそう呟くと、毛虫を手のひらから地面にそっと離した。毛虫は、まるで彼女の言葉を理解したかのように、もこもこと体を揺らしながら、草むらの奥へと消えていった。


エリカは、再び釣り竿を手に取った。


「さて、今日の餌はどうしようかな」


彼女はそう呟くと、川辺の石を一つ一つ丁寧にひっくり返し始めた。石の下に隠れている小さなエビや、カニを見つけ出しては、手に乗せて観察する。それぞれの生命の息吹を、五感で感じ取ろうとしていた。


川のせせらぎが、彼女の耳に心地よく響く。太陽の光が水面に反射し、きらきらと輝く。その光は、まるで川が生きているかのように、脈動しているように見えた。


エリカは、しばらく考えた後、小さなエビを釣り針につけた。


(うん、この子が一番いいな。身が透き通っていて、新鮮そのもの。きっと、この川の魚たちも喜んでくれるはずだ)


彼女はそう確信すると、再び釣り糸を垂らした。


水面に静かに落ちる釣り糸。


その瞬間、エリカは、微かな違和感を覚えた。


(あれ?今日の魚たちは、ちょっとおとなしいかな?)


彼女の第六感が、そう告げていた。いつもなら、すぐに食いついてくる魚たちが、今日は様子を伺っている。まるで、何かを警戒しているかのように、じっと身を潜めているようだった。


エリカは、竿を構えたまま、じっと水面を見つめた。


彼女の思考は、再び、魚の気持ちを想像し始めた。


(もしかして、どこかで何かあったのかな?魚たちも、何かを感じ取っているみたいだ。昨日のお兄さんが言っていた不穏な噂と、何か関係があるのかな……。でも、それよりも、今は魚たちの不安を、安心に変えてあげたいな)


そう考えたエリカは、釣り竿を一度上げると、優しく水面を撫でた。すると、不思議なことに、水面がわずかに光を放った。それは、まるで川が彼女の気持ちに応えているかのようだった。


エリカは、再び釣り糸を垂らした。


今度は、魚たちは迷うことなく、餌に食いついてきた。


エリカの顔に、いつもの穏やかな笑顔が戻った。


今日も、最高の釣果を上げて、美味しい料理を作って、そして、魚たちを喜ばせてあげよう。


そんなことを考えながら、エリカは、次の一匹を釣り上げるために、静かに集中を続けていた。

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