第一話 空から転生、堕ちたら奴隷。

 ヒュ—————…………


 何か、耳の奥を裂くような、甲高い笛のような音が耳の奥で響いている。何だ? 一体何の音だ?

 俺、さっきまで何してたっけ——。朦朧とした意識のまま、自分の身に今何が起こっているのかを知るために、意識の根底をゆっくりと探って行く。


 子供……事故……血……、

 …………白?


 その瞬間、俺の脳裏に、あまりに鮮明な記憶が蘇った。

 謎の白い世界。皺だらけの老人。自分の胸に吸い込まれていった、謎の白い光の塊。


 ——勇敢な青年よ、異世界へ行く気はあるかね?


 頭に浮かぶその台詞と共に、俺はようやく意識を取り戻した。そうだ、俺はあっちの世界で死んで、ここ、異世界へとやってきたんだ。

  

 ヒュ———————————-


 ……なら、ずっと耳元で鳴り続けているこの音は何だ? 俺は多少の冷静さを取り戻し、人並みの知覚機能を取り戻すと同時に、背中が何か柔らかいものに押されているような感触を受け続けていることに気づく。


 そして、俺は受け入れ難い事実を知ってしまった。

 ——これが、風圧であると言うことに。


 俺は、遙か空の彼方で落下していたのだ。


 全てを理解し、恐怖によって完全に覚醒したことで脱力していた手足が力を取り戻して行く。ふわりとした安定感のある風圧が乱れ、体制がみるみるうちに崩れて行く。

 息がうまくできない。風が全身を叩き、耳の奥で風切り音が悲鳴のように増大して行く。心臓が暴れ馬のように俺の胸を蹴り付け、一気に全身が熱のようなものを帯びて行った。


 ぐるぐると回る視界の中、一瞬だけ地上のようなものが視界に入る。真下にあるのはなんだ、建物か?

 何にせよ、このまま落ちたら俺は有無を言わせずに即死するだろう。

 どうすればいい。一体、どうすれば————


 ——その力は“リジェクト”。あらゆる事象を無に帰す力じゃ。


 ふと、老人が俺に言ったその言葉が脳に響く。次の瞬間、俺は一つの考えを思いついた。

 ……ははっ、なんて馬鹿らしいんだ。下手すれば自殺行為だぞ?

 でも、今はそうするしかないんだ。一か、八か——!


 俺は、震える手脚を無理やり引き伸ばし、体制を一直線に固定した。そして、頭を下に向けた後、地面に向けて勢いよく両手を突き出す。

 まるで地面に突き刺さる矢のように空気抵抗の減った俺の身体は、速度をみるみるうちに上昇させながら地表面に近づいていく。


 俺の授かった能力、“リジェクト”。あの老人は、“あらゆる事象”を無に帰す力だと言った、もし、それが本当ならば——


「頼む、成功してくれ……!」


 そう俺が、震える唇で呟いた瞬間、両手が青く発光を始めた。

 その間にも、更に速度を上げて地面との距離が近づいて行く。


 迫り来るのは、生い茂る森林の中ぽつんと築かれた、瓦の連なる巨大な建物。その屋根の一角へと、俺は狙いを定めた。もう、目を開けていられない。


 指先に込められた力が、みるみるうちに増大していく。

 二重の爆発音と共に、一瞬、全ての音が消えた。


 もし、本当に、あらゆる事象を無効化できるのならば。

 ——落下の衝撃も、全て消し去れるはずだ。


 無音のまま、一秒にも満たない自由落下運動を繰り返す。

 一瞬の衝撃音。そして、木をしならせ、へし折るような轟音が連続して数秒間、俺の耳元で響き続けた。


「……っ、いってえ……」


 鼓膜を破るような破壊音が止み、ぱら、ぱらという何か破片の落ちるような音だけが残る。

 状況を理解するため、恐る恐る目を開けた俺は、突然、身体中から上がった激痛という名の悲鳴に悶え、立ち上がることができずにその場でうずくまった。痛い、痛い。だが、俺はまだ生きていた。あの高さからの落下を、どうにか耐え切ったのだ。


 目を瞑っていたから完全にそうだとは言い切れないが、恐らく俺は、衝撃を完全に抑え込めずに屋根を貫通。そして、建物の内部すらも突き抜けてしまったのだろう。


 十数秒、下を向いて痛みと格闘していただろうか。段々と痛みが引いていくのを感じた俺は、瓦礫と埃が舞う中、息を整えてようやく身体を起こす。改めて全身の状態をざっと確認するが、重症と呼べるような傷は一切見当たらなかった。血もほとんど出ておらず、かすり傷や打撲だけで済んでいた。まさに、奇跡とも呼べるような軽傷具合だろう。


 しかし、安堵と同時に、俺は少し、違和感を覚えた。腕の太さ、胸板の厚み、腹筋の硬さ——まるで、以前とは別人だ。筋骨隆々という言葉がこれほど似合う身体を、俺は前世で見たことがなかった。それはまるで、アニメのように美しい肉体をしていたのだ。


 あの老人の、仕業なのだろうか。そう思うと、胸の奥で小さく笑みが溢れる。落下から救ってくれただけでなく、こんなにも美しいボディまで授けてくれるとは。ありがとう、名前も知らない老人。俺は、天に向かって、心の中で静かに感謝を告げた。


 だが、その生き残ったという安堵と余韻は、すぐに途切れることになった。痛いほどの視線を、落下してから今まで、俺はじくじくと肌で感じ続けていたからである。まあ、ここがどこかは知らないが、建物の一部を悉く破壊してしまったのだから当然のことだろう。そう思いながら、俺は恐る恐る顔を上げた。


 目の前にいたのは、明らかに高そうな服装と装飾品に身を包んだ、数十人の男女。彼らに隠れて見えないだけで、更にその奥にも沢山の人がおり、こちらに視線を向けていることが分かった。


「……なんだ貴様! オークションが台無しじゃないか! 死刑じゃ、死刑!」


 目の前にいた一人の男のその言葉を皮切りに、辺りから大量の怒声、罵声が飛び交う。それにしてもオークション? 何の話だ?

 疑問に眉をひそめながら俺は、彼らの奥に位置してたステージの上に目をやる。


 豪華な壇上、その中央には一人の少女が立たされていた。手足と首は鎖で繋がれており、魔法陣のような光が足元で輝いている。動くことすらできないのだろうか。


「あれは……何だ?」


 俺は無意識にそう、口を開いた。


「ああ? なんだ、無礼野郎……ああ、あれは……」


 男が次に言った言葉に俺は、戦慄し、激昂した。


「ようやく捕えた、劣等種族のオークションよ。まあ、お前のせいで興が削がれ、台無しになったがな!」


 劣等種族? それだけで捕らえられ、オークションにかけられ、モノのように扱われているのか? あの少女は。気付けば俺はゆっくりと歩き出し、その壇上へと脚を踏み入れていた。


 近づいた少女の周りでは、バチ、バチと静電気のような音が響いていた。殴られたのか、彼女の身体に残っていたのは、無数の赤い痣。美しい金色の瞳は正気を失ったように虚ろで、身につけている衣服はボロ雑巾のような黄ばみ、ぼろぼろになっていた。そして、黒の長髪は寝癖まみれでベタついている。風呂にも、入れていないのだろうか。


「安心しろ……すぐに、助けてやるから」


 俺は彼女の拘束具に手を伸ばし、そっと指先を触れさせた。青白い火花と電流が、俺の腕を伝って全身に激痛を走らせていく。

 

「……ん、何だ、助ける気か? 無駄だよ、む・だ。この国一番の拘束魔法をかけているんだ、誰にも解けやしないさ。おい、そこの平民。あんたそれでも兵士だろ? 奴を拘束しろ。共に競り落として、死ぬまでこき使ってや——」


 カシャン。


 男が早口でそう言い終わる前に、俺は“リジェクト”を発動した。

 先の、落下の衝撃を抑えた時と同様強く指先に力を込めて、念じる。すると両手が青白い輝きを再び纏い始め、次の瞬間には魔法陣が霧散、そして、彼女の手、脚、首につけられていた枷が、あっさりと床に落ちたのであった。

 拘束から解放され、脱力したまま床に倒れ込む少女を、俺は思わず抱きかかえる。


「おいっ、無事か⁉︎」

「な……んだ、と……? おい、あの無礼ものを捕えろ! 殺せ! 殺して構わん!」


 貴族の怒声がステージの下から響く。俺は、少女の身体を横に抱きかかえ直してゆっくりと壇上を後にした。やはり、金にものを言わせるだけの弱者なのだろうか。こんな至近距離に捕縛対象が立っているというのにも関わらず、誰も手を出さずないどころか、皆が距離をとって俺たちの逃げ道を作ってくれていた。


 好都合だ——、そう思いながら、俺が走り出そうとしたその時、掠れ声の少女が口を開けた。


「……やめて……このままじゃ、あなたまでひどい目に遭ってしまうのよ……?」

「悪いが、俺の性分に合わないんだ。困っている人を見過ごすなんてな」

「でも、私は劣等種族で……」

「そんなの関係ない。俺から見ればお前は、一人の、ごく普通の女の子だ」


 少し格好つけて言ってしまったが、こうも小っ恥ずかしくなるなんてな。まあ、この子を救えただけ、良かったってもんさ。そういえば、後ろから聞こえていたがちゃがちゃという金属音が、段々と近づいてきている。恐らく、こんなこと言っている場合じゃないな。


 一瞬後ろを見たら、ざっと数十人は超えるであろう、重武装で剣や斧を掲げた兵士たちが、怒声を上げながら俺の背中を追っているのが見えた。俺は出口の場所を確認して、勢いよく会場を走り抜けて行く。


「よし、逃げるぞ……ところで、お前の名前は?」

「わ……私、リゼ。あ、あなた、は……?」

「ああ、俺? 」


 この時、俺は何も考えちゃいなかったんだ……彼女を助けたことで、この先どんな出来事が待ち受けているかなんてな。


「俺の名前はアキだ、よろしくな。取り敢えずどこか、隠れられる場所を探そう」


 そう、まさか奴隷契約を結んだ俺たちが、いずれ魔王を討伐することになるなんて、この時は誰も思っちゃいなかったんだ。

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